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第三十五話
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国王の執務室は、静かだった。
机上に報告書が積まれている。
夜会の件だけではない。ここ十年のモンテリオール家の動き、王妃の側近の出入り、第二王子の周辺——噂ではなく、線で繋いだ記録だ。
私は紙束の端を指で押さえ、目を滑らせた。
誰がどこで、何を言い、どの瞬間に沈黙したか。
王宮において沈黙は、言葉より雄弁だ。
(先に辿り着いたつもりだった)
だが、次の束——王妃側でまとめられた報告に目が触れた瞬間、私は静かに理解する。
(……王妃の方が早い)
味方よりも、敵の方が敵の動きに敏い。
不快な真理だが、王宮では珍しくもない。
私は紙から目を離し、執務机の前に立つ第一王子へ視線を上げた。
レオハルト。
戦場の風をまだ纏っている。姿勢は崩れない。言葉も必要以上に発しない。
だが黙っているだけで、この部屋の空気が一段締まる。
——私は知っている。
彼が「そういう男」になったのは、戦場のせいだけではない。
ふと、遠い記憶へ引き戻される。
レオハルトを初めて抱いた時、私は思った。
――この子が、次の王になる。
だが、その後に起こったことは、まるで『黄金の王子と赤髪の娘』の冒頭のようだった。
流行病で王妃が亡くなり、王妃の実家もまた、兄の無能で急速に傾いた。
力は失われ、分散され、王宮の均衡は静かに書き換えられていく。
レオハルトを守るものは、なくなった。
そこへ新しい王妃が迎えられ、リヒトを授かった。
その時点で、どうなるかは分かっていた。
私はなるべく目立たないように守ってきたつもりだった。
だが、そんな守り方では――守り切れるものではない。
どうすればいいのか。
答えが出ないまま、日々だけが過ぎた。
そして、あの日。
王妃の策で馬から落とされ、泥水の中から王妃を見上げる――まだ十歳のレオハルトの目を見た瞬間、私は決めた。
普通の子どもなら、痛みに顔を歪める。
普通の子どもなら、仕組まれた出来事に怯える。
けれどレオハルトは、怯えなかった。
泥水の中から、王妃を見上げていた。
――喰い殺してやる。
そう言っている目だった。
その瞬間、腹が決まった。
私は彼に告げた。
お前は王にならなければ死ぬ、と。
そう告げた時、レオハルトは表情ひとつ変えなかった。
とうに知っているという冷静さだった。
王になる前に命を落とす可能性もある――そう重ねて言っても、
レオハルトの静かな表情を動かすことは出来なかった。
……そこで私は、逆に不安になった。
まだ十歳の我が子の、底が見えない深い闇を見て。
この子は王になる。
この子以外が王になることはない。
だが、十歳でこれならば。
この子が王になった時――この子は、どんな怪物になっているのか。
黄金の王子として生まれてきたこの子が、過酷な日常の中で疲弊して。
だが疲弊に負けず、ここまで研ぎ澄まされてしまったことに、胸が痛んだ。
『黄金の王子と赤髪の娘』。
あの物語をなぞるように生きてしまっているこの子に、どうか、赤髪の娘のような安らぎを与えて下さい。
主なる神よ。
そして、物語よりも美しい終わりを――レオハルトに。
どうか、私の息子に。
私は静かに息を吐き、目の前の現実へ戻る。
机上には夜会の報告。
今夜の失態。明日の紙面。貴婦人たちの選択、そして追従する紳士たち。
レオハルトは視線を逸らさない。
必要以上に語らず、しかし必要な時にだけ、確実に言葉を落とす。
だから、レオハルトの言葉は重い。
私は執務机の縁に指先を置いた。
「……レオハルト」
名を呼ぶだけで、部屋の空気がさらに固くなる。
「何をした?」
机上に報告書が積まれている。
夜会の件だけではない。ここ十年のモンテリオール家の動き、王妃の側近の出入り、第二王子の周辺——噂ではなく、線で繋いだ記録だ。
私は紙束の端を指で押さえ、目を滑らせた。
誰がどこで、何を言い、どの瞬間に沈黙したか。
王宮において沈黙は、言葉より雄弁だ。
(先に辿り着いたつもりだった)
だが、次の束——王妃側でまとめられた報告に目が触れた瞬間、私は静かに理解する。
(……王妃の方が早い)
味方よりも、敵の方が敵の動きに敏い。
不快な真理だが、王宮では珍しくもない。
私は紙から目を離し、執務机の前に立つ第一王子へ視線を上げた。
レオハルト。
戦場の風をまだ纏っている。姿勢は崩れない。言葉も必要以上に発しない。
だが黙っているだけで、この部屋の空気が一段締まる。
——私は知っている。
彼が「そういう男」になったのは、戦場のせいだけではない。
ふと、遠い記憶へ引き戻される。
レオハルトを初めて抱いた時、私は思った。
――この子が、次の王になる。
だが、その後に起こったことは、まるで『黄金の王子と赤髪の娘』の冒頭のようだった。
流行病で王妃が亡くなり、王妃の実家もまた、兄の無能で急速に傾いた。
力は失われ、分散され、王宮の均衡は静かに書き換えられていく。
レオハルトを守るものは、なくなった。
そこへ新しい王妃が迎えられ、リヒトを授かった。
その時点で、どうなるかは分かっていた。
私はなるべく目立たないように守ってきたつもりだった。
だが、そんな守り方では――守り切れるものではない。
どうすればいいのか。
答えが出ないまま、日々だけが過ぎた。
そして、あの日。
王妃の策で馬から落とされ、泥水の中から王妃を見上げる――まだ十歳のレオハルトの目を見た瞬間、私は決めた。
普通の子どもなら、痛みに顔を歪める。
普通の子どもなら、仕組まれた出来事に怯える。
けれどレオハルトは、怯えなかった。
泥水の中から、王妃を見上げていた。
――喰い殺してやる。
そう言っている目だった。
その瞬間、腹が決まった。
私は彼に告げた。
お前は王にならなければ死ぬ、と。
そう告げた時、レオハルトは表情ひとつ変えなかった。
とうに知っているという冷静さだった。
王になる前に命を落とす可能性もある――そう重ねて言っても、
レオハルトの静かな表情を動かすことは出来なかった。
……そこで私は、逆に不安になった。
まだ十歳の我が子の、底が見えない深い闇を見て。
この子は王になる。
この子以外が王になることはない。
だが、十歳でこれならば。
この子が王になった時――この子は、どんな怪物になっているのか。
黄金の王子として生まれてきたこの子が、過酷な日常の中で疲弊して。
だが疲弊に負けず、ここまで研ぎ澄まされてしまったことに、胸が痛んだ。
『黄金の王子と赤髪の娘』。
あの物語をなぞるように生きてしまっているこの子に、どうか、赤髪の娘のような安らぎを与えて下さい。
主なる神よ。
そして、物語よりも美しい終わりを――レオハルトに。
どうか、私の息子に。
私は静かに息を吐き、目の前の現実へ戻る。
机上には夜会の報告。
今夜の失態。明日の紙面。貴婦人たちの選択、そして追従する紳士たち。
レオハルトは視線を逸らさない。
必要以上に語らず、しかし必要な時にだけ、確実に言葉を落とす。
だから、レオハルトの言葉は重い。
私は執務机の縁に指先を置いた。
「……レオハルト」
名を呼ぶだけで、部屋の空気がさらに固くなる。
「何をした?」
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