白薔薇姫と黒の魔法使いⅠ

七夕 真昼

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Ⅱ章

11話 アルデバランのお悩み相談室

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 エントランスのソファに項垂れて座るフィオラ。その手にはローズピンクの髪が握られていた。ロゼアリアの失踪に邸宅中が慌てている中、彼女の周りだけがしんと静まり返っている。

(どうすればよかったの……声をかけるべきではなかったの? けれど、お嬢様を放っておくなんて真似、私には……)

「フィオラ!!」
「オロルック……」

 慌てて駆けつけたオロルックの名前を、フィオラが力無く呼ぶ。

「お嬢様が……」
「話は聞いた。今騎士団の皆が探してるから、心配すんな」
「じゃあ、オロルックも早くお嬢様を探しに行って! こうしてる間にお嬢様にもしものことがあれば──」

 焦燥に駆られているフィオラの手をオロルックが握った。

「お嬢なら大丈夫! 白薔薇騎士団の部隊長なんだぜ! 大抵のことなら返り討ちにしちまうから、絶対無事だ!」

 それはフィオラも分かっている。けれど、戦場へ付き添ったことの無いフィオラにとって姫騎士としてのロゼアリアはあまり想像がつかない。

「……私、お嬢様に嫌われたかもしれない。すごく怒らせてしまった。お嬢様が戻られても、きっと私なんてもう必要無いわ」

 言葉を紡ぐフィオラの目に涙が溜まる。深緑の瞳が揺れる様を見て、オロルックがフィオラを抱き締める。

「そんなこと絶っっっ対に無い!! お嬢がフィオラを必要無いなんて言うわけないだろ!!」
「でも……」

 ロゼアリアのことなら侍女の中で自分が一番分かってると思っていた。幼い頃から彼女を見てきたのだ。ロゼアリアが喜んでいる時も辛い時も、いつだって一番近くで見守っていた。
 それなのに怒らせてしまった。彼女を傷つけた。それが、フィオラには何より辛かった。





 一体自分がどこに向かって走っているのか。ロゼアリア自身も分かっていない。ただ愛馬に身を任せて、どこでも良いから遠くへ行きたかった。

 短い髪は動きやすくて楽だ。元々短い方が好きだった。長い髪を愛したのはアーレリウスだ。だから切った。
 真珠のピアスもアーレリウスを思い出してしまうから、千切るように耳たぶから取って床に投げつけた。繊細な装飾はきっと壊れてしまっただろう。

(もう何も、考えたくない)

 フィオラに言われた通り傷口が開いたのか、頬がズキズキ痛む。
 ふと視線を上げれば、目の前には黒い巨塔。いつの間にか魔塔の傍まで来ていたらしい。
 最後に魔塔を訪れたのが四日前。だというのに、酷く昔のことのように感じる。

(カーネリア卿やリブからしたら、私が白薔薇姫じゃなくなったってどうでもいいことよね……)

 無性に、あのスピネージュの花茶が飲みたくなった。アルデバランのあの適当な態度も、今ならむしろ心地良い気がして。

 馬を降りて魔塔の柵に繋ぐ。重厚な門の前に立つと、いつも通り門が開いた。
 ひんやりと冷たく薄暗い回廊を一人で歩く。今頃オロルックは自分を探して駆け回っているだろうか。

 扉が開いた先で、炎と目が合った。鉢植えを手にした男性が、急に入ってきたロゼアリアを見下ろしている。

「えっ、だ、誰?」

 こんな魔法使い見覚えがない。いや、知っている魔法使いの方が少ないのだが。

 息を呑むほど美しい顔。両親の美貌を見慣れているロゼアリアでも、目の前の男性の顔の美しさに見とれてしまう。こんな顔、一度でも見かければ忘れないだろう。

──炎を閉じ込めたような瞳。ドラゴンが人に化けたような美しい顔立ち。

 父から聞いた言葉をふと思い出した。

(もしかして、この人が──)

「なんだお前。数日見なかっただけで人のことを忘れたのか?」

 男性から知っている声が聞こえてきた。

「あっ、えっ、カーネリア卿!? 髪はどうされたのですか!?」

 自分のことを棚に上げてロゼアリアが尋ねる。アルデバランの顔が見えている。髪を全て切ったわけではなく、よく見ると後ろで束ねられていた。

「使っただけだ」
「使う……?」
「魔法の中には身体の一部を必要にするものもあるからな。髪は一番負担がかからないし安全だろ」
「もしかして、それで髪を伸ばしていたのですか?」
「別にそういうつもりじゃない」

 一つも変わらないアルデバランの態度に、どこか安堵を覚える。彼はなぜ鉢植えを持っているのだろう。

「その鉢植えは?」
「新しく入手した薬草の苗。温室に持っていこうと思ってな」
「不思議な色の葉ですね」

 エメラルドというよりは水色に近い葉。それが透き通っている。これが苗ということは、成長したらどんな植物になるのだろうか。見てみたい。

「座ってろ。すぐリブも来るだろ」
「あ、はい」

 そう言うとアルデバランは姿を消してしまった。

(嫌な顔はされなくなった……みたい?)

 ロゼアリアが魔塔へ来ることをある程度はアルデバランも受け入れていた。害は無いと判断してもらえたのだろう。
 あのテーブルには少し本が増えていた。誰かが置きっぱなしにしているのかも。なんとなく、背表紙に目を向けてみる。

「『力学から考える物理魔法学』……つまらなさそう」

 タイトルを読んだだけで小難しい内容だと分かった。一体誰が置き去りにしたのか。早く片付けなければ、アルデバランに叱られるだろうに。

「ロゼアリアお姉さん!!」
「リブ」

 リブリーチェが駆け寄ってきた。その弾けるような笑顔を見ると、やるせなかった気持ちが薄れていく。

「どこかに行ってたんですか? 急に来なくなっちゃって、ボク心配で……」
「ごめんなさい。色々あって」
「ほっぺ、怪我したんですか? 色々って、もしかしてそれですか? あ、髪も切ったんですか?」
「えっと……」
「──リブ。人間の友人が訪ねて来て嬉しいんだろ。好きなだけ菓子でも持ってくるといい」

 もうアルデバランが戻って来た。彼の言葉を聞いたリブリーチェが顔を輝かせて、「いっぱい持ってきます!!」とどこかへ行ってしまう。
 正直、助かった。なんて話せばいいかまだ分からなかったから。

「……悪かったな。リブも悪気があって聞いたわけじゃないんだ」
「あ……それは分かっています」
「貴族の娘はやたら髪を伸ばしたがるからな。それを切るってことは、相応の理由があるんだろ」

 何も聞いて来ないのはアルデバランなりの優しさだったらしい。彼のことだから、気づいていないのかと思った。

「そう……ですね」
「別に聞かない。俺には関係のないことだし」

 どこから取り出したのか、大量の用紙に目を通し始めるアルデバラン。見たところ論文か何かのようだ。

「独り言があるなら好きに言えばいい。ここの連中はそれを口外する程他人に興味は無いからな」

 目の前に現れるティーカップ。いつもならふんわりとスピネージュの甘い香りを漂わせるそれは、今日は違った。湯気もない。

(もしかして、冷たい花茶? 私が頬に傷を負ってるのも分かって……)

 どうやらアルデバランという男は相当不器用な性格をしている。傷に負担がかからないよう、冷たいお茶を用意してくれるとは。
 それに、「独り言なら好きに言え」なんて。話したいなら話せば、くらい、素直に言えばいいものを。思わず緩みそうになる口元をティーカップで隠す。
 友達大作戦が功を奏したようだ。

(帰ったらもう一回フィオラにお礼を──)

 そう考えて、ズキンと胸が痛んだ。彼女と喧嘩をした勢いのまま、飛び出してきたんだった。

 独り言、か。

「……ずっと愛していた人に婚約を破棄されました。彼の前では騎士団に所属していることを、隠していたんです」

 まだ昨日のことなのに冷静に言葉にできたのは、アルデバランの前だからだろう。親身に話を聞いてくれる人には言えない。心配をかけてしまうから。アルデバランはロゼアリアの心配などしない。ロゼアリアの傷や痛みを、彼が共有することは決して無い。
 だから安心して吐き出すことができた。

「あの人が好きだったのは、理想を詰め込んだ完璧なお姫様。……でも、皆が好きな白薔薇姫を、私は好きになれなかった」

 息苦しかった。ずっと。視線を落としたカップの中で、黄金色の液体が揺れる。

「苦しくても、隠し通すしかなかったの? 騎士団に所属してることも、調べてもすぐには分からないようにしておけばよかった?」

 それしか、幸せになる道はなかったのか。そうだとして、それは幸せと呼べるのか。

 一度、アルデバランに視線を向ける。言った通り本当に興味が無いのか、アルデバランは目を通した論文に思い切り赤で批評を書き殴っている。

(えっと……言葉が粗雑なだけで、話を聞き流すくらいはしてくれると思ったんだけど……)

 独り言とはいえ、このまま話し続けるのを少し躊躇ってしまう。

「騎士であることは、お前にとって隠し通したいほど後ろめたいことなのか?」
「え……」

 論文から目を逸らさずにアルデバランが尋ねてきた。

「誰にでも言いたくない秘密はある。それは別に、悪いことじゃないだろ」
「……カーネリア卿も?」

 ほんの一瞬だけ、アルデバランがロゼアリアに視線を向けた。

「どんな理由だろうと離れていく人間ならそれまでの奴だ。だとしても悲しむ必要は無い。不要な縁は勝手に切れるからな」

 ロゼアリアの問いには答えず、アルデバランはあっけらかんとした様子で言った。随分さっぱりしている。彼らしいと言えば彼らしい。

(つまり……気にするな、と言ってるの?)

 それは少し、意訳しすぎか。アルデバランが励ましてくれるような人じゃないことはもう分かっている。

「お前が今向き合うべきなのは、それでも離れずにいてくれる物好きなんじゃないか」
「物好きって……」

 脳裏に浮かぶのはフィオラ。喧嘩をした時の、彼女の表情が忘れられない。
 感情任せだったとはいえ酷い言葉を投げたのに、それでも「傍にいる」と言ってくれた。

「……私、フィオラに酷いこと言っちゃった。ずっと一緒にいてくれたのに」
「そう思うなら謝れば済む話だろ。悩むまでもない」
「許してくれると思う?」
「それを決めるのは相手だ。ただ、謝罪しなければ許しを乞う立場にもなれないがな」

 アルデバランの言う通りだ。帰ったらフィオラにきちんと謝ろう。
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