インキュバスは男の淫らな夢を喰う

楠本恵士

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霧の偽ロンドン

第69話・楡崎 透明の場合①

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 亜夢は十九世紀のロンドンの裏町の路上で、木箱に座って仮眠をしていた状態から目覚めた。
(ここは? あぁ、そうだったオレはクツ磨きの青年だった)
 組合に所属していて紳士の革靴を磨かせてもらい。わずかな報酬を稼ぐ仕事。得た収入の半分は組合に支払う仕組みになっていた。
 赤レンガ造りの建物の、西日の斜陽を眺めていた亜夢の前に一人の紳士が立って言った。
「これから大事な用事なんだ、靴を磨いてくれないか」
 椅子に座ったシルクハットの紳士が、磨き台の上に革靴の足を乗せると亜夢は磨きはじめる。

 紳士が亜夢と会話する。
「また、透明人間が現れてみたいだ……今度は、駅馬車宿に後方から話しかけられた人が、振り向くと顔の位置に虹色の瞳が浮かんでいたみたいだ」
「そうですか」

「君はあまり関心がなさそうだね……連日、新聞紙上は透明人間の記事で埋め尽くされているのに、地下鉄の駅構内で頻繁ひんぱんに目撃されているから、その付近に潜伏場所があるのかも知れないな……本当に君は透明人間に、興味がないのかい?」
「この街に来たのは最近なので……すみません、新聞も読んでいないので」
「そうか、それならしかたがないな……透明人間の目的も不明だから、用心はしていた方がいい」
 亜夢は内心。
(現れないのが透明人間では?)
 そう思った。

 左右の靴を磨き終わると、紳士はたまには新聞も買って読むようにと少し多めの硬貨を亜夢に渡した。
 その紳士以外に、客が訪れる様子は無かった。
 呟く亜夢。
「今日は店じまいだな」
 靴磨きの道具を、表面が剥げた古い革のバックに仕舞うと、亜夢は組合が用意してくれている宿舎へと向かう。
 途中で買った新聞に目を通すと、透明人間の記事に混じって偽ロンドン橋新駅の工事がはじまったコトや。
 国内の認字率を向上させる取り組みを早急に……と、言った内容が書かれていた。
 透明人間の記事と似たモノでは、北の細長い湖で怪物が目撃された小さな記事もあった。

 宿舎に向かう途中の道には、夜露をしのげる程度の布を張った場所に、数人の失業した男たちが身を寄せ合って酒を飲んでいた。
(貧富の差が激しいマルチバースだな……紫炎の中には、こんな世界もあるのか)

 宿舎の木造の軋む階段を上り、自分の部屋に入った亜夢は安物の木製ベットに寝っ転がると、固くなったパンとチーズをかじりながら水を飲んで空腹を少しだけ満たす。
 亜夢が乾燥したパンをかじっていると、部屋のドアをノックする音が聞こえ。
 聞き覚えがある声が亜夢の耳に届いた。

「部屋の中にいるんだろう、亜夢……外で見かけて、この部屋に入っていくのを見た」
 楡崎 アンテロスの声だった。亜夢がドアを開けると、この時代に合った服を着た天使のアンテロスが、爽やかな笑顔で立っていた。
「アンテロス……そうか、この世界に堕落したのか」
「正解だ……おまえ、マルチバースによって言葉使いも変わるんだな、そのタメ口も悪くない、部屋の中に入ってもいいか?」
「どうぞ」
 部屋に入った翼がないアンテロスは、室内を見廻して言った。
「あまり、良い環境とは言えないな……おっ今、壁の穴からネズミが覗いていた」
 アンテロスが、亜夢の食べているモノを眺める。

「栄養状態が悪そうな食事だな、近くの食堂でメシおごってやるよ。なぜか金銭だけは持っているんだ」
 亜夢はアンテロスに誘われて、ガス灯の灯りで照らされた夜道を歩いて近くの食堂へと向った。
 
 食堂で亜夢とアンテロスは、フィシュ&チップスとスコッチエッグ。それと、肉のスープを注文した。
 運ばれてきたスープを一口スプーンですくって飲んで、アンテロスがつぶやく。

「やっぱり、この国の料理は全体的に薄味だな、野菜も煮込みすぎて歯ごたえがない……味付けは卓上に置いてある岩塩とかコショウの調味料で、個人で自由に味付けしてくれということか……揚げた魚もなんだか生臭い」

 食事をしながら亜夢が、アンテロスに質問する。
「アンテロスは、どうしてこの偽ロンドンの世界に?」
「オレにもよくわからない……引き寄せられて堕天したとしか、ただやるべきコトはわかっている。悩める男を抱いて愛して、その男を癒やす」
「誰を抱くんだ?」

 アンテロスは、周囲を気にしながら小声で亜夢に囁いた。
「どうやら、オレは〝透明人間〟を抱くために、この、世界へ引き寄せられたみたいだ……協力して一緒に透明人間を探してくれ」
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