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第4部 溺れる愛
3-1【元婚約者と現恋人】
しおりを挟むそんな矢先に診療所へ最賀の元婚約者、手代森英世が現れる。
締め作業中に小野寺が女性と会話をする声が聴こえる。突っ撥ねた言い方は機嫌の悪さを示す。珍しいな、と陽菜は違和感を覚えた。小野寺は頭ごなしに否定する様な人では無いからだ。
「ちょっと、そこの従業員さん。最賀先生呼んで来て下さる?」
「お約束が無ければ診療時間を過ぎましたしお引き取り下さい」
「約束なんか必要ないわ。私はあの人の……」
腰に負担を掛ける看板仕舞いは陽菜の仕事だ。玄関前にある診療科目と診療時間が書かれた看板を院内に片付けようと外に出ると。
──どうして、此処に。
艶めく黒髪は肩程まで伸びており、その透明感のある肌に長い睫毛。レースで盛られた日傘がぽとりと手から落ちると、鋭い眼孔は殺意すら芽生えていた。
彼女は、最賀の元婚約者だ。そして、最賀のキャリアを悪戯に奪い、我儘を振り翳す女である。
「なんでアンタがいるのよ! 此処に! 最賀さんを誑かした泥棒猫が!」
ずんずんとミュールが歩みを早め、陽菜へ向かって来る。最賀と会わせれば、無理矢理でも車に押し込むだろう。拉致して、そのまま籠の鳥同然に自由を奪われる。何故かそう、直感が警告する。
穏便に解決し、帰る気は無いらしい。つい最近も弟との姉弟喧嘩で拳を痛めたばかりだ。指にはテーピングでぐるぐるに巻き付けた物が視界に入る。
──出来れば場所を変えて、それから……。
ドンッと強い痛みが胸部を打ち打擲されたことで、陽菜は一瞬で事を理解した。
突き飛ばしたのだ。陽菜は突然の衝撃によろけて、轍に頭を打ってしまう。硬結な物でフルスイングされた、そんな非常に鋭い痛みがパッと走る。
チカチカと視界が点滅する。火花が散って、頭が燃え盛る炎の様に焼き付く疼痛。
アルファルトが目の前にあり、頭部の痛みがじわじわと焼き付ける。遠い声がやけにくぐもって聴こえる。何故か、体が思うように動けなくて、視界が暗くなるのを感じ取るしか出来なかった。
「こんな汚い顔に傷のある女なんか、見窄らしいわよ。納得してない、こんな田舎で金にもならない診療意味無いのに。私と戻れば……、今なら間に合う」
その言葉に、陽菜は意識を手放すのを寸前で止めた。正気では無いのは承知の上だ。蔑んだ物言いに黙って泣く女にはならない。
「それが? 女の顔は綺麗じゃなきゃ嫁にもらってくれないって?」
「当たり前じゃない。誰が嫁に貰ってくれると言うのよ。愛想良く、可愛げのある清純な女でないと貰い手なんて現れない」
田嶋や母の言葉が重なる。貰ってあげるだの、顔の傷がある女に貰い手なんて居ない。そうやって、陽菜を弱い者にして、己は高みの見物をするのだ。弱い人間に仕立て上げることで、自身のプライドや立場を確立するのを愉しんでいる。
だが、陽菜は屈したりはしない。他人の顔色を窺うことはもう、やめたのだ。全て言いたいことを飲み込んで、空気を読んで、支配されることは御免である。
陽菜は自分自身の力で立っている。人を支配してコントロールしたがる人間の圧力にはもう負けないのだから。膝を折るのは、陽菜ではない。
のろのろと動きは鈍いが、陽菜は砂利で擦り剥いた手を地面について起き上がる。膝が震えるが、気力で保つ。よろけながらも何とか立ち上がり、手代森を見据える。
「冗談じゃない。そんな人、此方から願い下げです」
ぎろりと陽菜は大きな双眸で睨み付けた。
「私の顔の傷は、私だけのもの。こう言う方達を避けられる良い虫除けになって、逆に有益ですよ?」
陽菜の前髪を掴んで、上向きにすると着き始めた街灯に照らされる。痛々しい傷痕が晒されて、見せ物になる。手代森はビジューたっぷりな、何も入らないマイクロバッグで顔を目掛けてフルスイングするが、腕で勿論ガードする。
「醜いアバズレが……ッ、ふざけんじゃないわよッ!」
売られた喧嘩を買わない人なんて、何処にいる?
蔑んで、親の後ろ盾で生きる人間には泥水を啜って這いつくばる人間の気持ちなど分かりっこない。甲高い声で陽菜を捲し立てる姿は、愚行そのものだ。
──やられっぱなしは、主義じゃないんだから。
平手打ちをひらりと陽菜は華麗に避ける。手代森の動作は財閥令嬢育ちとは思えぬ程に大振りである。何度も母の拳を回避し、急所を外すように敢えて殴られて来た陽菜にとっては造作も無いことだ。ましてや、女同士の戦いだ。弟と違って、腕力の差は微々たるものである。
陽菜は拳を握り締めて、渾身の一発を手代森へお見舞いした。人へ拳を振るったことは弟以来だが、他人の容姿を非難するなんて非常識である。何だか、立て続けにこんなことばかりだなあと朦朧とした頭で思う。
グルンっと手代森はその衝撃に半回転して倒れた。鼻血を出して、無様に地面に寝転がっている。
「これ、正当防衛ですよね。貴女が吹っ掛けた喧嘩で、先に暴行したのは其方ですもの。温室育ちの御嬢様にしては、随分と良い御教育を受けられたのですね?」
唇が切れたのか、鉄の味が滲む。手背で乱暴に拭って、陽菜は堪忍袋がブチリと切れて憤慨した。
「貴女の身勝手で傲慢な振る舞いが! 一人の人生を踏み躙っておいて、何様なんですか?!」
手代森の身勝手な行動は、実権を濫用した挙句こじつけた婚約から多くの破滅を招いた。その一人は最賀である。一番の被害者だ。金と権力で人を縛り付け、思うままにならなければ痛め付ける。人を物と同じ扱いをして、結局内面は幼稚なのだ。何かあれば理事長の父に泣きつけば良い。
最賀はそれこそ、手代森を責めたりはしなかった。興味が無いないのか、それとも関心に値したくないのか。
それがまた気に入らないのか、度々職場に現れては罵ったり、泣き喚いたりしたらしいが。きっと関心を引きたかったのだろう。疲弊した最賀は適当にあしらって、心底どうでも良いと言った顔で見下ろしたのかもしれない。
──それでも、私はこの人に怒っている。
頭から流血しながら言い放つ。ぐわぐわと軽い脳震盪の中で、視界は揺らぐ。船酔いみたいな状態で気持ちが悪かった。頭を轍で打ったのが、効いているのだろう。
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