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死生の巻
闇に揺れる火
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渋る阿佐と迦佐に、狗奴王は天子への使いを命じる。
「これはおまえたちの為にもなるのだ。邪馬臺の者はもう十人も洛陽まで行っておるのに、おまえたちは邪馬臺に来るのも今度が初めてだ。そんなではこの大夫たちに交えてそちらを用いるわけにはいかぬではないか」
二人の側近は抗う。
「しかし、二人ながら旅に出てしまっては、御身をお護りつかまつれませぬが」
狗奴王は呵々と咲う。
「ここはおれの郷なんだぞ、何の危険があろう。護りなど要らぬわい。斗米もおるしのう」
兄弟は苦々しさを噛み殺しながら、では狗奴に戻って旅の支度を、と言うと、難斗米がそれを止める。
「すぐ北へ向かって、伊都の港から出た方が早うござる。要る物は全てこちらで用意をいたそう」
張政は矢立と紙を取り出す。
「申し入れ状を書いて持たせるから、まず帯方に行って梯儁という人を訪ねられよ」
書状の内容は、阿佐と迦佐にはどうせ読めない。
「はあ帯方で、梯儁というお方を……」
としどろもどろに復唱している。
難斗米は案内に載斯と烏越を付けてやる。狗奴王が促す。
「さあすぐに発て。行って使臣たる者の務めを果たしてこい!」
君主の命令とあっては、竟に従うより他は無く、阿佐と迦佐は北へ向かう。狗奴王は二人を見送ると、取り巻く女官八人や、他の近衛兵二十人にも国に還れと命じて、すっかり追い払ってしまった。
「ああ、すっきりした! おれは狗奴のいもなどは嫌いなのだ」
と狗奴王は吐いた。そして今夜の宿を難斗米の私宅と決めて上がり込んだ。難斗米は家の子郎党に酒の接待をさせて、明日の葬礼の準備をさせるからと、邑を出る。
難斗米と張政は、陵墓の傍の殯の宮へ向かう。轡を並べて行けば、向こうから禿骨鋭が手綱を繰って来る。やあ、と声を掛け合うと、禿骨先生は張政の隣に付いて、これを、と小さい紙袋を手渡す。張政が手に取って振ると、カサカサと音がする。
「これは?」
「処方によると言ったろう」
「ええ、色々な調合が有ると」
「麻沸散というのは、眠りを導いたり、知覚を麻痺させて痛みを消しもするが、また幻を見せることもできるのだ。いいか……」
張政はそれを懐にしまい、馬を小駆けに走らせる。
殯屋の中は、昼間でも暗くて寒い。暗がりの中で燭影が震える。室の奥に石の棺が横たわっている。侍女たちが遠巻きに控えている。
「先ほどからああしていらっしゃいます」
臺与は、冷たい棺に胸を付けて、蓋に寄りかかり、天面に耳を寄せている。ふっ、と空気が動き、灯し火が揺らいで、光と闇が錯綜する。
「何を話しているの……」
臺与が呟く。
「なに……うん……」
その声は難斗米や張政の方に向けられてはいない。さっ、とまた光と闇が互い違いに走る。明かりが落ち着くと、臺与がこちらを向いている。はっ、と誰もが息を呑む。その顔には、姫氏王の遺した頭巾を着けている。長い絹が頭を覆い、両端は胸に垂れ、鼻の上で縫い合わされて、眉の周りだけが開いて、睫を外に出している。その中の眼は、きっとして虎の様に難斗米を見据えている。なんと姫氏王にそっくりな事か。
「斗米よ、何をしている」
その語気は臺与の口調ではない。
「予が旧き骸を、早く片付けよ……」
あっと思うと、臺与は目をつむって身を崩す。侍女たちが脇に走る。
日は落ちて天地とも暗く、殯屋の外にも篝火が焚かれる。夜にも関わらず、にわかに人の動きが慌ただしくなる。
「こんな時間にどうしたのじゃ。只事ではないと聞いたが、何かあったのかな」
狗奴王は急な使いに呼び出されて来た。
「王の御言を仰がねばならぬことになりました」
難斗米は狗奴王の前に跪拝する。
「棺の中から声がします。早く埋葬を済ませよとのお言葉です」
「何ということだ。死者が話すとは、未だかつて聞かぬことだのう」
「臺与さまがお聞きになりました」
男王は眼を細める。
「ああ、臺与が。臺与はどこじゃ」
「お休みになっておられます」
「そうか、まだ童子なんだ。無理に起こさぬで良いぞ」
どれ棺を見てみようと、殯の室に入る。下男たちが分厚い蓋に手を掛けて、眠れる者の顔が見えるだけ動かす。死せる女王は、白い絹を纏い、身には朱を塗っている。いわゆる死に化粧で、中国では白粉を用いる所である。棺の内壁にも朱が塗られている。火を掲げて照らすと、その光の赤さが、朱に塗られた死に顔を、一層紅く浮かび上がらせる。一瞥しただけで、もう良い、と言って狗奴王は目を覆う。
「やはり明日にいたしましょうか」
「うむ――、いやいや、後で鬼にでもなって出られてもかなわん。姉上の声が早くせよと言われるなら、その通りにしよう。どうとでも姉上の言われるままにしよう」
この葬儀に参列すべき人たちが、闇の中に集められる。陵墓の上、前、横にも篝火が並び、皇天のもたらす夜の下で、人間の営為をかすかに揺らめかせる。冢は冬至の日の入りの方角が正面である。夏至の日の出の方角から、重い石の棺が運び上げられる。墳丘の上に棺が置かれ、その周りには副葬される数多くの品々が並べられる。鉄の矛や矢、木の弓や盾、錦や絹、銅の矛や鏡。特に銅鏡は、葬礼の権威を高め、また死者を悪い鬼から守る役割を担っている。その内の一面に、張政は銘文が刻まれているのを見た。
延熹九年 尚方作鏡 明如日光 沢被海表 服者長生 位至侯王 治国安平 長宜子孫
「これはおまえたちの為にもなるのだ。邪馬臺の者はもう十人も洛陽まで行っておるのに、おまえたちは邪馬臺に来るのも今度が初めてだ。そんなではこの大夫たちに交えてそちらを用いるわけにはいかぬではないか」
二人の側近は抗う。
「しかし、二人ながら旅に出てしまっては、御身をお護りつかまつれませぬが」
狗奴王は呵々と咲う。
「ここはおれの郷なんだぞ、何の危険があろう。護りなど要らぬわい。斗米もおるしのう」
兄弟は苦々しさを噛み殺しながら、では狗奴に戻って旅の支度を、と言うと、難斗米がそれを止める。
「すぐ北へ向かって、伊都の港から出た方が早うござる。要る物は全てこちらで用意をいたそう」
張政は矢立と紙を取り出す。
「申し入れ状を書いて持たせるから、まず帯方に行って梯儁という人を訪ねられよ」
書状の内容は、阿佐と迦佐にはどうせ読めない。
「はあ帯方で、梯儁というお方を……」
としどろもどろに復唱している。
難斗米は案内に載斯と烏越を付けてやる。狗奴王が促す。
「さあすぐに発て。行って使臣たる者の務めを果たしてこい!」
君主の命令とあっては、竟に従うより他は無く、阿佐と迦佐は北へ向かう。狗奴王は二人を見送ると、取り巻く女官八人や、他の近衛兵二十人にも国に還れと命じて、すっかり追い払ってしまった。
「ああ、すっきりした! おれは狗奴のいもなどは嫌いなのだ」
と狗奴王は吐いた。そして今夜の宿を難斗米の私宅と決めて上がり込んだ。難斗米は家の子郎党に酒の接待をさせて、明日の葬礼の準備をさせるからと、邑を出る。
難斗米と張政は、陵墓の傍の殯の宮へ向かう。轡を並べて行けば、向こうから禿骨鋭が手綱を繰って来る。やあ、と声を掛け合うと、禿骨先生は張政の隣に付いて、これを、と小さい紙袋を手渡す。張政が手に取って振ると、カサカサと音がする。
「これは?」
「処方によると言ったろう」
「ええ、色々な調合が有ると」
「麻沸散というのは、眠りを導いたり、知覚を麻痺させて痛みを消しもするが、また幻を見せることもできるのだ。いいか……」
張政はそれを懐にしまい、馬を小駆けに走らせる。
殯屋の中は、昼間でも暗くて寒い。暗がりの中で燭影が震える。室の奥に石の棺が横たわっている。侍女たちが遠巻きに控えている。
「先ほどからああしていらっしゃいます」
臺与は、冷たい棺に胸を付けて、蓋に寄りかかり、天面に耳を寄せている。ふっ、と空気が動き、灯し火が揺らいで、光と闇が錯綜する。
「何を話しているの……」
臺与が呟く。
「なに……うん……」
その声は難斗米や張政の方に向けられてはいない。さっ、とまた光と闇が互い違いに走る。明かりが落ち着くと、臺与がこちらを向いている。はっ、と誰もが息を呑む。その顔には、姫氏王の遺した頭巾を着けている。長い絹が頭を覆い、両端は胸に垂れ、鼻の上で縫い合わされて、眉の周りだけが開いて、睫を外に出している。その中の眼は、きっとして虎の様に難斗米を見据えている。なんと姫氏王にそっくりな事か。
「斗米よ、何をしている」
その語気は臺与の口調ではない。
「予が旧き骸を、早く片付けよ……」
あっと思うと、臺与は目をつむって身を崩す。侍女たちが脇に走る。
日は落ちて天地とも暗く、殯屋の外にも篝火が焚かれる。夜にも関わらず、にわかに人の動きが慌ただしくなる。
「こんな時間にどうしたのじゃ。只事ではないと聞いたが、何かあったのかな」
狗奴王は急な使いに呼び出されて来た。
「王の御言を仰がねばならぬことになりました」
難斗米は狗奴王の前に跪拝する。
「棺の中から声がします。早く埋葬を済ませよとのお言葉です」
「何ということだ。死者が話すとは、未だかつて聞かぬことだのう」
「臺与さまがお聞きになりました」
男王は眼を細める。
「ああ、臺与が。臺与はどこじゃ」
「お休みになっておられます」
「そうか、まだ童子なんだ。無理に起こさぬで良いぞ」
どれ棺を見てみようと、殯の室に入る。下男たちが分厚い蓋に手を掛けて、眠れる者の顔が見えるだけ動かす。死せる女王は、白い絹を纏い、身には朱を塗っている。いわゆる死に化粧で、中国では白粉を用いる所である。棺の内壁にも朱が塗られている。火を掲げて照らすと、その光の赤さが、朱に塗られた死に顔を、一層紅く浮かび上がらせる。一瞥しただけで、もう良い、と言って狗奴王は目を覆う。
「やはり明日にいたしましょうか」
「うむ――、いやいや、後で鬼にでもなって出られてもかなわん。姉上の声が早くせよと言われるなら、その通りにしよう。どうとでも姉上の言われるままにしよう」
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