猫神と縁のお結び

甘灯

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三章

六話 来訪者

緊張した面持ちで店に入ってきた男は、まっすぐ緒美つぐみの方を見ると静かに頭を下げた。
一拍置き、緒美も同じように頭を下げる。

「知り合い?」

彰孝あきたかが首を傾げて尋ねる。

「ええ、まぁ…」

緒美は言葉を濁した。

どう説明をすればいいのか、考えあぐねていると、

「――この度は、大変申し訳ありませんでした!!」

男は、そのまま床に手をつきそうな勢いで、深々と頭を下げた。

「あ、あの、頭を上げてください!」

緒美が慌てて声をかける。

「…どういう状況?」

彰孝は、思わず白宮しろみやを見た。

「あっ!」

男の顔を見て、白宮が声を上げる。

のぞむ君じゃん!」

その一言に、彰孝はさらに意味が分からないといった様子で露骨に片眉を釣り上げた。



   ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇



「――どうぞ」

緒美は、男―久瀬川くぜかわ  望のぞむにお茶を差し出した。

「い、いただきます…」

望はぎこちなく湯呑みを受け取り、そっと口をつける。
その瞬間、張り詰めていた肩からわずかに力が抜けた。

「――つまり」

彰孝が腕を組み、ため息交じりに言った。

「知り合いの子がストーカーに狙わてるかもしれないって思い込んで、その子を尾行してたってわけね」

望はこくっと頷いた。

「それ、アンタの方がストーカーだと思うんだけど」

容赦ない一言に、望は「うぐっ」と言葉に詰まらせた。

「ア、アキさん…」

あまりにストレートすぎる物言いに、緒美は窘めるように声をかける。

久瀬川 望は、この近くのコンビニで働いている青年だ。
彼が気にかけていた女性は、その店によく来る客だった。
会計の際に、何度か言葉を交わす程度の関係。
 
ある日、その彼女が慌てた様子で店に駆け込んできた。
 
話を聞けば、「誰かに付けられている気がする」という。
彼女に仄かな恋心を抱いていた望は、彼女を“守る”という名目で、勝手に尾行じみた行為を始めてしまった。
 
緒美が黒羽根と見かけた不審者。
それは、行き過ぎた行動を取ってしまった望本人だったのだ。

不意に声をかけられ、怪しまれていると自覚があった彼は、驚きと恐怖から、反射的に緒美を突き飛ばしてしまった。

事の顛末は、こうだった。

「その子を尾行してて、結局“本物のストーカー”を一度も見てないわけでしょ?」

「それは…」

「そもそも、その子に頼まれたわけ?」

「いえ…」

「なら、大きなお世話よ。下手したら、アンタが通報されてもおかしくない」

彰孝の指摘は、至極ごもっともだった。

「………」

望は、深く顔を伏せる。 
自分の浅はかさを、ようやく嚙みしめたようだった。

「まぁ、好きな子を守りたいって気持ちは分かるっすけど……さすがに、やりすぎですね」

白宮も頷き、同意する。

「――久瀬川さん。怪我もありませんでしたし…今回のことは、どうかお気になさらずに」

何と言えばいいのか分からず、緒美はそう告げた。

望が店に来たのは理由は、ただ一つ。
緒美に、謝罪をするためだった。 

菓子折りを差し出し、経緯と深く頭を下げる望の姿に、場も次第に落ち着いていく。

「今後は、自分の行動をよく考えなさいな」

彰孝が、そう締めくくった。

「……はい」

蚊の鳴くような声で、望は答えた。

「それにしても、岳斗がくととも知り合いだったのね」

話題を切り替えるように、彰孝が言う。

「初めて接客したのが、望君だったんすよ」

「その節は…お世話に、なりました…」

「そんな畏まらなくていいって。初契約も望君だったし――俺、めっちゃくちゃ助かったんだから」

白宮は、努めて明るく笑った。

「そうだったんですね。…あ、お茶、淹れ直してきますね」

緒美は湯呑みをお盆に載せ始める。

「――つぐちゃん。そろそろ遅いし、今日はもう閉めたら?」

壁時計を見上げ、彰孝が言った。

「……そうですね」

確かに、閉店時間はとっくに過ぎている。

(今日も黒羽根さん、来なかったわね)

「あ、す、すみません!俺、か、帰ります!」

望が慌てて立ち上がろうとしたその瞬間、ゴン、と鈍い音が響いた。

「ったぁ!」

膝を押さえ、望が顔を歪める。

「だ、大丈夫ですか!?」

緒美は思わず声をかけた。

その時、呼び鈴とともに扉が開いた。
反射的に振り向く。
 
スーツ姿の黒羽根くろばね
その後ろに控えめに立つ小柄な女性。
 
二人の姿を認めた瞬間、緒美の心臓が、ドクリ、と大きく跳ねた。

(…なに…これ……)

背中を這い上がる、得体の知れない悪寒。
視界が黒い靄に浸食していく。

「……っ」

足に力が入らない。
立っていられなくなった。

「――緒美さん!」

黒羽根の鋭い声。

――大丈夫。

そう言いたかった。
けれど緒美の意識は、その言葉を紡ぐ前に静かに途切れた。
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