魔界軍雑兵の偵察任務

水無月14

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運命の出会い

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 ダメだ……一睡もできなかった……。
 昔から翌日にテストやら発表会やら緊張する出来事が控えている時は決まって寝つけない体質だったが、それに反して頭の中だけは妙に冴えているのが不思議でならない。
 「……とりあえず着てみるか」
 この任務に用意された人間界の衣類。眺めはしたもののまだ触れてもない。
 魔界でも貴族が好む“スーツ”と呼ばれる人間界より伝わった衣服は実際に腕を通してみると肩が張って窮屈この上なく、その見た目通り儀礼的な正装を思わせる代物だった。
 いざって時に戦闘の想定がされているのかは甚だ疑問だったが、現時点で支給されているのがこの一着である限りはこれで乗り切る他ない。己の心にそう言い聞かせ、徹夜して書いた冴えない遺書を破り捨てた俺は集合場所として指定された郊外の古代遺跡群――通称“次元の扉(ディメンションゲート)”の前に一時間も早く到着した。
 ――が、やはり誰もいない。当然だ。
 周囲の静けさから察するに俺が一番乗りということらしい。
 やれやれと久しく見上げた魔界の空は相も変わらずどんよりとしていて俺の心に似通うものがあったが、空は俺と違って自由だ。
 分かりきったことだが、俺はただの捨て石。誰も期待なんかしちゃいない。
 上層部からすれば、雑兵一人の死と引き換えに何か有益な情報を一つでもすくい上げられたら儲けもの程度にしか考えていないだろう。
 奴らからしたら末端の兵士なんて掃いて捨てるほどいる消耗品に過ぎないのだ。
 (……くそ、ツイてねえ)
 こんな事なら民間に就職すればよかったと、この数時間で何回思ったか。
 そんな後悔をする時間こそあったが、やがて潮時ってやつが訪れた。
 「時間だ。我々が扉を開いている間に次元の扉に飛び込んでもらう」
 公認邪術士会の紋章が刻まれたローブを纏った者達は定刻に瞬間移動(テレポート)で現れた。
 感じる魔力は精鋭の名に恥じないもので、噂通り近寄り難い連中であることは間違いなさそうだ。
 「では、さっそく始めるとしよう」
 連中にとっては扉を開くのが仕事だとはいえ、簡単に言ってくれる。
 当の本人である俺としては過去最大級と言っていいぐらい内心ビビっていたが、ここで逃亡はおろか――弱音を吐こうものなら反逆罪で殺されてもおかしくない。
 ゆえに表面上、口から出る言葉(フレーズ)は軍ではお決まりのやつだと相場が決まっている。
 「魔界の為に(ル・ロンヴァルディア)!!」
 流行病にかかってあっさり死んだ父よ。
 持ち家だけを残して男と蒸発した母よ。
 短い人生ではありましたが、楽しゅうございました。
 (……それでは、逝って参ります)
 過去と決別するように俺は開かれた超常的な扉の中へ勢いよく飛び込んだ。

 (うおっ! これが時空ってやつか!?)

 そこは魔界と人間界とを繋ぐ架け橋とされる異空間――。
 もしも道に迷えば未来永劫その異空間で彷徨うことになると言われており、ぶっちゃけかなりビビッた。
 しかし、そんな俺の目に映るのは俺の予想とは大きくかけ離れた光景。
 ――いや、正確には予想すらしていなかったわけだが、人間界と魔界を繋ぐ異空間はありとあらゆる法則を無視した想像を絶する幻想的な光景が広がっていた。
 それはまるで宇宙のように果てしなく、体感的には水中にいる時のようにフワフワと体が軽いものだった。仮に今ここで風が吹けば、どこまで飛ばされるかわからないという一抹の不安こそあったが、俺はいつしか眼前を照らす一筋の“光”を目で捉え、それを目指して泳いでいた。
 その理由は自分でもよくわからない。ただ、その方角が正解だという確信に近い何かがあった。
 とにかく俺は一心不乱に光を追い続けた。
 (あと少し……)
 距離にして残り一メートルぐらい。本当にあと少しだった。
 俺が触れる直前に光は拡散して俺の視界に映るすべてを真っ白に包み込む。
 「おいおい、そりゃないぜ……。どうして俺はいつもあと一歩のところで手が届かないんだ。死ぬまでに何か一つぐらい救われるイベントがあってもいいだろう。このまま死ぬなんてあまりにも理不尽ってやつだ! 俺の努力を返せッ!!」
 ――魂の叫び。
 俺は半泣きになりながらも本心を剥き出しにして吠えた。
 「うっ……」
 するとそんな俺の心に呼応するように突如として荒れ狂う暴風のような風が俺に襲い掛かってきた。目を開けていたら潰されてしまいそうなぐらいの風圧。目を瞑った俺はなされるがまま暴風に進路を委ねる。
 まさか本当に風で飛ばされることになるとは思わなかった。
 ――すとん。
 地に足がついた気がしたが、そんな都合のいい話あるわけが――……。
 「あるのかよ……」
 俺の目に入ってきたのは、魔界の“それ”とは根本的に異なる異文明。
 資料にちょっと目を通した程度で知ったつもりになっていた自分が恥ずかしい。
 「ここが地球でここが日本……」
 うおおおおおおおおおおおっ! 初めての異界の風はやはり違った! 
 見渡す周囲、そのすべてが俺の想像の遥か上をいく。
 もしも魔界に帰還できたなら自慢の種には困らないだろう。
 そう思えるものが確かにあったが、ここは天界領土。つまり敵地だという事を一瞬でも忘れそうになった自分の迂闊さは命取りになりかねないという自戒の念に苛まれた俺は冷静さを取り戻した。
 「さて……と」
 俺が最初にすべきはこの日本と呼ばれる活動領域を知る事からだ。
 近くのベンチで腕を組み、気持ちようさそうに寝ている俺と同じスーツ姿の男をターゲットに決めた俺はその額に手を押し当て魔力を使って男の知る知識のすべてを読み取った。
 「……案の定か」
 人間は想像通り、我ら魔族の劣化版ともいえる存在だった。
 それにしても仕事をサボって昼寝とはずいぶんといい身分。殺す気も失せた。
 もし仮にここが魔界ならタチの悪いゴロツキ共に殺されていてもおかしくない。
 (いや、今はそれよりも……)
 現在地がどこかは皆目見当がつかないが、魔界情報局が手配してくれた俺の活動拠点となる“大和荘”に向かわなくてはならない。
 「流石に空を飛ぶわけにはいかんよな……」
 効率を考えれば捨て難い選択肢だったが、いつどこで天界側の〝斥候狩り(ハッカー)〟が目を光らせているのかわからない現状では、行動の一つ一つに細心の注意を払うべきであり、いかに人間として社会に溶け込むかが重要な鍵となる。
 馬鹿な魔族なら人間と一緒など屈辱だとか面倒なことを言い出すのだろうが、必要に応じてありとあらゆるプライドを捨てる事こそがプロフェッショナルではないだろうか?
 時には目立つ行動の一切を避け、石の裏側にへばりつくダンゴ虫となる。
 できる……俺にはそれができるぞ!
 ――加速する妄想の中で、俺はいつしか天界から最も恐れられる存在として戦場で名を轟かせていた。苦戦する前線の司令官は俺を見るなり握手を求め「よく来てくれた。味方の前線はズタズタだ。今回もいつも通りに頼む」などと無責任な事を言う。

 「ん? ここは……!?」

 俺は他者よりも空想力が優れている。おかげでいつもの癖が出た。
 しかし、気付けば俺の目の前には“大和荘”と書かれた建物。
 知らない道をどうやって……?
 それがわかれば、苦労はしない。
 「それにしてもなんかいろいろとボロ過ぎないか……」
 建築基準法の耐震基準を満たしているのか疑問だったが、考えても仕方ない。
 昼下がりの太陽光ってやつが俺の体内にある水分を搾り取るように蒸発させる中で、俺は一階のインターホンすら実装されていない大家の名字が掛かれた部屋のドアを軽く二回叩いた。
 「あのー……すいません」
 「はーい」
 「今日からこちらでお世話になる事になっている二条祥馬(にじょうしょうま)といいます」
 「えっ? ああ、初めましてー……って、あれ? 今日からでしたっけ?」
 防音効果の薄い扉を利用しての会話――。
 声色からして女性だとわかったが、住人の入居日を忘れるようないい加減な性格の大家であることから必要最低限の事務的な会話で終わらせたい。
 そう思った俺は冷静を心掛けて大家が扉を開くのを待った。

 「……あれ? 学生さん……ですよね?」

 一瞬息をするのを忘れた。心臓が握り潰されそうになったと言ってもいい。
 あまりの衝撃で言葉を失った所まではなんとか理解できたが、信じられない。
 「あっ……えぇと……」
 扉を開いて俺と対面した女性。思わず目の異常を疑いたくなった。
 そこにいたのは絶世の美女で、魔界屈指の美女であり人格者でもあるブネ女史に匹敵するとも劣らない美貌はそれだけで歩く凶器とも形容できるほど危険だった。
 (馬鹿な……人間にこれほどの……)
 相変わらず呼吸がうまくできない。肌が粟立ち体が震え上がった。
 混乱と大家さんから発せられる良い匂いに触発されて、思わず抱きつきたくなるという突発的衝動を嫌われたくない一心でなんとか封じ込めた俺は“紳士”になると決めた。
 「初めまして、本日からお世話になります。よろしくお願いします」
 「こちらこそ宜しくお願いします。学生さんなのになぜにスーツを?」
 「ちょっと緊張してしまって。こうゆう時は正装の方がいいかなぁーと……」
 「あらあら、なんだか気を使わせてしまったみたいでごめんなさいね」
 口に手を当てて笑う仕草からは品性方正という言葉が滲み出ていた。
 これが噂に名高い絶滅危惧種“大和撫子”か……。
 完全に舐めていた。恐るべき存在だ。未だに体の震えが止まらない。
 それに比べて魔界の女共はなんだ?
 突出した一部を除いて義務を果たさず権利ばかりを主張するゴミしかいない。同じ女なのにどうしてこうも違いがあるのかを命題に脳内議論したくなるも、俺はプロだ。
 ――眼前の美女に僅かな疑問すら抱かせてはならない。
 「すいません。部屋の鍵をもらってもいいですか?」
 「あっ、すっかり忘れてた。嫌ねえ……おばさんになると……」
 何を馬鹿な。俺なら全然イケますぜ。
 もし可能なら、その透き通った肌をほんの一瞬でもいいから触りたい。
 (チャンスは……ある!)
 鍵を受け取る時のどさくさに紛れて手を握ると決意させるほどの絶対的な魅力。
 心臓が融解しそうなぐらい熱い。これが一目惚れってやつなのだろうか。
 人間を見下していた事を心の底より謝罪します。ごめんなさい。
 (初めてはこの人がいい。……否、この人でないとダメだ!)
 ――直感だが、そう確信した。
 まさか人間界で“運命の人”と出会えるとは思わなかった。
 「では、部屋まで案内しますね」
 若干地味な服である事を差し引いても点数にして余裕の九十点オーバー。
 ……全然いける。
 前を歩く大家さんが二階へと続く階段を上がる時に、半ば条件反射で屈んでスカートの中を覗こうと試みるも、鉄のカーテンのような忌まわしいスカートは断じてそれを許さなかった。
 ――が、逆にそれがいいのではないだろうか?
 当然このことは墓場まで持って往く所存である。
 「ここが二条さんの部屋です」
 俺の緻密な計算上、大家さんの部屋の真上だという計算になる。
 なるほど、なるほど。これは運命が用意してくれたチャンスだ。
 まずは大手通販サイトのガマゾンで超高性能集音器を買うとしよう。
 任務の性質上、経費で落とせるはずだ!
 「あの、なぜにガッツポーズを……?」
 「初めての一人暮らしにテンションが上がってしまって……すいません」
 やべえ、完全に意識が妄想の世界に飛んでいた……。
 もしこの事がバレて大家さんに蔑むような目で見られようものなら、俺は潔くその場で腹を切って死ぬしかない。
 いや、今はそれよりも勝負の時間。タイミング的にそろそろ鍵を渡す場面なはずだ。あの綺麗な手を一瞬でも触れれるのならば一週間の断食してもいい。
 「何点か注意事項がありますので、上がらせてもらってもいいですか?」
 「え……? あっ、はい。どうぞ……」
 俺が予期しない展開。早くも大番狂わせだ。
 まさか大家さんが直々に俺の部屋の扉を開けることになろうとは……。
 (……俺が手を握る予定はどうなるんだ?)
 唖然とする意識の中で大家さんは俺に何かを説明していたようだが、生憎と俺の耳にはまったくと言っていいほど何も入ってこなかった。
 「……と、まあ、だいたいこんなところですね」
 「はあ……」
 「何かご質問は?」
 「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
 「何かありましたらいつでも言ってくださいね。それでは」
 ニコッと笑顔を浮かべて会釈した大家さんは、名残惜しくも帰って行った。
 遠ざかるように階段を下りていく音が虚しく俺の部屋に響き渡る中で、俺は任務の事を忘れるほどに大家さんの事で頭いっぱいだった。
 これほどまでに俺の理想を体現したようなドストライクな女性が他にいるだろうか?
 ……これは運命の出会いだ。人間と魔族という禁断の恋に違いない。
 いや、自由(フリーダム)な魔界で禁断なんてものは早々ないが、今日、今、この瞬間を生きている事に感謝し、俺は自分の運が“貯蓄型”なのだと悟った。
 「ん……?」
 哲学的物思いに耽るうちに気付けば窓から見える景色はすっかり暗くなっていた。
 「まあ、今日は仕方ないな……」
 何時間空想の世界で過ごしたのか見当もつかない。
 だが、俺にとっては決して無駄な時間などではなかった。
 こうして俺の人間界初日は、魔界から支給された俺の私物という名目の十数個のダンボール箱を開封する作業に充てられ、俺が眠りについたのは静寂に包まれた外が少し明るくなり小鳥が囀る頃になってからだった。
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