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マドーラの革命(1)

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 ルルはリビングを出ると小走りで廊下を進み、アイラが寝ている物置部屋に向かう。廊下には灯りがないが、カーテンのない窓から差し込む月明かりでうっすらと前は見える。本気で走る間もなく、狭い家なので物置部屋にはすぐに着いた。
 何も異常なくアイラが一人で寝ている可能性を考え、ルルは静かに扉を開ける。

「アイラ?」

 棚に囲まれた小さな部屋の床で、アイラは確かに寝ていた。毛布を敷いて、その上で仰向きの体勢ですやすやと寝息を立てている。
 しかし寝ているアイラの上にはフォンクが覆い被さっていて、ルルの声に反応してハッとこちらを見た。

「何だ、お前か。もう酒盛りは終わったのかよ?」

 フォンクは悪びれる様子なく、四つん這いの体勢のままアイラの胸の辺りに片手で軽く触れると、ルルに向かって言う。

「なぁ、こいつって……」

 だがその瞬間、ルルが部屋に入ってきた勢いのままフォンクの脇腹を蹴り飛ばした。
 低いうめき声を漏らしてアイラの横で床に転がるフォンク。

「……っ、お前っ」

 脇腹を抑え、相手を睨みつけながら立ち上がろうとしたフォンクの胸ぐらを掴むと、ルルは今度は頬を拳で殴る。
 そして再び床に転がったフォンクの胸ぐらをもう一度乱暴に掴み、持ち上げ、顔を近づけて脅すように言う。

「何やってんだ、お前」

 地を這うような低い声と、過去に人殺しの経験でもあるのではと思うほどの冷たい瞳を見て、フォンクの威勢はスッと引っ込んだ。ルルは細身だし性格も穏やかな印象だったが、キレたら怖いのだと察したのだ。

「いや、あのぉ……」

 恐ろしい形相で睨みつけてくるルルに怖気づき、冷や汗を垂らしながらフォンクは言い訳する。

「ちょっと酔ってて……! こいつすげぇ綺麗な顔してんなって思ってたし、興味あっ――」

 最後まで言い終わらないうちにフォンクはもう一発ルルにぶん殴られた。隣ではアイラがのんきに眠ったままだ。
 瞳孔が開ききっているのに感情の見えない氷のような声でルルは言う。

「俺も酔ってるから手加減できるか分からない」

 このままでは自分の命が危ういと思ったフォンクは、そこでやっと頭を下げて本気で謝る。

「わ、悪かったって! すまん! もう二度としないっ!」

 謝るのならアイラにだろとルルは思ったが、ぐっすり寝ているアイラを起こすのは忍びないし、襲われるところだったと伝えて怖い思いをさせるのも可哀想なので、一生許す気はなかったものの、とりあえずそこで拳は収めた。

「消えろ。今度ライアに何かしたら魔法で去勢するぞ」

 そんな魔法があるのかどうかは知らなかったが、ルルは吐き捨てるように言う。フォンクは大人しく扉の方へ下がりながらも、どうしても気になったようでこう尋ねてきた。

「なぁ、ライアって女だよな? どうして男の振りしてるんだ?」
「お前みたいなクズがいるから」
「……なるほど」

 辛辣なルルの言葉にも、これ以上なく納得してフォンクは部屋を出て行ったのだった。
 

 翌日、フォンクがルルに対してやけに低姿勢になっていたが、アイラはその理由に気づくことはなかった。フォンクも自分がアイラを襲おうとしたことを家族に知られたくないようで、アイラが女であるという秘密を口外することはなかった。

「ルルさん、俺の分のパンも食べますか?」
「……フォンク、お前どうした?」

 朝食時、ルルの前で好青年を演じている弟に、ベルトはいぶかしげに片眉を上げる。アラドやバーラも息子の様子を不審がっていたが、フォンクは「別に何でもない」と言うばかりなので、早々に興味を失って問い質すのを止めた。

 その後、アイラとルルは昨日と同じように養豚の手伝いをしながら一日を過ごした。ほとんど戦力にはなっていなかったものの、真剣に仕事をしていると、それを見ていた他の村人が声をかけてくれたり差し入れをくれたりして、アイラたちは徐々に村に馴染んでいった。
 そうして四日が過ぎた頃――。

「なぁ、ライア! ルルさん! 隣のアルケ村に遊びに行かないか?」

 夕方になって仕事を早めに終わらせると、フォンクがそう誘ってきた。隣にはベルトもいるので兄弟二人で出かけるつもりのようだ。

「隣村ってどれくらい遠いんだ?」
「すぐそこ。歩いて一時間もかからない」
「えー?」
「どうせ夕飯までまだ時間あるし、暇だろ」

 歩いていくのは気乗りしなかったが、フォンクが強く誘ってくるので結局アイラとルルも行くことになった。

「父さん、ちょっとアルケまで行ってくる」

 ベルトが声をかけると、アラドは少し渋い顔をした。

「またか? あまり遅くなるなよ。特にフォンクは騒いで迷惑をかけるんじゃないぞ」

 どうやらベルトやフォンクはしょっちゅう隣村に遊びに行っているらしい。

「こっちの村には若者が少ないんだよな。アルケには同年代の友達がたくさんいる」

 フォンクはアイラにそう教えた。
 そうして四人で歩いて隣村に向かう。夏なので夕方といってもまだ明るく、動けば汗ばむ陽気だ。
 ほどなくしてアルケ村に着くと、ベルトとフォンクは村の外れにある大きな豚小屋の裏で足を止めた。

「こんなところで何故止まるんだ?」

 てっきり誰かの家を訪ねるのかと思ったが、ここが彼らの目的地らしかった。
 ベルトは真面目な調子で言う。

「俺たちはいつもここで集会を開いてるんだ。秘密の話も豚の鳴き声にかき消されて都合がいいからな。もうすぐみんな来るぞ」
「集会? 飲んで騒ぐことを集会って言ってるのか?」
「いや、俺たちは真剣な話をしに来てるんだ。お前たちもこの先マドーラで暮らすなら、俺たちの仲間になった方がいい」
「何の話だ?」

 そんな会話をしているうちに、村の若者たちが続々とこの場所に集まってきた。男が多いが女もいて、みんな全員十代後半から二十代の若者だ。
 フォンクはアルケ村に『遊びに行く』と言っていたが、集まってきた彼らの表情はどこか真剣で、これから酒を飲んで若者らしくバカ騒ぎする雰囲気ではなかった。
 ルルは周囲のその空気を察して、一歩アイラに寄る。何かややこしいことに巻き込まれそうな気がしたのだ。

「ベルト、その子たちは?」
「うちに居候してるライアとルルだ」

 アルケ村の若者に聞かれてベルトが答える。さらにアイラたちがマドーラに来た事情も詳しく説明した。

「元貴族? それにポルティカ伯爵の知り合いなんだろ? 信用できるのか?」

 アイラたちを疑うように見てきたのは、短い黒髪の精悍な雰囲気の若者だった。服装はいかにも田舎の若者という感じであか抜けないが、顔立ちは悪くない。ここにいる男性陣の中では一番目を引く。そしてベルトとちょっと雰囲気が似ていて真面目そうだ。
 ベルトは彼のことをアイラたちに紹介してくれた。

「こいつはジス。俺と同じ歳で、一応俺たちのリーダーだ」
「リーダー?」

 アイラの疑問に答える前に、ベルトはジスにこう返す。

「この二人がポルティカに行って伯爵に俺たちのことを密告しようとしても、今からじゃもう遅いだろう。問題ない。それに二人は生まれが貴族だったせいで落ちぶれて大変な目に遭ってるわけだし、俺たちと同じく貴族を憎んでる仲間さ」
「憎んでる?」

 アイラはまたもや首を傾げた。そもそも嘘の設定だが、貴族を憎んでるとは言っていないはずだ。ベルトの中で勝手にそういうことになっているのだろう。
 そしてフォンクがこう続ける。

「それにルルは魔法が使えるんだ。これはかなり助けになるだろ?」
「え、本当?」

 パッと瞳をきらめかせたのは、ジスの隣に寄り添うように立っていた綺麗な女性だった。金髪の長い髪をしていて、大人しそうだが大人っぽい雰囲気の美人だった。

「少しでも戦力になる人がいてくれたら助かるわ。誰にも死んでほしくないもの」

 そう言って女性は隣にいるジスを見つめた。「誰にも」と言ってはいるが、一番にジスのことを心配しているらしい。この美男美女の二人は恋仲なのだろうと鈍いアイラでもすぐに察した。
 フォンクはルルの方に顔を向けて言う。

「なぁ、ルル。この前言ってたじゃんか。『魔法で去勢する』とか何とか」
「お前たちどういう会話してるんだ」

 ベルトが引き気味に言ったが、ルルはそれを流してフォンクに答える。

「少し使えるだけですよ」
「すげぇ攻撃魔法とかも使えるのか?」
「いえ、攻撃魔法は苦手なので、勉強してかなり練習しないと無理です」
「なんだ……」

 フォンクも、他のみんなも少しがっかりして呟く。
 ルルは片眉を上げて言った。

「攻撃魔法が必要なんて、あなたたち一体何を企てているんですか?」

 するとジスが一歩前に出てきて、胸を張って言った。

「俺たちは革命軍だ。聖女や王都の騎士たちが前国王を処刑したように、俺たちも近いうちに領主を討ってマドーラを変える」
「革命……」

 ルルは険しい顔をして小さく呟いた。アイラは表情を変えずにジスを真っ直ぐ見て話を聞いている。

「俺たちの仲間はここにいるので全員じゃない。アルケやムスト以外の村にも仲間はいる。全部で百人くらいかな」
「たったそれだけですか?」
「十分だろ。マドーラの領主の屋敷には護衛の騎士は百人もいないんだ。数はこっちの方が勝ってる」

 ジスはそうルルに答えた。ルルは今度はベルトやフォンクの方を見て尋ねる。

「このこと、アラドさんたちは知っているんですか?」
「いや、親父たちは知らない。前に親父も協力してくれって訴えたけど、親父は革命を起こすことに反対したんだ。俺たちが本気だと思ってないかもしれない」
「でも本気だって分かったら止めてくるだろうから、今は秘密にしてる。お前たちも親父たちには言うなよ」

 フォンクはルルやアイラに釘を刺した。
 そこでアイラが口を開く。

「お前たちとアラドたちで意見が分かれているのは何故なんだ? ここにいるのも若者が多いが、何故お前たちは領主を討ちたい? そして何故アラドたちはそれに反対するんだ?」
「年寄りは危険を冒したくないんだろう。それに変化を嫌がる。何よりも現状維持を優先して、理不尽なことをされても反抗しないんだ。歳を取ったらそうなるんだろう。仕方がないと理解してる」

 ジスは腕を組んで言う。そしてベルトが説明を続けた。

「俺たちが革命を起こすのは、領主の圧政に苦しんでのことだ。俺たちは理不尽と戦う」
「圧政って、例えば?」
「俺たちが奮起するに至ったきっかけは、領主の厳しい徴税だ。隣国との戦争に備えるためという名目で突然税を課せられた。戦争なんて実際には起きる可能性は少ないだろうに、俺たちが豊かになりすぎないよう、領主が都合よく理由をつけたんだ」
「俺たちマドーラの領民は、昔に比べると段々と生活に余裕ができてきている。数十年前から始めた養豚業が上手くいってるからな。でも領主は俺たちが豊かになって力をつけるのが怖いんだ」

 ベルトとジスが順々に喋る。そこで他の若者も口を挟んだ。

「それに元々、うちの領主は人望のある領主じゃなかった。最初から印象も悪いんだ。偉そうだし、せこいし、俺たちのことを下に見てる」
「うちの領主は王族と遠い親戚だから、一応王家の血が流れてるってことを誇りに思ってんのさ」
「でも聖女様によってエストラーダ革命が起きた後じゃ、王家との繋がりなんて何の価値もないけどな。むしろ家柄だけで領主になった無能だと喧伝してるようなもんだ」

 王族のこともまとめて散々な言われようだが、王族が無能であったことは間違いないのでアイラは何も反論しなかった。アイラには魔力があるので無能ではない、と自分では思っているが、その他の分野では特に何の能力もないことも自覚している。

「話をまとめると、元から印象の悪かった領主が厳しい課税をしてきたからあなたたちの怒りが爆発した、ということですか?」
「それだけじゃない」

 ルルの言葉に、ジスがさらに説明を続ける。

「テレジアが領主の息子と無理やり結婚させられそうになっている」

 ジスは自分の隣にいる恋人に視線を向けて言った。

「テレジアは俺の婚約者だが、領主の息子のマーカスに目をつけられて、数日中に結婚することになってしまった」
「私はジスとしか結婚する気はないけれど、断ると家族もろともマドーラで生きていけなくしてやるぞと脅されて……」

 テレジアは自分の両手をぎゅっと握って泣きそうな顔をする。彼女は美人だから目をつけられるのも分かる。
 領主の息子は公爵家の跡取りなわけで、普通なら結婚を申し込まれたら庶民の女性は喜ぶかもしれないが、テレジアには婚約者がいるのだ。
 しかも……とアイラはあごに手を当てて考えた。
 
「領主の息子のマーカスって、四十半ばくらいだよな。まだ結婚してなかったのか」
「ああ、未婚だ。今まで気に入る娘がいなかったらしい。自分のことは棚に上げて理想が高いんだろ」

 ジスは不快そうに言う。確かにアイラの記憶にあるマーカスはお世辞にも美男子とは言えないし、性格もアイラの兄や、アイリーデ公爵の息子トロージに似ている。つまり自分は何も成していないのに生まれつきの地位だけで威張りくさっているのだ。
 
「じゃあお前たちは、テレジアが連れて行かれる前に領主一家を討つつもりなのか」
「マーカスがテレジアに目をつけたのも、戦争に備えるための徴税も最近のことだから、少し急な企てではある。だが俺たちの意思は固い」
「領主はもう七十歳を超えてるし、爺さんにはもう引退してもらわないと。俺たちで変革を起こすんだ」

 ジスに続いて他の若者が血気盛んな様子で宣言する。
 そしてベルトもこう続けた。

「聖女様がエストラーダにしたように、俺たちもマドーラに新しい風を吹かせる。実際、聖女様も俺たちの計画には賛同してくれてる」
「どういうことですか? 聖女が関わってる?」

 尋ねたのはルルだ。アイラに危険が及ぶ可能性があるため、聖女という単語にはつい過敏に反応してしまう。
 ベルトは弟のフォンクをちらりと見ながら説明する。

「エストラーダ革命の直後に、俺はフォンクと一緒に仕事で王都へ行ったことがあってな。その時に時間を作って聖女様に会いに行ったんだ。ちょうど王城で聖女様と謁見できる日だったから」
「国民の要望を聞くために聖女様がそういう日を設けてたみたいだ。今は忙しくなっちまったらしいけど、革命の直後は謁見日がよくあった」

 フォンクがそう付け加え、さらに続けた。

「それでその時すでに領主に不満を持ってた俺たちも城に行って、聖女様と話ができた。順番を待ってる人が大勢いたから少しだけな」

 そして今度はベルトが言う。

「その時、俺たちはマドーラでも革命を起こそうと考えていると話した。そしたら聖女様は俺たちに賛同してくださったんだ。うちの領主は王族の遠縁だから、聖女様も危険視してるって。だから若い俺たちが革命を起こす気なら、それを応援すると」

 それを聞いて、アイラはほんの少しだけ眉をひそめた。応援すると簡単に言うが、実行するのはマドーラの若者たちだ。そして反乱や革命は遊びじゃない。多くの若い命が失われる可能性がある。

 きっとサチは〝王族〟というものを嫌悪しているのだろう。この国の王族はみんな酷い人間だと思っているのかも。
 実際そういう部分はあるし、サチが兄にされたことを思えば、王族と名のつくもの全てを憎むのも仕方がないのかもしれない。

 そしてマドーラ公爵は、前国王が治める旧体制下で、王族の遠縁という立場から大きな権力を持っていた人物でもある。公爵という爵位は、王族と血の繋がりのある家系のみが授かるものだから。
 それ故、元王族であるアイラを手助けし、サチの敵となる可能性が高いと疑って部分もあるだろう。それは当然の警戒だ。

 けれどそれでも、やはり簡単に革命を起こすことを勧めるのは、アイラには理解しがたかった。
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