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第1章
名付きのもの
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「まあ、何も話してないのね。あの男ったら」
ばさりと持っていた扇を開いて、閉じられた扉を呆れたようにナターシャは睨んだ。
不思議がる彼女に、ナターシャはにこりと笑みを浮かべる。
「本日はお喋りのみと致しましょう。ヴィア様」
「はい、ターシャ様」
彼女がナターシャに席を勧めて向かいあって座ると、リオーネが紅茶を用意する。
まずは招いた主──もうここには彼がいないので彼女がその立場となる──が紅茶と茶菓子を一口ずつ口にして、客人へ勧める。そうすることで客人に対して毒が入っていないことを示しながら、大丈夫だという合図を送るのがマナーだ。
「それにしても、不思議なものです。時を同じくして私達【名付き】が生まれることなど稀だというのに。……ヴィア様は【名付き】についての知識はあって?」
「あまり詳しくは。お伽噺程度と、【名付き】とは人ならざるものの証であるくらいでしょうか」
誰一人として、彼女に彼女自身のことを教えようとしなかった。
優しい兄も姉も、彼女のことを【至宝】と呼ぶものの、本来彼女が背負うべきものを全て見えないように手で隠して、行動できないように抱きしめていた。
それが悪いことだとは彼女は思わない。彼女を守りたいが為に彼らが行っていたことなのだから、行動に出るような拒否をしなかった彼女には、それをどうこう言えるような権利はないと思っている。
「では、私達自身についての擦り合せから行いましょうか」
彼女がパチンっと手を鳴らすと、ひとりでにテラス側の窓が開く。
爽やかな涼しい風が部屋を駆け巡り、彼女の頬を撫でた。
「この世界は元々世界と世界の狭間にできた世界でした。それ故に世界間で生じる歪みが具現化し、魔物を生み出します」
「歪みである魔物を倒して、歪みを解消する為に4匹の聖獣が舞い降りた、のですよね」
ナターシャの話は世界創世物語だ。お伽噺として広く知られているため、小さな子でも寝物語として教えられる。かくいう彼女も、そうやって教えられてきた一人だ。
戦場では先陣を切って人々を導く、火を司る【朱炎】。
後ろから火を援護し、敵を押し返す風を司る【白葉】。
傷ついた人を癒やし、恵みの雨を齎す水を司る【青海】。
人々を守り、慈しむ母のような土を司る【黒月】。
これら4つの属性をもつ聖獣達のおかげで、世界と世界の狭間に存在する不安定なこの世界は、存在を許されている。聖獣達と力を合わせて魔獣を狩ることで、この世界は成り立っているのだ。
彼女の確認にナターシャは頷いて、続きを話し始める。
「けれど、聖獣の力は大きすぎる為、世界に留まればその影響は歪みよりも大きなものになってしまいます。そのため、普段はいにしえに契約した聖者達の血縁に深く潜り込んで眠り、聖獣の力を使っても死なない者が生まれた時は器として力をお貸しくださいます。これが私達【名付き】ですわ」
ナターシャが手袋を取ると、両手の甲に緑色に光る不思議な文様があった。
とても優しい、先程ナターシャが起こした風のような、清々しい気配を感じる。
それは彼女のみならず、この地に住まう誰もが感じることであろう。
ずきりと本来ならば痛みもしない古傷が疼いた。もう記憶にすら残っていないそれに、彼女は顔を伏せる。
「私達【名付き】には、力が顕現して器となった際には、このように体のどこかに文様が現れます。ヴィア様も……いえ、お辛いなら文様については大丈夫ですわ」
グッと、彼女はナターシャに気を遣わせてしまったことを反省する。
彼女にとって全ての始まりであることを、何も知らないナターシャに気遣わせてどうするのだと。
「いいえ。失礼しました。私にもございます。背中に、大きな【朱炎】の文様が」
「……大丈夫ですよ。貴女の状態は、同じ【名付き】である私には痛いほど分かります」
そういって、ナターシャは立ち上がってそっと回り込み、彼女の手をとった。
白くなるほど握りしめられた手を包んでほぐすさまは、彼女の心までほぐそうとしてくれているようだった。
「私達【名付き】は人ならざる力を持つ代わりに、聖獣の力を行使すればするほど、【人】ではなくなっていく。人として保つために、本来は契約者を選んで【拠り所】を作ることで【人】として保っていられるのだけれど、貴女は契約者を得る前に、とても大きな力を使ってしまったのですね」
理由を知っている家族ならまだしも、出会って数時間もしない者に言い当てられるのは初めてであった。
キュッと噛み締めた唇は、頬に触れる細い指で制される。
「簡単な私達【名付き】の擦り合せはこれくらいにしましょう。概要が分かっていれば、私達にとっては十分。それよりも……お辛いとは存じますが、貴女が力を使ったわけを、教えて頂いても?」
「私も、幼い頃なので、よくは覚えておりませんが、それでもよろしければ」
同じ【名付き】として、彼女は伝えるべきだと思った。
前提として彼女の状態を伝えることはとても大切だと思ったからだ。
ナターシャは慌てることもなく、ゆっくりと彼女を促した。
ばさりと持っていた扇を開いて、閉じられた扉を呆れたようにナターシャは睨んだ。
不思議がる彼女に、ナターシャはにこりと笑みを浮かべる。
「本日はお喋りのみと致しましょう。ヴィア様」
「はい、ターシャ様」
彼女がナターシャに席を勧めて向かいあって座ると、リオーネが紅茶を用意する。
まずは招いた主──もうここには彼がいないので彼女がその立場となる──が紅茶と茶菓子を一口ずつ口にして、客人へ勧める。そうすることで客人に対して毒が入っていないことを示しながら、大丈夫だという合図を送るのがマナーだ。
「それにしても、不思議なものです。時を同じくして私達【名付き】が生まれることなど稀だというのに。……ヴィア様は【名付き】についての知識はあって?」
「あまり詳しくは。お伽噺程度と、【名付き】とは人ならざるものの証であるくらいでしょうか」
誰一人として、彼女に彼女自身のことを教えようとしなかった。
優しい兄も姉も、彼女のことを【至宝】と呼ぶものの、本来彼女が背負うべきものを全て見えないように手で隠して、行動できないように抱きしめていた。
それが悪いことだとは彼女は思わない。彼女を守りたいが為に彼らが行っていたことなのだから、行動に出るような拒否をしなかった彼女には、それをどうこう言えるような権利はないと思っている。
「では、私達自身についての擦り合せから行いましょうか」
彼女がパチンっと手を鳴らすと、ひとりでにテラス側の窓が開く。
爽やかな涼しい風が部屋を駆け巡り、彼女の頬を撫でた。
「この世界は元々世界と世界の狭間にできた世界でした。それ故に世界間で生じる歪みが具現化し、魔物を生み出します」
「歪みである魔物を倒して、歪みを解消する為に4匹の聖獣が舞い降りた、のですよね」
ナターシャの話は世界創世物語だ。お伽噺として広く知られているため、小さな子でも寝物語として教えられる。かくいう彼女も、そうやって教えられてきた一人だ。
戦場では先陣を切って人々を導く、火を司る【朱炎】。
後ろから火を援護し、敵を押し返す風を司る【白葉】。
傷ついた人を癒やし、恵みの雨を齎す水を司る【青海】。
人々を守り、慈しむ母のような土を司る【黒月】。
これら4つの属性をもつ聖獣達のおかげで、世界と世界の狭間に存在する不安定なこの世界は、存在を許されている。聖獣達と力を合わせて魔獣を狩ることで、この世界は成り立っているのだ。
彼女の確認にナターシャは頷いて、続きを話し始める。
「けれど、聖獣の力は大きすぎる為、世界に留まればその影響は歪みよりも大きなものになってしまいます。そのため、普段はいにしえに契約した聖者達の血縁に深く潜り込んで眠り、聖獣の力を使っても死なない者が生まれた時は器として力をお貸しくださいます。これが私達【名付き】ですわ」
ナターシャが手袋を取ると、両手の甲に緑色に光る不思議な文様があった。
とても優しい、先程ナターシャが起こした風のような、清々しい気配を感じる。
それは彼女のみならず、この地に住まう誰もが感じることであろう。
ずきりと本来ならば痛みもしない古傷が疼いた。もう記憶にすら残っていないそれに、彼女は顔を伏せる。
「私達【名付き】には、力が顕現して器となった際には、このように体のどこかに文様が現れます。ヴィア様も……いえ、お辛いなら文様については大丈夫ですわ」
グッと、彼女はナターシャに気を遣わせてしまったことを反省する。
彼女にとって全ての始まりであることを、何も知らないナターシャに気遣わせてどうするのだと。
「いいえ。失礼しました。私にもございます。背中に、大きな【朱炎】の文様が」
「……大丈夫ですよ。貴女の状態は、同じ【名付き】である私には痛いほど分かります」
そういって、ナターシャは立ち上がってそっと回り込み、彼女の手をとった。
白くなるほど握りしめられた手を包んでほぐすさまは、彼女の心までほぐそうとしてくれているようだった。
「私達【名付き】は人ならざる力を持つ代わりに、聖獣の力を行使すればするほど、【人】ではなくなっていく。人として保つために、本来は契約者を選んで【拠り所】を作ることで【人】として保っていられるのだけれど、貴女は契約者を得る前に、とても大きな力を使ってしまったのですね」
理由を知っている家族ならまだしも、出会って数時間もしない者に言い当てられるのは初めてであった。
キュッと噛み締めた唇は、頬に触れる細い指で制される。
「簡単な私達【名付き】の擦り合せはこれくらいにしましょう。概要が分かっていれば、私達にとっては十分。それよりも……お辛いとは存じますが、貴女が力を使ったわけを、教えて頂いても?」
「私も、幼い頃なので、よくは覚えておりませんが、それでもよろしければ」
同じ【名付き】として、彼女は伝えるべきだと思った。
前提として彼女の状態を伝えることはとても大切だと思ったからだ。
ナターシャは慌てることもなく、ゆっくりと彼女を促した。
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