あぶはちとらず

井氷鹿

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第1章 Grasp all , Lose all.1 1995年 亘編 春

本木にまさる末木なし3  The first is the best.

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 座り心地の良い革張りのソファ、間接照明の柔らかな灯り。
 心地よいBGMは、ショパンのワルツ、あ、子犬のワルツか。
 
 まぁ、何処をどう見ても高そうだ。
 ローテーブルを挟んだ向かいの席に座り直したら、先程の女の子が床に膝を付いてメニューを広げてみせてくれた。 
「何になさいますか」
 
 うおおぉ、メニューに値段がない! 
「好きなの頼んでいいよ」 
「好きなのって」 
「あ、ウイスキーダブルで」 
 そう女の子に言うと、こいつはロックでと勝手にオーダーされた。 
「会員のゲストは基本ドリンクはフリーなのよ」 
 
 カラカラと音がして樹が何やら乗ったワゴンを押して来る。 
「これ、まー爺のね」 
 といってワゴンからマッカランのボトルを取りテーブルに置く。
 続いて慣れた手つきでグラスにアイスを入れ、山崎の12年ものでロックを作ってくれた。
 
「わーちゃんはこっちね。平川さんはいどーぞ。チェイサーは麦茶持ってきました」 
 むぎちゃ? ウイスキーのチェイサーに麦茶。麦に麦ってか。
 
「いっちゃん気が利くなぁ。ありがとう」 
 と陽気に先輩が言う。 
「かんぱーい」 
 ウイスキーを二口ばかり喉に流しこみ、チェイサーの麦茶をコレまたうまそうに飲む。
 
「わーちゃんも、これ美味しいからどーぞ」 
 そんじょそこらの麦茶じゃないんだよと、樹が入れてくれた麦茶のグラスを先輩が僕の前に置いた。
 
 グラスを持つと煎りたての麦の香りが漂ってきた。
 なんだコレ、香ばしくて。 
「うまっ」 
「職人さんが焙煎した本物の麦茶だぞ。それをちゃんとやかんで煮出したら、こうなる」 
 確かに。珈琲と見紛う濃さだ。
 3人で麦茶談義してたら、カウンターの方が何やら賑やかになってきた。
 
「おっといけない。たぶんまー爺だ。平川さん、行ってきます」 
 げっ。
 トイレに逃げようとしたら、出迎えに行った樹がまー爺を連れてきた。
 はえーよ、樹。

「平川ちゃん、ごめんごめん。急いで食ってきた。まだ紅緒はデザート食ってるが」 
 そう言いながらこちらに歩いてくる。
 良かった、まだ来ないんだ。
 
 来る前に挨拶して帰ろっと。
 先輩が立ち上がったので僕もコレ幸いと立ち上がる。
 
「あれ、亘くんじゃないか。何だ、平川ちゃんが言ってた人って君だったのか」 
 と僕の方へ歩いてきた。
 まー爺は僕の肩位の背丈だ。
 
「まーちゃん、日向をご存知だったんですね」 
 先輩が自分の席をまー爺に譲ろうとする。
「平川ちゃん、わしはホスト側だよ。やだよ、上座なんざ」 
 と笑いながら、僕を先輩の隣に押しやり安心したように僕を見上げた。
  
「さて、じゃ改めて」 
 とまー爺が名刺を僕に名刺を渡してきた。
 笠神ビルの名刺をもらう。
 その肩書きに驚いた。
 いっつも神社の社務所に居て、よく遊びに連れて行ってもらってたけど。
 
「どうだ、驚いただろう。これが必殺遊び人の名刺だ」 
「遊び人の名刺、初めていただきました」
 捧げつつで名刺を頂くと、まー爺はえっへんと、おちゃめに胸を張り僕を見上げる。

「わしが名刺を渡すまでになったんだねぇ。大きくなったねぇ」
 と僕の両肩を掴み、確かめるように腕まで降りる。
 
 僕は苦笑いを浮かべた。
 ええ、見てくれだけは大きくなりました。
 僕も会社からもらった名刺をまー爺に渡す。 
「ほー、インターンねぇ。見習いみたいなもんか」 
「そうです。平川先輩の付き人ですよ」
 
 ほれ、座ってと言われ僕らはソファに腰掛けた。
 笠神不動産って紅緒のばーちゃんの会社だよな。
 まー爺が役員って大丈夫か。
 
「必殺遊び人って」 
 不思議そうに先輩が僕とまー爺を見る。 
「だってわしの仕事って昼間暇じゃない。だから」
 
「実際遊んでたじゃん、ね」 
 そう言いながら樹がマッカランのロックを作り、まー爺に渡す。 
「そのお陰で、おまえら色んな所へ連れて行ってやっただろうが」 
 確かに、長期休みや週末なんかよく連れ出してくれたっけ。
 子供ぞろぞろ引き連れて、面倒見のいい人だよな、今だにお世話になってます。
 おっといけない。帰るんだった。
 
「まー爺、会って直ぐで悪いけど、僕そろそろ……」 
 そう言って席を立ちかけたら聞き覚えのある、あの懐かしい声が響いてきた。
 
「居たーーーーっ」 
「あ」
 
 紅緒がわずか数メートル先に立って、こっちを指さしている。
 何だかとても怒ってるようだ。 
 ツカツカと歩いてくるが、それが次第に足早になり。
 うっそ。
  
 勢いよく僕に抱きついてきた。
 屈んだままの僕に紅緒が抱きついてきた。
 受け止めた僕にとってもうこれは、抱きとめるというより抱擁に近いんじゃね?
 
 こんなに華奢だったっけ。
 
 こんなに頭、小さかったっけ。
 
 こなに泣き虫だったっけ。

 紅緒の懐かしい香りが、鼻腔を満たす。
 
「わーちゃん。何してたんだよう」 
 ここで僕の意識はぶっ飛んだ。 
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