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第二章:新しい日常
🌐 26:格闘家の気持ち
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私のカウンターパンチに一瞬歓声が上がったが、それはすぐに静寂へと変わった。ダウンした凛太郎は起き上がろうとするものの、足元がフラつき再びマットに倒れ込んだからだ。
「スッ、ストップ、ストップ! もういい凛太郎、横になれ!」
試合を止めた村瀬はリングに上がり、凛太郎の顔を覗き込んだ。仰向けになった凛太郎は、焦点の合わない目で宙を見ている。
「だ、大丈夫……村瀬さん……こういうのは何度か食らってるんで。——流石に、女子から食らったのは初めてだけど」
「軽い脳震盪だね。——村瀬さん、何か冷やすものある?」
隣に屈んだ私がそう言うと、村瀬はリングを下りて冷やすものを探しに行った。
「——悪いね、なんか気を使わせて」
天井を見つめたままの凛太郎が言う。
そして、そんな凛太郎にまだスマホを向けている者がいた。
「悪いけど、撮影止めてくれる? あと……今日撮った動画はSNSとかにアップしないでね。彼がダウンしたのは、本当にたまたまだから。勘違いしちゃう人とかいても困るし」
周りにいたギャラリーにそう声を掛けると、一人、また一人とこの部室から出ていった。
「すまんすまん、待たせて。桜井さん、これで大丈夫?」
村瀬は氷の詰まったビニール袋と、フカフカのタオルを手渡してきた。私は村瀬に礼を言い、凛太郎の後頭部にタオルで包んだ氷を当てる。
ボーッと天井を見続ける凛太郎。
誰も口を開かない時間が、静かに過ぎてゆく。
「さ、桜井さん、まだ様子見ておいたほうがいいよな? こ、こんな時に申し訳ないんだけど、俺——」
「村瀬さん、彼女さんと約束ですか? いいですよ、念の為ゆっくりしてただけなんで——」
そう言って起き上がろうとする凛太郎を私は止めた。
「もう少し休んでたほうがいい。——村瀬さん、後は私が見ておくから安心して。その代わり……私にも奢ってね、高級焼肉」
そう言われた村瀬は、ギョッとした顔を凛太郎に向けた。きっと、凛太郎が私にチクったとでも思ったのだろう。
「わ、分かった! その代わり、頼むな凛太郎のこと!」
村瀬はそう言うと、バタバタと部室を出ていった。
「『高級焼肉おごれば、あいつ試合してくれるから』って、村瀬さんに声かけられたの?」
凛太郎は笑いながらそう聞いた。まさか、リクスが盗み聞きしたなんて言えない。私は「まあ、そんなところ」と濁しておいた。
「そういや、このサークルも高級焼肉に釣られて入ったんだよなあ……そうやって考えると、チョロいよなあ俺って」
そう言ってクスクスと笑っていた凛太郎だったが、やがて真顔になった。
「——なんでさ。SNSに載せるなって言ったわけ? 俺が無様で可哀想だったから?」
「ち、違う……そ、それは、あなたが弱いって思われたくなかったから」
「何だよ、それ……同じ意味じゃん。——優しさのつもりだろうけど、余計傷つくよ、そういうの」
「だって……殆ど見えてないんでしょ? あなたの左目。見えてたら当たってなかったよね、私のパンチ」
天井を見ていた凛太郎の目が私に向いた。
「な、なんで知ってるんだ……?」
「——そりゃ、私も格闘家だもん。戦う相手の目くらい見てるよ」
凛太郎は「そうか」と呟くと、また天井に向き直った。
***
自宅の最寄駅から帰宅していると、スマホに着信が入った。萌からだ。
「見たよ、梨里杏! 凄かったじゃん、ボクシング!!」
ああ……結局、誰かが動画をSNSにアップしたのか……今も理解出来ない、地球人のこの感覚。
「ま、まあね……動画だけ? 何か書かれてた?」
「うんうん! 相手は元国体選手だとか、梨里杏はたったの一発でKOしたとか。コメントには、『これはやらせじゃない』なんてボクシング経験者の書き込みもあったし。めっちゃ盛り上がってる! ————ん? 何かあったの?」
私のレスポンスの悪さに萌は気付いたのだろう。私は凛太郎の左目が、ほとんど見えていないことを萌に伝えた。
「——そうなんだ。だとしても凄いけどね、あんな人に勝っちゃうなんて」
「ま、まあね。——また家に着いたら連絡入れるよ。大学の授業のことも話したいし」
「分かった! そういや、久しぶりの……いや、ある意味初めての大学だったもんね。じゃ、後で!」
会話に乗り気になれなかった私は、そう言って萌との通話を切った。
「ねえ、リクス……リクスはどう思った? 今日のこと」
私はバッグの中のリクスを、少しだけ開いて語りかける。見せかけだけのイヤホンを着けておけば、変に思われることもない。
「きっと梨里杏様は、凛太郎の気持ちが痛いほど分かるのだと思います。同じ格闘家として、高みを目指して日々鍛錬を積み重ねた者として。だから、気持ちの整理が難しいのでしょう。——私は分かりますよ、梨里杏様のお気持ち」
ああ……確かにリクスの言うとおりだ。ずっとモヤモヤしているのは、それが理由なのかもしれない。
「スッ、ストップ、ストップ! もういい凛太郎、横になれ!」
試合を止めた村瀬はリングに上がり、凛太郎の顔を覗き込んだ。仰向けになった凛太郎は、焦点の合わない目で宙を見ている。
「だ、大丈夫……村瀬さん……こういうのは何度か食らってるんで。——流石に、女子から食らったのは初めてだけど」
「軽い脳震盪だね。——村瀬さん、何か冷やすものある?」
隣に屈んだ私がそう言うと、村瀬はリングを下りて冷やすものを探しに行った。
「——悪いね、なんか気を使わせて」
天井を見つめたままの凛太郎が言う。
そして、そんな凛太郎にまだスマホを向けている者がいた。
「悪いけど、撮影止めてくれる? あと……今日撮った動画はSNSとかにアップしないでね。彼がダウンしたのは、本当にたまたまだから。勘違いしちゃう人とかいても困るし」
周りにいたギャラリーにそう声を掛けると、一人、また一人とこの部室から出ていった。
「すまんすまん、待たせて。桜井さん、これで大丈夫?」
村瀬は氷の詰まったビニール袋と、フカフカのタオルを手渡してきた。私は村瀬に礼を言い、凛太郎の後頭部にタオルで包んだ氷を当てる。
ボーッと天井を見続ける凛太郎。
誰も口を開かない時間が、静かに過ぎてゆく。
「さ、桜井さん、まだ様子見ておいたほうがいいよな? こ、こんな時に申し訳ないんだけど、俺——」
「村瀬さん、彼女さんと約束ですか? いいですよ、念の為ゆっくりしてただけなんで——」
そう言って起き上がろうとする凛太郎を私は止めた。
「もう少し休んでたほうがいい。——村瀬さん、後は私が見ておくから安心して。その代わり……私にも奢ってね、高級焼肉」
そう言われた村瀬は、ギョッとした顔を凛太郎に向けた。きっと、凛太郎が私にチクったとでも思ったのだろう。
「わ、分かった! その代わり、頼むな凛太郎のこと!」
村瀬はそう言うと、バタバタと部室を出ていった。
「『高級焼肉おごれば、あいつ試合してくれるから』って、村瀬さんに声かけられたの?」
凛太郎は笑いながらそう聞いた。まさか、リクスが盗み聞きしたなんて言えない。私は「まあ、そんなところ」と濁しておいた。
「そういや、このサークルも高級焼肉に釣られて入ったんだよなあ……そうやって考えると、チョロいよなあ俺って」
そう言ってクスクスと笑っていた凛太郎だったが、やがて真顔になった。
「——なんでさ。SNSに載せるなって言ったわけ? 俺が無様で可哀想だったから?」
「ち、違う……そ、それは、あなたが弱いって思われたくなかったから」
「何だよ、それ……同じ意味じゃん。——優しさのつもりだろうけど、余計傷つくよ、そういうの」
「だって……殆ど見えてないんでしょ? あなたの左目。見えてたら当たってなかったよね、私のパンチ」
天井を見ていた凛太郎の目が私に向いた。
「な、なんで知ってるんだ……?」
「——そりゃ、私も格闘家だもん。戦う相手の目くらい見てるよ」
凛太郎は「そうか」と呟くと、また天井に向き直った。
***
自宅の最寄駅から帰宅していると、スマホに着信が入った。萌からだ。
「見たよ、梨里杏! 凄かったじゃん、ボクシング!!」
ああ……結局、誰かが動画をSNSにアップしたのか……今も理解出来ない、地球人のこの感覚。
「ま、まあね……動画だけ? 何か書かれてた?」
「うんうん! 相手は元国体選手だとか、梨里杏はたったの一発でKOしたとか。コメントには、『これはやらせじゃない』なんてボクシング経験者の書き込みもあったし。めっちゃ盛り上がってる! ————ん? 何かあったの?」
私のレスポンスの悪さに萌は気付いたのだろう。私は凛太郎の左目が、ほとんど見えていないことを萌に伝えた。
「——そうなんだ。だとしても凄いけどね、あんな人に勝っちゃうなんて」
「ま、まあね。——また家に着いたら連絡入れるよ。大学の授業のことも話したいし」
「分かった! そういや、久しぶりの……いや、ある意味初めての大学だったもんね。じゃ、後で!」
会話に乗り気になれなかった私は、そう言って萌との通話を切った。
「ねえ、リクス……リクスはどう思った? 今日のこと」
私はバッグの中のリクスを、少しだけ開いて語りかける。見せかけだけのイヤホンを着けておけば、変に思われることもない。
「きっと梨里杏様は、凛太郎の気持ちが痛いほど分かるのだと思います。同じ格闘家として、高みを目指して日々鍛錬を積み重ねた者として。だから、気持ちの整理が難しいのでしょう。——私は分かりますよ、梨里杏様のお気持ち」
ああ……確かにリクスの言うとおりだ。ずっとモヤモヤしているのは、それが理由なのかもしれない。
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