冥闇異聞 ~淫蕩猫と盆暗は楽な方へ流れたい~

景之

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一章 蔵座敷に棲むもの

  傾国猫の手すさび 下

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 その男からは、人の死臭がした。
 宵は人の生き死にに頓着しない。妖怪であるし、自らは食べないが、他が何を摂取しようとも何も思わない。殺しを快楽にしているような奴は願い下げだが、強いモノなら何でも来いの宵が、今日はなぜかそれが鼻についたのだ。優男に狂気の色は見えないから余計に目についた。

 優男はぴたりと動きを止め、ほんの少し眉を上げただけだ。

「んん? 合い子か?
 違うのか? ……お主は何者だ?」

 合い子とは妖怪と人間の両親を持つ子供で、侮蔑的呼称なら半妖とも言う。それなりに生きてそれなりに旅している宵だが、未だ出会ったことはない。しかし、男から臭う多くの人の血の香で判別し難いが、鼻の先に居る男は妖怪の類いではなかった。かと言って勿論、純粋な人間でもない臭いがする。
 今度こそ優男の目が見開かれた。そしてクスクスとさも可笑しそうに笑いだす。

「どうしても貴女が欲しくなりました。愛しい人、私の子を産んでほしい」

「おい!!」

 宵が声を掛けた男の一人が、優男の肩を押して、無理やり宵との距離を取らせた時――

「に"ゃあ"あぁぁぁぁあ"ーーー!!! (あ"ね"じゃあ"ぁぁぁん"!!!)」

 一匹の毛玉が宵に飛びついた。

「はいちび!?」

「に"ゃあ"あ"っに"ゃあ"ぁっに"ゃあ"ああっ!! (あ"ね"じゃんっだじゅげっだしゅげぇえぇ!!)」

 昼間会った灰色のチビ猫は、感極まったように宵の胸元へぐりぐりと頭を捻じ込む。袷からするんと宵の谷間に落ちる気なんじゃなかろうか。もちろん宵の弾力に阻まれ、揺れるだけだ。

「すまんが急用ができた。双方引け。後日出会ったら再戦しようまぐあおうぞ」

「待って――」

 今度は優男が宵を止めにかかる。宵は足を高々と上げ裾を割ると、片足だけで軽く飛んで膝裏を優男の顔面に絡めた。飛んだ反動に任せて半回転しながら優男を地に沈める。

「詫びじゃ。今夜はこれで一物を握っておけ」

「お待ちください――」

 片膝をつき、白く浮き上がる美脚を晒したまま言ってのけ、仔猫を抱いたまま、哀れな男達の返事も聞かずに風のように走り去った。
 残されたのは血の気余った益荒男ますらおが三人と眼鏡の優男。

「あんちゃん、ちいっとそのなよった面貸せや」

「気が立っているのは私も同じなのですがねぇ」

 宵が捉まえた三人と、宵を捉まえようとした一人は、宵と共に向かうはずだった郊外へと足を向けた。しばらくすれば、先ほど離れた二人の男も、むしろを抱えて合流する。い女のために地に敷かれるはずだった筵は、優男の上に敷かれることになるだろうと、男達は笑った。

 宵は灰色の仔猫を抱えて走った。
 宵にとって猫は別格だ。猫でも妖怪ならこの限りではないのだが、赤ん坊すら捨て置ける宵の中で、猫だけは愛でる対象として位置づけされているらしい。宵の持つなけなしの善性や母性といったものが、全て猫に向けられるので他には回らないのかもしれない。

「して、どうした灰チビよ」

 路地を入り人気がなくなった頃チビ猫に話しかける。仔猫は未だえぐえぐと泣いている。

「んに"ゃあ"ぁ~、な"うぅー! (みんながーみ"んながじんじゃう"ー!)」

 よく見れば仔猫の毛に擦れた血の跡が付いている。宵は仔猫に顔をうずめ、慰めるようにぺろりと血の付いた毛並みを舐めると仔猫を降ろす。

「お前、朔の居場所においがわかるな? わっちは先に行ってるから朔を連れて来い」

 仔猫が涙を堪えてこくんと頷き駆け出したのを見届けると、宵は血のにおいと気配を頼りに走りだした。
 近付くにつれ血のにおいは濃くなっていく。猫の必死な鳴き声が聞こえ、板などにぶつかる音がひっきりなしにする。
 最後の角を曲がり、その光景を目にした宵は目の前が真っ赤になった。
 そこは最近火事でも出したのか、木の残骸が散乱する一角だった。黒い影一体に対して猫数匹がやり合っている。そんな塊が四つ。蹲っている黒い影が二つ。周りは動けない猫が点々としている。

「おまえらぁぁぁああ!!!」

 まるで宵の怒りが噴出したかのように体から炎が上がり、宵の体が膨れていく。一番近い黒い影の一つに、猪の様に突進してね飛ばした。勢い止めずに宙を蹴り、蹲っていた影も含めて二股の尾も使い次々と撥ねていく。

「な"あぁあー!! (姐さん!!)」

「にゃがあー!! (姐さん! すまねぇ!!)」

「に"ゃああぁ~!! (姐さぁぁぁん!!)」

「なんじゃ、あれは……」

 一旦黒い影と猫たちが引いた間に宵が立つ。その間に動けない猫たちを、周囲で機を窺っていた猫たちがすかさず回収する。

 それらは人の形をしていた。闇引きの様にゴツゴツとしていない、すべすべとした人の肌だ。但し影のように黒い。骨格や肉の付き方、何より股にぶら下がったものから、それなりの肉体をした男だというのはわかる。これだけなら墨でも被った酔っ払いで済みそうだが、掌程にありそうな黒光りする伸びた爪が人ではないと告げている。
 闇引きに似ているが闇引きでは断じてない。
 こいつらは目玉がある。眸と呼べるものはないが、どす黒く濁った玉がそこにはあった。



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