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十三番目

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 そしてアイラたちから視線を外すと、どこか遠くを見るようにして続けた。

「ボクはマーディルの王子ですが、十三番目の王子です。つまりほとんど価値のない存在です。将来王座に着ける可能性もない。今仕事をしている会社も兄のもので、ボクの会社ではないですしね。ボクには本当に何もないんです」

 淡々と述べられたのは、意外にも自己否定の言葉だ。
 
「容姿には自信がありましたし、女性にもモテましたが、ボクに近づいてくる女性たちが本気でボクを愛しているのかは疑問でした。女性たちはきっと他に外見の良い男が現れれば、あるいは金や地位を持っている男が現れればそちらになびくでしょう。そして本当は、ボクなどよりボクの兄たちを狙っているに違いないんです。十三番目の王子より、一番目や二番目の王子の方がいいに決まっていますから。すでに妻を持っている兄も多いですが、マーディルは一夫多妻制なので、女性たちにはいくらでもチャンスはあります」

 ファザドは王子という地位にあり、外見にも恵まれた人間だと思っていたが、本当は劣等感の塊だったようだ。〝十三番目〟ということが、彼にとってのコンプレックスなのだろう。

「ボクは、ボクになびいた女性が、ボクのためにどれだけのことをしてくれるのか確かめたかったんです。だからボクのために死んでもらった。彼女たちがボクの指示に従って崖から飛び降りるのを見ると、とても安心するんです。ボクはそれだけ価値のある男だと思える」

 こちらに視線を戻して穏やかに笑うファザドに、アイラは言う。
 
「でも彼女たちが身投げしたのはお香の影響を受けていたからだろ? お前を愛していたからじゃない」

『愛していたからじゃない』という言葉にファザドはわずかに瞳を凍らせたが、次には落ち着いた口調で返した。

「たとえお香のせいでおかしくなっているのだと分かっていても、彼女たちがボクのために身を投げると安心するんです」

 ファザドは明るく友好的な異国の王子だと思っていたが、自己愛をこじらせて本性はかなり歪んでいるようだ。
 アイラは恋人の多いカトリーヌと色々な女性にアプローチするファザドは似ていると思っていたが、それは間違いだったらしい。
 カトリーヌは血を飲む変態ではあるが、きっと自分の中にある愛が大きいから色々な人を愛してしまうのだ。だからたくさんの恋人たちに愛を与えることができる。
 しかしファザドはその反対で、自分の中に愛というものが無い。だから無いものを欲しがって、他人から愛してもらうことに固執する。そして『ファザドのために死ぬ』という行為が、最上級の愛の証明だと思い込んでいるのだ。

「お前はどうしてそんなに自分に自信がないんだ? 十三番目とはいえ、王子だろ? 王族だ。王族は偉いし、王族だっていうだけで〝強い〟んだ。弱い庶民とは違う存在だ」
 
 アイラははっきりとした声で言う。

「それに自分でも言ってたように、お前は容姿は悪くない。多少調子に乗ってもいいくらいに見た目は良い。その褐色の肌の色も美しいしな。あとは語学も堪能だ。この国の言葉をぺらぺら喋っている。それに兄の会社とはいえ、そこでちゃんと働いてる。労働するなんて私はまっぴらごめんだが、お前は王族なのに働いていて偉いじゃないか」

 手足を縛られているという状況でも、アイラはいつも通り尊大な態度で話した。
 するとそんなアイラをファザドがあざ笑う。
 
「逆に聞きますが、キミは何故そんなに自信過剰なんです?」
「過剰じゃない。私は価値のある人間だから、それ相応の自信を持っているだけだ」
「いや、過剰でしょう。――もはや王女でも何でもない、追われる身なんですから」

 ファザドの口から出た『王女』という言葉に、アイラもルルも面食らった。
 ファザドは余裕の態度でアイラを見下ろして続ける。

「その反応で確信が持てました。やっぱりキミはアイラなんですね? 聖女によって城を追われた元王女の」

 揺れる船の中、ファザドは言う。

「最初に伯爵の屋敷でキミを見かけた時、とても綺麗な子だと思いました。肌は日に焼けていないし髪もちゃんと整えられていて、庶民の生まれでないことは遠くから一目見ただけでも分かりました。そして実際、自分たちはポルティカ伯爵の遠い親戚であるとキミたちは説明した。だから貴族なんだろうなとは思っていたんです。だけど街に出る時はそんなふうに地味な格好をしているので違和感を感じました」

 アイラやルルの今の格好も、庶民のように質素だ。

「キミたちは『異国の人攫いに攫われないように地味な格好をしている』と言っていましたが、それなら護衛をつけた方がいいでしょう? でもそうはしなかった。それに伯爵にキミたちのことを聞いても、『親戚の子を預かっている』とそっけなく説明するだけでした。まるでキミたちのことをボクに知られたくないというような態度だったです。でも何か訳ありなのかなとは思うだけで、最近までキミの正体には気づきませんでした」

 アイラは口を挟まずファザドの話を聞いていた。縛られている縄を何とか解けないか、ごそごそと手首を動かしたりもしたが、全く緩む気配はない。

「気づいたのは、聖女がこの街にやって来るという話を聞いた時です。聖女という言葉で、その聖女によって断罪された王族たちのことを思い出しました。国王夫妻と王子は殺されたが、王女は逃げて行方知れずだという話を。それで王女とキミが繋がったんです。きちんとした根拠のない、ただの勘のようなものですけど。でもキミって怖いもの知らずというか、ボクにも最初から偉そうな態度を取っていましたしね。元王女なら納得だなと思って」

 そこまで言うと、ファザドの表情はまたにこやかになった。

「キミはボクの一番上の兄に似てますね、アイラ。自信過剰で傲慢だ。こんな状況でも偉そうにボクのことを睨みつけてくる。きっと生まれた時からちやほやと持てはやされてきたのでしょうね。マーディルとは違って、この国で王女は一人だけですし。だけどキミのその自信を、この船の中で少しづつ削り取ってあげますよ」

 そこでファザドは立ち上がり、座っているアイラの胸ぐらを掴んだ。そしてそのままアイラを力任せにベッドへ放る。

「……っ」
「アイラ!」

 ベッドなので痛くはなかったが、アイラは目をつぶって衝撃に耐えた。ルルは思わず立ち上がろうとしたが、足を縛られているのでどうにもならない。
 ベッドの上で仰向けになっているアイラが再び目を開けると、ファザドがアイラの顔の横に手をついて、歪んだ笑みを浮かべていた。

「船が沖に出てもキミのことは殺しません。この船で奴隷のように扱って、そのプライドを徹底的に折ってあげます。そうすればマーディルに着くころにはしおらしくなっているでしょう。他国の王女を奴隷にするというのは気分が良い。自分がそれだけすごい存在になったのだと思えます。兄上たちだって元王族の奴隷は持っていないですからね」

 そうしてアイラの頬に手を添えると、口調だけは優しく言う。

「船がマーディルに着くまで一か月。その間にキミのことを変えてあげましょう。ボクのために死ねるような女性にしてあげますよ」

 しかし劣等感の塊であるファザドに対して、アイラも負けていなかった。何故ならアイラは良くも悪くも自尊心の塊だからだ。

「そんなの無理だ」

 アイラは澄んだ薄い青の瞳で、ファザドの濁った瞳を見つめ返す。

「たとえお前にひどい扱いを受けたとしても、私が自分に自信をなくすことはない。だってひどいことをしているのはお前なんだから、お前がどんどん最悪な人間になっていくだけだろう?」

 そして思い通りの反応を見せないアイラにイラつき始めた様子のファザドに向かって、叱るように言う。

「お前は持っていないものばかりに目を向けて自分を憐れんでいる。だが、お前は一般庶民に比べてたくさんのものを持っている。地位に権力、金。それにある程度の美貌や若さだってある。十三番目の王子という立場も気楽でいいじゃないか。王子でありながらプレッシャーはない。お前は恵まれてる。本当ならそれを自覚して、自分より恵まれていない弱い者を助けないといけないんだ」

 強い者は弱い者を助けないといけない――。その考えは誰かから教えられたものではない。もちろん両親や兄はそんなこと言っていなかったし、しいて言えば賢王サンダーパトロスの伝記で目にしたくらいだ。
 けれど伝記を読む前から、アイラの心には弱きを助ける考えが根付いていた。それは『疲れたら眠る』のと同じくらい自然なことで、本能のようなものだった。
 
「ティアのことだって、お前は本来手助けしてやらないといけなかった。あいつは元奴隷で、元奴隷っていうのはこの国ではまだ地位が低いんだ。色々な苦労があるはずだから、それを私たちがなくしてやらないと」
 
 そう言われて、ファザドは内心腹が立っているのをにじませた声音で返す。

「ボクに説教ですか? キミは本当に傲慢ですね」
「傲慢なのはお前だろ。じゃなきゃ他人の命を奪ったりしない」

 言い返してくるアイラについに怒りをあらわにし、ファザドはアイラの首を掴んだ。

「お前はこの状況を分かってるのか? ボクの機嫌が悪くなれば自分がどうなるのか分からないのか!?」
「アイラっ!」

 ルルがアイラを心配してまた叫ぶ。しかし当のアイラは首を絞められかけていても恐怖することはなかった。それは、自分には絶対的な力があることを知っているからだ。
 アイラが瞳に力を込めてファザドを睨むと、ファザドは人形のように簡単に後ろに吹き飛んだ。

「ぐッ……!」

 狭い船室の中でファザドはすぐ壁にぶち当たり、床に転がってゲホゲホと咳をする。背中を強くぶつけたのだろう。

「逃げた王女の話を聞いたことがあるのなら、その王女は魔力を操るという話も聞いたことがないか?」

 アイラは手足を縛られている状態ながらも何とか上半身を起こし、ベッドに腰掛けた。
 そしてファザドを見下ろして言う。

「お前が私を奴隷にするって? 笑わせるな」

 縛られていてもアイラの態度は堂々としていた。魔力を持つ自分が負けることはない、という余裕もあるが、たとえ魔力を持っていなかったとしてもファザドに恐れを抱くことはなかっただろう。
 ファザドは精神的にアイラよりもずっと幼稚だと分かったので、軽蔑の感情しか湧いてこないのだ。

 ファザドは恐らく、一人で勝手に『十三番目の王子』という立場に劣等感を抱いてそれをこじらせただけだと思うが、兄や周りの人間たちから存在を軽んじられるようなことをされてきた可能性もある。
 それならばいくらか同情するが、しかしそうだとしても、何の関係もない異国の若い娘たちを殺して良いわけがない。
 自尊心を満足させるために自分より弱い者に矛先を向ける、という手段を取った時点で、人間として最低なのだ。だからそんな人間を恐れることはない。

「何だ、今のは……。魔法か? しかし呪文も何も唱えずに……」

 ファザドは混乱しながら言い、立ち上がった。まるで獣と対峙するようにアイラのことを警戒し、腰にぶら下げていたナイフを構える。
 しかしアイラはもちろんナイフにも怯えることはない。

「魔法とはちょっと違うな。魔法を使うには呪文や魔法陣が必要だけど、私の力はもっと単純で自由だ。炎や水は出せないし複雑なことはできないが、感覚的に魔力を操れる。ところでそのナイフを下ろさないなら、もう一度吹き飛ぶことになるぞ」

 アイラは警告したが、ファザドはナイフを下ろさなかった。まだアイラの力の無敵さを理解していないので、隙を突けば勝てるんじゃないかと思っているようだ。
 そうして、じり……とファザドが足を前に出しかけた瞬間――。
 ファザドの体は今度は右に飛び、床に座っていたルルの前を横切って船室の奥の壁にぶつかった。

「うう……」

 後頭部を抱えてファザドがうめく。ナイフはぶつかった衝撃で手から離れ、床に転がっている。
 アイラは落ち着き払って言う。

「いいか、お前は船員たちに言って船を港に戻させるんだ。言うことを聞かないと、この船室の中で延々と吹っ飛んでは壁に激突することになるぞ」
「ま、待て……分かった、船を戻す……。だからもうやめてくれ。言うことを聞くから……」

 ファザドは弱々しく言って立ち上がると、よろけながら廊下側の扉に向かった。そしてドアを開けて外に出ると、素早くドアを閉めてカチャリと鍵をかける。

「船を戻すってさ。これで港に帰れるな」

 ニコッと笑うアイラが可愛かったので強くは責められなかったが、ルルは焦ったように言った。

「いえ、アイラ。ファザドは逃げたんですよ。先に我々の縄を解かせるべきでした」
「でも逃げたって言っても、ここは船なんだから周りは海だぞ。もともとは私たちが逃げられないように船に誘い込んだのかもしれないが、逃げられないのはファザドも同じだ」

 もうお香の効果は切れているはずだが、アイラは危機感を感じていないようだ。
 ルルはため息をついて提案する。

「この縄、アイラの力で千切ることはできますか?」
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