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繁栄の巫女(6)

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「理世ちゃん! 理世ちゃんも無事だったの!? よ、よかったぁ……! 私、本当に心配してっ……」
「白々しい」

 リセが無事だと分かって喜ぶシズクに、エミリオが辛辣に呟く。確かにちょっと大げさに喜びすぎな気がする。
 そしてニコッと笑うとシズクに言った。

「リセのおかげで僕たちも助かったんだ。リセがこの大きな子猫を連れてきてくれてね。たぶん幻獣だと思うんだけど、この子が僕たちを助けてくれた。幻獣に懐かれるなんて、リセってすごいよね」
「懐く?」
 
 シズクはキッと目を吊り上げて私を見た。なんで睨む?
 とりあえず私も負けじとシズクを睨み返しておく。お前なんて私の猫パンチで一発だぞ。
 一方、リセは疲れもあって力なくエミリオの言葉を否定する。
 
「私がすごいなんて、そんなことは……」
「そうですよ。幻獣と言っても、ただ大きいだけの子猫でしょ。そんな生き物に好かれても、特別すごいわけではないと思いますけど」
「でもこの子は星降る森の中で迷うことなく僕たちを道案内してくれた。それだけでも貴重な存在だよ。森を熟知していて、人間に協力的な幻獣なんてね。だけどそれだけじゃなく、この子は星を見つけるのも上手いんだ。疲れている僕やカイルのために命星を探して持ってきてくれたんだよ」
「それはすごい!」

 驚いたように言ったのは、騎士の人たちだ。

「幻獣が人に懐くなんてことはないと思っていましたが、友好的なものもいるのですね」
「このまま飼い慣らせるでしょうか?」

 最早騎士たちの私を見る目に恐怖はなく、興味津々にこちらを見てくる。
 けど、私を簡単に飼い慣らせると思ったら甘いよ。私は自由を愛する猫だから誰にも懐かないもんね。

「何という種族なのでしょうね?」
「さぁ、分からないな。それこそ賢者にでも聞いてみないと。だけどその賢者も、ずっと世界中を旅していてどこにいるのか分からないようだけどね」

 騎士の疑問にエミリオが答える。賢者って、ハロルドのことかな。今は世界中を旅してないし、この森の西側に家作って勝手に住み着いてるけど。
 
「ミャーン」
「どうした、三日月? お腹でも空いたのかい?」

 一応森の方を前足で指して教えてみたけど、エミリオたちにはちっとも伝わらなかった。
 彼らは東のトルトイ出身、ハロルドは西のオルライト出身って言ってたから、国は違うけど賢者の存在は世界的に知られているのかな。

「今回のことで思ったんだけど……」

 エミリオは冷静に話を切り出す。

「リセも『繁栄の巫女』なんじゃないかな? あるいは、リセ〝が〟『繁栄の巫女』か」
「なっ……」

 息をのんで目を見開いたのはシズクだ。信じられない様子でエミリオの方を見ている。

「何を言ってるんですか!? そんなこと……! 私を侮辱するつもりですか!?」
 
 シズクは声を荒げて怒り出した。人間って怒ると顔も真っ赤になるみたい。変なの。

「だってリセは三日月を手懐けたんだよ。星を見つけるのが上手なこの子猫を。つまりこの子に協力してもらえば、リセは貴重な星をいくらでも得ることができる。しかもさっきも言った通り、三日月は森を熟知している。この子といれば、希少な生き物や星があるこの森を自由に探索できるんだ」

 エミリオは子供に話をするように丁寧に言う。
 特に面白くない話なので、私は地べたに座り込んだ。私が動くと、周りにいた騎士たちが一瞬びっくりしてちょっと距離を取る。
 森の外ではまだ夜は少し肌寒いので、脚をきちんと折りたたんで香箱座りをした。何だか森に戻るタイミングを逃してしまったな。もう帰ってもいいかな。

「その大きな子猫を使役することが国の繁栄に繋がるから、繁栄の巫女は理世ちゃんだってことですか?」

 シズクはエミリオをねめつけて言う。そして怒った顔のまま私の方にズカズカと近づいてくると、手を伸ばして鼻を撫でようとしてきた。

「私だって幻獣を懐かせることくらいできます!」

 しかしシズクに触られる前に、私は素早く立ち上がって彼女から離れた。大きな声を出す人も、ズカズカとこっちに近づいてくる人も苦手だ。
 私が犬だったら多少我慢して撫でさせてあげただろう。リセの友達ならって考えて。でも、悪いけど猫は忖度しないんだよ。

「懐かなかったね」

 エミリオは笑顔で言う。この人ってたぶん、性格悪くはないけど良くもないと思う。リセには優しいし、私は嫌いじゃないけどね。
 シズクは勢いよくエミリオの方を振り返って強い口調で言う。

「私を偽物扱いなんてして、どうなるか分かってるんですか? あなたはまだ王子でしょ? 私や理世を召喚した国王陛下は私の味方なんですよ? 繁栄の巫女である私や国王陛下に逆らえば、王子であるあなただって立場は悪くなるわ」
「父上のことなんて怖くはないよ。国民も臣下も、みんな父上の愚かさに気づいている。大量の魔力星を消費したのに今のところ何の恩恵もない異世界人の召喚も含め、今まで行ってきた暴挙に辟易しているんだ。僕の味方はたくさんいる」
「あまり私の機嫌を損ねるようなことしないで。本当に怒りますよ?」

 シズクは眉を吊り上げ、ギリリと奥歯を噛む。
 周りの騎士たちは静かに事の成り行きを見守っているが、シズクの味方をしようと声を上げる人もいない。
 ただリセだけが悲しげな、そして心配そうな顔をしてシズクを見ている。

「怒りたいのはこっちだよ」

 エミリオは笑顔を消すと、冷たい声で言った。

「星を集めれば日本に帰れるとか、この森に危険はないとか、僕と婚約したとか、一体リセにいくつ嘘をついたんだ? 君はリセを疎ましく思って、殺そうとしていたんだろう?」
「こ、殺す……!?」

 シズクは目を見開いてエミリオの発言に驚いている。

「殺すなんてそんな! 私が理世ちゃんを!? ありえないです!」
「だったらどうして嘘をついたんだ? リセをこの森に来させるような嘘を」
「……っ」

 エミリオに問い質されると、シズクは言葉に詰まって下を向く。

「静玖ちゃん……」

 リセはシズクを見つめて悲しげに呟く。
 そんなリセの視線を受けると、シズクは顔を上げて勢い良く喋り出す。

「星を集めれば日本に帰れるっていうのは、私は嘘をついたつもりはなかったんです! 呼び出す魔法があるなら帰る魔法もあると思うでしょう? 星さえたくさん集めれば帰れると思ってた。だから理世ちゃんにもそう言っただけ。私は今の巫女の地位は捨てがたいけど、理世ちゃんが日本に帰りたいって言うなら、星を取ってきてくれれば二人で帰るのもまぁいいかと思って」
「ん? 二人で?」

 エミリオはシズクの反論に引っかかったみたいだけど、シズクの話は止まらない。

「この森がそんなに危険な森だってことは、本当に私も知らなかったんです。何より、理世ちゃんが一人で行くとは思わなかった。私は巫女の仕事があるからついて行けないけど、代わりに騎士たちを連れて行くだろうと思ってたんです。でも、理世ちゃんは人に頼らないだろうって気づくべきでした」

 シズクは反省しているみたいに目を伏せる。

「婚約のことは……確かに噓をつきました。理世ちゃんが殿下のことを気にしてる様子だったので、殿下のことを本気で好きになる前に先手を打ったんです。別に私は理世ちゃんの恋人になりたいわけじゃないんですけど、理世ちゃんに恋人ができるのは嫌っていうか……」
「は?」

 エミリオは驚きのあまり雑に聞き返した。私もちょっと混乱してる。何か話が予想と違う方向に進んでいる気がした。リセやカイルもぽかんと口を開けているし。
 私たちを置いてけぼりにして、シズクは晴れやかな笑顔で言う。

「私の理世ちゃんに対する感情を言葉にするのは難しいんですけど、まぁ、好意と憧れと独占欲ですかね。ふふ」

 照れ臭そうに笑うシズクに、エミリオは戸惑いを隠さず返した。

「いや、そこで照れられても……。つまり……えーっと、何? どういうことかな?」
 
 エミリオが静かに狼狽している。気持ちは分かる。つまらない話だと思っていたけど、私も俄然興味が出てきた。

「シズクはリセのことを嫌ってるんだよね?」
「まさか! その逆ですよ。大好きです」
「でも君、リセを自分の使用人にして喜んでただろう?」
「そりゃ喜びますよ! 理世ちゃんが私のお世話をしてくれるんですから!」
「……でも最近、城の人間に好かれ始めたリセを疎んでる様子だった」
「理世ちゃんのことは疎んでません。理世ちゃんが私以外の人と仲良くなってしまって、ヤキモチを焼いてたことは認めますけど」
「そう……」

 エミリオは何と言っていいか分からない表情をして小さく返事をする。人ってこんなに分かりやすく戸惑うことあるんだなぁ。

「この幻獣が理世ちゃんだけに懐いたのも面白くないです。この幻獣、私から理世ちゃんを取ろうとしているのかも」

 シズクは私を見上げて言う。私をライバル視するな。よく分からないけど巻き込まれたくない。
 リセはぽかんとした顔のまま尋ねる。

「静玖ちゃん、ええと……。私のことは本当に嫌いじゃないの?」
「もちろんよ! 美人でおしゃれで勉強もできて、完璧な理世ちゃんはずっと私の憧れ。それに何より、理世ちゃんは私に優しくしてくれたから。こんな地味な私にも平等に笑いかけてくれた」
「でも、この世界に来てから、静玖ちゃんの態度が変わってしまったと思っていたんだけど……」

 リセがおずおずと言うと、シズクも恥ずかしそうに認める。

「そう、ちょっと調子に乗っちゃったかな。陰キャがちやほやされたら浮かれちゃうのもしょうがないでしょ? それにこの世界では理世ちゃんに私以外の友達はいない。理世ちゃんは私を頼るしかないし、その状況が心地良かった。でも理世ちゃんのことはずっと変わらず大好きよ」
「そうなんだ……」

 喜んでいいのかどうしていいのか分からない様子でリセは呟く。シズク以外の全員、シズクの本音を受け入れるのに時間がかかっている。
 
「僕は君のことを性根の腐った人間だと思っていたけど――」
「ハァ!?」

 エミリオの遠慮のない言い様に、シズクが若干キレ気味に返す。

「――思っていたよりは悪い人間じゃないのかもしれない。リセを心配するあまり、想像の中で君を悪者に仕立て上げてしまったようだ。でも、うーん……まともな人間でもないんだよなぁ」
「え? 何です? 最後、何か言いました?」

 シズクが尋ねるが、エミリオは改めては言わなかった。
 カイルに背負われたままのリセも、申し訳なさそうに謝る。

「私も、静玖ちゃんを疑ってしまってごめんなさい」
「いいのよ。気にしないで」
「そうだよ、リセが謝る必要はない。悪いのは色々勝手に推測してしまった僕と、僕に勘違いされるような言動を取っていたシズクだから。僕と婚約したって嘘をついたり、元の世界に帰るための魔法があるなんて調べてもいないことを言ったり、おかしな独占欲をリセにむき出しにしたりして……。シズクも反省して、リセに対する態度を改めてくれ」

 エミリオにそう言われると、さすがのシズクも少し改心した様子で「分かりました」と返事をした。
 しかし続けられたエミリオの発言には強く反発する。

「それから、『繁栄の巫女』というシズクの地位は剝奪する」
「えぇー!? 嫌ですよ! 何でですか!」
「そもそもシズクが繁栄の巫女だっていうのも君の自己申告だからね。二人のうちどちらが繁栄の巫女かって僕の父に聞かれた時に、シズクが『私です』って言っただけのこと。最初はそんなに自信満々に言うなら本物なんだろうと思ってたけど、シズクの人となりを知った今となってはその発言は信用できないし、実際君はこちらの世界に来てから何もしていない。ただ贅沢をしているだけだ」

 繁栄の巫女って自己申告だったんかい、と私は心の中で思った。適当だな。
 シズクは眉間にしわを寄せて怒りながら言う。

「だって異世界召喚とかで巫女とかになるのは私みたいな地味っ子なんです! 実はすごい力を持っていたって設定が多いから『私が巫女だ!』って思ったんです。それに私、この世界の人に日本にある製品のこと色々教えてあげたじゃないですか。車とか携帯電話とか、テレビとかエアコンとか、便利な物のことを!」
「まぁ、シズクがそれらの構造や作り方を知っていたなら、うちの国の文明も進んで繁栄したかもね。でも君はそこまでは詳しくなかった」

 エミリオに言い負かされると、シズクは今度は泣きそうな顔をして駄々をこねる。

「繁栄の巫女の地位を手放したくないです! せっかく理世ちゃんのこと好きにできる立場なのに!」
「やっぱり性根が腐ってるよね、君」

 呆れたように言った後、エミリオは冷静な口調で続ける。

「いいかい? 君が繁栄の巫女の地位を捨て、リセに執着しない、迷惑をかけないと約束するなら、まだ城に置いておいてあげよう。本当は城から放り出したいくらいだけど、君もリセと同じく、父上によって勝手にこちらの世界に呼び出された被害者でもあるからね。父上を止められなかったことは、僕も申し訳なく思っているんだ。繁栄の巫女でなくなった君の立場は使用人になるけど、給料はいいし、悪い話じゃないはずだ」
「使用人? 私が?」

 シズクは不満そうだ。

「でもそんなことしたら、やっぱり国王陛下が黙ってないと思いますけど。陛下は私の味方ですよ」

 するとそこでエミリオは、フッと笑って言う。

「逆を言うと、君の味方はもはや父上だけだ。父上の味方も君だけ。他のみんなは父上や君の横暴と無能さに気づき、嫌気がさしている」

 そこまで言ったところでエミリオは笑みを消すと、目を据わらせてシズクに凄む。

「父上はもうすぐいなくなる。いなくなってもらう。そして王位は僕が引き継ぐ。そうなった時、君がまだ繁栄の巫女の地位にすがっていたら、僕は君をそこから引きずり下ろすことになる。そうなる前に、自分から分不相応な地位を捨てろ。そうすれば仕事と衣食住の保証はしてやる。まともな友人としてリセに接するなら、僕も君を悪いようにはしない。――今、選べ。父上と一緒に僕と戦うか、大人しく僕に従うか」

 エミリオの後ろにはカイルを始めとした騎士たちがついている。みんなエミリオの味方なのだ。
 シズクもその光景を見て、悔しそうではあるけど感情的に反発するのはやめたようだった。迷うように視線をさまよわせた後、リセを見てからエミリオに向かって口を開く。

「……分かりました。繁栄の巫女の地位は捨てます。城から追い出されたら理世ちゃんと会えなくなるし、それが一番嫌だから」
「あの」

 黙って話の成り行きを見守っていたリセがそこで口を開く。

「シズクちゃんが繁栄の巫女でなくなるからといって、私にその役目が回ってきたりはしませんよね?」
「嫌かな?」

 不安そうなリセにエミリオが尋ねる。

「僕は、三日月を懐かせたリセが真の繁栄の巫女だと思ってるんだけど……リセはそういう地位とか興味なさそうだもんね」
「はい。私、そんな大した人間ではないですし、猫の扱いに慣れていただけで何の力も持っていないので……。もしよければ、私も引き続き使用人として城に置いてもらえれば嬉しいのですが」

 リセが控えめに頼むと、エミリオは頷いた。

「とりあえずはそうしておこうか。僕としてはリセを使用人なんかにはしておきたくないけど……。ねぇ、リセ、僕たち両想いだったってことでいいんだよね?」
「え」

 カイルに背負われているリセに、エミリオが顔を近づけて言う。するとリセは面白いくらいに顔を真っ赤にした。人間ってすぐに皮膚の色が変わるんだなぁ。

「いや、あの、違っ……、いえ違うことはないんですけど……! 殿下のことは素敵な人だと思、思って……」

 赤面して照れているリセを見て、エミリオは嬉しそうに笑っている。裏のない純粋な笑顔だ。
 そしてそんなエミリオを見てシズクはギリギリ歯ぎしりしながら嫉妬をあらわにしている。
 人間って表情が豊かだなぁ。

「まぁ、ゆっくり行こう。まずは父上をどうにかしないといけないし」
「ど、どうにかって……?」

 リセが心配そうに尋ねる。国王の身を案じているわけではなく、エミリオが面倒事に巻き込まれるのではと不安に思っているようだ。
 エミリオはその不安を感じ取って、優しくほほ笑む。

「心配しないで。別に暗殺とかするわけじゃないよ。そんなことしなくても父上は今、病に侵されているからね、先は長くないんじゃないかと思ってる」
「そうだったんですか」
「だから父上は今、喉から手が出るほど命星を欲しがっているんだよね」

 エミリオはそこで上着のポケットに手を差し込み、何かを掴んだ。そして手を少しだけ引き抜く。
 エミリオより私の方が身長が高いので、私からはちらりと見えたけど、薄闇の中で金色に淡く光っているそれは命星のようだった。

(あれ? なんでエミリオが命星持ってるんだろう?)

 リセの方からは何も見えないらしく、エミリオが何故か命星を持っていることに気づいてない。

(待てよ……。あれって……)

 私は、エミリオのポケットに入っているそれの正体を悟った。
 あれは、偽物の命星だ。
 若干濁っていたし、本物のような〝気〟を感じない。きっと森で灰色のオウムが渡してきたやつをポケットに入れていたんだ。

(いつの間に。あんなの持って帰ってきても危険なだけなのに。たぶん食べたら無事では済まないよ)

 毒のようなものだと思うから、やっぱり食べたら危険じゃないかな。
 そう考えてから、エミリオの何かを決意したような冷たい瞳を見てまた悟る。

(あ、殺(や)る気だわ、これ)

 国王、エミリオによって暗殺されるわ。寿命を待たずに殺す気だわ。
 今、エミリオの目がちょっとやばいもの。静かな殺気が滲んでいるもの。
 
 でもリセやシズクは気づいていない。カイルや騎士の何人かは、もしかしたら分かっているかも。
 けれどたぶん彼らはエミリオを止めないだろうし、私も止めない。
 エミリオのお父さんって、リセとシズクを勝手にこっちの世界に召喚した人だもん。つまりリセに辛い思いをさせた人間だ。

(じゃあ、まぁ、別に止める必要ないよね)

 そういう結論に至り、私はのんきに毛づくろいを開始する。右前足をエペエペと舐めていると、エミリオは殺気を消してリセに話しかけた。

「シズクのこれからの処遇についてだけど、城の使用人になるってことでリセは大丈夫かな? もし、もうシズクの顔は見たくないという気持ちなら、シズクには城以外のところで働いてもらうけど」
「いえ、そんな!」

 リセは慌てて言う。

「シズクちゃんは私のことを嫌っていないと分かりましたし、何よりたった一人の同郷の友達を失いたくはないです。ただ……もう嘘をついたりはしないでくれたら嬉しいな」

 リセは途中でシズクに視線を移してお願いをした。するとシズクは何度も深く頷いて答える。

「うん、分かった。私も反省してる。理世ちゃんと殿下が良い感じになってるのはすごく腹立たしいけど、理世ちゃんに嫌われるくらいなら良い友人でいるわ」

 シズクが本当に反省してるのかいまいち不安が残るけど、リセにはエミリオもついてるし大丈夫だろう。エミリオもなかなか食えない人物だしね。シズクという毒にはエミリオという毒をぶつけてリセを守るしかない。
 と、そこでエミリオはカイルに背負われているままのリセに声をかける。

「リセはそろそろテントで休んでおいで。君は命星を食べていないから十分体を休めないと」
「すみません……。それではお言葉に甘えて……」

 リセは素直にエミリオの提案を受け入れた。それだけ疲れているのだろうし、ホッとして眠気もやってきているみたい。

「三日月ちゃん、本当にありがとう。何もお礼ができなくてごめんなさい。でも、いつか必ずお礼をするから……だからまた会える?」

 リセは懇願するように尋ねてくる。リセってば本当に私のこと好きだな。まぁ、まばたきしてくるくらいだから私への想いは本物だよね。シズクやエミリオには悪いけど、リセに一番好かれてるのって私だと思うんだよね。
 
「ミャ」

 私が『うん』と答えると、リセは安心したようにほほ笑んだ。カイルが他の騎士にリセのことを預けると、その騎士はリセを休ませるためテントへ連れていく。
 私はリセを見送ると、引き続き毛づくろいに取り掛かる。右の前足は終わったから今度は左だけど、植物のひっつき虫がついてるのに気づいて顔をしかめた。
 舌で舐めてひっつき虫を取ろうとするが、前足の毛にくっついたまま転がるだけで取れない。

(この、くそ……っ)

 苦戦している私に、エミリオが話しかけてきた。

「三日月。三日月も僕たちと城に来て一緒に暮らさないか? 君が気に入る食事や、大きなベッドも作ってあげるよ。欲しいものは何だってあげよう」

 えー、欲しいもの? 私は毛づくろいを一旦中断して考えたけど、何を貰っても森を出て行くつもりはなかったので、首を横に振る。この森より居心地よくて楽しい場所なんてない。

「そうか、残念だ。三日月の存在は本当に貴重だから、何を引き換えにしてもそばに置いておきたかったんだけど……」

 エミリオは名残惜しそうに言うと、次にこんな提案をした。

「では、召喚獣契約を結んでくれないか? 僕やリセが星降る森に来ることがあったら、また三日月に道案内を頼みたいんだ。だからそういう時に三日月を呼び出せるようにしたい。もちろん対価は渡すよ。何がいい?」
「ミャウ!」

 ミルク! と答えたがエミリオには伝わらない。仕方ないから、今度召喚獣として呼び出された時にハロルドの家に連れていって、ヤギミルクを見せよう。そして何とか召喚の対価にミルクを用意するよう伝えるのだ。
 
「ごめん、何て言ってるのか分からないな。でも今度は乗り気だね。よかった。じゃあ、召喚の時には子猫の君が気に入りそうなものをいくつか用意しておくから、さっそく契約を交わそう」

 エミリオは私の気が変わらないうちにと、手早く準備を始める。

「魔術書と杖を持ってきてくれ。それから急いで地面の草を取り除いてほしい」

 魔法陣を描くのに邪魔になる草を、騎士たちが総出で取り除きにかかる。辺りは薄暗いので、ランプを持ってきて地面を照らしながら。
 一方、エミリオはテントに置いてある荷物から騎士たちに目的の物を持って来させると、まず分厚い本を開く。

「えっと、召喚獣契約の魔法陣は……複雑だな」

 ハロルドは何も見ずにすらすら描いてたけど、実は結構難しい魔法なのかな? 

「三日月は少し待っていてくれ」

 エミリオは本と睨めっこして魔法陣を確認し、騎士たちは必死に草をむしっている。
 地面を綺麗にするのに結構時間がかかったが、やがて準備は整った。エミリオは本を見ながら、先の尖った杖――たぶん魔法陣を描く専用のもの――で慎重に地面に魔法陣を描き進める。

(まだ時間かかりそう)

 私は再びひっつき虫と格闘を始める。シズクが『何やってんの?』って感じで見てくるが無視だ。今はお前の相手をしている暇はない。
 やがてひっつき虫が私の長い毛を巻き込んでぐちゃぐちゃになって、もう何をどうしても舌で舐めたくらいでは取れそうになくなって私が絶望し、見かねたカイルが手で取ってくれた、その時だった。

「できた」

 エミリオが魔法陣を完成させて一息つく。そしてポケットから紫色の半透明の石を取り出した。

(魔力星……?)

、エミリオは偽物の命星だけでなく、魔力星まで持っていた。しかもこっちは本物だ。

(確かに、森を歩いている時に魔力星が一つ落ちてたけど……)

 カイルにも命星をあげた後、森を脱出するまでの間に、魔力星が地面に落ちていたのだ。草の陰とか木の枝の上とかじゃなく、見つけやすいところに落ちてたからすぐに気づいた。だけど魔力星は特に必要なかったから、私はちらっと星を見ただけでスルーしたのだ。
 たぶんその星を、後ろにいたエミリオも見つけて拾っていたのだろう。人間って服にポケットついてるからいいよね。私は星を『取っておく』ってことができないもんな。

「魔力星なんていつの間に」

 カイルもエミリオが魔力星を拾っていたことに気づいていなかったらしく、ちょっと驚いてた。

「森で見つけてね」

 エミリオはそう答えると、魔力星を躊躇なく口に入れる。人間が一口で食べるには星は大きめだけど、口に入れたらすぐに溶けていくので噛むのに苦労することはない。
 そうして魔力を得ると、エミリオは私を魔法陣の中心に座らせて、本を見ながら長い呪文を唱える。ハロルドと召喚獣の契約をした時と流れは同じだ。
 一度やったことがあるので余裕の態度でいたら、呪文が終わると同時に魔法陣が強烈な光を放って目がくらんだ。

(うわっ! ……そうだ、光るんだった。びっくりした、もう)

 少しイラついて、しっぽを地面につけたままブンと振る。モップみたいなしっぽの動きでエミリオが描いた魔法陣が一部消えてしまったけど、もう契約は完了したし大丈夫だろう。
 
「これでいい。三日月、ありがとう。また何かあったら呼び出すよ」

 エミリオは私の頬に手を伸ばして撫でると、テントの方を見て言う。

「僕たちはもう休むけど、三日月はいつもどこで寝ているんだい? 大きな三日月はテントには入れられないけど、よかったらここで眠らないか? 朝になってリセが目覚めるまでいてくれたら、彼女も喜ぶと思うんだ」

 私は迷ったが、エミリオの申し出は断って森に帰ることにした。よく知らない人間が多い場所で寝るのは落ち着かないからだ。

(明日、何時ごろにここを発つのか知らないけど、気が向いたら見送りに来るよ)

 私は「ミャアゥ」と鳴いてエミリオやカイルにお別れを言い、森へと帰る。

「三日月、ありがとう」
「また会おうな!」

 エミリオとカイルは手を振って見送ってくれたのだった。
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