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第11話 空手勝負へのインターバル(前編)

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 戦馬剛。通称ツヨシ。
 空手の天才児。小学校高学年の大会では圧倒的強さで全国優勝も果たした。
 ルール上出場できないが、たとえ高校生――いや、大人の大会に出場しても活躍する自信がある。
 うぬぼれではなく、格闘家として客観的に見て、ツヨシは自分が強いと自覚している。

(人間相手なら、俺は負けない)

 その自信はある。
 それだけの経験と稽古を積んできた。
 だが。

(鬼か)

 ツヨシが積んできた稽古や、経験した試合相手はみんな人間だ。
 ライオンや熊と戦うことを想定してきたわけじゃないし、ましてや地獄の鬼と戦うなど考えたこともなかった。
 AIとの将棋勝負に敗れたカオリがステージから下りてくる。

「ごめん、最善を尽くしたつもりだったんだけど」

 カオリに、ケイミが冷たく尋ねる。

「どうするつもりよ?」
「さあ? カケルくんとツヨシくんに期待かな?」
「ふざけないで! 鬼と空手勝負なんて……フトシの戦いを見ていれば無理って分かるでしょ!」

 ケイミがそう叫ぶ気持ちも分かる。
 体重100キロはあるフトシの巨体を、軽々と上空に投げ飛ばす力を持つ鬼。
 鬼の力で殴られれば、いかにツヨシといえどタダではすまない。一発で即死すらありうる。
 そんなことはケイミに言われるまでもなく分かっている。

 ケイミは空手勝負は棄権すべきと考えていたようだ。
 だが、ここまですでに2敗。ツヨシが負ければ……棄権すればカケルが戦う前に人間側の負けが決まってしまう。もはや、棄権はできなくなった。

(いや、違うな)

 ツヨシは思う。
 ケイミとカオリの戦いの結果がどうであろうと、ツヨシは戦う道を選んだだろう。
 人間よりもはるかに強い鬼。
 そんな強い相手と戦えるなんて、格闘家として最高の誉れだ。

 だから、ケイミが気にする必要はない。
 ツヨシはケイミに言う。

「気にすんな。俺とカケルが勝てばいいことだ」

 そういって笑う。
 笑ってみせる。
 ケイミが叫ぶ。

「アンタわかっているの!? 相手は鬼なのよ!? 空手で勝てるわけがない。勝ち負け以前に、一発殴られたら死ぬわよ!」

 そうだな。
 その通りだ。
 だがな。

「ケイミ、お前は正解か不正解かで考えすぎだ」

 フラッシュ暗算には正解と不正解しかない。
 だが、空手は違う。勝ち負けはあるが、どう勝つか、どう負けるかはその時その時によって様々だ。
 それは、たぶん相撲も将棋もマラソンも同じだ。
 ケイミの分析は正しいのだろうが、ツヨシからすれば言わせれば決定的にずれていると感じられた。

 カオリはツヨシに問う。

「守りを固めて一発も攻撃を受けないで勝つってこと?」

 ツヨシは「いや」と答える。

「攻めるさ。俺はカオリみたいに守りは選ばない。逃げ腰じゃ、勝てる相手にも勝てないからな」
「入玉戦法は立派な作戦よ。逃げ腰だったわけじゃない」
「かもな。俺は将棋はルールすら知らん。だが、途中からお前は本来の自分の戦い方をしていないように見えた」

 その言葉に、カオリはハッと目を見開く。

「一番勝てる戦い方は、自分が一番得意な戦い方だと、俺は信じている」

 だから、俺は攻める。
 そう決めた。
 そんなツヨシに、フトシが不安そうにする。

「ツヨシくん、いいたいことは分かるよ。僕だって賛成だよ。でも、それでも……ごめん、僕は実際に鬼と戦ったから。鬼は人間とは全然違う生き物だって、僕が一番分かっている」

 だろうな。
 フトシは相撲取りとして――格闘家として、鬼の強さを自ら味わった。
 天才児の彼が、何もできずにあり得ない高さに放り投げられたのだ。
 相撲ならば『投げられる』ですむかもしれない。だが、空手は『殴る、蹴る』の世界だ。
 フトシが不安がるのも無理もない。ツヨシの命に関わることだからだ。

「それでも、やるしかねーだろ」
「怖くはないの?」
「怖いさ。今だって震えそうだ。逃げられるなら逃げたいよ」

 そう。
 いくら強がってみても。
 一発殴られれば即死しかねない相手と空手勝負など、怖いに決まっている。

 それでも。

「何もせずに負けるなんてごめんだ。それに、強い相手と戦いたいと思うのは、格闘家の本能ってやつだろ?」

 ふとしは「そうだね」とうなずく。
 カオリも言う。

「それは将棋の棋士も同じことよ」

 最後にカケルがツヨシに声をかけた。

「ツヨシ……」

 カケルは少しを開ける。
 何を言うべきか必死に考えている様子だ。
 結局、彼は一番無難でありきたりで、そして最もありがたい言葉を言った。

「負けるなよ。元の世界に帰って、また勝負しよう」
「ああ、俺は勝つさ。鬼にも、お前にもな」

 ツヨシはそう断言した。

 更衣室に入り、空手着を身につける。
 閻魔王女が指を鳴らすだけで、ツヨシがいつも身につけている道着を出現させたのだ。
 どういう理屈かは知らない。興味も無い。
 今、ツヨシの頭の中には五番勝負のことしかない。

 いや、違う。他の勝負も心の中にはすでにない。あえて考えないように思考の外に置いている。
 ツヨシの頭の中にあるのは次の空手勝負――試合のことだけだ。
 文字通り、命がけの勝負。

 殴られるだけで死にかねない相手。たとえ生き残っても負ければ三敗。閻魔王女の言葉によれば地獄行き決定だ。
 本当なら恐怖に震えて泣き叫ぶような状況。

 だが、ツヨシの心は澄んでいた。
 空手着を身につけ、大きく息を吸い込む。

「よし、行くか」

 ツヨシは更衣室から出る。
 舞台上にはツヨシの対戦相手が待ち構えていた。
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