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22 理不尽な復讐
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エステルが城から帰ると、マリエナにまずバッグの中をチェックされた。
「薬は? 薬はちゃんとお渡ししてきたんでしょうね?」
「はい……。侍医の処方する薬しか飲まないとおっしゃっていましたので、おそらく口にしてはもらえないと思いますが、一応」
「まぁいいわ、渡せただけで十分! 若返りに興味のない竜人なんていないもの。国王陛下か王妃様がこっそりお試しになるに違いないわ」
女はもちろん、竜人は男でもいつまでも若くいたいという気持ちが強いらしい。人間より多少身体能力が高い竜人はそこにプライドも持っているらしく、体力や筋力が落ちたりするのが嫌なようだ。
だからダードンの扱う若返りに効果のある薬は、中年以降の竜人に広く好まれているのだろう。
「良くやりました。さすが私の娘ね」
この家に来て初めてマリエナに抱きしめられて、エステルはゾッと鳥肌を立てた。幼い頃はマリエナに本当のお母さんになってほしかったし、たくさん抱きしめられたいと思っていたが、今は嫌悪感の方が勝ってしまっている。
ダードンも仕事から帰ってきてマリエナから報告を受けると、初めてエステルのことを褒め称えた。
「薬を殿下に渡せたのか! 素晴らしいじゃないか」
そうしてその日の晩は、エステルも義家族が座るテーブルに一緒に座ることを許された。けれど今までは一人別のテーブルで粗末な食事を出されていたのに、急に本当の家族のように扱われても嬉しくはない。
「エステルは成績も優秀だし、王族との繋がりも作ってきてくれて優秀な子だ」
義父がエステルを褒めるたび、隣りに座っているロメナの表情が悔しそうに歪んでいく。
エステルははしゃぐ義両親を冷静に、そして怒りに震えているロメナのことはビクビクしながら観察していたのだった。
それからというもの家でのエステルの扱いは変わり、使用人のように働かされることもなければ、勉強道具や本も惜しみなく買ってもらえるようになった。
エステルはいらないと断ったが、ドレスや髪飾りなどもロメナより優先して与えてもらえた。
「万が一にでもレクス殿下の妃になれる可能性が高いのは、今はエステルの方だからな。そちらに投資するのは当然のことだ。ロメナはすでにたくさんドレスを持っているし、少し我慢しなさい」
ダードンがロメナにそう言っている時、エステルは恐ろしくてロメナの顔が見られなかった。両親が手のひらを返してエステルを大事にし出し、粗末に扱われ始めたロメナは、さぞ不満を溜めているだろうと簡単に想像できる。
エステルはいつロメナが爆発するか戦々恐々と日々を過ごしていたが、意外にもこちらを睨みつけてくるだけで静かだった。親に習ってエステルを罵倒することは止めたのかもしれない。
けれど何もしてこないのが怖くもあった。最近ロメナは自室にこもったり、反対にしょっちゅう外出していたりして、いつものように家で暇そうにマリエナとお喋りに興じていることがなくなったのが少し気にはなった。
一方、学園は夏季休暇が近づいてきていて、期末試験も無事に終わった。期末試験は魔法の実技試験がメインなので、精霊魔法以外の魔法が全く使えないエステルの成績は最下位に近かった。
けれど一応ある座学の試験では、満点を取って成績は一位だった。
(良かった……!)
結果を知ったエステルは心から安堵した。やはりレクスのことは完全に頭から追い出せなかったが、レクスのことを考えた分だけさらに勉強時間を増やしたりして、寝不足になりつつも頑張った甲斐があった。
そこまでして良い成績を取りたかったのは、自分に自信を持つためだ。
(私が混血であることも庶民であることも、髪や目の色が変なことも変えられない。でもせめて何か一つ、自分を誇れる要素があれば)
それが学業だ。成績一位を取ったってレクスに相応しい相手になれるわけではないし、好かれるわけでもない。でもいつまでも自分を卑下していたくないから、自分のために頑張りたかった。
とはいえ、人の性格はそう簡単に変わるものではない。一度一位を取ったからといってエステルが自信に満ちることはなく、特にレクスとの関係ではすぐに自分を卑下してしまう。
ある日、廊下でルイザとばったり会った時には、コソコソとこう尋ねた。
「ルイザ様はいつレクス殿下に告白なさるおつもりですか?」
「何よ、急に」
ルイザは迷惑そうにエステルを見ながらも、お喋りには応じてくれた。
「告白なんてしないわよ。もうレクスのことはいいわ。私はもっと、私のことをもてはやしてくれる素敵な人を見つけるの。あなたこそさっさとレクスに告白したら?」
「な、何を言っているんですか! 想いを伝えたところで振られるだけなんですから絶対に伝えません。ルイザ様こそ早く殿下と婚約でも何でもしてください。私に殿下を諦めるチャンスを下さい」
「何それ」
意味不明と言いたげにルイザは片眉を上げる。エステルは自分の胸をぎゅっと掴んで息も絶え絶えに言った。
「私、よくレクス殿下の夢を見るんです。夢は私の都合の良いように進むので、大抵は殿下と恋人同士になって、殿下は私のことを愛してくださるんです。とても幸せな夢なのですが、起きた時に辛くて。決して現実にはならないことを何度も何度も夢に見て、起きてがっかりして、勝手に心にダメージを受けて、苦しくて切なくて……。こんなこともう嫌なんです」
この苦しみから開放されるにはきっぱりレクスを諦めるしかない。そのためにルイザには是非ともレクスと結ばれてほしかった。
「殿下のこと諦めたいんです。絶対に両想いにならない人を想って苦しむのはもう嫌なんです!」
エステルにとってかなり切実な願いだったが、ルイザには馬鹿らしいといった様子であしらわれた。
「知らないわよ。そうやって決めつけないでとりあえず告白してみたらいいじゃない」
「無理です無理です」
「無理じゃない……というか、どうして私があなたの恋の悩みを聞いてるみたいになってるのよ」
我に返ってルイザが言う。
「苦しい恋の話はリシェにでもしなさい」
「駄目です。私、まだルイザ様にしかレクス殿下を好きなこと打ち明けていないんですから」
エステルはルイザに縋りつくようにして続ける。
「一人で抱えていると苦しいので、これからもどうか話を聞いてください!」
そう言うとルイザは呆れたようにため息をついたが、「すごく暇な時ならいいわよ」と返してくれたのだった。
また、産卵から約一ヶ月が経ち、アリシャの赤ちゃんも無事に孵化した。
色は母親と同じ赤色で、体はすでにナトナより大きく、エステルがかろうじて抱っこできる重さだ。
それでもまだこの世界のことを把握できていない感じのぽやんとした赤ちゃんらしい顔つきをしていて、丸く大きな瞳で見つめられると胸がきゅんとする。
「可愛いですね~」
「そうだよな~」
無防備な赤ちゃんドラゴンを抱っこして、エステルはリックと共に表情をとろけさせた。
「名前は決まったんですか?」
「スーリにしたよ。女の子なんだ」
「綺麗な響きでいいですね」
今日はナトナはいないが、昨日すでに会って仲良くなれそうな感じだった。父親のドラゴンであるアストロも、自分の子だと本能で分かっているのかスーリの体を舐めてやったり世話を焼いているし、もう一頭のドラゴンのドクも新しい仲間をすんなり受け入れたようだ。
こうしてエステルは家でも雑に扱われることなく、学園では友達と過ごすことも増え、可愛い赤ちゃんドラゴンのお世話もできて、幸せな日々を過ごしていた。
義両親の態度はエステルがなにかヘマをすればまた悪い方へ変わると分かっていたし、大事にされたところで今さらという気持ちは拭えないが、嫌味を言われたり罵倒されたりしないだけで随分日常はマシになるのだ。
レクスとは相変わらずの距離感で何が進展するわけでもなかったが、話しかけてもらえるだけで十分幸せだった。
(でも明日から夏季休暇……。嫌だぁ!)
春学期最後の登校日、エステルは朝起きてベッドでゴロゴロとのた打ち回る。
(二ヶ月弱も会えなくなるなんて! 顔を見ないと死んでしまうわ)
レクスを想って苦しんでいるエステルの姿はすでに見慣れたのか、ナトナは特に心配することなく毛づくろいしていた。
(辛い)
秋学期が始まる頃にはやつれている自信がある。エステルの気持ちを表すかのように、外では強く雨が降っていた。
学園に着いてもエステルの気分は晴れない。義父に新しく買ってもらった傘を玄関の傘立てに置き、雨で少し濡れてしまった制服のスカートをハンカチで拭く。
(明日からしばらくはレクス殿下にも、リシェ様やルイザ様たちにも会えないし、授業もないし図書室も利用できなくなる)
全てが憂鬱だ。竜舎の掃除は休暇中も手伝いをお願いされているので、リックやドラゴンたちに会えるのはせめてもの救いだった。
(休暇中までレクス殿下に掃除をさせるのはさすがに気が引けて、授業がない間は来なくて大丈夫ですって断っちゃったし……)
だからやはり明日から休暇が終わるまでレクスには会えない。
(ナトナをたくさんもふもふして、何とか寂しさを紛らわそう)
そんなことを考えながら、授業が始まるまで本を読もうと図書室へ向かったのだった。
正午になると、エステルは寂しい気持ちになりながら帰り支度を始める。夏季休暇前日なので、今日の授業は午前で終了だ。
(図書室へ行って本を読んでから、竜舎に行こうかな)
休暇に入る前にレクスの顔を見たいし、リシェやルイザたちとも挨拶くらいできたらいいなと思う。
(殿下は今日は竜舎に来られるかしら? 玄関にいればリシェ様たちと会えるかな)
のろのろと鞄を持って立ち上がる。他のクラスメイトたちは特に名残惜しそうにする様子もなく、あっさりと教室から出ていく。みんなは学園で勉強するより家にいる方が好きなのかもしれない。
エステルも教室を出ると、廊下に義姉のロメナが立っているのに気づいた。こちらをしっかり睨んでいるので目的はエステルなのだろう。
「ど、どうかされましたか?」
ロメナが最近ずっと大人しかったのが怖くもあったので、エステルは身を守るように鞄を胸の前で抱きながら尋ねた。
「来て」
それだけ行ってさっさと歩いていくロメナを追って、二人で一階の渡り廊下までやって来た。渡り廊下には屋根があり、その屋根や地面を雨が打つ音が大きく聞こえている。これでは、例えばエステルが悲鳴を上げても誰にも聞こえないかもしれないと不安になった。
(家で私が優遇されてきっと不満が溜まっているだろうし、ボコボコに殴られるかもしれない)
冷や汗をかいて思う。ここはひと気が少ないので、そうなったら玄関の方へ逃げようと密かに考える。
ロメナは憎しみのこもった目でこちらを見て口を開く。
「何も知らずにのんきな顔してんじゃないわよ。あんたが登校した後、騎士たちが家に来てお父様とお母様が連行されたのよ」
「え? 連行?」
「違法な魔法薬を売っていたとかで逮捕されたの!」
突然の話についていけず、エステルは動揺しながら言う。
「どうして……。違法な魔法薬……?」
「私だって知らないわよ! 売っているのは魔法薬じゃなく普通の薬だと思っていたし、薬の作り方とか成分も聞いていたわけじゃない。私は関係ないもの。お母様は事情を知っているようだったし、私もお父様が何か……詐欺まがいのことをしているんじゃないかって予想はしてたけど」
周囲の地面に当たって跳ね返った細かな水滴が、エステルのいる場所まで跳んできて靴を濡らしていく。
「たぶん騎士たちもある程度調べは済んでいるのね。私やあんたは関わっていないと判断されたから普通に登校できた。でも帰ったら私たちからも事情を聞きたいって、お父様たちを連行する時に言っていたわ」
「そうなのですか……」
反射的にただ相槌を打つ。義両親はどうなるのだろう、家はどうなるのか、ロメナや自分はこれからどうすればいいのか、頭の中は心配と不安でいっぱいだった。
ロメナは短くため息をついて言う。
「お父様ったら、やるならバレないように上手くやってほしかったわ。私にまで影響が出るし、父親に逮捕歴があるとなると将来良い人と結婚できるか不安で仕方ないもの」
「お義父さまたちは大丈夫でしょうか?」
エステルが聞くと、ロメナは嫌悪を丸出しにして眉間にしわを寄せた。
「本当は心配なんてしてないくせに良い子ぶって。それともちゃんと心配してるのかしら。最近はお父様たちに大事にされているものね」
「そういうわけじゃ……。ただどんな処分が下されるのかと気になって」
義両親のことは好きではないが、あまりに重い罰を与えられたりしないだろうかと気を揉む気持ちはあった。
ロメナはあまり心配してなさそうな様子で言う。
「違法な薬を作った程度で重い罰は受けないでしょ。死人や病人が出たわけでもない。ただ魔法薬を販売する許可を取っていなかっただけみたいだし、数日牢屋に入れられるくらいじゃないの?」
「そうですか」
そう聞いてエステルは安堵したが、どうせならきちんと反省して善良になって帰ってきてほしいとも思った。騎士たちがしっかり叱ってくれるといいのだが。
「というか本題はそれじゃないのよ。お父様がヘマをするから予想外に出来事が重なったけど、私は元々今日やろうって計画を立てていたんだから」
「何の話ですか?」
エステルが尋ねると、ロメナは赤い唇の端を持ち上げてニヤリと笑った。
「あんたへの復讐」
「薬は? 薬はちゃんとお渡ししてきたんでしょうね?」
「はい……。侍医の処方する薬しか飲まないとおっしゃっていましたので、おそらく口にしてはもらえないと思いますが、一応」
「まぁいいわ、渡せただけで十分! 若返りに興味のない竜人なんていないもの。国王陛下か王妃様がこっそりお試しになるに違いないわ」
女はもちろん、竜人は男でもいつまでも若くいたいという気持ちが強いらしい。人間より多少身体能力が高い竜人はそこにプライドも持っているらしく、体力や筋力が落ちたりするのが嫌なようだ。
だからダードンの扱う若返りに効果のある薬は、中年以降の竜人に広く好まれているのだろう。
「良くやりました。さすが私の娘ね」
この家に来て初めてマリエナに抱きしめられて、エステルはゾッと鳥肌を立てた。幼い頃はマリエナに本当のお母さんになってほしかったし、たくさん抱きしめられたいと思っていたが、今は嫌悪感の方が勝ってしまっている。
ダードンも仕事から帰ってきてマリエナから報告を受けると、初めてエステルのことを褒め称えた。
「薬を殿下に渡せたのか! 素晴らしいじゃないか」
そうしてその日の晩は、エステルも義家族が座るテーブルに一緒に座ることを許された。けれど今までは一人別のテーブルで粗末な食事を出されていたのに、急に本当の家族のように扱われても嬉しくはない。
「エステルは成績も優秀だし、王族との繋がりも作ってきてくれて優秀な子だ」
義父がエステルを褒めるたび、隣りに座っているロメナの表情が悔しそうに歪んでいく。
エステルははしゃぐ義両親を冷静に、そして怒りに震えているロメナのことはビクビクしながら観察していたのだった。
それからというもの家でのエステルの扱いは変わり、使用人のように働かされることもなければ、勉強道具や本も惜しみなく買ってもらえるようになった。
エステルはいらないと断ったが、ドレスや髪飾りなどもロメナより優先して与えてもらえた。
「万が一にでもレクス殿下の妃になれる可能性が高いのは、今はエステルの方だからな。そちらに投資するのは当然のことだ。ロメナはすでにたくさんドレスを持っているし、少し我慢しなさい」
ダードンがロメナにそう言っている時、エステルは恐ろしくてロメナの顔が見られなかった。両親が手のひらを返してエステルを大事にし出し、粗末に扱われ始めたロメナは、さぞ不満を溜めているだろうと簡単に想像できる。
エステルはいつロメナが爆発するか戦々恐々と日々を過ごしていたが、意外にもこちらを睨みつけてくるだけで静かだった。親に習ってエステルを罵倒することは止めたのかもしれない。
けれど何もしてこないのが怖くもあった。最近ロメナは自室にこもったり、反対にしょっちゅう外出していたりして、いつものように家で暇そうにマリエナとお喋りに興じていることがなくなったのが少し気にはなった。
一方、学園は夏季休暇が近づいてきていて、期末試験も無事に終わった。期末試験は魔法の実技試験がメインなので、精霊魔法以外の魔法が全く使えないエステルの成績は最下位に近かった。
けれど一応ある座学の試験では、満点を取って成績は一位だった。
(良かった……!)
結果を知ったエステルは心から安堵した。やはりレクスのことは完全に頭から追い出せなかったが、レクスのことを考えた分だけさらに勉強時間を増やしたりして、寝不足になりつつも頑張った甲斐があった。
そこまでして良い成績を取りたかったのは、自分に自信を持つためだ。
(私が混血であることも庶民であることも、髪や目の色が変なことも変えられない。でもせめて何か一つ、自分を誇れる要素があれば)
それが学業だ。成績一位を取ったってレクスに相応しい相手になれるわけではないし、好かれるわけでもない。でもいつまでも自分を卑下していたくないから、自分のために頑張りたかった。
とはいえ、人の性格はそう簡単に変わるものではない。一度一位を取ったからといってエステルが自信に満ちることはなく、特にレクスとの関係ではすぐに自分を卑下してしまう。
ある日、廊下でルイザとばったり会った時には、コソコソとこう尋ねた。
「ルイザ様はいつレクス殿下に告白なさるおつもりですか?」
「何よ、急に」
ルイザは迷惑そうにエステルを見ながらも、お喋りには応じてくれた。
「告白なんてしないわよ。もうレクスのことはいいわ。私はもっと、私のことをもてはやしてくれる素敵な人を見つけるの。あなたこそさっさとレクスに告白したら?」
「な、何を言っているんですか! 想いを伝えたところで振られるだけなんですから絶対に伝えません。ルイザ様こそ早く殿下と婚約でも何でもしてください。私に殿下を諦めるチャンスを下さい」
「何それ」
意味不明と言いたげにルイザは片眉を上げる。エステルは自分の胸をぎゅっと掴んで息も絶え絶えに言った。
「私、よくレクス殿下の夢を見るんです。夢は私の都合の良いように進むので、大抵は殿下と恋人同士になって、殿下は私のことを愛してくださるんです。とても幸せな夢なのですが、起きた時に辛くて。決して現実にはならないことを何度も何度も夢に見て、起きてがっかりして、勝手に心にダメージを受けて、苦しくて切なくて……。こんなこともう嫌なんです」
この苦しみから開放されるにはきっぱりレクスを諦めるしかない。そのためにルイザには是非ともレクスと結ばれてほしかった。
「殿下のこと諦めたいんです。絶対に両想いにならない人を想って苦しむのはもう嫌なんです!」
エステルにとってかなり切実な願いだったが、ルイザには馬鹿らしいといった様子であしらわれた。
「知らないわよ。そうやって決めつけないでとりあえず告白してみたらいいじゃない」
「無理です無理です」
「無理じゃない……というか、どうして私があなたの恋の悩みを聞いてるみたいになってるのよ」
我に返ってルイザが言う。
「苦しい恋の話はリシェにでもしなさい」
「駄目です。私、まだルイザ様にしかレクス殿下を好きなこと打ち明けていないんですから」
エステルはルイザに縋りつくようにして続ける。
「一人で抱えていると苦しいので、これからもどうか話を聞いてください!」
そう言うとルイザは呆れたようにため息をついたが、「すごく暇な時ならいいわよ」と返してくれたのだった。
また、産卵から約一ヶ月が経ち、アリシャの赤ちゃんも無事に孵化した。
色は母親と同じ赤色で、体はすでにナトナより大きく、エステルがかろうじて抱っこできる重さだ。
それでもまだこの世界のことを把握できていない感じのぽやんとした赤ちゃんらしい顔つきをしていて、丸く大きな瞳で見つめられると胸がきゅんとする。
「可愛いですね~」
「そうだよな~」
無防備な赤ちゃんドラゴンを抱っこして、エステルはリックと共に表情をとろけさせた。
「名前は決まったんですか?」
「スーリにしたよ。女の子なんだ」
「綺麗な響きでいいですね」
今日はナトナはいないが、昨日すでに会って仲良くなれそうな感じだった。父親のドラゴンであるアストロも、自分の子だと本能で分かっているのかスーリの体を舐めてやったり世話を焼いているし、もう一頭のドラゴンのドクも新しい仲間をすんなり受け入れたようだ。
こうしてエステルは家でも雑に扱われることなく、学園では友達と過ごすことも増え、可愛い赤ちゃんドラゴンのお世話もできて、幸せな日々を過ごしていた。
義両親の態度はエステルがなにかヘマをすればまた悪い方へ変わると分かっていたし、大事にされたところで今さらという気持ちは拭えないが、嫌味を言われたり罵倒されたりしないだけで随分日常はマシになるのだ。
レクスとは相変わらずの距離感で何が進展するわけでもなかったが、話しかけてもらえるだけで十分幸せだった。
(でも明日から夏季休暇……。嫌だぁ!)
春学期最後の登校日、エステルは朝起きてベッドでゴロゴロとのた打ち回る。
(二ヶ月弱も会えなくなるなんて! 顔を見ないと死んでしまうわ)
レクスを想って苦しんでいるエステルの姿はすでに見慣れたのか、ナトナは特に心配することなく毛づくろいしていた。
(辛い)
秋学期が始まる頃にはやつれている自信がある。エステルの気持ちを表すかのように、外では強く雨が降っていた。
学園に着いてもエステルの気分は晴れない。義父に新しく買ってもらった傘を玄関の傘立てに置き、雨で少し濡れてしまった制服のスカートをハンカチで拭く。
(明日からしばらくはレクス殿下にも、リシェ様やルイザ様たちにも会えないし、授業もないし図書室も利用できなくなる)
全てが憂鬱だ。竜舎の掃除は休暇中も手伝いをお願いされているので、リックやドラゴンたちに会えるのはせめてもの救いだった。
(休暇中までレクス殿下に掃除をさせるのはさすがに気が引けて、授業がない間は来なくて大丈夫ですって断っちゃったし……)
だからやはり明日から休暇が終わるまでレクスには会えない。
(ナトナをたくさんもふもふして、何とか寂しさを紛らわそう)
そんなことを考えながら、授業が始まるまで本を読もうと図書室へ向かったのだった。
正午になると、エステルは寂しい気持ちになりながら帰り支度を始める。夏季休暇前日なので、今日の授業は午前で終了だ。
(図書室へ行って本を読んでから、竜舎に行こうかな)
休暇に入る前にレクスの顔を見たいし、リシェやルイザたちとも挨拶くらいできたらいいなと思う。
(殿下は今日は竜舎に来られるかしら? 玄関にいればリシェ様たちと会えるかな)
のろのろと鞄を持って立ち上がる。他のクラスメイトたちは特に名残惜しそうにする様子もなく、あっさりと教室から出ていく。みんなは学園で勉強するより家にいる方が好きなのかもしれない。
エステルも教室を出ると、廊下に義姉のロメナが立っているのに気づいた。こちらをしっかり睨んでいるので目的はエステルなのだろう。
「ど、どうかされましたか?」
ロメナが最近ずっと大人しかったのが怖くもあったので、エステルは身を守るように鞄を胸の前で抱きながら尋ねた。
「来て」
それだけ行ってさっさと歩いていくロメナを追って、二人で一階の渡り廊下までやって来た。渡り廊下には屋根があり、その屋根や地面を雨が打つ音が大きく聞こえている。これでは、例えばエステルが悲鳴を上げても誰にも聞こえないかもしれないと不安になった。
(家で私が優遇されてきっと不満が溜まっているだろうし、ボコボコに殴られるかもしれない)
冷や汗をかいて思う。ここはひと気が少ないので、そうなったら玄関の方へ逃げようと密かに考える。
ロメナは憎しみのこもった目でこちらを見て口を開く。
「何も知らずにのんきな顔してんじゃないわよ。あんたが登校した後、騎士たちが家に来てお父様とお母様が連行されたのよ」
「え? 連行?」
「違法な魔法薬を売っていたとかで逮捕されたの!」
突然の話についていけず、エステルは動揺しながら言う。
「どうして……。違法な魔法薬……?」
「私だって知らないわよ! 売っているのは魔法薬じゃなく普通の薬だと思っていたし、薬の作り方とか成分も聞いていたわけじゃない。私は関係ないもの。お母様は事情を知っているようだったし、私もお父様が何か……詐欺まがいのことをしているんじゃないかって予想はしてたけど」
周囲の地面に当たって跳ね返った細かな水滴が、エステルのいる場所まで跳んできて靴を濡らしていく。
「たぶん騎士たちもある程度調べは済んでいるのね。私やあんたは関わっていないと判断されたから普通に登校できた。でも帰ったら私たちからも事情を聞きたいって、お父様たちを連行する時に言っていたわ」
「そうなのですか……」
反射的にただ相槌を打つ。義両親はどうなるのだろう、家はどうなるのか、ロメナや自分はこれからどうすればいいのか、頭の中は心配と不安でいっぱいだった。
ロメナは短くため息をついて言う。
「お父様ったら、やるならバレないように上手くやってほしかったわ。私にまで影響が出るし、父親に逮捕歴があるとなると将来良い人と結婚できるか不安で仕方ないもの」
「お義父さまたちは大丈夫でしょうか?」
エステルが聞くと、ロメナは嫌悪を丸出しにして眉間にしわを寄せた。
「本当は心配なんてしてないくせに良い子ぶって。それともちゃんと心配してるのかしら。最近はお父様たちに大事にされているものね」
「そういうわけじゃ……。ただどんな処分が下されるのかと気になって」
義両親のことは好きではないが、あまりに重い罰を与えられたりしないだろうかと気を揉む気持ちはあった。
ロメナはあまり心配してなさそうな様子で言う。
「違法な薬を作った程度で重い罰は受けないでしょ。死人や病人が出たわけでもない。ただ魔法薬を販売する許可を取っていなかっただけみたいだし、数日牢屋に入れられるくらいじゃないの?」
「そうですか」
そう聞いてエステルは安堵したが、どうせならきちんと反省して善良になって帰ってきてほしいとも思った。騎士たちがしっかり叱ってくれるといいのだが。
「というか本題はそれじゃないのよ。お父様がヘマをするから予想外に出来事が重なったけど、私は元々今日やろうって計画を立てていたんだから」
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