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第3部 あの恋の続きを始める
8-4 ※
しおりを挟む「はあ、今日も疲れたなあ。お疲れさん」
「お疲れさまでした、最賀先生」
「はい、敷地内に入りました。俺はもう先生じゃない」
「……はい、忠、さん」
「うん、陽菜。お疲れさま」
フルフェイスは夏場だと非常に蒸し暑い。外気に触れても蒸し蒸しと、熱風に包まれる。陽菜は汗を拭って、最賀が端にバイクを置く最中はヘルメットを持つ。
敷地内だろうと、ヘルメットをその辺に置いておくといつの間にか消えてしまうことがあるからだ。一応、玄関の中で保管する様にしている。
「実は里芋の煮っ転がしと、大根のサラダ、油揚げの豆腐肉包み、豚汁が今晩のメニューだ」
「えっ、忠さんお料理……え?!」
「まあ、簡単な物ならある程度出来るようになりましたよ、独り者なので?」
交際を仄めかす言葉は互いに発したりはしなかった。誰かと付き合っていない独りだと、聞けただけでも陽菜は十分だった。
料理のレパートリーは増えた証なのか、台所付近にある棚には料理本が並んでいる。前の家主が良かったら参考にと置いてくれたと言う。
台所は年月を感じさせる、古風な作りだ。シンクの高さは低く、最賀の身長とは不釣り合いである。花柄の淡いピンク色のエプロンを陽菜に着せると、最賀は腕捲りをする。
「さて、三口コンロ同時進行したいから、手伝って欲しいんだが……?」
答えは勿論、以外無い。陽菜はサイズ感がピッタリなエプロンは新品であることを知る。タグが付いたままだったからだ。何事も無くタグを切る最賀の耳朶はやや赤らんでいる。にやける顔を必死で抑えて、陽菜は料理を開始した。
「これくらいでどうだ?」
最賀の手際は良かった。包丁捌きも猫の手をしっかりと使いこなしていた。最賀と二人で料理をするのは擽ったい気分になる。二人で三口コンロをフル稼働すれば、あっという間に料理は完成の方向へと向かった。
シリコンのおたまで豚汁の味見をさせてもらう。最賀が左手でそっと添えて、陽菜の口元へ持って行く。薄味で、出汁が効いた家庭的な味だ。棚には栄養に関する本、減塩や糖質制限の料理本も数多く含まれていたからである。
「ん! ばっちりです!」
「高血圧、高脂血症、糖尿病等生活習慣病ばっかり気にしてるよ」
なるほど、と腕を組もうとした瞬間。ビリリッと電流が走った痛みで陽菜は顔を歪めた。
「あ、いた……ッ」
「大丈夫か? 胸骨圧迫、結構長くやってたからな……明日筋肉痛になるな」
陽菜の二の腕は限界突破していたものの、無我夢中だった。必死で胸骨圧迫をしていたせいか、今になって体が悲鳴を上げ始めたのだ。そう言えば、CPRをした次の日は筋肉痛になったなと今更ながら思い出した。
「て言うか、ぼーっと三条してやがって……。あれは困ったちゃんだな?」
三条は現場で看護師や医師が蘇生法をしている最中も上の空だった。心、此処にあらず。その言葉がぴったりな様子で、最賀の三度目の指示で漸く我に返った様子だったからだ。
誰しも、初めてのことなら尚更、急変の患者が目の前にいたら怖気付いたり、驚いて体が動かなくなるだろう。
BLSは陽菜にとって、強い味方になった。国際メディカルセンターで培った経験と共に、陽菜の精神を現場に留めたのだ。
だから、三条が一歩も動けずにいた気持ちは、痛いほど陽菜には分かる。
五年前、言われるがままに何とか救急要請するしか出来なかった自分と重なった。
息をするのが苦しくて、119番通報の指すら震えてしまったあの頃と。
「陽菜が三条の百倍頑張ったから、あの患者搬送先でピンピンしてたぞ」
それは良かった、と陽菜は安堵した。医療事務には、薬剤投与や静脈確保等の医療行為は出来ないので、出来ることが限定的だ。その中でも、最善のことを迷わず行動に移せたことは今後の強みとなる。
「ふ、アンタがいて心強いよ」
最賀が煮っ転がしの鍋へ落とし蓋をして、陽菜の唇を華麗に奪った。そのスムーズな動きに陽菜は目を見開いたまま固まる。ちゅう、と口付けられると下唇に歯を立てられて、直ぐに離れた。
「今日は陽菜をめいいっぱい甘やかすからな」
腰を引き寄せられて、分厚い胸板と密着する。料理中なのに、やや強引な男の色香にくらくらと眩暈がしそうだ。
「訂正する、明日もだ」
陽菜は最賀に翻弄されっぱなしである。
体を重ねることなんて、五年前からカウントすれば十回は超えるはずだ。それでも、毎度毎度初めての感覚に溺れそうになる。
「ぁんん……はあ、服……」
深いキスに酔い痴れる陽菜に対して、エプロンの紐を解いてコットンのカッターシャツに手が掛かる。慣れた手付きに、時々陽菜は五年の間に誰かで熱をぶつけたのかと時々考えてしまう。
嫉妬心は人を醜くするのに、と分かっていても恋愛の毒牙には叶わない。好きな人の過去ほど、気になるものは無いのだから。
「あっ、ダメ……ッ、汗、かいたからっ」
ブラジャーのホックを片手で外され、ふるりと外気に触れた肌に吸いつかれる。最賀は優しい手で陽菜を懐柔するくせに、拒絶すら肯定する力を持っている強引さがある。イヤイヤを陥落させる、特殊能力でも持っているのだろうか。
ともかく、陽菜が否定すると、途端にこう言うのだ。
「ん? 良い香りだが?」
「嗅いじゃ、ヤダッ」
「シャワー、一緒に浴びるか?」
「あ……う、っ浴び、ます」
丁度、煮詰まって汁気が飛んだ状態になって、余裕のある男は火を止めた。これで、料理中だから危ないとは言い訳に釘を刺されてしまう。
最賀の自宅でシャワーを浴びるのは、初めてでは無い。ただ、そこに最賀が追加されると途端に思考が鈍る。曇った視界の中にいる気分だ。
洗面所兼脱衣所に移動すると、やっぱり最賀に全部一つ一つを丁寧に脱がされる。逃げるように先に入ってしまうが、やっぱり追い付かれてしまう。
「逃げても無駄なのに、駄目だろう」
「だって、恥ずかしいです……」
「髪洗ってやるから、ほら座って」
────いつ、お湯を沸かしたの?
陽菜は全く気付かなかった。既に湯船は完成している。湯気が立ち昇っており、陽菜はアクリルのバスチェアに座るよう促された。
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