三国志外伝 張政と姫氏王

敲達咖哪

文字の大きさ
39 / 41
死生の巻

帰るべき処へ

 張政チァン・センは、あの景初三年に洛陽ラクイャンの宮殿で、幼い皇帝が軒に臨んでいるのをた時に、王者には必ずしも実力を必要としないのだという事を知った。あの孩児こどもが袞衣と冕冠を着けて皇帝として担がれている様に、十三歳の臺与とよも女王の衣装を纏い、姫氏王になぞらえられる存在となった。難斗米なとめは、北部の諸国を監察する役目を都市牛利としぐりに譲り、邪馬臺やまとの宰相として政治を執権する。諸国の首長らは、姫氏王が生前に定めた地位を踏襲する。狗奴くな国には邪馬臺の大夫が代官として派遣される。姫氏王の構想した狗奴国併合後の体制が、臺与を中心として再生される。権力は形式によって支持される。
 新たな“女王”となった少年臺与は、先代の様に積極的に外に出ては行かず、謁見を許す事も少ない。宮室の奥に在って祭祀を行うのが常で、軒に臨んで政治を総覧しても、声を上げて号令はしない。
「よしなに」
 臺与の口から聞かれるのはほとんどそれだけであり、それも小さな声で、側近にしか伝わらない。
「よしなに」
 臺与がそう言いさえすれば、後は難斗米が全てを処理する。それでも“女王”を中心とする体制は、倭人たちを落ち着かせた。張政は勅使の権限を以て臺与を倭王の世子として認め、爵位の正式な相続の許可を天子に申し入れる様にと勧告した。
「よしなに」
 という王の一言を受けて、難斗米が使節団を送る準備に取り掛かる。その間に張政には別の仕事が有る。王碧フヮン・ピェク禿骨鋭トゥックォツ・ユェイを初めとして、正始元年の訪問以来、帯方タイピァン郡に徴用された人で倭地に留まっている者は、十数人になる。彼らの中には、この土地で結婚して子をした者もある。張政はこうした人たちの家を訪ねて、郡に還る意思が有るか無いかを質した。還らないという者には、故郷の籍を離れる手続きをしなければならない。即答しかねる者も二、三人あったが、半数程は残留を望みそうである。
 ほぼ全員の意向を確かめ終えて、張政は王碧の家に向かう。王碧は邪馬臺の王宮に近い一等地に住居を与えられている。季春の暖かな陽光に包まれて、家を繞る盛り土に腰を掛け、縫い物をしている王碧を張政は見付けた。張政はまだ六つか七つくらいの頃を想い出す。親の用事を言い付かって王家を訪ね、今と同じ様に縁側で裁縫の練習をしている王碧をた事が有った。張政はつい中国流の礼儀を忘れて、
阿碧アーピェク
 お碧ちゃん、と幼い頃の様に声を掛けた。別に見咎める人も無い。
「ああ、政さん」
 と王碧は笑って応じる。張政は隣に腰を下ろす。
テイ哥々あにきが子どもの礼服を作って欲しいそうだよ」
 と張政が切り出せば、王碧は、
「へえ、あの人にも子どもが――」
 と言い掛けて、
「政さんにも、さぞ可愛らしい子どもができた頃でしょう」
 と言い換えた。雀の群れが降りて、盛んな鳴き声が耳を覆い、風を待って飛び去る。
否々いやいや、僕に子どもはいないよ」
「まあ、とっくに結婚していないとおかしい歳なのに」
 年を数えてみれば、張政ももう三十三になる。しかしそれは王碧も変わらない。木の枝に並んだ雀も咲っている。雀が飛んで行くと、王碧は宮裏の方へ目を遣った。
「臺与さまはお寂しいでしょうね。女王さまが亡くなって、一人の話し相手もない――」
 張政の目もそれに従った。それは王宮と口では謂いこそすれ、洛陽の宮闕はおろか、帯方郡庁にさえ及びもしない。聳える城壁も、鱗の様な瓦屋根も無い。ただ柵に囲われ、丸太のやぐら、藁葺の殿舎は、倭人の土地では最も立派な造りだとはいえ、いずれも素朴な物に過ぎない。この遙か殷の時代を彷彿させる素朴な段階から、国々を脱け出させようと姫氏王はしていた。その行方はこれからどうなるであろうか、と張政は案じる。
「でも、もう還らないと。ここも好きだけど、八年も家を空けるなんて、悪いことね」 
 初夏になれば張政たちは、伊都の港から帯方郡へ舟を出す。臺与は大夫掖邪狗えこやこを正使として、総勢二十人の使節団を、張政が還るのに付けて洛陽へ遣わす。狗奴国の捕虜男女三十人が天子への貢ぎ物として連れて行かれる。倭地に残る者たちは見送りに集まる。禿骨鋭もその一人である。
「おれは先王に一生分の扶持を約束していただいたからな。旅暮らしも懐かしいが、まあここに腰をすえるさ」
 臺与の侍医として留まるという禿骨先生に、張政は訊いておきたい事が有った。臺与は年十三の今ならまだ良いが、成長すればもっと男らしくなって、女王の役などもうすぐ出来なくなるのではないだろうか。
「その心配は無いよ。臺与さまは美人に育つとおれが請け合うさ」
「まさか……、いつ?」
「先王も御承知の上だよ。おれの手術の腕前はあんたにも見せたっけ。馬なら脚を縛るが、人なら麻沸散マープィサンませるだけだ。中国では宦官にしかならないが、ここじゃ国王だからな」
 異例の事で、臺与も張政たちを見送りに港へ出る。しかし多くの護衛と女王の衣裳に包まれたその人の意思は、測り知れなかった。張政と王碧は同じ舟に乗り込んで、帯方郡への帰途に就いた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科 空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する 高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体 それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった 至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する 意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク” 消える教師 山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき