混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない

三国つかさ

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第2章

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 週明け、エステルはいつも通り少し早めに学園に行き、図書室で本を読んでいた。
 フェルトゥー家で触れた『家庭の温かみ』みたいなものはずっと残っていて、幸せな夢を見た後のような幸福感と、自分には現実に起こらない寂しさが胸に満ちている。

 けれど、自分と同じように精霊と親しく関わっている人たちに出会えたことは良かった。ルノーもその両親のマルクスとターニャも、何か困ったことがあったり精霊のことで聞きたいことがあればいつでも頼っていいと言ってくれたのだ。

「ナトナも嬉しそうだったし。ね?」

 エステル以外に誰もいない図書室で、ナトナは姿を現してエステルの膝に乗っていた。

「あの後、目を覚ましたモネがちょっとだけ一緒に遊んでくれたし、良い精霊たちで良かったわね」

 ナトナの誘いに乗ってほんの少し追いかけっこをしてくれたのだ。足は遅かったし、疲れたのかすぐに寝そべってしまったが。
 
「ハーキュラは追いかけっこに興味はなさそうだったけど、ナトナがもっと成長したらきっと色んなことを教えてくれるわ」

 仰向きに寝ているナトナのお腹をわしゃわしゃしながら言うと、ナトナはくすぐったそうに笑って身をよじる。
 そうやって二人でしばらくじゃれ合って、ナトナが満足げに体を起こしたところでエステルも読書に戻った。
 十数分、静かな時間が流れたが、一旦落ち着いていたナトナのしっぽがパタパタと動き出したので、エステルは集中を切らして本から目を離した。

「どうしたの?」

 優しく言ってナトナの視線を辿る。目がないナトナだが、顔の向きから窓の外を見ているのだろうと分かった。

「あ、鳥が気になったのね」

 図書室の外には本を日差しから守るように木が植えられていて、一番近くにある木の枝に鳥がとまっていたのだ。

「イエスズメだわ。ナトナもあちこちでよく見かけるでしょ?」

 イエスズメは街中でよく見るありふれた鳥だ。オスとメスで模様が違うので、今そこにいる地味な模様のイエスズメはメスだと分かる。
 と、ナトナは少しでも鳥に近づこうと机に乗り、端まで走っていって遊んでほしそうにキャンキャンと吠えた。そうやって気を引くことで相手がこっちへ来てくれないかと思っているようだ。
 しかし鳥は吠えられて驚いたのか飛び去ってしまう。

「ナトナ、怖がらせちゃ駄目よ。それから机の上には乗らないの」

 エステルは困ったように眉を下げて、子犬みたいにやんちゃなナトナに注意したのだった。


 授業が始まる時間になるとエステルは図書室を出て、透明になったナトナを連れて教室に向かう。そして自分の席に着こうとしたところで、椅子が汚れているのに気づいた。泥のようなものが座面になすり付けられている。明らかに故意だ。
 周りを見回すと、ちらほらとこちらを見て笑っているクラスメイトたちがいる。でも絶対にエステルを笑っているとは言い切れない。彼女たちはすぐに視線を逸らしたし、お喋りをしている途中でたまたま一瞬こちらを見ただけかもしれない。

 仕方ない、とエステルは一階の外にある水汲み場まで降り、バケツに水を汲んで雑巾を持って戻ってきた。
 変な匂いのする手紙はあまり嫌がらせの効果がないと思ったのか、ここ数日は違う嫌がらせをされている。

(水を汲みに行くのは手間がかかるし、他の嫌がらせにしてくれないかしら。犯人もわざわざ教室まで泥を持ってくるの大変だと思うのだけど)

 エステルは困惑しながらそんなことを思った。
 階段を上っていると、すねにふわふわの毛が触れたのでナトナも一緒についてきてくれているようだ。
 けれどナトナはおそらくエステルがいじめられていると分かっていない。面と向かって暴言を吐かれたり嫌な態度を取られるものではないため、まだ幼いナトナは気づかないのだろう。
 きっと複数人いる犯人もはっきりしないので、「嫌がらせはやめて」と直接言うこともできない。陰湿で嫌なやり方だ。

「あら、エステルさん。どうしたの?」

 教室へ戻ると一限目の教師がすでに来ていて、授業が始まっていた。

「いえ、ちょっと椅子が汚れていたので」

 この若い教師は事なかれ主義で自分の絶対の味方にはなってくれなさそうだと思ったので、エステルは嫌がらせを受けたとは言わずに黙々と椅子を清掃した。
 授業が始まってみんな席に座り静かにしている中で、一人嫌がらせの後始末をしているエステルは目立っていたが、手伝ってくれる者は誰もいない。
 何も分かっていないナトナだけが、足元でエステルを見上げて『何してるの?』というふうにウロウロしている気配がしたのだった。
 

 翌日の朝、エステルは悪い意味でドキドキしながら教室に入ったが、昨日に続けて椅子が汚されていることはなかった。やはり泥を調達してくるのは多少の手間がかかるのだろう。

(良かった)

 一応机周りを調べて、何もないと分かるとホッとして椅子に座る。
 しかし授業が始まり教科書を開くと、そこに落書きされていることに気がついた。

『親が処刑されているのに、よく幸せそうにしていられるな』

 これも嫌がらせだろう。今度は混血ではなく、犯罪を犯した義家族のことを持ち出してエステルを傷つけようとしているらしい。違法な精霊魔法薬を貴族に売っていた、という義家族が起こした事件のことは新聞にも載ったし、学園の生徒の中にも知っている者は多い。

 エステルはわずかに顔を歪め、教科書を持つ手に力を入れた。病気や事故でもないのに、少し前まで一緒に暮らしていた人が今はもうこの世にいないなんて辛くて恐ろしいことだ。自業自得とはいえ、義父のダードンが処刑されたことはエステルも悲しく思っている。
 だから犯人の思惑通り、こんな落書きをされると傷ついてしまう。
 
 教科書はちゃんと毎日持ち帰っているので、この落書きは昨日のうちに、エステルが学園にいる間にされたものだろう。教室から離れた隙に書かれたのだ。

『犯罪者の子供がレクス殿下と喋るな』

 次のページにはそう書かれてあった。ご丁寧に今日授業で開くであろうページだけに落書きされている。
 この前の簡易放香魔法のようなトリックはない、純粋な悪意のこもった単純な言葉。だからこそ傷つけられる。
 
(これからはトイレに行くにも教科書を持っていかなくちゃ)

 エステルは静かに深いため息をついたのだった。


 それから数日、エステルはどこへ行くにも鞄に教科書を詰めて持って歩いた。
 ただ、昼食を取るため食堂に行く時だけは教室に置いていった。だから教科書への落書きは完全に防げてはいない。
 それでも鞄を置いていくのは、嫌がらせを受けていることを食堂で会うレクスたちに知られたくないからだ。

(みんなから嫌われているってことを知られたくないわ。恥ずかしいし、みんなから嫌われている私をレクス殿下たちも嫌ったらどうしようって少し不安になる)

 授業中、エステルは机を見つめながら考えた。
 他の人が嫌っているから同じように嫌うなんて、レクスたちはそんな人じゃないとも思っているが、エステルはレクスたちの心の内を真に理解しているわけではない。自分のような庶民に優しくしてくれる理由も未だに謎に思っているから、思いも寄らない理由で冷たくされる可能性もあるのだ。

(それに例えばあの教科書の落書きをレクス殿下に見られてしまったら、きっと殿下は悲しむわ)

 嫌がらせをしている者たちは、きっとエステルとレクスが親しくしていることに嫉妬している部分もあるのだろう。落書きには『レクス殿下と関わるな』『レクス殿下から離れろ』というふうに頻繁にレクスの名前が出てくる。

(だから殿下が自分のせいで私がいじめられているなんて思われたら申し訳ないし、私が嫌がらせを受けないように距離を取ろうとされたら悲しい)

 と、そこで授業の終わりを告げるベルが鳴り、生徒たちは昼の休憩に入った。エステルも机の上を片付けてから食堂へ行くため教室を出る。教科書が心配ではあるが仕方ない。
 いつもはリシェが教室まで迎えに来てくれるのでそれを待つのだが、今日は三年生は魔法実技の授業が午前中にあって、後片付けなどで終了が遅くなるかもしれないらしい。だから先に食堂へ行っていてね、と昨日のうちにリシェに言われていたのだ。

 食堂に着くとやはりレクスたちの姿はなかったが、エステルが食事の注文を終えて席に着こうとしたところで、授業を終えた三年生たちがぞろぞろと食堂に入ってきた。
 その中にレクスたちもいて、エステルを見つけたリシェは「こっちよ」と手招きをする。

「隙あらばあっちの席に座ろうとするんだから」

 食事の載ったトレーを持つエステルの背中を両手で押しながら、リシェは陽が差して暖かい丸テーブルの席に向かった。

「だって、私は本当はあそこに座るのが正しいんです」

 身分の低い者は、食堂入って右側の寒くて薄暗い長テーブル席に座るのだと暗黙の了解で決まっている。
 するとリシェは唇を尖らせて可愛く怒った。

「正しいとかないわよ! 別にどこに座ってもいいんだから」
「そう言われても庶民には勇気が出ません」

 身分を気にしないリシェを有り難がりつつ困りながら、エステルはレクスたちと合流する。

「やぁ、エステル」
「レクス殿下、こんにちは」

 爽やかにほほ笑むレクスに、エステルはぎこちなく返した。未だにレクスと相対すると照れとそれに伴う緊張が出てしまう。
 ルノーにも会釈をするとほほ笑みを返してくれた。姿が見えないだけで光の精霊のハーキュラもそこにいるのだろうか? あるいはナトナのように散歩にでも行っているのかも。

 レクスたちも食事を取りに行った後、みんなでテーブルを囲んで座る。いつも楽しげな褐色の青年バルトは、リシェのために椅子を引いて、食事トレーをテーブルに置く手伝いをさりげなくやってあげていた。

「ありがと、バルト」

 バルトはリシェの番だから、リシェも彼からの親切は受け慣れている様子だ。

「つかぬことをお伺いしますが……あ、いえ、やっぱり止めておきます」
「なによ、気になるじゃない」

 リシェは片眉を上げてエステルを見る。

「言って。何でも聞いてよ。遠慮しないで」

 そこまで言われて、やっとエステルはおずおず口を開いた。

「あの、貴族の方はなかなか好きな人と自由に結婚はできないですよね? だったら、番がいる人たちはどうなるんでしょう。番がいても違う人と結婚しなければいけないのですか?」

 本当は「リシェ様とバルト様はもう婚約されているんですか?」と聞こうとしたのだが、もし家の事情で結婚できないと決まっていたら、その質問で二人を傷つけるかもしれないと思い少し遠回しに尋ねた。
 リシェは軽い調子で答える。

「そんなことはないわ。もちろん親としては結婚して利益のある相手と結ばれてほしいでしょうけど、竜人は番の結びつきの強さを知っているからね。無理やり引き離して違う相手と結婚させても上手くいかないし、最悪駆け落ちか心中されてしまうって分かっているのよ」
「だからうちの親もリシェとの婚約は簡単に許したよ。何言っても聞かないだろうから好きにしなさいって感じでさ。ま、俺たちの場合ちょうど釣り合う身分の相手が番だったし、親も喜んでたけどな」

 そう続けたのはバルトだ。二人は昼食に同じメニューを頼んでいたが、バルトのパスタはリシェの倍以上の量があった。それをフォークに巻きつけながら言う。

「番って存在と出会う可能性があるから、この国では幼い頃から婚約者を決めるってことはあまりしないんだ。けど番と出会える竜人は多くないから、ほとんどの者は早くに婚約者を決めても問題ないんだけどな。俺はリシェと出会えてラッキーだったよ」
「私も」

 リシェはにっこり笑ってバルトを見る。仲の良い二人をルノーはほほ笑ましく見守っているが、レクスとルイザはこういうやり取りを百万回は見たといった様子で興味なさそうにしている。
 エステルはそんなルイザやルノーを見て、こんな質問を庶民がして許されるだろうか、と思いながら恐る恐る尋ねた。

「ルイザ様やルノー様は番はおられるのですか?」

 身分が違いすぎて質問することすら緊張してしまうが、二人とも優しい人だと分かっていたから勇気を出せた。
 先に答えたのはルイザだ。

「いないわよ。知ってるでしょ」

 食事の手を止めてそう言うと、つまらなさそうに水を飲み、エステルを軽く睨んで続ける。

「私に番がいたら……あんなことにはなってなかったわ」

 後半はエステルから申し訳なさそうに目をそらし、ルイザはぼそぼそと呟いた。『あんなこと』というのは、エステルと揉めた件だろう。ドラゴンのアリシャも巻き込んで最終的にエステルが怪我をした。

「あんなことって?」

 バルトが不思議そうに尋ねたが、ルイザは「なんでもないわ」と言って答えなかった。
 バツが悪そうにしているルイザが何だか可愛く見えたので、エステルはフフッと笑って言う。

「じゃあルイザ様に番がいたら、私たちこんなふうに仲良くなれなかったかもしれないんですね」
「……別に言うほど仲良くないわよ」
「えー? 仲良いですよ。毎日一緒にお昼ごはんを食べていますし、私、女の子のお友達はリシェ様とルイザ様しかいないんですから」

 エステルが返すと、ルイザは「そう」と言って照れたように顔を背けた。

「意外と強い」

 ルノーがちょっとびっくりした様子でエステルを見て呟き、レクスはふっとほほ笑んで、リシェやバルトはにこにこと笑顔を浮かべている。
 ルノーは話を戻して言う。

「僕も番はいないよ」
「いたら良いなって思いますか?」
「どうだろうね。番に憧れる竜人も多いけど、僕はそれほど……。大変そうだしね」

 大変そうな番カップルが身近にいるのか、ルノーはそう答えた。
 みんなからの答えを聞いたエステルは、残ったレクスに何となく流れで視線を向けた。するとレクスはハッとしたように目をそらす。
 何故そらされたのかは分からないが、エステルもレクスに番がいるかどうかを尋ねるつもりはなかった。 
「いる」と言われるのが怖いからだ。
 
(前にレクス殿下に番がいるとかって話をルイザ様としていたし……)

 あの時はレクスも相手が自分の番がどうか断言していなかったし、その後、学園内で特別に親しくしている女子生徒を見かけることもない。

(でも実はお城でもう一緒に住んでたりして。庶民の私が知り得ないところですでに婚約していたりするかも)

 エステルは頭の中で、レクスに見合う美しい竜人のお姫様を想像していた。学園には通っていない大貴族のご令嬢だ。レクスの番なら、きっと全てが完璧な女性なのだろうと思う。

(もしそんな相手がいるのなら知りたくない。知らない間は、私はまだレクス殿下を好きでいていい気がするから)
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