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第一章
第2話 領土
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キッチンに行くと、さっきまで夢中で餌を食べていたナルが、部屋中を注意深く嗅ぎながら歩き回っている。少しは警戒を解いてくれたのか俺を見て「ミャア~」と鳴いてくる。随分この部屋にも慣れてきたようだな。
そのナルが、急に玄関横に立ててある背の低い靴箱の一番上に飛び乗り、そのまま反対側のキッチン台までジャンプした。かなりの距離があるが、体をいっぱいに伸ばして宙を飛ぶ。
「うおっ! こいつ、意外とすばしっこいな」
キッチン台を右から左へと飛び回り、あっと言う間に横の棚の上から三段冷蔵庫の頂上へと飛び移っていった。身軽にピュンピョンと飛ぶさまは、さすが猫だと思わせる。ナルは冷蔵庫の上が気に入ったのか、落ち着いた様子で座り込んでいる。
家の中でしか暮らさない箱入り娘の猫だと聞いていたが、とんだオテンバ娘じゃないか。
今は、冷蔵庫の奥の方にじっとして上からこちらを見ているが、俺の手の届かない冷蔵庫の天辺。そこには何も置いていないし、壊れる物も無い。猫は高い所が好きだと言うし、気に入ったのならそこに居てくれればいいさ。
さて、俺も飯にしよう。今晩は簡単にミートソースのスパゲッティとサラダにしようか。さっさと飯を作り奥の部屋にある低いテーブルの上に運ぶ。
飯を食い終わりのんびりとテレビを見ていると、ガラス戸を叩くような音がする。
「ナルか?」
ふすまを開けた先。切子の板ガラスを三十センチ四方の木枠で挟み込んだガラスの引き戸。その向こうでナルが立ち上がってガラスを引っ掻いているのが見て取れる。
キッチンの部屋を全部見て回って、こちらの部屋に興味を持ったのか?
キッチンと奥の和室の中間は、フローリングの四畳半の部屋。ここは古い賃貸マンション。この部屋も昔は和室だったんだろうが、今は畳が無い洋室に改装されている。
今、俺の居る和室にナルが来て畳などを引っ掻かれては大変なことになる。
「よし、ナル。俺たちの領土を決めようか」
キッチンはナルが自由にしてもいいようになっている。壁にも引っ掻き傷がつかないようにベニヤ板を張り付けた。このフローリングの部屋は背の高い本棚が付いた机を置いているが、簡単に引っ掻き傷がつかないようになっている。
この部屋の半分まではナル、お前にやろう。だがここから半分と奥の部屋は俺の領土だ。お前には入らせんぞ。
そう思い、立ち上がりガラスを引っ掻いているナルに近づく。俺の影が見えたのかガラス戸の前で大人しくなった。引き戸を少し開けてナルをフローリングの部屋に入れる。
辺りをキョロキョロしながらゆっくりと部屋に入ってくる、ナル。部屋の中央で俺はどっかと座り手を広げる。
「いいか、ナル。ここから先は俺の領土だ。入るんじゃないぞ」
ナルは俺の手前で押し入れや机の下など、臭いをかいだり辺りを見渡したりしている。そのナルがこちらにキッと振り向き身構えた。
な、なんだ! ここから先はダメだぞ。
ナルがゆっくりと近づき、俺に向かって急に飛び上がってきた。
「うわっ!」
後ろに転がりそうになるのを手で押し留め、尻餅をついて仰け反ったような形になった。その俺の上で電灯の紐に飛びかかるナルがいる。体を伸ばして飛び上がり和室用の電灯スイッチの先に付いている白い丸い球を手で弾く。
転がった俺の体を避けるようにして前後左右に着地しては、すぐにまた飛びかかる。何なんだ、こんな紐で遊んでいるのか! 猫じゃらしか何かと勘違いしているナルが部屋中を飛び回る。
俺が死守していた第一防衛線は簡単に突破されてしまった。
「分かった、分かった。ちょっと落ち着け」
電灯の紐を短くして、ナルの手の届かない上の方に括り付ける。遊び道具を取られた子供のように恨めしそうに上を眺めていたが、ある程度満足したのだろう、ガラス戸の向こうのキッチンへと戻っていった。
仕方ない、この部屋は俺とナルが共同で使う遊び場のようなものにしよう。絶対防衛線である一番奥の部屋は守られた。俺は戦略的撤退をして奥の部屋へと引き籠る。
ナルと遊ぶのもいいが、余りドタバタして下の階から文句が出ないようにしないとな。それにこのマンションはペット禁止だ。鳴き声も注意しないといかんが、それは大丈夫なようだ。無駄に鳴き声をあげるような猫じゃないみたいだ。前の飼い主がちゃんと躾けていたんだろう。
今日は色々あって疲れた。明日は休みだし、まだしなきゃならん事もあるが明日すればいいだろう。部屋の真ん中にあるテーブルを片付けて少し早いが布団を敷いて潜り込む。疲れていたのか、俺はすぐに眠ってしまった。
翌朝。起きると顔のすぐ横、布団の上にナルが寝ている。
「うわっ、何だ! なんでお前がここに居るんだ!」
俺が起き上がるとナルも起きたようだ。「ウミャ~ン」と一声鳴く。昨日の今日でこんなに慕ってくれるのは嬉しいのだが、どうやってこの部屋に入ってきた。
部屋のふすまを見ると、ナルが通れるだけの隙間がある。たぶんナルが自分で開けたのだろう。だが、おかしい。キッチンとの間にはガラス戸がある。あの重いガラス戸は開けられんだろう。
ふすまを開けて寝間着のままキッチンへ向かうと、ガラス戸が少し開いている。しまった。俺としたことが、昨日この戸を開けたまま寝てしまったのか。
ナルは俺の足元にまとわりついて「ミャ~、ミャ~」と鳴いている。腹が減ったのだろう。ナル用の小鉢を綺麗に洗って、餌の缶詰を小鉢に移す。
元気よく食べるナルを見ながら背中を撫でる。少しは仲良くなれたようだが、寝床まで来るとは思ってもみなかった。よく人に慣れた猫なんだろう。糞もちゃんとトイレの中でしているみたいだし、俺が教えることはないようだ。
逆に俺が猫の事をナルに教えてもらわんとダメかもしれんな。
「ナル、これからもよろしくな。何とか上手くやっていこうや」
今まで一人だった俺の家に、新たな同居人が加わった。
---------------------
【あとがき】
お読みいただき、ありがとうございます。
明日は第3話を投稿します。その後は週に1回か2回の不定更新となります
(12時更新を予定)。
今後ともよろしくお願いいたします。
お気に入りや感想など頂けるとありがたいです。
そのナルが、急に玄関横に立ててある背の低い靴箱の一番上に飛び乗り、そのまま反対側のキッチン台までジャンプした。かなりの距離があるが、体をいっぱいに伸ばして宙を飛ぶ。
「うおっ! こいつ、意外とすばしっこいな」
キッチン台を右から左へと飛び回り、あっと言う間に横の棚の上から三段冷蔵庫の頂上へと飛び移っていった。身軽にピュンピョンと飛ぶさまは、さすが猫だと思わせる。ナルは冷蔵庫の上が気に入ったのか、落ち着いた様子で座り込んでいる。
家の中でしか暮らさない箱入り娘の猫だと聞いていたが、とんだオテンバ娘じゃないか。
今は、冷蔵庫の奥の方にじっとして上からこちらを見ているが、俺の手の届かない冷蔵庫の天辺。そこには何も置いていないし、壊れる物も無い。猫は高い所が好きだと言うし、気に入ったのならそこに居てくれればいいさ。
さて、俺も飯にしよう。今晩は簡単にミートソースのスパゲッティとサラダにしようか。さっさと飯を作り奥の部屋にある低いテーブルの上に運ぶ。
飯を食い終わりのんびりとテレビを見ていると、ガラス戸を叩くような音がする。
「ナルか?」
ふすまを開けた先。切子の板ガラスを三十センチ四方の木枠で挟み込んだガラスの引き戸。その向こうでナルが立ち上がってガラスを引っ掻いているのが見て取れる。
キッチンの部屋を全部見て回って、こちらの部屋に興味を持ったのか?
キッチンと奥の和室の中間は、フローリングの四畳半の部屋。ここは古い賃貸マンション。この部屋も昔は和室だったんだろうが、今は畳が無い洋室に改装されている。
今、俺の居る和室にナルが来て畳などを引っ掻かれては大変なことになる。
「よし、ナル。俺たちの領土を決めようか」
キッチンはナルが自由にしてもいいようになっている。壁にも引っ掻き傷がつかないようにベニヤ板を張り付けた。このフローリングの部屋は背の高い本棚が付いた机を置いているが、簡単に引っ掻き傷がつかないようになっている。
この部屋の半分まではナル、お前にやろう。だがここから半分と奥の部屋は俺の領土だ。お前には入らせんぞ。
そう思い、立ち上がりガラスを引っ掻いているナルに近づく。俺の影が見えたのかガラス戸の前で大人しくなった。引き戸を少し開けてナルをフローリングの部屋に入れる。
辺りをキョロキョロしながらゆっくりと部屋に入ってくる、ナル。部屋の中央で俺はどっかと座り手を広げる。
「いいか、ナル。ここから先は俺の領土だ。入るんじゃないぞ」
ナルは俺の手前で押し入れや机の下など、臭いをかいだり辺りを見渡したりしている。そのナルがこちらにキッと振り向き身構えた。
な、なんだ! ここから先はダメだぞ。
ナルがゆっくりと近づき、俺に向かって急に飛び上がってきた。
「うわっ!」
後ろに転がりそうになるのを手で押し留め、尻餅をついて仰け反ったような形になった。その俺の上で電灯の紐に飛びかかるナルがいる。体を伸ばして飛び上がり和室用の電灯スイッチの先に付いている白い丸い球を手で弾く。
転がった俺の体を避けるようにして前後左右に着地しては、すぐにまた飛びかかる。何なんだ、こんな紐で遊んでいるのか! 猫じゃらしか何かと勘違いしているナルが部屋中を飛び回る。
俺が死守していた第一防衛線は簡単に突破されてしまった。
「分かった、分かった。ちょっと落ち着け」
電灯の紐を短くして、ナルの手の届かない上の方に括り付ける。遊び道具を取られた子供のように恨めしそうに上を眺めていたが、ある程度満足したのだろう、ガラス戸の向こうのキッチンへと戻っていった。
仕方ない、この部屋は俺とナルが共同で使う遊び場のようなものにしよう。絶対防衛線である一番奥の部屋は守られた。俺は戦略的撤退をして奥の部屋へと引き籠る。
ナルと遊ぶのもいいが、余りドタバタして下の階から文句が出ないようにしないとな。それにこのマンションはペット禁止だ。鳴き声も注意しないといかんが、それは大丈夫なようだ。無駄に鳴き声をあげるような猫じゃないみたいだ。前の飼い主がちゃんと躾けていたんだろう。
今日は色々あって疲れた。明日は休みだし、まだしなきゃならん事もあるが明日すればいいだろう。部屋の真ん中にあるテーブルを片付けて少し早いが布団を敷いて潜り込む。疲れていたのか、俺はすぐに眠ってしまった。
翌朝。起きると顔のすぐ横、布団の上にナルが寝ている。
「うわっ、何だ! なんでお前がここに居るんだ!」
俺が起き上がるとナルも起きたようだ。「ウミャ~ン」と一声鳴く。昨日の今日でこんなに慕ってくれるのは嬉しいのだが、どうやってこの部屋に入ってきた。
部屋のふすまを見ると、ナルが通れるだけの隙間がある。たぶんナルが自分で開けたのだろう。だが、おかしい。キッチンとの間にはガラス戸がある。あの重いガラス戸は開けられんだろう。
ふすまを開けて寝間着のままキッチンへ向かうと、ガラス戸が少し開いている。しまった。俺としたことが、昨日この戸を開けたまま寝てしまったのか。
ナルは俺の足元にまとわりついて「ミャ~、ミャ~」と鳴いている。腹が減ったのだろう。ナル用の小鉢を綺麗に洗って、餌の缶詰を小鉢に移す。
元気よく食べるナルを見ながら背中を撫でる。少しは仲良くなれたようだが、寝床まで来るとは思ってもみなかった。よく人に慣れた猫なんだろう。糞もちゃんとトイレの中でしているみたいだし、俺が教えることはないようだ。
逆に俺が猫の事をナルに教えてもらわんとダメかもしれんな。
「ナル、これからもよろしくな。何とか上手くやっていこうや」
今まで一人だった俺の家に、新たな同居人が加わった。
---------------------
【あとがき】
お読みいただき、ありがとうございます。
明日は第3話を投稿します。その後は週に1回か2回の不定更新となります
(12時更新を予定)。
今後ともよろしくお願いいたします。
お気に入りや感想など頂けるとありがたいです。
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