【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝

文字の大きさ
28 / 44

第二十七話

しおりを挟む
苛立ちを隠しきれないまま、リヒトは王宮の回廊を歩いていた。

(謝罪だと? 俺が?)

喉の奥が苦い。
あんな女に、頭を――。

そのとき。

「リヒト!」

呼ぶ声が、普段より高い。いや、高いだけではない。荒い。
足が止まった。

回廊の向こうから、王妃が現れた。
完璧に整えられているはずの歩調が、今日は速い。衣擦れが微かに乱れ、胸元が小さく上下している。

……息を乱している。

息ひとつ乱すことを嫌う王妃が。
身だしなみより先に“捕まえること”を選んだ――その事実が、背筋に冷たいものを走らせた。

「……王妃殿下」

取り繕った呼び方が、逆に滑稽に聞こえた。

王妃は立ち止まりもしない。距離を詰め、逃げ道を塞ぐように正面に立つ。

「あなた、今からモンテリオールへ行くのね」

問いではない。確認でもない。
命令の前置きだ。

リヒトは口角を上げようとして、上がらないことに気づいた。

「陛下のご命令ですから」

言葉だけは丁寧に整える。けれど胸の奥は、まだ煮えていた。

王妃の目が細くなる。いつもの余裕がない。表情に隙がある。
それは弱さではなく、焦りだった。

「――いい?」

王妃はさらに一歩近づく。香がいつもより強く感じる。息が浅いからだ。

「あなたは、きちんと謝罪しなさい」

リヒトの眉がわずかに動く。

「謝罪、とは……」

「言葉の意味を選ぶ余裕があるのなら、今ここで学びなさい」

王妃の声が鋭くなる。

「あなたが昨夜したのは、叱責ではない。公の侮辱よ」
「社交界は、あなたを笑い者にしたいのではない。裁きたいの」
「裁いたあと、どうなるかわかる?」
「想像もしたくないことが起きるのよ」

そして、名前が落ちる。

「……レオハルト」

その一語で、回廊の空気がさらに冷える。

「第二王子に汚点がつけば、誰が一番喜ぶと思っているの?」

言葉がひとつ落ちるたび、王妃の苛立ちが剥き出しになっていく。

「……母上、あの女が――」

「女、ではない」

王妃が被せる。国王と同じ訂正だ。

「モンテリオール侯爵令嬢。あなたの婚約者」
「王家の都合で繋いだ鎖で――お前の盾」

“鎖”という言葉が、ぴたりと嵌まった。
昨夜、俺が引きちぎろうとしたものの名だ。

王妃は息をひとつ吸う。乱れた呼吸を整えるためではない。言い切るためだ。

「あなたが謝罪を失敗すれば。もし、万が一でも婚約が破談になれば――」
「モンテリオールという盾は、どこへ行くの?」

最後の一語が、微かに震える。怒りではない。恐れでもない。
序列が崩れることへの、嫌悪だ。

王妃は、爪先まで整った指でリヒトの胸元を軽く押さえた。触れるだけなのに、押されていると錯覚する圧がある。

「あなたはその荒い感情を捨てて行きなさい」

命令が、骨に染みる。

「頭を下げるのよ。礼を尽くすのよ」
「あなたが恥を飲むのではない。あなたの地位を守るの」

リヒトは唇を噛んだ。
“俺”が叫びたがっている。けれど、王妃の目がそれを許さない。

「……承知しました、母上」

言葉は整った。整いすぎて、逆に冷たい。

王妃は、ようやく一歩引く。
その瞬間、また小さく息が乱れた。

「いいわね、リヒト」

確認ではない。釘だ。

リヒトは頷き、回廊の先を見る。
王宮の門が見える。外へ出れば、また空気が変わる。

(……俺は、謝りに行く)

その事実が、腹の底をさらに煮えさせた。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

親切なミザリー

みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。 ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。 ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。 こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。 ‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。 ※不定期更新です。

幼馴染み同士で婚約した私達は、何があっても結婚すると思っていた。

喜楽直人
恋愛
領地が隣の田舎貴族同士で爵位も釣り合うからと親が決めた婚約者レオン。 学園を卒業したら幼馴染みでもある彼と結婚するのだとローラは素直に受け入れていた。 しかし、ふたりで王都の学園に通うようになったある日、『王都に居られるのは学生の間だけだ。その間だけでも、お互い自由に、世界を広げておくべきだと思う』と距離を置かれてしまう。 挙句、学園内のパーティの席で、彼の隣にはローラではない令嬢が立ち、エスコートをする始末。 パーティの度に次々とエスコートする令嬢を替え、浮名を流すようになっていく婚約者に、ローラはひとり胸を痛める。 そうしてついに恐れていた事態が起きた。 レオンは、いつも同じ令嬢を連れて歩くようになったのだ。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

私よりも姉を好きになった婚約者

神々廻
恋愛
「エミリー!お前とは婚約破棄し、お前の姉のティアと婚約する事にした!」 「ごめんなさい、エミリー.......私が悪いの、私は昔から家督を継ぐ様に言われて貴方が羨ましかったの。それでっ、私たら貴方の婚約者のアルに恋をしてしまったの.......」 「ティア、君は悪くないよ。今まで辛かったよな。だけど僕が居るからね。エミリーには僕の従兄弟でティアの元婚約者をあげるよ。それで、エミリーがティアの代わりに家督を継いで、僕の従兄と結婚する。なんて素敵なんだろう。ティアは僕のお嫁さんになって、2人で幸せな家庭を築くんだ!」 「まぁ、アルったら。家庭なんてまだ早いわよ!」 このバカップルは何を言っているの?

よかった、わたくしは貴女みたいに美人じゃなくて

碧井 汐桜香
ファンタジー
美しくないが優秀な第一王子妃に嫌味ばかり言う国王。 美しい王妃と王子たちが守るものの、国の最高権力者だから咎めることはできない。 第二王子が美しい妃を嫁に迎えると、国王は第二王子妃を娘のように甘やかし、第二王子妃は第一王子妃を蔑むのだった。

あなたの愛が正しいわ

来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~  夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。  一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。 「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」

彼女はいなかった。

豆狸
恋愛
「……興奮した辺境伯令嬢が勝手に落ちたのだ。あの場所に彼女はいなかった」

【完結済】婚約破棄から始まる物語~真実の愛と言う茶番で、私の至福のティータイムを邪魔しないでくださいな

をち。「もう我慢なんて」書籍発売中
恋愛
 約束の時間に遅れ、さらには腕に女性を貼り付けて登場したアレックス殿下。  彼は悪びれることすらなく、ドヤ顔でこう仰いました。 「レティシア。君との婚約は破棄させてもらう」  婚約者の義務としての定例のお茶会。まずは遅れたことに謝罪するのが筋なのでは? 1時間も待たせたあげく、開口一番それですか? しかも腕に他の女を張り付けて? うーん……おバカさんなのかしら? 婚約破棄の正当な理由はあるのですか? 1話完結です。 定番の婚約破棄から始まるザマァを書いてみました。

処理中です...