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第三十九話
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モンテリオール侯爵邸の応接間は、静かだった。
重いカーテンが光を柔らかく遮り、床に落ちる影まで計算されたように整っている。
——ここは交渉の場だ、と最初から告げる空気だった。
国王は椅子に腰を下ろす前に、まず立ったまま言った。
「モンテリオール侯爵。昨夜の件、王家の不徳である」
「第二王子の振る舞いは、婚約者への無礼に留まらず、貴家への侮辱となった」
国王が頭を下げる。
その隣で、第一王子が動く。
レオハルトもまた、同じ角度で頭を下げた。
——謝るべき当人ではない。
だが“王家の不始末”として、王子が頭を下げる。
その姿勢は、王家が責任を引き受けるという意思表示だった。
「……侯爵」
レオハルトは顔を上げ、短く言った。
「貴家の名誉を損なう結果になったこと、王家の長子としてお詫びします」
「そして——セレスティア嬢に、心よりお詫びします」
言葉はそれだけ。
余計な飾りも、感情の押しつけもない。
だからこそ、重い。
侯爵は礼を返す。深くも浅くもない。
感情のない角度だ。
「恐れ入ります、陛下。殿下」
それから、視線だけが動いた。
国王ではなく、レオハルトへ。
——探りだ。
誰が主導権を握っているのか。誰がこの場を望んだのか。
国王が席に着き、侯爵も向かいに座る。
茶が運ばれるが、誰も口をつけない。
「昨夜の件は、王家として正式に処理する」
国王は淡々と言った。
「第二王子の監督不行届きは、私の責任だ」
侯爵は、ゆっくりと頷いた。
「陛下のお言葉、重く受け止めます」
受け止める。
——許すとは言わない。
侯爵は礼を返した姿勢のまま、言葉を選ぶように一拍置いた。
「陛下。殿下。恐れ入ります。ただ——」
顔を上げる。
その視線は国王ではなく、わずかに右、第一王子へ向いた。
「本来、頭を下げるべき方が違います」
空気が、さらに静かになる。
「陛下が頭を下げられる必要はございません。まして第一王子殿下など」
「昨夜の不始末は、“王家”の不徳ではない」
侯爵の声は穏やかだ。
穏やかだからこそ、毒がよく染みる。
「第二王子リヒト殿下の失態です」
「そして——王妃アデルハイド・グランヴィル殿下の監督不行届きです」
国王の指先が、卓上で止まった。
レオハルトは表情を動かさない。
侯爵は続ける。
「娘を“女”と呼び、衆目の前で手をあげた」
「それは娘個人への侮辱に留まりません。モンテリオール家への侮辱です」
「——ひいては、王家が結んだ婚約の価値を、リヒト殿下自らが踏み潰したということ」
国王は低く息を吐いた。
「侯爵、望みは」
侯爵は、初めてほんのわずかに口角を上げた。
笑みではない。
計算が整った時の形だ。
「では、率直に」
一拍。
「グランヴィル公爵家が握っている“西方港の貿易監督権”を」
「——モンテリオールへ」
室内の温度が落ちる。
西方港。
王都に入る富の喉元。
関税、入港許可、取引の承認——すべてがそこを通る。
国王の目が、ほんの一瞬だけ鋭くなる。
「それは、王妃の実家が長く保持してきた権益だ」
「存じております」
侯爵は頷く。
「だからこそ、差し出していただきたいのです」
「王妃殿下が“統制”という名で独占してきたものを」
「陛下が『王家の不始末の償い』とおっしゃるのならば——王家が回収し、モンテリオールへ移す」
一拍。
「——そうでなければ、こちらが受けた恥辱と釣り合いません」
国王は沈黙した。
沈黙は否定ではない。
値を測る沈黙だ。
侯爵は畳みかけない。
代わりに、もう一つだけ置く。
「加えて、娘の名誉の回復を“記録”として残していただきたい」
国王が視線を上げる。
「記録?」
「はい」
侯爵の声が少しだけ硬くなる。
「『第二王子の暴挙は王家として遺憾である』」
「『モンテリオール侯爵令嬢に責はない』」
「この二点を、王家名で、正式に」
方法は問わない。
だが“残る形”でなければ意味がない——そう言外に示している。
そして最後に、侯爵は視線をレオハルトへ戻した。
「……殿下」
レオハルトはわずかに頷く。
侯爵は、そこで初めて言葉の核に触れた。
「本日お会いして、よくわかりました」
「娘の後ろにいたのは、レオハルト殿下ですね」
国王の指先が、報告書の端を押さえたまま動かない。
侯爵は淡々と言う。
「殿下が娘を望まれるなら、私は“相応の誠意”を見せていただければ応じます」
誠意。
その言葉に、空気がかたくなる。
国王が低く言った。
「誠意とは?」
「先ほど申し上げた二点です」
そして、結論だけを落とす。
「西方港の貿易監督権」
「王家名での名誉回復」
「この二つが揃うなら——私は、次の話を“前向きに”考えましょう」
国王は椅子の背に深く凭れ、短く言った。
「……よい」
「グランヴィルから、取り上げる」
たった一言で、王宮の地図が塗り替わった。
重いカーテンが光を柔らかく遮り、床に落ちる影まで計算されたように整っている。
——ここは交渉の場だ、と最初から告げる空気だった。
国王は椅子に腰を下ろす前に、まず立ったまま言った。
「モンテリオール侯爵。昨夜の件、王家の不徳である」
「第二王子の振る舞いは、婚約者への無礼に留まらず、貴家への侮辱となった」
国王が頭を下げる。
その隣で、第一王子が動く。
レオハルトもまた、同じ角度で頭を下げた。
——謝るべき当人ではない。
だが“王家の不始末”として、王子が頭を下げる。
その姿勢は、王家が責任を引き受けるという意思表示だった。
「……侯爵」
レオハルトは顔を上げ、短く言った。
「貴家の名誉を損なう結果になったこと、王家の長子としてお詫びします」
「そして——セレスティア嬢に、心よりお詫びします」
言葉はそれだけ。
余計な飾りも、感情の押しつけもない。
だからこそ、重い。
侯爵は礼を返す。深くも浅くもない。
感情のない角度だ。
「恐れ入ります、陛下。殿下」
それから、視線だけが動いた。
国王ではなく、レオハルトへ。
——探りだ。
誰が主導権を握っているのか。誰がこの場を望んだのか。
国王が席に着き、侯爵も向かいに座る。
茶が運ばれるが、誰も口をつけない。
「昨夜の件は、王家として正式に処理する」
国王は淡々と言った。
「第二王子の監督不行届きは、私の責任だ」
侯爵は、ゆっくりと頷いた。
「陛下のお言葉、重く受け止めます」
受け止める。
——許すとは言わない。
侯爵は礼を返した姿勢のまま、言葉を選ぶように一拍置いた。
「陛下。殿下。恐れ入ります。ただ——」
顔を上げる。
その視線は国王ではなく、わずかに右、第一王子へ向いた。
「本来、頭を下げるべき方が違います」
空気が、さらに静かになる。
「陛下が頭を下げられる必要はございません。まして第一王子殿下など」
「昨夜の不始末は、“王家”の不徳ではない」
侯爵の声は穏やかだ。
穏やかだからこそ、毒がよく染みる。
「第二王子リヒト殿下の失態です」
「そして——王妃アデルハイド・グランヴィル殿下の監督不行届きです」
国王の指先が、卓上で止まった。
レオハルトは表情を動かさない。
侯爵は続ける。
「娘を“女”と呼び、衆目の前で手をあげた」
「それは娘個人への侮辱に留まりません。モンテリオール家への侮辱です」
「——ひいては、王家が結んだ婚約の価値を、リヒト殿下自らが踏み潰したということ」
国王は低く息を吐いた。
「侯爵、望みは」
侯爵は、初めてほんのわずかに口角を上げた。
笑みではない。
計算が整った時の形だ。
「では、率直に」
一拍。
「グランヴィル公爵家が握っている“西方港の貿易監督権”を」
「——モンテリオールへ」
室内の温度が落ちる。
西方港。
王都に入る富の喉元。
関税、入港許可、取引の承認——すべてがそこを通る。
国王の目が、ほんの一瞬だけ鋭くなる。
「それは、王妃の実家が長く保持してきた権益だ」
「存じております」
侯爵は頷く。
「だからこそ、差し出していただきたいのです」
「王妃殿下が“統制”という名で独占してきたものを」
「陛下が『王家の不始末の償い』とおっしゃるのならば——王家が回収し、モンテリオールへ移す」
一拍。
「——そうでなければ、こちらが受けた恥辱と釣り合いません」
国王は沈黙した。
沈黙は否定ではない。
値を測る沈黙だ。
侯爵は畳みかけない。
代わりに、もう一つだけ置く。
「加えて、娘の名誉の回復を“記録”として残していただきたい」
国王が視線を上げる。
「記録?」
「はい」
侯爵の声が少しだけ硬くなる。
「『第二王子の暴挙は王家として遺憾である』」
「『モンテリオール侯爵令嬢に責はない』」
「この二点を、王家名で、正式に」
方法は問わない。
だが“残る形”でなければ意味がない——そう言外に示している。
そして最後に、侯爵は視線をレオハルトへ戻した。
「……殿下」
レオハルトはわずかに頷く。
侯爵は、そこで初めて言葉の核に触れた。
「本日お会いして、よくわかりました」
「娘の後ろにいたのは、レオハルト殿下ですね」
国王の指先が、報告書の端を押さえたまま動かない。
侯爵は淡々と言う。
「殿下が娘を望まれるなら、私は“相応の誠意”を見せていただければ応じます」
誠意。
その言葉に、空気がかたくなる。
国王が低く言った。
「誠意とは?」
「先ほど申し上げた二点です」
そして、結論だけを落とす。
「西方港の貿易監督権」
「王家名での名誉回復」
「この二つが揃うなら——私は、次の話を“前向きに”考えましょう」
国王は椅子の背に深く凭れ、短く言った。
「……よい」
「グランヴィルから、取り上げる」
たった一言で、王宮の地図が塗り替わった。
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