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塔柿家会議
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塔柿大和は明晰夢に落ちていた。
妖魔・カリュードルと死闘し、
仲間のフィルド・ネリアーから背中を斬られ、
二度目の攻撃を防ぎ、
自身の母親の死が事故ではなく魔剣世界の貴族に殺されたことを告げられ、
――最後に、意識を失った。
「どこだ。ここ」
明晰夢の中は白かった。白い空間が地の果てまで続いている。色のある物といえば、小さな丸いテーブルと四角形の座布団が二つ。
座布団は黄色と紫色。ここで何をすればいいのか分からない大和は、取り敢えず座布団に座ることにした。
手に取ったのは紫色の座布団。紫陽花の柄が刺繍されていて、少し可愛いと大和は思った。
「おい。座布団、返せ」
「うおっ!!」
手に取った紫色の座布団は、巨人に奪われてしまった。大和の後ろから頭越しに延ばされた腕は、悠々と座布団を掴んだ。大和は驚き尻を付く。
大和は正体を知るために振り替える。巨人は綺麗な女性だった。白いシャツに黒いロングスカート。きめ細かい刺繍が裾や襟に施されている。似たような服を大和は知っていた。
亡くなった母親の服も似たような服が多かった。父親に母親の好みを聞いたも、答えてくれたのが服の好みだった。塔柿大和の母親――塔柿怜美曰く、入口と出口を大事にする人間は大成する。そして人生において人間が最も出会う入口出口は服でなのだと。
『女性なら、最初も終わりも綺麗でいたいものなのよ。有終の美というのはね、最後だけに全力を注ぐときの言葉だから、最後にしか言わない。そのときまでは、何が始まりの瞬間か、何が始まるのか。ちゃんと意識しないとだめよ。でないと、チャンスを逃しちゃう』
塔柿怜美の名言だと、大和は教えられた。酒を飲まない父親が、酔ったように嫁自慢することは一年に二回の頻度で発動する。大和はそんな父親が好きで、同時に母親ともっと好きになった。
「そっちの黄色の座布団もダメ。あれは、私のお尻用。こっちの座布団は枕用」
死んだ魚の目をする巨人には、分け合おうという心がないようだ。
「使わないのなら、貸してよ」
紫と黄色の座布団は現在使用されていない。誰も使っていないの状態だ。
言えば貸してもらえると大和は思った。
結果から言うと、拒否された。
女性は大和の知らない言葉を言う。
「プライベートガード」
「……何それ」
「この二つの座布団は、私の大切な頭とお尻を守る神具だ。とっても大切で長持ちさせたいから、そのためのルールも作った。それを君一人の我儘で破るわけにはいかない。自分を律して成長させるルールではなくて、自分を愛してあげるためのルール」
愛を語る女性の目は船さえ飲み込み沼のようだった。楽しいや面白くて笑った表情が想像出来ない。先ほどから、口だけが動いており、それ以外が静止している。
「私の愛を邪魔するなら、ガキでも殺す」
「……はい。ごめんなさい」
人は、敵を威嚇するために表情筋を殺すことが出来る。愛想笑いを仮面と例えるように、女性の無表情は敵意という名のナイフだった。
「そもそも。ガキの頃から座布団を使おうとするとは、なんて烏滸がましい。ガキなんだから、座布団は遊び道具として使いなさい。座るのではなく、投げるが正解だ」
「さっきと言っていることが違う」
「大人みたいに座布団に座るガキを見るのが嫌なんだ。私の言っていることを『おかしい』と思うことは正解だ。だけど、お姉さんの言うことも分かって欲しい。お願いね」
パチリとウインクされ、大和の顔が少し赤くなる。
印象が悪い相手からの、不意の一撃だった。
彼の人生、自分よりはるか大きく、そして妙齢な魅力を持つ女性からお願いされたことが初めてだったことも大きかった。それが綺麗で妖しげな魅力を持つ女性ならば尚のこと。
しかし、やはり大和は思春期の男子高校生だった。素直に「うん」と頷きたい気持ちを隠すべく巨人に歯向かう。
「ガキガキ言うなよ。俺は、ガキじゃねえし」
「……君、何歳?」
「15歳だ」
「……どこから見ても5歳ぐらいの身長だけど」
言われて気付く。
夢の中の塔柿大和は5歳ぐらいの身長だった。
「名前は、何て言うの?」
「……塔柿大和」
「とうき?」
そのとき、初めて女性が塔柿大和の顔を見た。
顔の造形を認識してくれたように、大和は感じた。
「もしかして、お母さんの名前は玲奈だったりする?」
背骨を曲げ、下降するエレベーターのように顎を机に着地するまで下げる。小さな五歳児に合わせてくれた目線は、口はにやけながらも、それでも目は死んだ魚。
……大和はその目をどこかで見ていた気がしていた。
そこで夢が終わる。
◇ ◇ ◇
――――誰だったんだろう? あの人。
大和は夢の中で出会った女性の顔を思い出そうとするが、靄がかかったように顔が思い出せない。妙に艶やかだったことだけは覚えている。蠱惑的な大人の魅力というよりも、夜に見てはいけない赤色の三日月を見たような、パターン化したスプラッタ映画を見たくなるような、残酷的で妖しい魅力を持つ女性だった。
思い出すのを諦め、辺りを見渡す。大和の自室だった。何が起きて自室で寝ているのかは不明だが、とにかく部屋から出ることにした。体はずっしりと重いが、とても惰眠を貪る気分にはなれなかった。
部屋を出て階段で下に降り、人の気配のする方向へ足を進ませる。
リビングの扉の先には丸眼鏡をかけた40代の男性が一人。黒い短髪に白い髪が見えており、苦労人であることを印象付けさせる。背筋を真っすぐと伸ばす細い体からは運動神経の良さが見て分かる。綺麗な姿勢で小さな丸い机に座り、新聞を読んでいた。
大和の知っている人だ。その人曰く、新聞を読むことは世間のご機嫌を伺うこと。上司のご機嫌を伺う練習に丁度良いと自己論理を持っている。自分が自分を好きになるためのルールを作り、守ることを楽しむ変な男。
「おう。起きたか」
それが塔柿大和の父、塔柿次郎。かつてモテるためにカラオケで磨いたダンディーで低い声に、「うん。起きた」と大和は返事し、朝飯を食べるために洗面所に足を進ませる。ただの寝不足だったならば睡魔と戦いながら登校するのだが、昨夜の戦闘による痛みもセットとなっている。
――やっぱり、昨夜のことは現実だよな。
少し体を動かす度に走る痛みが、何よりの証拠。
雲台橋の河川敷での戦い――その結末を大和が気絶しているうちに終わってしまった。
――母親の死の真相は闇の中に消えてしまった。
そう考えた方が良いと、歯磨きしながら大和は思う。
――フィルドを責めることはできない。冷静に考えれば、彼女の判断は正しかった。
彼女は魔剣士としての任務で妖魔を倒すために錦野町に来た。妖魔を殺すことは、爆弾を解除すること。失敗すれば、誰かの命が消えてしまう。その責任を彼女は背負っている。
死んでしまった命よりも、生きている命を優先するのは間違いではない。
「おい。こっちだ、大和」
塔柿次郎に呼ばれるままに大和は移動した。小さなテレビの近くに置いてある机。そこで毎日ご飯を食べているのだが、今日は違った。お客さんが来られた際に応接する、畳と仏壇が鎮座する部屋だ。そこには納屋に置かれてあるはずの長い机があり、朝ごはんが準備されている。
次郎と大和を待っていた。
「さあ。飯を食うぞ。頂きます」
「頂きます」
『イただきまス』
「頂きます――って、頂けるかっ!」
次郎に促されるまま空いた先に座った大和だったが――自らの頬を叩き、明晰夢から起きていることを確認する。
「おし、俺は起きている。だったら、可笑しいのはお前らだ!!」
「お父さんは、いつも通りだ」
「親父じゃねえよ! そこの銀髪とアリクイのことだ!」
大和は立ち上がり犯人を指さす。全貌を知っている一人が何故か嬉しそうに語りだす。
「朝起きたら、クラス一番の美少女と朝ごはんを一緒に食べられる。確かに、思春期な男子高校生にとっては夢のような体験だろう。現実を疑うのも無理もない」
「オバはんの年齢の癖に何を言っていやがる、恥知らずか!!」
「貴様なんてことを言うんだ! 世間や流行に疎い自覚のある私だが、今の言葉を漫才のツッコミとして受け取れぬ! その言葉、抜剣したと捉えるぞ!」
「オバはん年齢は事実だろうが! 俺の言葉が抜剣なら、40代の女性が美少女と自分で言う方が病気なんだよ! この世界は年相応というものがあるんだよ、ぶぁぁぁぁぁぁかっーー!!」
ビブラートを利かせた最後の罵倒は、確かに歳相応だった。
「貴様、言葉が過ぎるぞ!」
「うるさい、お前は言葉が足りないんだよ! 俺はあの妖魔が生きている理由をまだ聞いてねえ! 何で塔柿家の食卓にいるんだよ、討伐するんじゃなかったのか!」
大和の言葉に妖魔がビクっと硬直する。
「ああ、そいつか。事情があって討伐出来なくなった」
「事情って何だよ!」
「事情は事情だ、バカたれ! 少しは考えろ!」
怒りながら煙に巻こうとするフィルド・ネリアーに、大和は詰問しようとしたが、先じて次郎が口を開く。
「貴族って言ったな。こっちの世界にもある。偉い身分の人だ。そんな人が関わっているというなら、現場での判断で処理は難しい」
「……なんで、親父が知っているんだよ」
胡乱な目で大和は見つめ、次郎が情けない表情で返す。
「どこにでもある話だからだ。下が勝手する前には必ず上司に一報を入れる。その報告が必要かどうかは上司が決める。経験のない予想外な事案なら尚更だ。俺は一昨日説明されたばかりで魔剣世界のことは何も分かっちゃいないが、社会人の苦労は骨身に沁みている」
「……辛っ! え、辛すぎないか! ごめん、飲み込めない。ちょっと待って。……うん、やっぱり辛い、命を賭けて達成する使命の上に、それが! 魔剣士、辛っ!」
フィルド・ネリアーから一つも説明を受けていない大和だが、何故か全てを理解したような気持ちになった。少し考えても酷い労働環境であることに気付き、彼女の身の上を全力で同情する。
「親父みたいに普通のサラリーマンみたいなこともしてんのか? いや、サラリーマンを悪く言うつもりはないよ、立派だと俺は思う。とても尊敬している。社会に欠かせない人たちだ。ただな、妖魔と戦いながら上司におべっかしてるってことだろ。命と心の苦行じゃねえか。お前、前世で何か悪いことしたなら言えよ! 俺も禊に付き合ってやるから」
「悪は貴様だ! 何が前世で悪いことをしただ、貴様が現在進行形で魔剣士を貶めている! これは名誉棄損だぞ!」
普段息子から褒められることがない次郎は口の弛みを隠し「おいおい照れるぜ」と誤魔化すように妖魔に振り、怒りで顔が真っ赤になったフィルド・ネリアーが大和の腹に拳骨を入れる。
「痛てえ! 何を怒っていやがる、誰がどう聞いたってブラック労働じゃねえか」
「まだ言うか! マザコン剣士が!」
「おいおいおいおい! 聞き捨てならねえ、誰がマザコンだ! 母親の死の真相を知ろうとする俺は、どう見たって母親孝行過ぎるだろう! 正義か悪かで言ったら正義だろ!」
「それは貴様の都合と解釈だろう! いいか、妖魔一体見逃すことと貴様の母親の死の真相は別問題だ! 何を取っても野に徘徊する化物を討伐する、優先すべきは魔剣士としても使命だ!」
「出たぞ、魔剣士の使命。今、分かったぜ! 俺がその言葉が嫌いな理由がな。社畜の言葉だからだ」
労働者は大事にすべきという前提で大和は話し、魔剣士としての誇りと名誉を尊重して語るフィルド・ネリアー。二人の価値観は互いに譲ることはなく、論争は過熱していった。反対側の席では『尊敬してイルなんて、中々言えないゼ』と次郎の振りを妖魔は返している。少々照れくさい話題を楽しむ二人に論争を止める様子はない。
「 ―― 社畜の、言葉だからだ!! ――」
「何故二回言った、何故二回目は溜めてから言った、何故一回目よりも大きな声で言ったーーーー!!」
「大事なことだからに決まっているだろうが!」
「態々説明する奴がいるか、バカたれが!」
「お前が言えって言ったんだろう!」
大和とフィルド・ネリアーは互いに憤慨して睨み合う。犬歯を剥き出しにし、歯ぎしりでのデュエット。仲か良いのか悪いのか分からない呼吸の合ったイントロが流れていたが、大きな雑音が邪魔をする。
「大和。腹、空いているだろう。取り合えず話は後だ。朝飯食っちまえ」
「……分かった」
「……ふん、デカい腹の虫だ」
次郎の言葉に二人は静かに座った。大和はフィルド・ネリアーの小言に悔しい気持ちになるも何も言い返せない。赤くした頬に気付かない振りをするのが精一杯だ。
無知――というよりも頭がアホだったときの10歳のときはお腹の虫をよく鳴らしていたな、と郷愁を感じながら箸を取り――最初に目についたのは白いご飯だった。
箸で掴んだご飯から美味しい湯気が立っている。米粒の大きさが分かってしまう。昨夜に九死に一生を得た反動か、感覚が謎に鋭敏化されている。食べなくても見て美味しいことが直観で理解出来てしまう。
食べて、それが間違いでないことが証明される。
ご飯だけではない。香ばしい匂いを奮わす鮭は焼かれてから、まだ時間は経っていない。お揚げとネギの味噌汁も程よく温くなっている。出来立ての味噌汁の高熱で舌を苦しめられた過去を持つ大和にとって、湯呑に浮かぶ茶柱と同義。何か良いことがあったのか、別皿でたくあんが用意されているではないか。
何より注目すべきは、パチパチと焼いた目玉焼き。油で焼いた目玉焼きは大和の大好物だ。それを白く映えるホカホカのご飯と一緒に混ぜ、醤油をかけて食べるのが最強無敵と大和は世界に訴えたい。名前を目玉焼き最強ご飯。その久しい出会いに、いつもよりも輝いて見えてしまった目玉焼きは、大和に猛烈な空腹感を与える。
熱と匂いと空腹の三重奏。その抗えない魔力は、己の内に飼う狼を解放させるには十分だった。
少し笑いながら朝食を食べ進める。
「…………二日ぶりのご飯は、そんなに旨いか」
「……ああ。とても美味しい――二日ぶり?」
「そうだ。お前は一昨日の夜に気を失って、昨日一日寝てたんだ」
「なんてこった」
次郎の言葉に大和が困惑し――フィルド・ネリアーが口を開いた。
「お父様。息子さんに重症を負わせてしまったのは私の不始末です。改めて謝罪します」
「おい」
深々と頭を下げたフィルド・ネリアーに、大和は静止の言葉を出してしまう。人の背中を斬って、その父親に謝るのことは、正しい。筋を通すことは大事かもしれないが、大和はフィルド・ネリアーに頭を下げて欲しくなかった。何故か、大和の心まで惨めな気持ちになってしまう。
「ああ、許すよ」
「ありがとうございます」
次郎はフィルド・ネリアーの目を見て応える。礼を言ったフィルド・ネリアーは座り、小声で大和に言う。
「(お前の心は今、とても複雑なんだ。とにかく、脳に時間を与えろ。そのうち脳が感情を整理してくれる)」
「(……分かった。だけど、俺にも謝れよ)」
「(…………)」
「(おい)」
フィルド・ネリアーは大和に返事をせず、静かに味噌汁を味合う。不自然なほど綺麗な背筋に、徹底して謝罪するつもりがないのだと分かった。挑発的な態度に再度謝罪を要求しようとした口を開きかけた大和だったが、食事中の揉め事は無粋だと考え止めることにした。
言われた通り、とにかく時間を脳に与える。
余裕のない自分がいることを無意識に大和は分かったが、それの対処法が分からない。
だからこそ、他者の余裕そうな表情は目に付いてしまう。
――美味しそうに食べてやがる。そうい言えば魔剣世界の食事って、こっちの食事と違うのか?
見れば、一口一口ゆっくりと大事な宝物を扱うように食べている。味噌汁の存在さえ怪しいものだと、他所の世界の食事事情を大和は考え、アメリカよりも遠い場所――それどころか世界が異なるから違って当然か、と帰結した。
そんな気の緩みに付け込むように、小狡い妖魔が便乗する。
『……俺モ。息子さんを傷つケテごめん』
「良いぜ。男は喧嘩して強くなる。傷だらけのバッジみたいなもんで、大人になって自慢になる。むしろ、俺の息子と血みどろになるまで喧嘩してくれてありがとうな。俺好みの勲章だ」
『……まあ? 俺と互角に戦えるホド強かったしナ? 褒めてやるヨ、あんたの息子カナリ強いゼ! 将来はあんたニ似た良い男になること間違いナシ。断定してやるヨ、このスーパーカッコいい妖魔様がナ』
「おや? おめえから見ても、俺はカッコいいかい」
『ああ。俺がメス妖魔だったら、惚れてるネ』
アハハハハハハハハ。
暖かな談笑が次郎とカリュードルから生まれている。
――え? 可笑しくないか?
その光景に大和は目を疑っている。今の会話で、大和を殺そうとした妖魔の罪が赦されてしまったのも衝撃だが、実に父親が赦したことに驚愕し、大和は言葉も出せない。息子からの頭の可笑しそうな人を見るような視線に次郎は気付かず、妖魔に褒められて嬉しそうな顔をしている。
人に良い顔したがる父の徹底さを、このときに大和は初めて知った。このときは妖魔が相手だったが、それは重要じゃないようだ。次郎は褒めてもらう相手を選ばない。
しかし、それで問屋を下ろさない御仁が一人いた。
「おい。私より次郎さんと仲良くするなよ。両面火あぶりにしてぶち殺してやろうか、クソ妖魔」
余裕が消えた。
フィルド・ネリアー良くも悪くも真面目な女魔剣士だ。妖魔即斬を掲げる組織の一人として、己よりも塔柿次郎の好感度を稼ぐことは頂けない。クラスメイトの少女たちとのコミュニケーションに苦悩する日々が続いているなら尚更だった。どのメイク道具のメーカーが好きやら、眉毛の手入れ方法やら、保湿クリームのこだわりやらナチュラルメイクの失敗談やら鬱陶しいこと、この上なし。
戦場では全て要らん。
星の数ほど、言いかけた。
でもメイクの勉強をする。それを含めての任務だと信じているから。
「聞こえねえのか、ああん!」
恫喝だ。この世界で初めて触れた、一人のヤクザを主人公としたゲームを脳内でイメージしている。見開いた目には力と殺意が宿っており、一つ隙を見せれば拳骨の雨あられを匂わせる。怯える妖魔に容赦なし。やるなら徹底的にとゲームのオヤジも語っている。
勿論、魔剣士としての言葉使いではない。彼女は冷静さを欠いていた。人と仲良くする妖魔は許せないのはもちろん、仲良く話せることが羨ましい。
敵である妖魔に、己の不甲斐なさが如実に教えられた気分にされてしまっている。これがフィルド・ネリアーには、とても辛い。怒りも湧いてしまう。
しかし、大丈夫。フィルド・ネリアーがクラスメイトと馴染もうと頑張っていることは大和を含めクラスの多くが知っている。特に仲の良い友達二人が率先して『頑張れー』と優しいエールを送っている。知らないのは当人だけ。
『……ひゃい、ごめんなサイ』
「……いや。私も言い過ぎた、済まない」
まさか謝れるとは思っていなかった。少し呆気に取られたものの、冷静さを取り戻し強い言葉を言ってしまったことを謝る。その二人を見て、次郎は「くっくっくっく」と堪えるように笑う。
「いや、なんだ。昨日会ったんだが、なんとも奇想天外な奴らだな。見ていて面白くていけねえ。初めてテレビゲームをして感動してしまったことを思い出すぜ」
「テレビゲームと同じにするなよ」
「お前はあって当たり前の時代に生まれてんだから、ゲーム誕生の感動が分からねえんだよ。来訪じゃねえ、自分の世界にゲームというジャンルが誕生するんだ。プラスの認知が代入される瞬間ってのは最高だ。俺もこればかりは教えることが出来ねえが、俺から見たらお前たちの時代の子供ってのは、貰いすぎだと思うぜ」
「……貰いすぎか」
次郎の言葉で大和は、今まで放置していた問題に取り掛かるべきなのかを思った。
その問題とは――どうして、自分が魔剣世界の武器である魔剣を持っているか。昨日のことも合わせて、魔剣世界の貴族が関わっていることには違いない。
「飯が冷めちまう。訊きたいことも沢山ある。さっさと食べちまうぞ」
◇ ◇ ◇
食器を洗い終え、四人が卓に揃う。一昨日の夜、妖魔・カリュードルが言った『大和の母親は魔剣貴族に殺された』という意味を聞くためだ。
最初に口を開いたのは妖魔ではなく、魔剣士であるフィルド・ネリアー。
「お前も既に分かっていると思うが、塔柿次郎には魔剣世界と妖魔のこと、全て伝えている。母親のことをお前にだけ話して夫である次郎さんには話さぬわけにはいかぬからな」
「それは、一緒に食事出来ていることから分かっていたけどよ……」
心配そうな表情で大和は父の顔を伺う。一昨日の夜に息子が重症を負い、魔剣世界から来た魔剣士と一緒に妖魔と戦ってきたことを告げられ、更に魔剣世界の貴族から妻を殺されたかもしれない。
これらを一度に聞かされて理解するのは難しい――というよりも理解したくないのが人間だ。
穏やかに暮らしてきた、今までの日常が嘘だらけと言われるような馬鹿げた事実。大和とフィルド・ネリアーが勉強のし過ぎで頭が可笑しくなった、妖魔・カリュードルはどこかの秘密の研究所で脱走した実験動物だと説明する方が、まだ受け入れられる。
口に出すか迷ったが、嘘を付こうとしても顔に出てしまうと定評を受けている大和は、次郎に訊く。
「……フィルド・ネリアーの話、親父は理解出来たのか?」
「あん? 妖魔は人間のストレスを起爆剤にして生まれるモンスターで、人に襲う前に討伐するのが魔剣士ってぐらいまではな。魔力が何なのかは理解出来ねえ。ちょっと話に付いていけないかもしれねえ、悪いな」
「大丈夫。俺も魔力は理解出来ねえ」
大和の言葉にフィルド・ネリアーは痛そうに頭を抑える。魔力で肉体を強化し早く走り、魔剣に魔力を纏わせることで攻撃力を高める。更には、可視化するほどの魔力濃度まで圧縮させるほどのセンスを持ちながら、その源泉を理解出来ない。
宝の持ち腐れだ。日本には『言葉よりも体で覚える』という格言があるが、体で覚えた後に脳にまで覚えさせる方法が明記されていない。誰かに責任を取って欲しいとフィルド・ネリアーは思った。
しかし、大和も理解しようと尽力していることは彼女も分かっていたので、もう少し説明してあげることにする。
「……魔力とは、人とは違う稀有な経験をしたものが吐き出す感情の過剰エネルギーだ。怒り・嫉妬・嘆き・苦しみ、それが人の身を超えるまで増幅した場合、人には神が宿る」
「神が宿る?」
「そうだ。理性という縛りから抜け出し、感情のみで動く。優しい人が大切な者を傷つけられたとき、目尻を上げて激昂する、その瞬間を見たときを想像しろ。人が変わったようだと思わないか」
映画・ドラマのシーンではよく見る瞬間と言える。しかし、それは演者の練習があっての怒りの瞬間と言える。それが本物かどうなのか。大和は少し想像することが難しかった。
先に口を開いたのは塔柿次郎だった。人生の酸いも甘いも知っている彼は、フィルド・ネリアーに「ああ、知っているぜ」と話す。
「甲子園進出をかけた試合に負けた奴を知っている。野球を頑張る溌溂としたガキが、急に猫背になっていた。見た時は目を疑ったもんだ。確かに、あの変わりようは『神が宿った』と言ってもいいのかもしれねえ」
「それは違う。甲子園という目標に向けて『宿った神』が消えてしまったんだ」
とても自信があったのだろう、とても落ち込んでいる。
「変わり様という意味では間違っていないが、全てが同じではない」
「というと?」
「野球部全員が甲子園に向けて一緒に練習しても『神が宿る』選手と、そうでない選手がいる。その違いが『人よりりも稀有な経験』している自覚があるか、どうかだ」
「自覚って。じゃあ、そいつ自身が自分に対して特別だと思っていることが重要なのか」
「ああ」
次郎の言葉は、確かに変わり様という意味では間違っていなかった。しかし、燃え尽き症候群のほとんどが『神を宿していた』と考えるのは間違い。
「当人にとって『人よりも稀有な経験』であること。その『稀有な経験』から構築された人間性であること。そして、感情エネルギーが増大する何かが起きて、初めて『人の身を過ぎたエネルギー』というものが発生する」
この三段階を得て、魔力が生まれる。
「重なった三つの奇跡。運の巡りが良い者しか目覚めない、当人を神の如き力と錯覚させてしまう。人とは違うものだと自覚出来る力――それが魔力だ」
「……ごめん。やっぱり分からねえ」
「何故だ!?」
うまく説明出来た手ごたえを感じていただけに、フィルド・ネリアーは憤慨する。しかし、大和も怯まない。分からないことを『分かった』と嘘を言ってもバレる自信が彼にはある。
何回聞いても、筋が通らないと思ってしまう。
「何故って……。それが本当なら、この世界にも魔力を持った人がもっと多いはずだろう。テレビに出ている芸能人やスポーツ選手。でも、テレビを通して見ていても俺みたいな魔力を持っているとは思えねえ。そりゃあ、俺だって自分が人よりも特別だと思っているぜ。手から魔剣が出るし」
「うむ」
「でも、テレビに出ている芸能人よりも特別かって言われると違うだろう。比較するもんじゃないかもしれないけど、俺よりも特別な人は沢山いると思うんだ」
「それは違う。テレビに出ている人もハリウッドスターも魔力を持っているが、お前ほどじゃない。お前が一番特別だから、お前の魔力量が群を抜いて多いんだ」
「そうそれ。何回聞いても納得できない理由がそれなんだよ」
ハリウッドスターよりも特別だと言われて、素直に喜べる人はいない。
「大和。フィルドちゃんはハリウッドを知らねえんじゃねえか?」
「それだ。何かの木の仲間と勘違いしている」
「どうしよう!? 誰も理解してくれぬ!」
ハリウッドスターの偉大さを真に理解していないフィルド・ネリアーは「いや、しかし。我が師はそのように教えてくれた。師に間違いがあるはずがない……はず……」と苦悩する。魔剣世界で培ってきた常識が、脆く崩れそうな音を彼女は聞こえそうになった。
『いや。大和はコノ世界の誰よりモ特別製――数奇な運命にあるゼ』
様子を見ていた妖魔が口を開く。
『そもそモ。お前は特別製ダ。それはお前が生まれに起因していル』
「俺の生まれだと……?」
『ああ。そして、お前の母親ガ死にも関係スル』
妖魔はチロチロと長い舌と震わせ、大和の目を黒い眼でじっくりと見つめてから話した。
『お前の母親、塔柿玲奈はこの世界の人間じゃナイ。魔剣世界の貴族・カジャーク家の魔剣士ダ』
「……カジャーク家?」
『つまり、人間と魔剣士のハーフなんだヨ、お前は。生まれた時から特別なんダヨ』
カジャーク家、とはいうものが家名であることは分かる。
しかし、大和には聞き覚えのない言葉だ。
「……カジャーク家」
「何か知っているのか、親父」
「いや、初耳だ。付き合ったときも結婚したときも言ってくれなかった。……何故だ?」
次郎は呆然としている。目は泳ぎ、何かに堪えるように口元に手を当てている。
……愛していた妻が、実は異世界人だった。創作物として考えたら面白いが、当人にとっては理解しがたい現実だ。40代で衝突した、人生に起きた最大の事件だと言っていい。SNSで検索しても誰も解決法を教えてくれない。
概要を受け入れるには時間がかかる。二人と妖魔は優しい気持ちで次郎を放置することにした。
「フィルドは? 何か知らないのか?」
「知っている。貴族の中でも権力の強い貴族だ。雷の魔法を得意とする家系で、多くの優秀な魔剣士を輩出している。政府への貢献度も高いが、プライドが高いことでも有名だ」
「ま、まじかよ……」
プライドの高い雷魔法が得意な奥さんだったことに、次郎は呻き声を上げる。
「……はっ! そういえば!」
「何か思いだしたのか、親父!」
「ああ。アイツが静電気で怯んで不満顔をする表情が見たくて二週間ぐらい観察していた時期があったんだが、一回も静電気に当たらなかった。あのときは『運が良い奴め』と思ったが、今にして思えば不自然すぎる」
「ああ。雷の魔法を得意とする貴族に静電気は効かない」
「やはりか!」
大和は無言で次郎の腹を殴打した。確信を得たように『やはりか!』と言った次郎に腹が立ったのだ。
何が『やはりか!』だ。
親父の馬鹿さ加減には、本当に本当にいい加減にして欲しいと大和は羞恥を抱く。
「フィルド。親父の冗談に付き合おう必要はないからな」
表情を変えずに次郎の発言を裏付けたフィルド・ネリアーは大和の言葉に「ああ」と軽く返し、
「しかしだ。一週間ではなく二週間も観察していた辺りに、妻への溺愛ぶりを感じてしまう」
「やめろ」
「そろそろ大和の母親が誰に殺されたのか妖魔に問いただすタイミングだから言っても良いのか分からないのだが。まあ、言おう。私も良い人を探したくなるな」
「だったら言うなよ! ラインが分からないなら黙ってろよ!」
少し恥ずかしそうに頬を赤くしながらも、素直な気持ちを吐露したフィルド・ネリアーに対し、彼女よりも顔を真っ赤にして大和は注意する。我が国、日本における道路交通法から一時停止する重要性を学んで欲しいと切に思った。
「それよりもだ。おい、妖魔! 俺のお袋が魔剣世界の貴族ってのは分かった。次は、誰に殺されたかだ」
「おい。今の話の流れで訊くのか。羞恥心を隠す方便として絶対使ってはいけないだろう」
「バカ野郎の中のバカ野郎か、お前は! 最初から、俺は最初から訊きたかったんだよ!」
次郎と、それに感化されてしまったフィルド・ネリアーが言いたいこと言い続けて話が逸れてしまったが、大和にとって『母親を殺した相手が何者なのか』を訊かないまま一日を終えることなんて出来なかった。
しかし、妖魔の反応は悪かった。
『ああン?』
水を差されたことに、妖魔は気の抜けた声を出す。まるで、そう質問されるとは思ってもいなかったかのような反応だった。そして、渋々といった様子で説明を始める。
『おいおイ、勘の悪いガキだナ。貴族がどこぞの馬の骨と結婚してんだゾ。そんなもん、粛清しないワケがねえじゃねえカ』
「粛清……? まるで罪人みたいに言うな」
妖魔に返したのはフィルド・ネリアーだった。
もし塔柿玲奈が本当に魔剣世界の貴族だった場合、それは尊き血を持つお方であり、魔剣士が剣となり盾となり守護すべき存在であることを意味する。粛清という言葉から最も遠い身分だ。
しかし、不安を予感させるその言葉は――その通りの意味を持っていた。
『いいや粛清で合ってイル。先に、テメエの母ちゃんが貴族としての生き方を捨てテ次郎と結婚しタ。これは家に対する裏切り行為ダ。だからカジャーク家に殺されタ。そうでもなけりゃあ、魔剣士がこの世界で殺されるカヨ』
つまり、身内殺しだと。
――そう妖魔は断言した。
妖魔・カリュードルと死闘し、
仲間のフィルド・ネリアーから背中を斬られ、
二度目の攻撃を防ぎ、
自身の母親の死が事故ではなく魔剣世界の貴族に殺されたことを告げられ、
――最後に、意識を失った。
「どこだ。ここ」
明晰夢の中は白かった。白い空間が地の果てまで続いている。色のある物といえば、小さな丸いテーブルと四角形の座布団が二つ。
座布団は黄色と紫色。ここで何をすればいいのか分からない大和は、取り敢えず座布団に座ることにした。
手に取ったのは紫色の座布団。紫陽花の柄が刺繍されていて、少し可愛いと大和は思った。
「おい。座布団、返せ」
「うおっ!!」
手に取った紫色の座布団は、巨人に奪われてしまった。大和の後ろから頭越しに延ばされた腕は、悠々と座布団を掴んだ。大和は驚き尻を付く。
大和は正体を知るために振り替える。巨人は綺麗な女性だった。白いシャツに黒いロングスカート。きめ細かい刺繍が裾や襟に施されている。似たような服を大和は知っていた。
亡くなった母親の服も似たような服が多かった。父親に母親の好みを聞いたも、答えてくれたのが服の好みだった。塔柿大和の母親――塔柿怜美曰く、入口と出口を大事にする人間は大成する。そして人生において人間が最も出会う入口出口は服でなのだと。
『女性なら、最初も終わりも綺麗でいたいものなのよ。有終の美というのはね、最後だけに全力を注ぐときの言葉だから、最後にしか言わない。そのときまでは、何が始まりの瞬間か、何が始まるのか。ちゃんと意識しないとだめよ。でないと、チャンスを逃しちゃう』
塔柿怜美の名言だと、大和は教えられた。酒を飲まない父親が、酔ったように嫁自慢することは一年に二回の頻度で発動する。大和はそんな父親が好きで、同時に母親ともっと好きになった。
「そっちの黄色の座布団もダメ。あれは、私のお尻用。こっちの座布団は枕用」
死んだ魚の目をする巨人には、分け合おうという心がないようだ。
「使わないのなら、貸してよ」
紫と黄色の座布団は現在使用されていない。誰も使っていないの状態だ。
言えば貸してもらえると大和は思った。
結果から言うと、拒否された。
女性は大和の知らない言葉を言う。
「プライベートガード」
「……何それ」
「この二つの座布団は、私の大切な頭とお尻を守る神具だ。とっても大切で長持ちさせたいから、そのためのルールも作った。それを君一人の我儘で破るわけにはいかない。自分を律して成長させるルールではなくて、自分を愛してあげるためのルール」
愛を語る女性の目は船さえ飲み込み沼のようだった。楽しいや面白くて笑った表情が想像出来ない。先ほどから、口だけが動いており、それ以外が静止している。
「私の愛を邪魔するなら、ガキでも殺す」
「……はい。ごめんなさい」
人は、敵を威嚇するために表情筋を殺すことが出来る。愛想笑いを仮面と例えるように、女性の無表情は敵意という名のナイフだった。
「そもそも。ガキの頃から座布団を使おうとするとは、なんて烏滸がましい。ガキなんだから、座布団は遊び道具として使いなさい。座るのではなく、投げるが正解だ」
「さっきと言っていることが違う」
「大人みたいに座布団に座るガキを見るのが嫌なんだ。私の言っていることを『おかしい』と思うことは正解だ。だけど、お姉さんの言うことも分かって欲しい。お願いね」
パチリとウインクされ、大和の顔が少し赤くなる。
印象が悪い相手からの、不意の一撃だった。
彼の人生、自分よりはるか大きく、そして妙齢な魅力を持つ女性からお願いされたことが初めてだったことも大きかった。それが綺麗で妖しげな魅力を持つ女性ならば尚のこと。
しかし、やはり大和は思春期の男子高校生だった。素直に「うん」と頷きたい気持ちを隠すべく巨人に歯向かう。
「ガキガキ言うなよ。俺は、ガキじゃねえし」
「……君、何歳?」
「15歳だ」
「……どこから見ても5歳ぐらいの身長だけど」
言われて気付く。
夢の中の塔柿大和は5歳ぐらいの身長だった。
「名前は、何て言うの?」
「……塔柿大和」
「とうき?」
そのとき、初めて女性が塔柿大和の顔を見た。
顔の造形を認識してくれたように、大和は感じた。
「もしかして、お母さんの名前は玲奈だったりする?」
背骨を曲げ、下降するエレベーターのように顎を机に着地するまで下げる。小さな五歳児に合わせてくれた目線は、口はにやけながらも、それでも目は死んだ魚。
……大和はその目をどこかで見ていた気がしていた。
そこで夢が終わる。
◇ ◇ ◇
――――誰だったんだろう? あの人。
大和は夢の中で出会った女性の顔を思い出そうとするが、靄がかかったように顔が思い出せない。妙に艶やかだったことだけは覚えている。蠱惑的な大人の魅力というよりも、夜に見てはいけない赤色の三日月を見たような、パターン化したスプラッタ映画を見たくなるような、残酷的で妖しい魅力を持つ女性だった。
思い出すのを諦め、辺りを見渡す。大和の自室だった。何が起きて自室で寝ているのかは不明だが、とにかく部屋から出ることにした。体はずっしりと重いが、とても惰眠を貪る気分にはなれなかった。
部屋を出て階段で下に降り、人の気配のする方向へ足を進ませる。
リビングの扉の先には丸眼鏡をかけた40代の男性が一人。黒い短髪に白い髪が見えており、苦労人であることを印象付けさせる。背筋を真っすぐと伸ばす細い体からは運動神経の良さが見て分かる。綺麗な姿勢で小さな丸い机に座り、新聞を読んでいた。
大和の知っている人だ。その人曰く、新聞を読むことは世間のご機嫌を伺うこと。上司のご機嫌を伺う練習に丁度良いと自己論理を持っている。自分が自分を好きになるためのルールを作り、守ることを楽しむ変な男。
「おう。起きたか」
それが塔柿大和の父、塔柿次郎。かつてモテるためにカラオケで磨いたダンディーで低い声に、「うん。起きた」と大和は返事し、朝飯を食べるために洗面所に足を進ませる。ただの寝不足だったならば睡魔と戦いながら登校するのだが、昨夜の戦闘による痛みもセットとなっている。
――やっぱり、昨夜のことは現実だよな。
少し体を動かす度に走る痛みが、何よりの証拠。
雲台橋の河川敷での戦い――その結末を大和が気絶しているうちに終わってしまった。
――母親の死の真相は闇の中に消えてしまった。
そう考えた方が良いと、歯磨きしながら大和は思う。
――フィルドを責めることはできない。冷静に考えれば、彼女の判断は正しかった。
彼女は魔剣士としての任務で妖魔を倒すために錦野町に来た。妖魔を殺すことは、爆弾を解除すること。失敗すれば、誰かの命が消えてしまう。その責任を彼女は背負っている。
死んでしまった命よりも、生きている命を優先するのは間違いではない。
「おい。こっちだ、大和」
塔柿次郎に呼ばれるままに大和は移動した。小さなテレビの近くに置いてある机。そこで毎日ご飯を食べているのだが、今日は違った。お客さんが来られた際に応接する、畳と仏壇が鎮座する部屋だ。そこには納屋に置かれてあるはずの長い机があり、朝ごはんが準備されている。
次郎と大和を待っていた。
「さあ。飯を食うぞ。頂きます」
「頂きます」
『イただきまス』
「頂きます――って、頂けるかっ!」
次郎に促されるまま空いた先に座った大和だったが――自らの頬を叩き、明晰夢から起きていることを確認する。
「おし、俺は起きている。だったら、可笑しいのはお前らだ!!」
「お父さんは、いつも通りだ」
「親父じゃねえよ! そこの銀髪とアリクイのことだ!」
大和は立ち上がり犯人を指さす。全貌を知っている一人が何故か嬉しそうに語りだす。
「朝起きたら、クラス一番の美少女と朝ごはんを一緒に食べられる。確かに、思春期な男子高校生にとっては夢のような体験だろう。現実を疑うのも無理もない」
「オバはんの年齢の癖に何を言っていやがる、恥知らずか!!」
「貴様なんてことを言うんだ! 世間や流行に疎い自覚のある私だが、今の言葉を漫才のツッコミとして受け取れぬ! その言葉、抜剣したと捉えるぞ!」
「オバはん年齢は事実だろうが! 俺の言葉が抜剣なら、40代の女性が美少女と自分で言う方が病気なんだよ! この世界は年相応というものがあるんだよ、ぶぁぁぁぁぁぁかっーー!!」
ビブラートを利かせた最後の罵倒は、確かに歳相応だった。
「貴様、言葉が過ぎるぞ!」
「うるさい、お前は言葉が足りないんだよ! 俺はあの妖魔が生きている理由をまだ聞いてねえ! 何で塔柿家の食卓にいるんだよ、討伐するんじゃなかったのか!」
大和の言葉に妖魔がビクっと硬直する。
「ああ、そいつか。事情があって討伐出来なくなった」
「事情って何だよ!」
「事情は事情だ、バカたれ! 少しは考えろ!」
怒りながら煙に巻こうとするフィルド・ネリアーに、大和は詰問しようとしたが、先じて次郎が口を開く。
「貴族って言ったな。こっちの世界にもある。偉い身分の人だ。そんな人が関わっているというなら、現場での判断で処理は難しい」
「……なんで、親父が知っているんだよ」
胡乱な目で大和は見つめ、次郎が情けない表情で返す。
「どこにでもある話だからだ。下が勝手する前には必ず上司に一報を入れる。その報告が必要かどうかは上司が決める。経験のない予想外な事案なら尚更だ。俺は一昨日説明されたばかりで魔剣世界のことは何も分かっちゃいないが、社会人の苦労は骨身に沁みている」
「……辛っ! え、辛すぎないか! ごめん、飲み込めない。ちょっと待って。……うん、やっぱり辛い、命を賭けて達成する使命の上に、それが! 魔剣士、辛っ!」
フィルド・ネリアーから一つも説明を受けていない大和だが、何故か全てを理解したような気持ちになった。少し考えても酷い労働環境であることに気付き、彼女の身の上を全力で同情する。
「親父みたいに普通のサラリーマンみたいなこともしてんのか? いや、サラリーマンを悪く言うつもりはないよ、立派だと俺は思う。とても尊敬している。社会に欠かせない人たちだ。ただな、妖魔と戦いながら上司におべっかしてるってことだろ。命と心の苦行じゃねえか。お前、前世で何か悪いことしたなら言えよ! 俺も禊に付き合ってやるから」
「悪は貴様だ! 何が前世で悪いことをしただ、貴様が現在進行形で魔剣士を貶めている! これは名誉棄損だぞ!」
普段息子から褒められることがない次郎は口の弛みを隠し「おいおい照れるぜ」と誤魔化すように妖魔に振り、怒りで顔が真っ赤になったフィルド・ネリアーが大和の腹に拳骨を入れる。
「痛てえ! 何を怒っていやがる、誰がどう聞いたってブラック労働じゃねえか」
「まだ言うか! マザコン剣士が!」
「おいおいおいおい! 聞き捨てならねえ、誰がマザコンだ! 母親の死の真相を知ろうとする俺は、どう見たって母親孝行過ぎるだろう! 正義か悪かで言ったら正義だろ!」
「それは貴様の都合と解釈だろう! いいか、妖魔一体見逃すことと貴様の母親の死の真相は別問題だ! 何を取っても野に徘徊する化物を討伐する、優先すべきは魔剣士としても使命だ!」
「出たぞ、魔剣士の使命。今、分かったぜ! 俺がその言葉が嫌いな理由がな。社畜の言葉だからだ」
労働者は大事にすべきという前提で大和は話し、魔剣士としての誇りと名誉を尊重して語るフィルド・ネリアー。二人の価値観は互いに譲ることはなく、論争は過熱していった。反対側の席では『尊敬してイルなんて、中々言えないゼ』と次郎の振りを妖魔は返している。少々照れくさい話題を楽しむ二人に論争を止める様子はない。
「 ―― 社畜の、言葉だからだ!! ――」
「何故二回言った、何故二回目は溜めてから言った、何故一回目よりも大きな声で言ったーーーー!!」
「大事なことだからに決まっているだろうが!」
「態々説明する奴がいるか、バカたれが!」
「お前が言えって言ったんだろう!」
大和とフィルド・ネリアーは互いに憤慨して睨み合う。犬歯を剥き出しにし、歯ぎしりでのデュエット。仲か良いのか悪いのか分からない呼吸の合ったイントロが流れていたが、大きな雑音が邪魔をする。
「大和。腹、空いているだろう。取り合えず話は後だ。朝飯食っちまえ」
「……分かった」
「……ふん、デカい腹の虫だ」
次郎の言葉に二人は静かに座った。大和はフィルド・ネリアーの小言に悔しい気持ちになるも何も言い返せない。赤くした頬に気付かない振りをするのが精一杯だ。
無知――というよりも頭がアホだったときの10歳のときはお腹の虫をよく鳴らしていたな、と郷愁を感じながら箸を取り――最初に目についたのは白いご飯だった。
箸で掴んだご飯から美味しい湯気が立っている。米粒の大きさが分かってしまう。昨夜に九死に一生を得た反動か、感覚が謎に鋭敏化されている。食べなくても見て美味しいことが直観で理解出来てしまう。
食べて、それが間違いでないことが証明される。
ご飯だけではない。香ばしい匂いを奮わす鮭は焼かれてから、まだ時間は経っていない。お揚げとネギの味噌汁も程よく温くなっている。出来立ての味噌汁の高熱で舌を苦しめられた過去を持つ大和にとって、湯呑に浮かぶ茶柱と同義。何か良いことがあったのか、別皿でたくあんが用意されているではないか。
何より注目すべきは、パチパチと焼いた目玉焼き。油で焼いた目玉焼きは大和の大好物だ。それを白く映えるホカホカのご飯と一緒に混ぜ、醤油をかけて食べるのが最強無敵と大和は世界に訴えたい。名前を目玉焼き最強ご飯。その久しい出会いに、いつもよりも輝いて見えてしまった目玉焼きは、大和に猛烈な空腹感を与える。
熱と匂いと空腹の三重奏。その抗えない魔力は、己の内に飼う狼を解放させるには十分だった。
少し笑いながら朝食を食べ進める。
「…………二日ぶりのご飯は、そんなに旨いか」
「……ああ。とても美味しい――二日ぶり?」
「そうだ。お前は一昨日の夜に気を失って、昨日一日寝てたんだ」
「なんてこった」
次郎の言葉に大和が困惑し――フィルド・ネリアーが口を開いた。
「お父様。息子さんに重症を負わせてしまったのは私の不始末です。改めて謝罪します」
「おい」
深々と頭を下げたフィルド・ネリアーに、大和は静止の言葉を出してしまう。人の背中を斬って、その父親に謝るのことは、正しい。筋を通すことは大事かもしれないが、大和はフィルド・ネリアーに頭を下げて欲しくなかった。何故か、大和の心まで惨めな気持ちになってしまう。
「ああ、許すよ」
「ありがとうございます」
次郎はフィルド・ネリアーの目を見て応える。礼を言ったフィルド・ネリアーは座り、小声で大和に言う。
「(お前の心は今、とても複雑なんだ。とにかく、脳に時間を与えろ。そのうち脳が感情を整理してくれる)」
「(……分かった。だけど、俺にも謝れよ)」
「(…………)」
「(おい)」
フィルド・ネリアーは大和に返事をせず、静かに味噌汁を味合う。不自然なほど綺麗な背筋に、徹底して謝罪するつもりがないのだと分かった。挑発的な態度に再度謝罪を要求しようとした口を開きかけた大和だったが、食事中の揉め事は無粋だと考え止めることにした。
言われた通り、とにかく時間を脳に与える。
余裕のない自分がいることを無意識に大和は分かったが、それの対処法が分からない。
だからこそ、他者の余裕そうな表情は目に付いてしまう。
――美味しそうに食べてやがる。そうい言えば魔剣世界の食事って、こっちの食事と違うのか?
見れば、一口一口ゆっくりと大事な宝物を扱うように食べている。味噌汁の存在さえ怪しいものだと、他所の世界の食事事情を大和は考え、アメリカよりも遠い場所――それどころか世界が異なるから違って当然か、と帰結した。
そんな気の緩みに付け込むように、小狡い妖魔が便乗する。
『……俺モ。息子さんを傷つケテごめん』
「良いぜ。男は喧嘩して強くなる。傷だらけのバッジみたいなもんで、大人になって自慢になる。むしろ、俺の息子と血みどろになるまで喧嘩してくれてありがとうな。俺好みの勲章だ」
『……まあ? 俺と互角に戦えるホド強かったしナ? 褒めてやるヨ、あんたの息子カナリ強いゼ! 将来はあんたニ似た良い男になること間違いナシ。断定してやるヨ、このスーパーカッコいい妖魔様がナ』
「おや? おめえから見ても、俺はカッコいいかい」
『ああ。俺がメス妖魔だったら、惚れてるネ』
アハハハハハハハハ。
暖かな談笑が次郎とカリュードルから生まれている。
――え? 可笑しくないか?
その光景に大和は目を疑っている。今の会話で、大和を殺そうとした妖魔の罪が赦されてしまったのも衝撃だが、実に父親が赦したことに驚愕し、大和は言葉も出せない。息子からの頭の可笑しそうな人を見るような視線に次郎は気付かず、妖魔に褒められて嬉しそうな顔をしている。
人に良い顔したがる父の徹底さを、このときに大和は初めて知った。このときは妖魔が相手だったが、それは重要じゃないようだ。次郎は褒めてもらう相手を選ばない。
しかし、それで問屋を下ろさない御仁が一人いた。
「おい。私より次郎さんと仲良くするなよ。両面火あぶりにしてぶち殺してやろうか、クソ妖魔」
余裕が消えた。
フィルド・ネリアー良くも悪くも真面目な女魔剣士だ。妖魔即斬を掲げる組織の一人として、己よりも塔柿次郎の好感度を稼ぐことは頂けない。クラスメイトの少女たちとのコミュニケーションに苦悩する日々が続いているなら尚更だった。どのメイク道具のメーカーが好きやら、眉毛の手入れ方法やら、保湿クリームのこだわりやらナチュラルメイクの失敗談やら鬱陶しいこと、この上なし。
戦場では全て要らん。
星の数ほど、言いかけた。
でもメイクの勉強をする。それを含めての任務だと信じているから。
「聞こえねえのか、ああん!」
恫喝だ。この世界で初めて触れた、一人のヤクザを主人公としたゲームを脳内でイメージしている。見開いた目には力と殺意が宿っており、一つ隙を見せれば拳骨の雨あられを匂わせる。怯える妖魔に容赦なし。やるなら徹底的にとゲームのオヤジも語っている。
勿論、魔剣士としての言葉使いではない。彼女は冷静さを欠いていた。人と仲良くする妖魔は許せないのはもちろん、仲良く話せることが羨ましい。
敵である妖魔に、己の不甲斐なさが如実に教えられた気分にされてしまっている。これがフィルド・ネリアーには、とても辛い。怒りも湧いてしまう。
しかし、大丈夫。フィルド・ネリアーがクラスメイトと馴染もうと頑張っていることは大和を含めクラスの多くが知っている。特に仲の良い友達二人が率先して『頑張れー』と優しいエールを送っている。知らないのは当人だけ。
『……ひゃい、ごめんなサイ』
「……いや。私も言い過ぎた、済まない」
まさか謝れるとは思っていなかった。少し呆気に取られたものの、冷静さを取り戻し強い言葉を言ってしまったことを謝る。その二人を見て、次郎は「くっくっくっく」と堪えるように笑う。
「いや、なんだ。昨日会ったんだが、なんとも奇想天外な奴らだな。見ていて面白くていけねえ。初めてテレビゲームをして感動してしまったことを思い出すぜ」
「テレビゲームと同じにするなよ」
「お前はあって当たり前の時代に生まれてんだから、ゲーム誕生の感動が分からねえんだよ。来訪じゃねえ、自分の世界にゲームというジャンルが誕生するんだ。プラスの認知が代入される瞬間ってのは最高だ。俺もこればかりは教えることが出来ねえが、俺から見たらお前たちの時代の子供ってのは、貰いすぎだと思うぜ」
「……貰いすぎか」
次郎の言葉で大和は、今まで放置していた問題に取り掛かるべきなのかを思った。
その問題とは――どうして、自分が魔剣世界の武器である魔剣を持っているか。昨日のことも合わせて、魔剣世界の貴族が関わっていることには違いない。
「飯が冷めちまう。訊きたいことも沢山ある。さっさと食べちまうぞ」
◇ ◇ ◇
食器を洗い終え、四人が卓に揃う。一昨日の夜、妖魔・カリュードルが言った『大和の母親は魔剣貴族に殺された』という意味を聞くためだ。
最初に口を開いたのは妖魔ではなく、魔剣士であるフィルド・ネリアー。
「お前も既に分かっていると思うが、塔柿次郎には魔剣世界と妖魔のこと、全て伝えている。母親のことをお前にだけ話して夫である次郎さんには話さぬわけにはいかぬからな」
「それは、一緒に食事出来ていることから分かっていたけどよ……」
心配そうな表情で大和は父の顔を伺う。一昨日の夜に息子が重症を負い、魔剣世界から来た魔剣士と一緒に妖魔と戦ってきたことを告げられ、更に魔剣世界の貴族から妻を殺されたかもしれない。
これらを一度に聞かされて理解するのは難しい――というよりも理解したくないのが人間だ。
穏やかに暮らしてきた、今までの日常が嘘だらけと言われるような馬鹿げた事実。大和とフィルド・ネリアーが勉強のし過ぎで頭が可笑しくなった、妖魔・カリュードルはどこかの秘密の研究所で脱走した実験動物だと説明する方が、まだ受け入れられる。
口に出すか迷ったが、嘘を付こうとしても顔に出てしまうと定評を受けている大和は、次郎に訊く。
「……フィルド・ネリアーの話、親父は理解出来たのか?」
「あん? 妖魔は人間のストレスを起爆剤にして生まれるモンスターで、人に襲う前に討伐するのが魔剣士ってぐらいまではな。魔力が何なのかは理解出来ねえ。ちょっと話に付いていけないかもしれねえ、悪いな」
「大丈夫。俺も魔力は理解出来ねえ」
大和の言葉にフィルド・ネリアーは痛そうに頭を抑える。魔力で肉体を強化し早く走り、魔剣に魔力を纏わせることで攻撃力を高める。更には、可視化するほどの魔力濃度まで圧縮させるほどのセンスを持ちながら、その源泉を理解出来ない。
宝の持ち腐れだ。日本には『言葉よりも体で覚える』という格言があるが、体で覚えた後に脳にまで覚えさせる方法が明記されていない。誰かに責任を取って欲しいとフィルド・ネリアーは思った。
しかし、大和も理解しようと尽力していることは彼女も分かっていたので、もう少し説明してあげることにする。
「……魔力とは、人とは違う稀有な経験をしたものが吐き出す感情の過剰エネルギーだ。怒り・嫉妬・嘆き・苦しみ、それが人の身を超えるまで増幅した場合、人には神が宿る」
「神が宿る?」
「そうだ。理性という縛りから抜け出し、感情のみで動く。優しい人が大切な者を傷つけられたとき、目尻を上げて激昂する、その瞬間を見たときを想像しろ。人が変わったようだと思わないか」
映画・ドラマのシーンではよく見る瞬間と言える。しかし、それは演者の練習があっての怒りの瞬間と言える。それが本物かどうなのか。大和は少し想像することが難しかった。
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「甲子園進出をかけた試合に負けた奴を知っている。野球を頑張る溌溂としたガキが、急に猫背になっていた。見た時は目を疑ったもんだ。確かに、あの変わりようは『神が宿った』と言ってもいいのかもしれねえ」
「それは違う。甲子園という目標に向けて『宿った神』が消えてしまったんだ」
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「というと?」
「野球部全員が甲子園に向けて一緒に練習しても『神が宿る』選手と、そうでない選手がいる。その違いが『人よりりも稀有な経験』している自覚があるか、どうかだ」
「自覚って。じゃあ、そいつ自身が自分に対して特別だと思っていることが重要なのか」
「ああ」
次郎の言葉は、確かに変わり様という意味では間違っていなかった。しかし、燃え尽き症候群のほとんどが『神を宿していた』と考えるのは間違い。
「当人にとって『人よりも稀有な経験』であること。その『稀有な経験』から構築された人間性であること。そして、感情エネルギーが増大する何かが起きて、初めて『人の身を過ぎたエネルギー』というものが発生する」
この三段階を得て、魔力が生まれる。
「重なった三つの奇跡。運の巡りが良い者しか目覚めない、当人を神の如き力と錯覚させてしまう。人とは違うものだと自覚出来る力――それが魔力だ」
「……ごめん。やっぱり分からねえ」
「何故だ!?」
うまく説明出来た手ごたえを感じていただけに、フィルド・ネリアーは憤慨する。しかし、大和も怯まない。分からないことを『分かった』と嘘を言ってもバレる自信が彼にはある。
何回聞いても、筋が通らないと思ってしまう。
「何故って……。それが本当なら、この世界にも魔力を持った人がもっと多いはずだろう。テレビに出ている芸能人やスポーツ選手。でも、テレビを通して見ていても俺みたいな魔力を持っているとは思えねえ。そりゃあ、俺だって自分が人よりも特別だと思っているぜ。手から魔剣が出るし」
「うむ」
「でも、テレビに出ている芸能人よりも特別かって言われると違うだろう。比較するもんじゃないかもしれないけど、俺よりも特別な人は沢山いると思うんだ」
「それは違う。テレビに出ている人もハリウッドスターも魔力を持っているが、お前ほどじゃない。お前が一番特別だから、お前の魔力量が群を抜いて多いんだ」
「そうそれ。何回聞いても納得できない理由がそれなんだよ」
ハリウッドスターよりも特別だと言われて、素直に喜べる人はいない。
「大和。フィルドちゃんはハリウッドを知らねえんじゃねえか?」
「それだ。何かの木の仲間と勘違いしている」
「どうしよう!? 誰も理解してくれぬ!」
ハリウッドスターの偉大さを真に理解していないフィルド・ネリアーは「いや、しかし。我が師はそのように教えてくれた。師に間違いがあるはずがない……はず……」と苦悩する。魔剣世界で培ってきた常識が、脆く崩れそうな音を彼女は聞こえそうになった。
『いや。大和はコノ世界の誰よりモ特別製――数奇な運命にあるゼ』
様子を見ていた妖魔が口を開く。
『そもそモ。お前は特別製ダ。それはお前が生まれに起因していル』
「俺の生まれだと……?」
『ああ。そして、お前の母親ガ死にも関係スル』
妖魔はチロチロと長い舌と震わせ、大和の目を黒い眼でじっくりと見つめてから話した。
『お前の母親、塔柿玲奈はこの世界の人間じゃナイ。魔剣世界の貴族・カジャーク家の魔剣士ダ』
「……カジャーク家?」
『つまり、人間と魔剣士のハーフなんだヨ、お前は。生まれた時から特別なんダヨ』
カジャーク家、とはいうものが家名であることは分かる。
しかし、大和には聞き覚えのない言葉だ。
「……カジャーク家」
「何か知っているのか、親父」
「いや、初耳だ。付き合ったときも結婚したときも言ってくれなかった。……何故だ?」
次郎は呆然としている。目は泳ぎ、何かに堪えるように口元に手を当てている。
……愛していた妻が、実は異世界人だった。創作物として考えたら面白いが、当人にとっては理解しがたい現実だ。40代で衝突した、人生に起きた最大の事件だと言っていい。SNSで検索しても誰も解決法を教えてくれない。
概要を受け入れるには時間がかかる。二人と妖魔は優しい気持ちで次郎を放置することにした。
「フィルドは? 何か知らないのか?」
「知っている。貴族の中でも権力の強い貴族だ。雷の魔法を得意とする家系で、多くの優秀な魔剣士を輩出している。政府への貢献度も高いが、プライドが高いことでも有名だ」
「ま、まじかよ……」
プライドの高い雷魔法が得意な奥さんだったことに、次郎は呻き声を上げる。
「……はっ! そういえば!」
「何か思いだしたのか、親父!」
「ああ。アイツが静電気で怯んで不満顔をする表情が見たくて二週間ぐらい観察していた時期があったんだが、一回も静電気に当たらなかった。あのときは『運が良い奴め』と思ったが、今にして思えば不自然すぎる」
「ああ。雷の魔法を得意とする貴族に静電気は効かない」
「やはりか!」
大和は無言で次郎の腹を殴打した。確信を得たように『やはりか!』と言った次郎に腹が立ったのだ。
何が『やはりか!』だ。
親父の馬鹿さ加減には、本当に本当にいい加減にして欲しいと大和は羞恥を抱く。
「フィルド。親父の冗談に付き合おう必要はないからな」
表情を変えずに次郎の発言を裏付けたフィルド・ネリアーは大和の言葉に「ああ」と軽く返し、
「しかしだ。一週間ではなく二週間も観察していた辺りに、妻への溺愛ぶりを感じてしまう」
「やめろ」
「そろそろ大和の母親が誰に殺されたのか妖魔に問いただすタイミングだから言っても良いのか分からないのだが。まあ、言おう。私も良い人を探したくなるな」
「だったら言うなよ! ラインが分からないなら黙ってろよ!」
少し恥ずかしそうに頬を赤くしながらも、素直な気持ちを吐露したフィルド・ネリアーに対し、彼女よりも顔を真っ赤にして大和は注意する。我が国、日本における道路交通法から一時停止する重要性を学んで欲しいと切に思った。
「それよりもだ。おい、妖魔! 俺のお袋が魔剣世界の貴族ってのは分かった。次は、誰に殺されたかだ」
「おい。今の話の流れで訊くのか。羞恥心を隠す方便として絶対使ってはいけないだろう」
「バカ野郎の中のバカ野郎か、お前は! 最初から、俺は最初から訊きたかったんだよ!」
次郎と、それに感化されてしまったフィルド・ネリアーが言いたいこと言い続けて話が逸れてしまったが、大和にとって『母親を殺した相手が何者なのか』を訊かないまま一日を終えることなんて出来なかった。
しかし、妖魔の反応は悪かった。
『ああン?』
水を差されたことに、妖魔は気の抜けた声を出す。まるで、そう質問されるとは思ってもいなかったかのような反応だった。そして、渋々といった様子で説明を始める。
『おいおイ、勘の悪いガキだナ。貴族がどこぞの馬の骨と結婚してんだゾ。そんなもん、粛清しないワケがねえじゃねえカ』
「粛清……? まるで罪人みたいに言うな」
妖魔に返したのはフィルド・ネリアーだった。
もし塔柿玲奈が本当に魔剣世界の貴族だった場合、それは尊き血を持つお方であり、魔剣士が剣となり盾となり守護すべき存在であることを意味する。粛清という言葉から最も遠い身分だ。
しかし、不安を予感させるその言葉は――その通りの意味を持っていた。
『いいや粛清で合ってイル。先に、テメエの母ちゃんが貴族としての生き方を捨てテ次郎と結婚しタ。これは家に対する裏切り行為ダ。だからカジャーク家に殺されタ。そうでもなけりゃあ、魔剣士がこの世界で殺されるカヨ』
つまり、身内殺しだと。
――そう妖魔は断言した。
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どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
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