魔界軍雑兵の偵察任務

水無月14

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無我の境地

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 「はあ……今日も疲れた」
 靴を脱ぎ、玄関でうなだれる俺のその言葉に対する反応はない。
 つまり今は――……。
 「俺しかいない! やったぜ!」
 マリの姿が見えないのが少々気掛かりだったが、ストレス社会に晒された俺の精神を療養するにはいい機会だ。
 友の誘いを断り、道草を食わず、キビキビした足取りで帰ってきて大正解。
 とりあえずは少し横になるとしよう。今日はもう疲れた。
 買い物に行くという予定があるが、それまでにはまだ時間がある。
 軽く首をバキボキと鳴らした俺は意気揚々と押入れの襖をスライドさせた。

 「んっ……」

 外からもたらされた光を嫌がる女の声――。
 にわかには信じ難かったが、俺の聖域に侵入者がいた。
 「マリ……なんでお前がここに……」
 計算外にも程がある。なぜならそこは俺のテレトリー。
 領土会議で決まったはずである。
 これは明らかな領域侵犯に他ならない。今すぐ外交ルートで説明を――。
 ……ってか、ちょっと待てこの女。
 仮にも男の家に居候しておいて、サキュバスみたいな恰好で寝るのはダメだろう……。
 妙な気を起こすつもりはないが、俺も一応は男だし目のやり場に困る。
 もしもこいつが大家さんだったら俺は襲い掛かっただろうが、残念ながら相手はマリだ。
 万が一にもそれはない。断固としてそんなことは絶対にあってはならない。

 「うぅー……ん」

 悪夢にうなされるような声を発して俺に背を向け布団に潜るマリさん。
 どうやらこのサキュバスもどきは昼下がりの日光がお嫌いなようだ。
 俺は優しいから聖域からつまみ出す事もせず、そのまま寝かしといてあげることにした。
 なぜなら今はそんなことよりも遥かに重要なイベントがある。
 (大家さんは四時頃に買い物だから、それに合わせるにはまだ時間があるよな……)
 この情報は抜かりなく、学校初登校日までの準備期間中にすでに把握済みだ。
 一介の偵察兵として最高の仕事をしたと自負している。
 んでもって帰宅は五時から六時まで若干のバラつきがあるものの、七時に夕食。
 食後の休憩と洗い物を挟み八時には風呂。そして九時に就寝。
 ――流石は大家さん。
 すべてにおいて模範的でパーフェクトオブパーフェクトを体現している。
 今すぐにでも結婚を申し込みたいレベルだが何事も順序というものがある。
 とりあえずは地道な努力を経て知人になり次第に交流を深め友達、友達になってからある程度の信用を勝ち得たら告白するという完璧な段取りで確実にものにして見せる。
 ――確実に外堀から埋めていく。
 そう決めた以上、俺に抜かりなどなかった。
 「おっと、いかん。今から風呂に入って今日着て行く服を選ばないと」
 気分はデート前。そわそわとした落ち着かない気持ちでいっぱいだ。
 高まる心臓の高揚感に理想的な将来図――。
 俄然テンションが上がってきた。今なら不可能を可能にできる気がする。

 「……ん!?」

 頭の痛みを感じてようやく気付いた本日の奇行――。
 どうやら俺はキツツキが木に穴を開けるみたいに、柱に頭突きしていたらしい。
 我ながら恐ろしい性質だ。
 もしもこれを赤の他人に見られようものなら腹を斬って死ぬしかあるまい。
 「あっ、もう三十分も経ってる」
 妄想力を極限にまで高めた者は時間すら支配することができる。
 おかげでつまらん学校の授業は体感的に数分で片付けられるが、あまりにも高まり過ぎると本人が気付かないうちに体の方が奇行に走るという欠点があるが多少は仕方ない。その点は代償として目を瞑るべきだろう。

 「これでよしっと……」

 予定時刻まで残り五分。システムオールグリーン。
 いつでも緊急発進(スクランブル)できる状態だ。
 五感のうち聴覚以外のすべてを俗世から遮断した俺は真下の扉が開かれる音だけを虎視眈々と無我の境地で待ち続けた。
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