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第4部 溺れる愛
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しおりを挟む「最賀先生は飯田診療所の大事な大事な念願のお医者様なんです! 田舎では貴重な人材なのに多々嫌がらせを繰り返して人として恥ずかしい行いして!! 貴女みたいな我儘令嬢に誰が渡すものですか! 先生は私だって……私も……」
それからは、記憶が無い。人間、スイッチが切れると呆気なくぶっ倒れるのは小説の中だけだと思っていた。
薄暗くなる視界に、最賀がぼやけて映った。腕の中で意識が遠ざかる。その逞しい腕に抱かれて消えられるのならば、本望だった。
***
救急車、警察、目紛しく様々なことが起こったらしい。
気が付けば、真っ白い天井が飛び込んで来て思わずその眩しさに目を細めた。起きあがろうとすると、頭が鈍器で殴られたような痛みに怯む。
消毒液のツンとした臭気は嗅ぎ慣れた香りだ。何度もクリーニング業者に出したリネン類は手触りが独特である。
病院に搬送され、大部屋では無く個室に通されたのは何か意図があるのだろう。頭部を主に負傷したのもあり、念の為頭部CT撮影もありそうだ。救急外来勤務の経験から、検査入院の流れが待っていそうな予感がする。
ナースコールを何気無く押して、看護師を呼ぶ。寝たままでも枕元に垂れたボタンを押せるのは楽チンだ。患者になって、初めて身の回りの利便性を重視した構造であることを身に感じる。
「姉ちゃん?! 病院運ばれたって聞いて……」
血相を変えた弟がいる。態々来てくれたらしい。喧嘩別れしたのに、陽菜の為に涙を浮かべている。わっと泣き出して、謝罪を連ねる拓実の頭を撫でて宥める。せっかくの同棲生活を邪魔してしまい、陽菜は心の中で罪悪感いっぱいだ。
「……心配かけてごめんね。ただ、手続きとか必要かもしれなくて」
血縁関係はもう弟しかいない。入院に必要な書類は親族である弟だけしか書ける人間は存在しないからだ。
震えた手で陽菜の擦り傷だらけの手を握った。頭部には大袈裟以上に包帯が巻かれていたし、頬は砂利と打撲で湿布を塗布されている。誰がどう見ても怪我人である。
担当医から淡々と病状説明や入院が必要であることや、事情聴取に警察官も来ると聞いた。自己防衛であろうと、一度は手が出てしまったので弁明余地はあるだろうが。
「小野寺さんに……怪我なくて良かったです。巻き込んですみませんでした……」
入院手続きと入れ替わりに、小野寺が見舞いに来た。最賀を巡って、キャットファイトをしたなんて百パーセント噂が立つ。
後先考えずに突っ走って、掴み合いの喧嘩なんて良い大人がと説教を覚悟した。だが、誰も陽菜を責めたりはしなかった。
私が全ての元凶だ、と弁明すると小野寺は深くは尋ねたりせず、代わりに微笑んだ。
「関係無いわよ、現に此処にいるのが答えなんですもの」
そう言って、根掘り葉掘り聞かず陽菜の体を労わる。確かに体はどこもかしこも痛みが無い部位は皆無だった。
それに、長く頭を上げると貧血の様な鈍い眩暈で辛い。ギャッチアップ(頭や足を挙げる機能)にし、枕を体の間に挟んでもらう。
すると、視界の端に立っていた男と目が合った。血の気が無い顔色で、ふらふらと覚束無い足取りで近付いて来る。
「先生。私、大丈夫ですので……」
「頭打って、血出して倒れて意識消失して大丈夫なわけないだろう……数針縫ったんだぞ」
陽菜の手を握ると、そのまま項垂れてしまった。深い溜息と同時に、早口でこの後警察からの事情聴取、今日は検査入院。最賀はそう言うと、動かなくなった。
「先生、あの」
唇が切れている。血が滲んでいる。頬も赤く腫れており、アイスノンを手に持っていたが気に留めていない様子だ。最賀は睫毛を伏せたまま、何度も悪かったと謝罪する。
「……その傷は弟、が?」
「──俺が悪いんだ、気にするな」
待合室で緊急連絡先である弟がすっ飛んで来ると、まず一番に最賀を殴ったのだろう。さあっと顔が青褪める。最賀は何も悪くないのに、いつも悪者になってしまう。弟は五年間の怒りを募らせているので、やり場の無い憤怒は全て矛先が最賀に向かったのだろう。
小野寺は先に帰宅し、ナースステーションの慌ただしい足音やワゴンの金属音等だけが響き渡る。最賀にかける言葉が見付からない。
小野寺の話では、最賀は救急車を迅速に呼び、処置を施した後一ミリたりとも離れなかったらしい。無言を貫くのは、罪悪感からなのだろうか。
その後、手代森との騒動は道ゆく人に通報され、流石に警察が来て連行していったらしい。現行犯だから今度は保釈も難しいのでは、と。最賀達も事情聴取が控えているとのことだった。
「はは、散々断って、何なら破棄する時は両家から縁切るだの大変だったのにな。どの面下げて来たんだよ」
不意に最賀が発した言葉は譫言の様だった。くぐもった声は怒気が含まれていた。わなわなと怒りで震える体を抑え付けて、それでも陽菜を怖がらせない様に。最賀は苦悶の表情なのだろうか。
「被害届は提出しろ。接近禁止令出してるのに、向こうから破ったんだ」
接近禁止令の件を尋ねようとしたが、はっと我に返って留まった。傷付いているのは陽菜だけでは無い。最賀の髪を撫でようと、伸ばした手がピクリと止まる。
「散々向こうでも付き纏って、物を壊して喚き散らす度に金で揉み消して……、反吐が出る……」
最賀の、闇を見てしまった。
たったその言葉だけで五年もの間に何が起こったか悟ったのだ。
最賀は手代森に何度も執拗に家も職場もぐちゃぐちゃにされ、器物損害や嫌がらせを受けていたのだろう。通報しても、厳重注意程度で済まされ、男だから自衛出来るだろうと逆に諭される。
死人や怪我人が出なければ警察官は動けないのが現状だ。ストーカー規制法は抑止力にもなっておらず、結局今日も何処かで血を流す人間がいる。
特に、手代森の様な地位も権力も金もある人間は直ぐに保釈される。更には揉み消すことも朝飯前だろう。何度も打ちのめされて、そのうち諦める。やられっぱなしのまま、ストレスを抱えていく。間接的は攻撃は、時として人を殺せる程の殺傷力を持っている。
「……まあ、俺のことはどうだって良いんだ。アンタを巻き込んで……悪かった」
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