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死生の巻
帯方太守張撫夷
張政たちは、帯方郡に還った。倭人の朝貢についての朝廷との調整は、梯儁が引き受けてくれる。張政はその間に王碧を連れて郷里に帰り、一緒に互いの実家に挨拶をする。それから梯儁が掖邪狗らを率いて近くの海浜を通るのに合流し、洛陽へ向かった。
一方その頃、洛陽では司馬懿の夫人張氏が、この四月に他界していた。仲達は張夫人の喪と自身の病気を理由として政事に与らず、二人の息子も父に従って家に居た。司馬父子の政界から離れた間に、曹爽は佞臣の策を用いて皇太后を少い皇帝から遠ざけ、いよいよ朝政の権限を一手に握る。内裏の衛兵を掌握し、親しい者を重用して、制度を好きに改める。実際的な課題は抛擲し、玄学と称する空虚な議論に日夜熱中しているという噂で、市場の評判では皮肉を込めてこれを“清談”と呼んでいる。清水に魚は棲まず、清談で庶民は食えないという訳である。
こういう政情であったので、今度の洛陽滞在は張政たちにとって居心地の良いものではなかった。賄賂は今までも手続きを円滑にする為に少しは使ったものだが、今回は朝貢を成功させる為に多くを工面しなければならなかった。明けて正始九年(248)になると、張政たちは早々に京師を発った。楽浪地方はいつでも懐かしい風を吹かせて張政を迎えてくれる。
正始十年(249)、司馬氏の曹爽一家に対する逆襲の火が噴き出す。正月六日、皇帝は先帝の墓所へ参拝に赴く。明帝の陵墓は高平陵と呼ばれ、洛陽から南へ九十里の地点に在る。曹爽やその弟らに取り巻かれて、車駕は洛水に渡した浮き橋を渡った。その隙に、司馬師は手勢を指揮して武器庫を押さえ、洛陽城を封鎖する。それから父を促して皇太后に挙兵の趣旨を説明させ、曹爽らを罷免するという命令を取り付ける。司馬父子は洛水の浮き橋に布陣して、曹爽の罪状を指弾する上奏文を、行幸先の天子に宛てて送る。曹爽は帝室に血縁が近いというだけで出世したので、こんな事態に対処する能力が無い。反撃の決断が出来ずに結局投降し、私邸に閉じ込められて、間もなく理由を付けて死刑に処された。
帯方の市場でも、講釈師が座を設けて、曹爽一家の悪政、司馬懿が病気を装って曹爽の疑念をかわした次第、政変当日の様子などが、まるで見て来た様に語られる。曹氏に肩入れする者たちは、司馬氏の悪い噂を広めようとしているらしいが、そういう話は市場では聞かれない。
魏王朝では、幼弱な皇帝が三代続き、司馬父子が政治を執った。司馬懿は嘉平三年(251)秋八月に七十三歳で薨去し、長男の師も正元二年(255)に四十八歳で陣歿して、次男の昭が跡を継いだ。この間に、楽浪・帯方両郡には、中央から官吏の派遣されて来る事が少なくなった。外地の郡などは、人の気質が中国とは違っていて治めるのが難しく、隣国との関係でも時々厄介な問題が起きる。そのくせ努力して治績を上げても、中央に戻ってから思う程には評価をされないし、宮廷での出世競争にも劣れを取ってしまう。それで有能な人物は余り回って来ない。次第に梯儁や張政の様な現地採用組が高位に登用される様になった。
司馬昭は景元三年(262)に大軍を派遣して、蜀地方を占拠した劉氏を破った。この功績によって晋公の爵位を得、咸熙元年(263)には晋王に進められる。帝室曹氏にはいよいよ継嗣がおらず、輿論は司馬昭への禅譲を望んだが、果たさずして咸熙二年(265)に五十五歳で薨去した。子の炎が跡を継いで、十二月に天子の禅りを受ける。天の福禄は永遠に魏王朝を去り、新たに晋王朝が天下を統べる。元号も改まって泰始元年となった。
帯方太守まで登り詰めた梯儁は、泰始二年(266)、隠退を申し出て、張政を後任に推薦する。張政は、太守になりたいではなかったが、哥々の推輓だから快く引き受けた。程なく勅命が下りて、張政は帯方太守となり、撫夷将軍の号を加えられた。張政も五十二歳になり、王碧との間には子宝に恵まれている。長男の定と次男の平は、かつての張政の様に、倭人や韓人と交渉する仕事に関心を示す。梯儁は帰田して悠々自適の余生に入った。
太守となった張政にとっての困難は、朝廷の辺境に対する支援が、年を追って薄くなりつつある事であった。楽浪地方の北、大山深谷の中に国を構える高句麗は、慢性的な食糧不足に喘ぎ、南下の意図を隠さない。張政は楽浪太守と協力し、高句麗王の懐柔に腐心する。南の韓や倭から穀物を輸入して高句麗に供給し、高句麗からは馬や鉱石が齎された。馬はなるたけ倭人に渡る様に張政は努めた。しかし倭人たちが馬を必需品とするには、まだ時間がかかりそうである。
倭王からの朝貢は、あれから四年間隔を標準として続いている。臺与は女王として地位を保ち、難斗米が輔政するという体制は安定していた。しかしかつて姫氏王が語った、東方の国を討って併合するという計画は、まだ実行されないままになっている。
太康元年(280)、長く呉に蟠踞した孫氏は滅び、天下は晋の一統に帰した。三年(282)、尚書の張華が幽州刺史に遷された。張華は皇帝の片腕として活躍した地位の高い人物であったが、張政を同姓の年長者として尊重し、故々帯方くんだりまで会いに来た。この張華がかつて益州から登用した、陳寿なる者が、魏・呉・蜀の史書を今まさに編纂しており、その中の東夷伝という一編には、あの頃に張政が書いて朝廷へ提出した、倭人諸国についての報告書が引かれているという。その縁も有ってか、張華は張政を中央に推挙した。しかし張政は、老齢を借口にして辞退した。宮廷政治の熾烈な権力争いに巻き込まれたくもなかったし、何より楽浪地方を離れたいとは思わない。成長した定は仕事を佐てくれるし、平は倭人の妻を得て倭王に仕え、文書を掌って郡との通好に大きな役割を果たしている。
正直な所を言えば、張政は寧ろまた倭人たちの国へ行ってみたいのであった。洛陽の繁華に憧れた若い頃の心情も今は遠く、反って倭地の素朴な暮らしに惹かれるのである。しかし当の倭人たちは、少しでも文明を導入して、素朴から脱却しようと、日々努力を重ねている。それもまた止むを得ない事であった。
太康九年(288)、七十四歳になった張政は、病いを得て床に就き、暫くして卒去した。張政の訃報が伝わると、楽浪地方の住民のみならず、倭人や韓人なども集まり、喪主の王碧を助けて、故郷の県城の郊外に土を積んで墓を築いた。その古墳は今の黄海北道鳳山郡智塔里に在り、墓室に使った煉瓦には〈使君帯方太守張撫夷磚〉という文字が刻まれている。〈完〉
一方その頃、洛陽では司馬懿の夫人張氏が、この四月に他界していた。仲達は張夫人の喪と自身の病気を理由として政事に与らず、二人の息子も父に従って家に居た。司馬父子の政界から離れた間に、曹爽は佞臣の策を用いて皇太后を少い皇帝から遠ざけ、いよいよ朝政の権限を一手に握る。内裏の衛兵を掌握し、親しい者を重用して、制度を好きに改める。実際的な課題は抛擲し、玄学と称する空虚な議論に日夜熱中しているという噂で、市場の評判では皮肉を込めてこれを“清談”と呼んでいる。清水に魚は棲まず、清談で庶民は食えないという訳である。
こういう政情であったので、今度の洛陽滞在は張政たちにとって居心地の良いものではなかった。賄賂は今までも手続きを円滑にする為に少しは使ったものだが、今回は朝貢を成功させる為に多くを工面しなければならなかった。明けて正始九年(248)になると、張政たちは早々に京師を発った。楽浪地方はいつでも懐かしい風を吹かせて張政を迎えてくれる。
正始十年(249)、司馬氏の曹爽一家に対する逆襲の火が噴き出す。正月六日、皇帝は先帝の墓所へ参拝に赴く。明帝の陵墓は高平陵と呼ばれ、洛陽から南へ九十里の地点に在る。曹爽やその弟らに取り巻かれて、車駕は洛水に渡した浮き橋を渡った。その隙に、司馬師は手勢を指揮して武器庫を押さえ、洛陽城を封鎖する。それから父を促して皇太后に挙兵の趣旨を説明させ、曹爽らを罷免するという命令を取り付ける。司馬父子は洛水の浮き橋に布陣して、曹爽の罪状を指弾する上奏文を、行幸先の天子に宛てて送る。曹爽は帝室に血縁が近いというだけで出世したので、こんな事態に対処する能力が無い。反撃の決断が出来ずに結局投降し、私邸に閉じ込められて、間もなく理由を付けて死刑に処された。
帯方の市場でも、講釈師が座を設けて、曹爽一家の悪政、司馬懿が病気を装って曹爽の疑念をかわした次第、政変当日の様子などが、まるで見て来た様に語られる。曹氏に肩入れする者たちは、司馬氏の悪い噂を広めようとしているらしいが、そういう話は市場では聞かれない。
魏王朝では、幼弱な皇帝が三代続き、司馬父子が政治を執った。司馬懿は嘉平三年(251)秋八月に七十三歳で薨去し、長男の師も正元二年(255)に四十八歳で陣歿して、次男の昭が跡を継いだ。この間に、楽浪・帯方両郡には、中央から官吏の派遣されて来る事が少なくなった。外地の郡などは、人の気質が中国とは違っていて治めるのが難しく、隣国との関係でも時々厄介な問題が起きる。そのくせ努力して治績を上げても、中央に戻ってから思う程には評価をされないし、宮廷での出世競争にも劣れを取ってしまう。それで有能な人物は余り回って来ない。次第に梯儁や張政の様な現地採用組が高位に登用される様になった。
司馬昭は景元三年(262)に大軍を派遣して、蜀地方を占拠した劉氏を破った。この功績によって晋公の爵位を得、咸熙元年(263)には晋王に進められる。帝室曹氏にはいよいよ継嗣がおらず、輿論は司馬昭への禅譲を望んだが、果たさずして咸熙二年(265)に五十五歳で薨去した。子の炎が跡を継いで、十二月に天子の禅りを受ける。天の福禄は永遠に魏王朝を去り、新たに晋王朝が天下を統べる。元号も改まって泰始元年となった。
帯方太守まで登り詰めた梯儁は、泰始二年(266)、隠退を申し出て、張政を後任に推薦する。張政は、太守になりたいではなかったが、哥々の推輓だから快く引き受けた。程なく勅命が下りて、張政は帯方太守となり、撫夷将軍の号を加えられた。張政も五十二歳になり、王碧との間には子宝に恵まれている。長男の定と次男の平は、かつての張政の様に、倭人や韓人と交渉する仕事に関心を示す。梯儁は帰田して悠々自適の余生に入った。
太守となった張政にとっての困難は、朝廷の辺境に対する支援が、年を追って薄くなりつつある事であった。楽浪地方の北、大山深谷の中に国を構える高句麗は、慢性的な食糧不足に喘ぎ、南下の意図を隠さない。張政は楽浪太守と協力し、高句麗王の懐柔に腐心する。南の韓や倭から穀物を輸入して高句麗に供給し、高句麗からは馬や鉱石が齎された。馬はなるたけ倭人に渡る様に張政は努めた。しかし倭人たちが馬を必需品とするには、まだ時間がかかりそうである。
倭王からの朝貢は、あれから四年間隔を標準として続いている。臺与は女王として地位を保ち、難斗米が輔政するという体制は安定していた。しかしかつて姫氏王が語った、東方の国を討って併合するという計画は、まだ実行されないままになっている。
太康元年(280)、長く呉に蟠踞した孫氏は滅び、天下は晋の一統に帰した。三年(282)、尚書の張華が幽州刺史に遷された。張華は皇帝の片腕として活躍した地位の高い人物であったが、張政を同姓の年長者として尊重し、故々帯方くんだりまで会いに来た。この張華がかつて益州から登用した、陳寿なる者が、魏・呉・蜀の史書を今まさに編纂しており、その中の東夷伝という一編には、あの頃に張政が書いて朝廷へ提出した、倭人諸国についての報告書が引かれているという。その縁も有ってか、張華は張政を中央に推挙した。しかし張政は、老齢を借口にして辞退した。宮廷政治の熾烈な権力争いに巻き込まれたくもなかったし、何より楽浪地方を離れたいとは思わない。成長した定は仕事を佐てくれるし、平は倭人の妻を得て倭王に仕え、文書を掌って郡との通好に大きな役割を果たしている。
正直な所を言えば、張政は寧ろまた倭人たちの国へ行ってみたいのであった。洛陽の繁華に憧れた若い頃の心情も今は遠く、反って倭地の素朴な暮らしに惹かれるのである。しかし当の倭人たちは、少しでも文明を導入して、素朴から脱却しようと、日々努力を重ねている。それもまた止むを得ない事であった。
太康九年(288)、七十四歳になった張政は、病いを得て床に就き、暫くして卒去した。張政の訃報が伝わると、楽浪地方の住民のみならず、倭人や韓人なども集まり、喪主の王碧を助けて、故郷の県城の郊外に土を積んで墓を築いた。その古墳は今の黄海北道鳳山郡智塔里に在り、墓室に使った煉瓦には〈使君帯方太守張撫夷磚〉という文字が刻まれている。〈完〉
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