混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない

三国つかさ

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第3章

50 両想い

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「おかしい……」

 エステルは朝目覚めると同時に呟いた。フリルの付いた白い枕の隣では、ナトナも体を丸めて眠っている。

「おかしいわ」

 寝不足で薄っすらとクマのある目で、ぼんやりと天蓋を見上げる。

「レクス殿下と両想いだって分かってから三日経ったのよ? この気持ちの昂ぶりはいつになったら落ち着くの? 殿下のことを考えて眠れない、なんてことが起きなくなるのはいつなの? 両想いになってさらに好きな気持ちが大きくなっていくのはどうしてなの!?」

 最後は叫ぶように言って上半身を勢いよく起こした。

「好き過ぎて苦しい! 早く殿下に会いたい!」

 ベッドの上でしばらくのた打っていると、いつの間にか部屋に使用人のシャナンが入ってきていて、にっこりほほ笑んでこちらを見ていた。

「おはようございます、エステル様。ノックをしたのですが今日も聞こえておられないようだったので勝手に入らせていただきました。さぁ、朝の準備をしましょう」
「あ……、おはよう……」

 恥ずかしくなってエステルは小さな声で返す。だがシャナンもこの三日でエステルの朝の奇行にも慣れたらしく、動じていない。ナトナも気にせずまだ寝ている。

「番というのは本当に大変な存在なのですね。普段は大人しくて真面目なエステル様がこんなに取り乱されるなんて」
「忘れて、シャナン」

 顔を拭くための濡れタオルを受け取りながら言う。

「何だかずっと嬉しくて、寝ても覚めても殿下のことを考えてしまうの。心がふわふわしていて、でもそれも幸せで」
「エステル様、ずっと楽しそうに笑っておられますものね」
「き、気づいてたの? 私がニヤニヤしちゃってること」

 レクスと両想いなのだと改めて考えるたび、勝手に顔がニヤけてしまうのだ。
 シャナンはエステルの髪を梳かしながら言う。

「エステル様は分かりやすいですから。でも学園では、まだ周りの生徒にレクス殿下の番であることは悟られない方が良いのですよね?」
「ええ。正式に婚約が発表されるまでは」

 今週半ばに冬季休暇に入るので、あと数日、学園では何もなかったような態度を取らないといけない。
 レクスの計画では、冬季休暇に入ってからエステルを国王夫妻に紹介し、今年中に婚約発表をしたいということだった。

「でしたら、学園ではレクス殿下に会われてもきちんと平静を保ってくださいね」
「頑張るわ」

 そうしてエステルは気合を入れて学園に向かう。レクスと想いを伝えあった後、二日間休日を挟んだので、番同士だと分かってから学園で顔を合わせるのは初めてだ。
 ナトナと兄のルノーと一緒に馬車に乗り込むと、ルノーは時々レクスのことを思い出してふにゃふにゃの笑みを見せるエステルを、横で観察して楽しんでいたようだった。
 
「ああ、面白かった」

 学園に着いて馬車を降りると満足そうにルノーが言う。ナトナも姿を現したまま地面に降り立った。ナトナにはこれからはなるべく姿を現したままでいてもらって、番犬のようにエステルの護衛を少し担ってもらうつもりだ。姿は可愛い子犬なのでどこまで効果があるかは分からないが。

「でもエステル、ここからは気を引き締めるんだよ。別にレクスと両想いであることがバレたって大きな問題はないけど、やっぱり周囲に噂されてから婚約発表をするより、手順を踏んで自分から発表をしたいみたいだから、レクスは」
「そうですよね、気づかれないようにちゃんとします」

 今朝シャナンにも注意されたが、ルノーにも改めて言われてエステルは表情を引き締める。

「レクスは自分を律するってことが得意だし、きっとしっかり普段通りの冷静な顔をしてくると思うから」
「そんな中で私だけはしゃいでいては駄目ですものね」

 少し緊張して良い感じに硬い表情をしながら玄関に入ろうとしたところで、ちょうど王家の馬車も学園に到着した。

(普段通りに挨拶を……)

 完璧な演技をしたレクスが降りてくるのを想像しながら、エステルも体中から溢れ出そうになる恋心を自分の中に留める。
 そして馬車の扉が開くと、いつも通りに格好良いレクスが涼しい顔をして出てきた。
 だがエステルを視界に入れると、彼は途端に表情を緩めて甘くほほ笑む。

「おはよう、エステル」

 声も明らかに恋人に話しかけるような声音で柔らか過ぎる。瞳は愛と希望に満ち溢れてキラキラと輝いていた。背後から光が差している幻覚まで見えてしまって、レクスが眩しい。

「お、おはようございます……」

 目をすがめながらエステルは答えた。自分から溢れていた見えない恋心が、レクスからの愛情に押し戻されていくような感覚がする。

「朝から会えて嬉しいよ」

 にっこりと笑うレクスは幸せそうで、視界にはエステルしか入っていなさそうだった。
 そんな彼が今にもエステルを抱きしめそうに見えたのか、ルノーがエステルの腕を引いて一歩後ろに下がらせる。

「レクス、お前の自制心はどこへ行ったんだ? ダダ漏れてるよ」

 今ルノーがいることに気づいたようにレクスはそちらを見ると、スッと普段通りの少し冷たい雰囲気に変わって言う。

「いたのか、おはよう。私の自制心は一度決壊してからまだ直っていない」
「やばいな、これ。エステルが頑張るしかないよ」
「は、はい」
「とりあえずエステルは先に教室に行くんだ、早く」

 厳しい顔をしたルノーは、まるで危険人物と相対したかのようにエステルを逃がした。そして自然とエステルを追おうとしたレクスを捕まえて、「お前はこっち」と教室に引っ張って行ったのだった。


 その日は昼食の時もレクスとエステルは分けられて、男子三人はいつもの席、女子三人は少し離れた別のテーブル席に座ることになった。
 エステルを視界に入れるとレクスの表情や雰囲気が甘くなってしまうからという理由で、ルノーの計らいなのか、レクスからは見えない位置にエステルが配置されるという徹底ぶりだ。
 
「普通の番でもあそこまでならないと思うんだけど、今まで我慢してきた分、表情筋とか声の調子とかコントロールできなくなってるのね」
「馬鹿みたい」

 リシェが楽しそうに、ルイザが呆れて言った。

「でもいつもみたいに冷静なレクス殿下も格好良いですけど、感情が全部出ちゃってる殿下も可愛いです」

 そしてエステルがそう返すと、リシェは笑い、ルイザはお手上げというように目をぐるりと回したのだった。
 

 放課後になると、エステルはナトナと一緒に校舎裏の池にやって来た。

「ここに来るとまだ心臓がバクバクしちゃうけど……」

 エステルはナトナを抱き上げてぎゅっとしながら池に近づく。青く濁って底が見えない水――ここはエステルがネズミの姿で落ちた池だ。
 ここにはできればもう近づきたくなかったが、今日来たのはあることを確かめたかったからだ。
 ベルナはもう退学になったようだが、念の為周囲を見回して警戒し、危険な人物は誰もいないと確かめてからエステルは池を覗き込んだ。

「おーい」

 ナトナを抱いたまましゃがんで、指先で水面を軽く叩き、音を出す。
 ネズミのエステルが池に落ちた時、下から体を持ち上げて沈まないようにしてくれた存在が確かにいるはずなのだ。今日はそれが何なのか確かめるためにここに来た。

(たぶん魚だと思うんだけど、この池に魚なんていたのかな? それともあの日、試験のために先生が作り出した幻影動物の魚だったのかも)

 ぴちゃぴちゃと水面を叩きながらエステルは考える。しかし普通の魚でも魔法で作られた魚でも、池に落ちたネズミを助けようとする親切心を持っているものだろうか? 
 ――と、不思議に思っているエステルの視界に深い青色の物体が映った。それは水面にちゃぽんと浮かんできた小さな丸いボールのように見えたが、次の瞬間には水上に顔を出し、その正体を現した。

「……魚、いえ、ナマズ?」

 それは池の色とほとんど同じ色をした小さなナマズだった。胴体は水中にあるのでよく見えないが、丸くて大きな頭とヒゲが特徴的で、愛嬌のある姿をしている。
 
「あなたが私を助けてくれたの?」
 
 あの時エステルを持ち上げてくれた存在も、確かにつるつるした感触をしていて大きさもこれくらいだった。

「人に慣れてる? 誰か生徒に餌をもらっているのかしら?」

 小さなナマズは怖がることなく、顔を出したままエステルを見つめている。
 しかしエステルの方もナマズをよく観察してみたところで、ある事実に気づき目を丸くした。

「あなた……瞳がない?」

 普通は目がある場所にはなにもなく、ただつるりとした皮膚が広がっているだけだ。
 エステルは無言で自分が抱えているナトナを見て、またナマズを見た。そして少し間を置いて言う。

「精霊なの?」

 ナマズは何も答えなかったが、スルスルと泳いでこちらに近づいてきた。エステルが指先を近づけると、そこにピトッと顔をくっつける。

「可愛い。誰かと契約しているの? 人に慣れているようだけど。それとも元々この池に住んでいる精霊なのかしら?」

 尋ねてみても、やはりナマズは喋ることができないようだった。こちらの言葉もどれくらい理解しているか分からない。

「あなたも幼そうに見えるわ」

 ナトナと、前に見た仔イタチの精霊を思い浮かべながら言う。エステルの周りに現れるのはいつも幼い精霊ばかりだ。
 
(だけど幼いからこそ警戒心なく人に寄ってくるのだろうし、逆に大人の精霊はそう簡単に近づいて来てくれない。だから私が幼い精霊ばかり目撃するのはおかしなことではないけど……)

 しかしそれにしても、この短期間で二人の幼い精霊と出会うなんて奇跡だ。エステルは精霊に好かれるような魔力を持っているわけではないから尚更。

「うーん、どうしてだろう? 分からないけど、とにかくありがとう。あの時助けてくれたのはきっとあなたよね」

 エステルはナマズの頬を指先で軽く撫でて言った。

「助かったわ。あなたがいなければ私は死んでいたかもしれないもの。本当にありがとう」

 するとナマズはにっこり笑ったかのように口の端を持ち上げ、そして体が突然金色に光り出し、さらさらと消えていく。

「え? どうして……!」

 エステルは思わずナマズをすくい上げようとしたが、体は光の粒子になり、崩れて持ち上げられなかった。

「待って」

 消えていくのを止めようとしたが、光は拡散し、水に溶けていっているように見えた。水面がキラキラと輝いて、一時(いっとき)、見とれるほど美しい光景が広がった。
 そして光が消え、ナマズが完全にいなくなると、エステルはぺたんと地面に座り込み、池を見つめたまま呟く。

「何だったの?」

 どうして消えてしまったのだろう。前の仔イタチもそうだが、まるで役目を終えて満足したかのように金色の光になって、空気や水に溶けて消滅してしまう。

「ハーキュラに聞けば何か分かるかしら」

 自分で考えても答えは出そうにない。ルノーやマルクスにも質問してみようと思いながら、エステルは立ち上がる。
 しかし家に帰る前に、まずは竜舎に行って用事を済ませなければならない。

 ナマズの精霊のことを考えながら竜舎に来ると、ドラゴンたちは放牧地に行っていていなかった。ナトナは消えた精霊のことを気にする様子はなく、藁の山に登ったり突っ込んだり、一人で楽しそうに遊んでいる。

「あんまり散らかさないでくれよー」

 笑いながらナトナに注意した後で、リックは掃除を手伝う準備をしているエステルに話しかけた。

「エステルちゃん、実はエステルちゃんが来る前まで竜舎の掃除を手伝ってくれていた人が、もうすぐ療養から戻って来るらしいんだ」
「え? そうなんですか」

 元々雇われていた男性は体調を崩して休んでいたのだ。エステルはその代わりだった。

「元気になられたのなら良かったですね」
「うん、エステルちゃんと仕事するのも楽しかったから寂しいけど……。でも侯爵令嬢がいつまでもこんな仕事してちゃ外聞が悪いだろうしね」
「そんなことはないですが、でもちょうど私も冬学期からはお手伝いに来られないかもしれないって言おうと思っていたんです」

 エステルは手を止めて言う。ただでさえ勉強勉強で毎日忙しいのに、レクスと正式に婚約したら、今以上に社交界や行儀作法、さらに政治のことなどについても学んでいかなければならない。
 
(レクス殿下に少しでも釣り合う人物になるため、今は勉強に全力を注ぎたい)

 覚えるべきこと、身につけるべきことが多過ぎて、竜舎の掃除も手伝おうとすればどちらも中途半端になってしまうだろう。

「リックさんやドラゴンたちに会えなくなるのは嫌ですけど、ちょっと事情があって……」
「まぁ授業でも会えるし、いつでも遊びに来たらいいよ。それより事情って?」
「今はまだ言えないんですけど、言えるようになったらまた報告しに来ます」
「気になるなぁ。でも分かったよ」

 リックはそれで一応納得してくれて、しつこく聞いてはこなかった。
 そしてその日の手伝いを終えると、エステルはナトナを連れ、急いで図書室に向かおうとした。一緒の馬車で帰るルノーが、いつもそこで時間を潰して待っていてくれるからだ。
 けれど竜舎を出ると、少し離れたところにルノーとレクスが立って話しているのが見えたので、エステルはそちらに駆け寄る。

「ルノーお兄様、お待たせしてすみません。それにレクス殿下も。でも殿下はどうして……」

 レクスは放課後、教師と話があると聞いていた。だからせっかく両想いになったのに、昼も放課後もまともに会話ができなかったなと残念に思っていたのだ。

「先生とのお話はもういいのですか?」
「ああ、終わった。元々大した話じゃなかったし。それで帰る前にエステルに会いたいと思ってルノーと待っていたんだよ」

 レクスはにっこり笑って言う。エステルも嬉しくなって笑顔になり、二人の間に平和な空気が流れた。

「冬なのに、まるでここだけ暖かくなって花が咲いているみたいだ」

 ルノーはレクスとエステルの二人を見て、自分のマフラーを緩めながら呟く。

「ま、もう生徒たちも校舎にほとんど残ってないし、多少イチャついてもいいけどね」

 ルノーからの許しが出たからか、レクスは嬉しそうにエステルの手を握り、エステルとルノーの二人に言う。

「一週間後、うちの親にエステルを紹介できるよう調整してる。侯爵夫妻はその日空いてなければ、エステルとはまた別でうちの親と話をしてもらおう。とりあえず先にエステルを紹介してしまいたいんだ」
「紹介して、早く堂々とイチャつきたいだけだろ」
「否定はしない」

 レクスはつんと顎を上げてルノーに返したのだった。
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