混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない

三国つかさ

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第2章

35 幼い精霊

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 男はこの空き家に荷物を隠していたようで、穴の空いた床板の下から黒い鞄を取り出している。魔法使いは魔法書や魔法道具を持ち歩くことが多いからか、荷物は重そうだ。

「別の馬車に乗るため移動する。騒げばロメナを殺す。それとも声が出せないように魔法をかけておいた方がいいか? 無駄な魔力の消費は避けたいんだが」

 ロメナを人質に取られている限り、エステルは大人しく従う他ない。

「ロメナはどこにいるの? どうか会わせて」
「お前が大人しく異国に誘拐されたらな」

 このままではずるずると危険な状況が続いてしまうと思い、焦る気持ちが強くなる。

(ナトナの力を借りるしかないわ。この人の心を操って、ロメナを解放させて二人で逃げるしか……)

 そう考えたが、ナトナはエステルが誘拐されそうだと今いち気づいていない。きょろきょろ辺りを見回しているし、探るようにエステルを見上げてきたりもするので異変は感じ取っているようだが、『この状況なんだろ?』と不思議に思っている程度だろう。

(仕方がない。ちょっと怖いけど……)

 小声でナトナに指示を出しても、きっと男に聞こえてしまうだろう。だから自然とナトナが力を使うようにエステルは行動を起こした。この場から逃げようと出入り口に向かって走り出したのだ。
 すると男はすぐさま気づいて、エステルが空き家から脱出する直前で襟首を掴んで後ろに引きずり倒した。

「無駄なことをするな」
「きゃあ!」

 短い悲鳴を上げて背後に倒れ込むエステル。ナトナはその腕から抜け出すと、グルルと唸って男と相対した。

(上手くいった。これできっと――)

 エステルを乱暴に扱った男を、ナトナは敵と見なしたのだ。
 唸りながらも集中して、ナトナは男をじっと見ている。力を使って、男がこれ以上エステルに暴力を振るわないよう同情心を起こさせるつもりだ。
 
「子犬のような姿をしているが噛みついてはこないのか。やはり精霊。魔法を使うんだな」

 男はナトナを観察しながら冷静に言う。そうして僅かに口の端を上げると、エステルに向かって話し出した。

「こいつが闇の精霊で、人の心を操って同情心を持たせることは知っている。ロメナが言っていたからな。かなり便利な力だ。だが残念だったな、俺には効かない」
「え?」

 戸惑うエステルに、男は暗い瞳を向けながら続ける。

「俺にも魔力特性があって、心や精神に作用する魔法は効かないのさ。ガキの頃から情がないと言われてきたのはこの魔力特性のせいなのか、それとも氷の心を持っているからこの魔力特性がついたのか……」

 後半は独り言のようにぼそぼそと言った後、こう説明した。

「俺の魔力特性はそれほど強くないが、今日は魔法で強化してある。そいつが攻撃してくるだろうと分かっていたからだ。あまり使いどころのない魔力特性だと思っていたが、闇の精霊を相手にする時だけは効果抜群だな」

 今もナトナは男を操ろうとしているようだが、全く影響を受けていないらしい。男がエステルに同情的になることはなかった。
 そしてふと気づいて言う。

「さっき急に逃げようとしたのは、状況を理解できていない闇の精霊に危機感を持たせるためか。お前は大人しそうに見えて案外小賢しいな。抵抗する術はしっかり奪っておくか」

 男は何やら呪文を唱えてエステルに魔法をかける。すると喉が冷たくなって声が一切出せなくなった。
 焦りながらパクパクと口を動かしているうちに、両手まで縄で縛られてしまう。

(まずいわ)

 ナトナは狼の姿をしていても精霊だから、噛みついて攻撃するという手段が思い浮かばないらしく、男に向かって一生懸命吠えている。力が効かず、どうしていいか分からないのだろう。
 一方、男は黒いローブを脱ぐと、後ろ手に縛られているエステルにそれを着せた。これで手が隠れてしまったので、危機的な状況であることを通行人に悟られにくくなった。

「行くぞ」

 腕を捕まれ、強引に扉の方へ連れて行かれる。これからどこに向かうのかは分からないが、最終目的地は異国だろう。

(怖い。ここを離れたくない)

 エステルは王都にいる限りまだ助かる可能性が高いと考えていた。王都には見回りの騎士が多く警備がしっかりしているからだ。
 そしてたとえすぐ側にいなくても、レクスの住む王都にいるというだけで少し安心できるのだ。同じ街にいることで、エステルはこんな状況でも何とかパニックになるのを回避できていた。
 けれどこれからレクスのいない国に行くと思うと、心細くて不安でたまらない。
 恐怖が一気に心を蝕んでいき、呼吸をしている息すら震える。冷や汗で全身がじっとり濡れて、肌着が背中に張り付いているのが分かる。

 誘拐されるのも恐ろしいけれど、何よりもレクスと二度と会えなくなるのが泣きそうになるほど怖かった。
 自分でも何故そこまで恐怖を感じるのか分からないが、声を出せない代わりに心の中で精一杯叫んだ。

(怖い! 誰か……! 誰か助けてッ!)

 ――とその時。エステルの腕を引っ張っていた男が、空き家を出る前にぴたりと立ち止まった。
 
「……?」

 エステルもふと前を見て、何があったのか確認する。この家の扉は先ほどエステルが脱出しようとした時に開けたままで、特に異変はない。誰かがそこに立ちはだかっているとか、奇跡的に騎士が助けに来たということもなかった。
 なのにどうして男は立ち止まったのだろうと疑問に思っていると、すぐに答えは見つかった。

 キュ、というような小さく可愛らしい鳴き声が聞こえてエステルが視線を下に向けると、開けっ放しの扉のところにイタチがいたのだ。

(え?)

 エステルは目をぱちくりさせる。警戒心の強そうなイタチが堂々と人前に出てきているのにも驚いたが、まず毛色が普通ではなかった。

(白に、長いしっぽの先は水色が滲んだような……)

 不思議な色をしている。冬でもないのに白いイタチなどいるのだろうか?
 それに目の部分を怪我しているのか、包帯のようなものが三重に巻かれていて前が見えていないのではないかと思う。
 おまけにイタチは見るからにまだ幼く、よちよち歩きな感じだ。

(包帯が巻かれてあるということは、誰か人に飼われている? 赤ちゃんだから、お母さんから離れてこんなところに出てきちゃったのかしら?)

 自分の置かれている状況を一瞬忘れて、エステルは幼いイタチの心配をした。周りを見回してみるが親らしきイタチも飼い主らしき竜人もいない。

「何だ、このイタチは。……少し様子がおかしいな」

 男はこんな無力そうな仔イタチを見て、意外にも警戒心をあらわにしていた。エステルを逃さないよう掴んだまま数歩下がって距離を取る。
 「キュッ!」と鳴き声を上げて自分の方に顔を向けてくる仔イタチを見て、男は呟く。

「目がないということは……精霊か? お前、そこの闇の精霊以外に契約している精霊がいたのか?」
「え? いえ、違います……。知らない子です」

 男が魔法を解いたらしく声が出せるようになっていたので、エステルは首を横に振りつつ答えた。それと同時に戸惑いながら考える。

(この子が精霊? 確かに精霊であればあの不思議な毛の色も納得できるし、目も怪我をしているわけじゃない……?)

 困惑しているエステルの様子から嘘はついていないと分かったのか、男は視線をエステルから仔イタチに移して独り言をいう。

「違うのなら……いや、だが契約もしていない精霊がふらりとこの場に現れることがあるか? まるで危機に駆けつけたかのように。それに闇の精霊と同じく幼い姿をしているのも気になる」

 そこでもう一度確認するようにエステルを見た後、喜びを滲ませて徐々に唇の片端を持ち上げた。

「これは……やはりそうか。ロメナの依頼を受けてこの一件に関わった自分に感謝だ」

 男が分かりやすく感情を表情に出したのは初めてだ。

「これで大金が手に入りそうだ。お前は何としてでも連れて行く」
「痛い……!」

 決して逃さないというように、エステルを掴む手に改めて力が込められた。エステルを心配しながら何もできないナトナは、吠えながら足元を行ったり来たりしている。
 するとその時――強い風が一瞬室内に吹き荒れ、エステルや男の服がはためき、割れたガラス窓が激しく音を立てた。

(何?)

 エステルは風に目をすがめる。今日は風が強いしここは隙間だらけの空き家だとはいえ、家の中でこんなふうに風が吹き荒れることがあるだろうか。

「風の精霊か」

 男が隣でそう呟いたのを聞いて、エステルも仔イタチに視線を向ける。風はもう止んでいた。
 そして仔イタチがくるりと円を描くように体を反転させ、しっぽを振ると、再び強い風が発生する。

(風の精霊……! この子が?)

 仔イタチは男へ真っ直ぐ顔を向けて時折唸っているので、もしかしたらエステルを助けようとしてくれているのだろうか? 
 何故エステルに力を貸してくれるのかは分からないが、見た目通りに幼いらしい仔イタチは、残念ながら男を倒せるほどの十分な力はなかった。
 強い風を起こすのが精一杯で、それも人を飛ばすほどの威力はない。

 多少うっとおしそうにしながらも、魔法使いの男は向かい風の中、仔イタチに向かって手のひらを向けた。
 そうして呪文を唱え始めると、手のひらに光が集まっていくのが見える。魔力の塊だ。

(あの子が危ない!)

 エステルは後ろ手に縛られたままだったし、男に片腕も掴まれていたが、とっさに床を蹴って男に体当りした。全身で力いっぱい突っ込んだのが功を奏し、男は体勢を崩して倒れる。
 しかしエステルも同じように倒れ込んでしまい、肩を床に強くぶつけた。

「いたっ……!」
「……てめぇ」

 男は素早く起き上がったが、エステルは手を拘束されているため機敏に動けない。
 と、そこに仔イタチとナトナが駆け寄ってきて、エステルを守るように男との間に立ちはだかった。
 
「精霊は始末してお前は少し痛めつける」

 不愉快そうに眉間に皺を寄せた男が低い声で言い、エステルを見下ろして立つ。
 すると次の瞬間――敵から優しく庇うようにして、黒いベールがエステルとナトナ、仔イタチを包みこんだ。

「え?」

 エステルは驚いて上を見る。半球状の膜が自分たちをすっぽり覆っている。膜は黒く薄い霧でできているみたいに濃淡があり、小さく渦を巻いているところもある。外に男がいるのも分かるが見にくかった。

「何だ? 防御魔法か」

 男が外から、おそらく先ほど仔イタチに放とうとしていた攻撃をしてくるが、黒いベールにぶつかった途端に吸収されてしまったようだった。

「これ……もしかして、ナトナが?」

 半信半疑で隣にいる仔狼に尋ねると、嬉しげで得意げな顔をしてこちらを見返してきた。しっぽを振り、舌を出して笑っていたのだ。

「あなたこんなこともできたの? それとも今できるようになったの? なんてすごい!」

 驚いてナトナを褒める。きっとエステルを守ろうとして新しい能力を開花させたのではないだろうか。その気持ちが嬉しかったし、本当に良い子だと感動した。
 しかし喜びも束の間、強い魔力がベールの外に集まっていくのを感じて顔を上げると、苛立ちをあらわにした男が先ほどよりも強烈な攻撃を仕掛けようとしているところだった。手のひらに集まっていく光は人の顔ほど大きくなっている。

「ナ、ナトナ……これ大丈夫?」

 どこまで攻撃魔法を防げるのかと尋ねたが、ナトナ自身も分からないようで、一転して自信なさげに耳としっぽを垂らした。

「まずいかも」

 エステルも恐怖に襲われながら、慌ててナトナと仔イタチを庇うように男に背を向ける。せめて自分が盾になるしかない。
 どれほどの痛みに襲われるだろうかと、全身に鳥肌を立てながら必死で身を丸くする。異国へ売ろうとしているなら殺すことはしないだろうと祈るしかない。

 が、しかし。
 突然ベールの外から物音が聞こえたかと思うと、魔法使いの男がくぐもった声を上げて倒れた。そしてエステルが顔を上げて振り向くと同時に、ナトナが黒いベールを消し去り視界が鮮明になる。

 男はさっきエステルに体当りされた時のように床に転がっていて、片方の頬が赤くなっているのが見えた。
 そして扉から差し込む赤い夕陽を背に受けながら、息を切らせて男を見下ろすように立っていたのは、怒りで顔を歪めたレクスだった。
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