三国志外伝 張政と姫氏王

敲達咖哪

文字の大きさ
37 / 41
死生の巻

朱塗りの顔

しおりを挟む
  延熹えんき九年 尚方が作りし鏡 あかりは日光の如く ひかりは海表をおおう つ者は長生し 位は侯王に至り 治むる国は安平たりて 長く子孫に宜し
 それは、この鏡を手に入れた者を祝う銘文である。
「汝の佩刀は我が家の太刀じゃな」
 狗奴くな王が難斗米なとめに言った。難斗米の腰の刀は、委ねられる力の象徴として、氏王が貸し与えたのである。
「埋葬が済んだら、お返しいたしましょう」
 そうすれば、狗奴王が邪馬臺やまと王の座をも継ぐ事を明らかに示して、それを諸国から参列する者たちに知らしめる事になるであろう。
「そうか。何から何まで世話になるな。これからも今のままで働いてくれよ」
 狗奴王は、難斗米の態度にすっかり満足している。
 夜空には雲が漂い、篝火に浮かぶ墳墓の上、これから埋められる棺と品々の前に、祭壇が組み立てられる。常緑樹の枝、湯気を立てるこめや粟の飯、炊いた大豆や小豆、焼いたり蒸した野猪いのししや鹿、いぬ、鮫、鯉や鮒、雉や雀、それに酒が供えられる。はかの周囲、要所には、儀仗兵が持つ矛の穂が、チラチラと映える。霊前に、倡伎たちが楽舞を納める。
 死せる者が、葬儀が続く間ここに留まってくれる様に。
 死せる者が、生ける者の言葉を最後まで聞いて下さる様に。
 死せる者が、いつまでも生ける者の別れの言葉を憶えていて下さる様に。
 邪馬臺王家に世々仕える故老たちが、前に進んでしのびごとを述べる。
亡王なききみは、三十と八つのみのりを経るより前、先王さきのきみみむすめ多迦卑弥たかひめの、さきの狗奴王を召してれませる王女みこなり。生まれつき厳かなる姿あり、わかくして先王をたすけ、成りて祭祀まつり干戈いくさに長けたまえり……」
 云々と。続いて、難斗米が士大夫層を代表して誄を述べる。
「亡王は、先王のりし日、登りて高き位をみたまう。王たりて、内は国々のつぎてを整え、まろかしめて一つとなし、互いに争うことなからしむ。外は遠く宮城みかどへ使いをいたらしめ、名は天子にとおり、王のいきおいが衰えてより已来このかた、始めてまことに倭王となりたまえり……」
 冢の下、西側正面の庭では、対馬卑狗つしまひこなどの人たちが、客としての作法に従って、死者に歌や酒を捧げる儀式を始めている。その声が上にも聞こえる。狗奴王が祭壇の前に進む。
「ああ……ああ」
 誄の形式も格調も構わずに、狗奴王は感嘆の声を吐く。
「姉上の政治を佐けていた頃が最も幸せであった。ああ……まだ死ぬには若かったのに」
 ただそれだけを言った。
 力役の人夫が呼び出されて、棺を墓室に下ろす。石の棺は冷たく重い。ゆっくりと下ろす。棺が安置されると、その周りに鏡が敷き詰められる。死せる者が悪いものから護られる様に。それからまた多くの副葬品が配置される。入れる物を余さず納めてしまうと、墓室の上に石の蓋が被せられる。これが鎮めの石として、死せる者の姿を永遠に隠すであろう。蓋の上を土で埋め、人夫たちが粗く踏み固める。入れ替わりに、うすぎぬを纏った踊り女たちが上がる。これから夜が明けるまで踊り、踊る足で封土を踏み締め、土と石が死せる者の安寧を守ってくれる様に、念を入れる。
「さあもう下に行こう。穢れ払いの酒を酌み交わそう」
 踊り女たちを背にし、狗奴王は難斗米たちを率いて、冬至の日の入りの方角を向く。ふと、西側に付けられた階段を、多少いくばくの人が、登って来る気配がする。朱に塗った顔、素の着物。死せる者の装いをした、一団の女たちが現れる。先頭に立つのは、あの弥馬獲支みまわき。そして一人また一人と、暗がりに朱塗りの顔が漂う。狗奴王は眼をカッとさせて、毛を逆立てる。
「おまえたち、何のまねじゃ」
 弥馬獲支は両膝を土に突いて、言う。
わたくしどもは生きるすべのないところを、亡王に救われて命を得た者。今や死出の山路にしたがうべきを、いかでか生きて朝を迎えられましょう」
 難斗米は腰の太刀を抜いて、狗奴王に進める。
「さあ、どうぞ」
「あっ、おれに手ずから斬れと申すのか」
「お望みでしょう。お妃さまの仇を」
「おう、そうだ……」
 狗奴王は太刀を取った。しかし、手足はく所を知らず、目は視る所を定めず、躊躇い、逡巡しりごみしている。確かに殺してやろうとは言ったものの、いざその命が自分の前に投げ出されてみると、手を下す事が恐ろしい様な気がするのだ。弥馬獲支は下から、朱塗りの顔の中の白い眼で、狗奴王を見据えている。弥馬獲支の後ろでは、同じく死出の装いをした何十人かの女たちが、やはり朱に浮かばせた白い眼で、狗奴王をている。
「いかが」
 難斗米は酒を一杯、狗奴王に勧める。
「おう」
 狗奴王は酒をぐっと呑んで、眼を紅くさせて、弥馬獲支を睨む。胸に息をさせながら、腕を撫して、刀の柄を握り締める。
「さあ、お裁きを」
 難斗米が重ねて促せば、狗奴王は弥馬獲支に立てと命じ、ヤッと思い切って、太刀を女の腹に突き立てる。柄越しに、柔らかい人の体の手応えを感じる。所が普段から稽古を怠けた腕では、切っ先が着物に絡め取られて、どうやら傷が十分に深くない。下手をしたかと思って咄嗟に腕を引くと、それでも返り血が狗奴王を汚す。紅の水花しぶきが舞い、顔に、手に、熱い血がく。弥馬獲支は項垂れて膝を突きながら、朱の顔で狗奴王を睨み返す。
「ああ……ああ……!」
 狗奴王は狼狽を隠せない。
「違う……、そうじゃない」
 何十人かの女たちも、朱の顔で狗奴王を睨む。
「こんなことしたくない……」
 その時、後ろから、思わぬ声が響く。
狗古智ここち、何をしている」
 ハッとして酒紅さかやけつらも蒼褪める。声が続く。
「王たる者は、殺すと決めれば、一思いに殺せなくてはならぬぞ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

紫房ノ十手は斬り捨て御免

藤城満定
歴史・時代
本所北割下水七十俵五人扶持小柳一郎兵衛が三男伝三郎は心鏡一刀流の腕前を買われて常日頃から南町奉行所年番方与力笹村重蔵に頼まれて凶賊や辻斬りなどの捕物出役の手伝いをする事がしばしばあった。その功績を認められて、南町奉行大岡越前守忠相様から直々に異例の事ではあるが、五十俵二人扶持にて同心としてお召し抱えいただけるというお話しがあったので、伝三郎は一も二もなく食い付いた。また、本来なら朱房の十手なのだが、数多の功績と比類を見ない剣術の腕前、人柄の良さを考慮されて、恐れ多くも将軍家から大岡越前守忠相様を介して『紫房ノ十手』と『斬り捨て御免状』、同田貫上野介二尺三寸五分、備前祐定一尺五寸、定羽織、支度金二十五両を下賜された。ここに後の世に『人斬り鬼三郎』と呼ばれる同心が誕生したのだった。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

処理中です...