文字の大きさ
大
中
小
3 / 15
疫病と政治
他田王の第十四年春二月、蘇我馬子大臣は病を称して朝廷を休んだ。何の病とも伝えなかったが、瘡の病が国々に流行している時のことだから、大臣もとうとうあの病魔に襲われたのだなと、誰もが何となく信じたのだった。二月二十四日、卜部に病気の原因を問うと、
「父の時に祭りし仏神の心に祟れり」
という結果を得たとして、馬子は使者を立てて王に申し伝えた。仏を海に流したのが良くなかったというのである。そこで王は、大臣がもう死にそうなのだと考えて、最期の願いは叶えてやろうと、
「卜部の言によりて、前の大臣の祀りし仏に祭ることを聴す」
と命じようとした。こんなことを快く思わないのは、やはり物部守屋大連である。白々しい奴、仮病に違いない、と守屋は思っている。
「何故にか臣が父の計を用いたまわざるや。先帝よりわが王に至るまで、疫病の遍く発りて、民どもも絶ゆべきこと、蘇我臣が仏法を興し行うにこそよらざるや」
馬子の建てた仏殿や塔を燃やし、仏像を棄てるべしと訴えた。物部はただの貴族ではない、王室より古い氏柄、由緒正しい血筋を誇る守屋にこう凄まれては、馬子への同情に傾いていた朝議の雰囲気も変わる。先代からの政策の維持を原則としてきた王としても、
「理路灼然なれば、そのとおりにせよ」
と聴すほかない。王は家臣の三輪君逆を馬子の家に遣わして、朝議の決定を伝えた。瘡の病だと思われている馬子は、もちろん誰とも会わない。東漢池辺直氷田が逆を迎接する。逆は仏像の引き渡しを求めたが、氷田は馬子の病気を理由にして、日限の先送りを請う。馬子も炊屋姫の方から手を回して、守屋に反撃する第二、第三の策を用意していた。しかしその策は用いられる機会がなかった。ほどなくして王と守屋も相次いで瘡の病に罹り、そのために廃仏の命令は実行されないままになった。
他田王と、物部守屋大連、蘇我馬子大臣、政治を司る三人が三人とも病気になったので、朝臣たちは王妃炊屋姫尊に命令を仰いだ。炊屋姫はよく政事を代行し、国に混乱が起こらないようにした。王と守屋は、幸い死は免れたと思われたものの、まだ体が弱っている。守屋が朝議に復帰しないうちに、馬子は再び使者を立てて、
「臣の病は重態りて、今に至るだに癒えずにあり。仏の利益を蒙りたしや。さもあらねば救い治むべきことぞ難し」
と悲愴な申し出をした。王はついに馬子の請いを聴して、
「汝の一族のみ仏法を行うべし」
と詔した。それは病の床で、王が口ずから発したのだと伝えられた。それが、他田王の最後の命令になった。夏四月六日、王は容態が変わって、とうとう息を絶やした。炊屋姫は、殯の宮を、王の旧居に近い葛城の広瀬に設けると決めたが、準備は遅れた。王の死によって、人々は一層この疫病を恐れた。卿士大夫は家の戸を閉めて他人に会わなかったし、庶民も外出を控えて、稲や粟をむざと枯らす田も見られるほどだった。瘡の病による死を免れて治った者だけが、再び罹ることを恐れなかった。殯の宮はなんとか八月に設営なったとはいえ、葬喪の儀式は進まなかった。
寒い風が吹き始める季節に、人々の関心は空いた王座にあった。押坂王子は俊才として期待されているが、位を継ぐにはまだ若い。他田王の兄弟の誰かが、新たな倭王になるだろう。歳からいって順当なのは、炊屋姫と同じ堅塩媛の子、橘王子だが、伝えられるところによれば、病弱な身であるらしい。その点、次に考えられる穴穂部王子は健康だという。橘王子か、穴穂部王子かと、人々は家の戸の内で噂話をしている。それが判るのは、早くても来年の春になるだろうか。
当の穴穂部王子は、倭王になるのは自分に違いないと思っていた。穴穂部とと同じく小姉君に生まれた弟に、泊瀬部王子があって、顔はよく見間違えられるほど似ている。ただ性格は違っていて、弟は政治に関心を持たないのに対して、兄はいつか必ず王位に即きたいという野心を持っていた。穴穂部の知るところでは、橘は確かに体が弱い。それどころか、このごろ瘡の病に罹ったらしいとも、人づてにほのかに聞いている。家来をやって探らせてみると、どうもそれは確かだという。穴穂部の王位への欲望は弥が上にも高まるのであった。
ところが穴穂部の期待は、思いがけず早くに裏切られた。九月、炊屋姫は独断で、倭王の印綬を橘王子に与えてしまった。もっとも流行り病のために、朝議が開かれることさえ希になっていたから、異議が申し出されることもなかった。守屋もまだ、病後の療養として、家にこもっているし、卿士大夫はみな感染を恐れて、互いの屋敷を訪れることもしない。まあ歳の順だから悪いことはないではないか、と人々がささやくなかで、穴穂部にはどうするという手とてない。橘王子は、磐余の池辺宮で王位に即いた。穴穂部にとっては皮肉なことに、橘王の正妃は、同腹の姉の間人王女である。不満を募らせないということはない。
「父の時に祭りし仏神の心に祟れり」
という結果を得たとして、馬子は使者を立てて王に申し伝えた。仏を海に流したのが良くなかったというのである。そこで王は、大臣がもう死にそうなのだと考えて、最期の願いは叶えてやろうと、
「卜部の言によりて、前の大臣の祀りし仏に祭ることを聴す」
と命じようとした。こんなことを快く思わないのは、やはり物部守屋大連である。白々しい奴、仮病に違いない、と守屋は思っている。
「何故にか臣が父の計を用いたまわざるや。先帝よりわが王に至るまで、疫病の遍く発りて、民どもも絶ゆべきこと、蘇我臣が仏法を興し行うにこそよらざるや」
馬子の建てた仏殿や塔を燃やし、仏像を棄てるべしと訴えた。物部はただの貴族ではない、王室より古い氏柄、由緒正しい血筋を誇る守屋にこう凄まれては、馬子への同情に傾いていた朝議の雰囲気も変わる。先代からの政策の維持を原則としてきた王としても、
「理路灼然なれば、そのとおりにせよ」
と聴すほかない。王は家臣の三輪君逆を馬子の家に遣わして、朝議の決定を伝えた。瘡の病だと思われている馬子は、もちろん誰とも会わない。東漢池辺直氷田が逆を迎接する。逆は仏像の引き渡しを求めたが、氷田は馬子の病気を理由にして、日限の先送りを請う。馬子も炊屋姫の方から手を回して、守屋に反撃する第二、第三の策を用意していた。しかしその策は用いられる機会がなかった。ほどなくして王と守屋も相次いで瘡の病に罹り、そのために廃仏の命令は実行されないままになった。
他田王と、物部守屋大連、蘇我馬子大臣、政治を司る三人が三人とも病気になったので、朝臣たちは王妃炊屋姫尊に命令を仰いだ。炊屋姫はよく政事を代行し、国に混乱が起こらないようにした。王と守屋は、幸い死は免れたと思われたものの、まだ体が弱っている。守屋が朝議に復帰しないうちに、馬子は再び使者を立てて、
「臣の病は重態りて、今に至るだに癒えずにあり。仏の利益を蒙りたしや。さもあらねば救い治むべきことぞ難し」
と悲愴な申し出をした。王はついに馬子の請いを聴して、
「汝の一族のみ仏法を行うべし」
と詔した。それは病の床で、王が口ずから発したのだと伝えられた。それが、他田王の最後の命令になった。夏四月六日、王は容態が変わって、とうとう息を絶やした。炊屋姫は、殯の宮を、王の旧居に近い葛城の広瀬に設けると決めたが、準備は遅れた。王の死によって、人々は一層この疫病を恐れた。卿士大夫は家の戸を閉めて他人に会わなかったし、庶民も外出を控えて、稲や粟をむざと枯らす田も見られるほどだった。瘡の病による死を免れて治った者だけが、再び罹ることを恐れなかった。殯の宮はなんとか八月に設営なったとはいえ、葬喪の儀式は進まなかった。
寒い風が吹き始める季節に、人々の関心は空いた王座にあった。押坂王子は俊才として期待されているが、位を継ぐにはまだ若い。他田王の兄弟の誰かが、新たな倭王になるだろう。歳からいって順当なのは、炊屋姫と同じ堅塩媛の子、橘王子だが、伝えられるところによれば、病弱な身であるらしい。その点、次に考えられる穴穂部王子は健康だという。橘王子か、穴穂部王子かと、人々は家の戸の内で噂話をしている。それが判るのは、早くても来年の春になるだろうか。
当の穴穂部王子は、倭王になるのは自分に違いないと思っていた。穴穂部とと同じく小姉君に生まれた弟に、泊瀬部王子があって、顔はよく見間違えられるほど似ている。ただ性格は違っていて、弟は政治に関心を持たないのに対して、兄はいつか必ず王位に即きたいという野心を持っていた。穴穂部の知るところでは、橘は確かに体が弱い。それどころか、このごろ瘡の病に罹ったらしいとも、人づてにほのかに聞いている。家来をやって探らせてみると、どうもそれは確かだという。穴穂部の王位への欲望は弥が上にも高まるのであった。
ところが穴穂部の期待は、思いがけず早くに裏切られた。九月、炊屋姫は独断で、倭王の印綬を橘王子に与えてしまった。もっとも流行り病のために、朝議が開かれることさえ希になっていたから、異議が申し出されることもなかった。守屋もまだ、病後の療養として、家にこもっているし、卿士大夫はみな感染を恐れて、互いの屋敷を訪れることもしない。まあ歳の順だから悪いことはないではないか、と人々がささやくなかで、穴穂部にはどうするという手とてない。橘王子は、磐余の池辺宮で王位に即いた。穴穂部にとっては皮肉なことに、橘王の正妃は、同腹の姉の間人王女である。不満を募らせないということはない。
感想 0
あなたにおすすめの小説
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
終わりにします
「終わりにします」
その言葉とともに、侯爵令嬢シルヴィアは毒を飲んだ。
婚約者は妹を選び、父は妹だけを信じた。
誰にも必要とされなかった人生を終えたはずなのに、目を覚ますと三か月前へと時間は巻き戻っていた。
もう、誰かに愛されるためだけに生きるのはやめよう。
そう決めた彼女は、静かに運命を書き換えていく。
これは、一度死んだ少女が、自分自身の人生を取り戻すための物語。
偽夫婦お家騒動始末記
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
あやかし吉原 ~幽霊花魁~
町外れの廃寺で暮らす那津(なつ)は絵を描くのを主な生業としていたが、評判がいいのは除霊の仕事の方だった。
新吉原一の花魁、桧山に『幽霊花魁』を始末してくれと頼まれる那津。
エセ坊主、と那津を呼ぶ同心、小平とともに幽霊花魁の正体を追うがーー。
※小説家になろうに同タイトルの話を置いていますが。
アルファポリス版は、現代編がありません。
もちづき目利き処古物見聞帳 ~春~
日本橋の小さな骨董店『もちづき』。
店主の斑目伊織とその片腕の凛が営む小さな店である。
不思議と客足が途絶えないのは、
伊織が物に宿る「想い」や「記憶」を読み取れる、たぐいまれな観察眼を持っているからであった。
そんなある日、呉服問屋の久兵衛が、古伊万里の大壺を持ち込んでくる。
無残にひびの入った壺には、先代の深い愛と、家族の亀裂が刻まれていた。
そうして伊織の眼が、壺に宿る想いを静かに暴き出す――
元武家娘の目利き×男装の麗人護衛。
日本橋を舞台に、物に宿る想いを丁寧に紡ぐ、
心温まる時代癒し人情譚。
平日にぼちぼち更新します。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆内容が無理な人はそっと閉じてネガティヴコメントは控えてください、お願いしますm(_ _)m
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆大変申し訳ありませんが予告なく非公開にすることがあります。
◆初挑戦のジャンルのため、調べ物に検索エンジンのAIモードと誤字脱字チェックにGrokを使用しています。
〇構想、投稿:2026年