130 / 154
Climax show
70話 私的な敵
しおりを挟む
ばしゃ、と。
液体を真上から勢い良く撒き散らしたような音。
「……アダム?」
彼のすぐ隣に立っていたジェセルが真っ先に目を疑う。
――潰れた身体。
――放射状に拡がる鮮血。
――ありえない方向へと曲がった関節。
――そして、生気の宿らない顔。
大きく、逞しかった彼の肉体が一瞬にしてただの肉塊へと成り果て、床に転がっていたのだ。
「あたいを相手にそんな隙を見せるからだ。間抜けめ」
泣きっ面、ではなく“死にっ面に蜂”とでもいったところだろうか。
折り畳まれたかのように薄くなってしまった姿のアダマスへ、クィンが容赦の無い指摘をチクリと刺す。
アダマスは先程まで、単身で上位魔神を相手取り圧倒を見せていた。
クィンが全力ではない。それが解っていたとしても、その過程が彼に若干の慢心を生み『敢えなく即死』という結果へと至らせてしまったのかもしれない。
――今となっては“死人に口無し”なので理由を問い詰める事などできないが。
そしてそんな相方の突然の死に、ジェセルは――。
「……はぁ」
と、呆れ返ったかのように溜め息を一度だけこぼすのみ。
(ジェセル様……?)
そのあまりにも非感情的な彼女の仕草に、フェリィが唖然とする。
「それがあなたの答えね……」
地に伏したまま微動だにせず、ただただ冷たくなっていくアダマス。
どう見積もっても、どう善処を尽くしたとしても助かりはしないであろう彼に対し、ぼそりと意味深に漏らす彼女。
その諦めに満ちた眼差しはさながら、粗相を起こしてしまった飼い犬へ向けるものに近い。
(いや、いくらなんでも……)
一人で戦うと息巻いたところでの惨死。
彼に油断があったのは確かだ。
包み隠さず言えば、まさしく“自業自得”という他ないだろう。
(……扱いが非道すぎやしないか?)
しかしそれでも、人一人が死んだのだ。ましてやアダマスはジェセルにとって、一生を添い遂げる誓いを交わした相手。
動転するでもなく、打ちひしがれるでもなく、彼女はただ冷たく見据えるのみだった――。
「……さて、後はオマエだな」
クィンはそう言うと、真紅に煌めく眼光を壇上にいるフェリィの方へと傾ける。
(――っ!)
自身へと突如放たれた殺気に、フェリィの全身から冷たい汗がどっと吹き出る。
そう、そもそも彼女はクィンの当初の目的である“捕食”の対象となっていた人物。
それを阻んでいたアダマスが絶命した今、クィンの次なる狙いはジェセルではなく彼女だったのだ。
しかし――。
「……邪魔だ。退け」
「彼女には指一本触れさせないわ」
壇上へと歩を進めようとしたクィンへ、ジェセルが立ち塞がる。
「オマエに用はない。さっさとここから消えろ。そうすれば命だけは助けてやるぞ」
「そう言われて立ち去るとでも思って? アナタの相手は私よ」
魔神からの圧力に臆することなく、勇むジェセル。
すると彼女は着ていた白いコートの懐へ、おもむろに手を入れる。
中から取り出されたのは片腕程の長さを持つ杖剣で、同種の武器を持つフェリィの装備より幾分も短い。
白と黒。相反する二つの色を基調としたカラーリング。先端に満月を模したような宝飾を誂えたその武器の名は杖剣。彼女の愛用武器だ。
「…………」
得物を手に取ったジェセルは、改めて構える。
すなわちそれは『ここは通さない』という意思を表明したも同然。
だが、クィンにとっては眼前の女性を殺める理由として、存分に足り得る相手となったのだ。
「退く気はさらさら無いようだな。ならば――」
言葉を紡ぎ終えたと同時。
手打ちでの打撃。
予備動作を不必要と断じ、腕の力だけで突く。
最短にして最速の一撃である。
この女にはそれだけで充分。そう判断し、胸を貫くつもりでクィンは右拳を放ったのだ――。
「――“フュネレイ”」
が、拳が触れるかどうかの刹那。
ジェセルの詠唱が僅かに早かった。
「ッッ!?」
眩い閃光。炸裂音。
そして、やや遅れての痛覚。
クィンの表情が僅かに苦悶となる。
「な……」
患部を見て、少女は思わず絶句してしまう。
まるで捥げてしまったかのように手首から先が――ないのだ。
「……チッ。“光使い”か」
だが飽くまで冷静に。
覚えのあるダメージの具合から、クィンは舌打ち混じりでその呼称を口にした。
「あら……魔神達は光術士を“そう”呼ぶのね」
ティータイムでも嗜んでいるかのような澄ました顔付きで、杖剣を構えたままのジェセル。
その周りには、彼女を取り囲むように無数の光球の群れが舞う。
礫ほどの大きさを誇るそれらは、淡い黄白色の光を放ちながら、円を描くように絶えず旋回を続けていた。
(……厄介だな)
クィンが胸中で漏らした通り、ジェセルが発動した術――ひいては光術での攻撃は、魔神族に対し絶大な威力を発揮する。マナによって練り上げられた聖なる光が、邪の化身とされる魔神を討ち祓う力を備えているからだ。
しかし光術というのは元来より、攻撃性能を持つ魔術ではない。戦場に於いては照明や信号弾など、戦いを補助する為の役割を果たすものが殆どだ。
六大属性の中でも唯一、物理エネルギーを伴わない属性であり、相手に直接損傷たらしめる程に熟練させるのはかねてより難しいと認識されていた。
「……どうしたの? 来ないの?」
だが彼女は国内随一の光術士。
アダマスよりも序列の低い第10団士でありながら、“対魔神戦闘のエキスパート”と軍内では評価を確立していたのであった。
(とは言ったものの……上位魔神を相手にするなんて想像もつかなかったわ)
挑発でもするかのような口振りとは裏腹。
内心ではこの巡り合わせを不運と捉える声を上げていた。
(でも、いい機会だわ。私の光術がこのまま上位魔神を相手に通用するのなら……!)
すぐに意識を切り替え、杖剣を握る手に力を込める。
彼女――ジェセル・ザビッツァは、上位魔神との交戦の経験は無く、過去に撃退してきた魔神はいずれも中位・下位のランクのみだ。
そして先程述べたように対魔神戦闘を得意としてはいるのだが、逆に魔神族以外との戦いに於いての実力は然程高くはない。
それどころか総合的な戦闘力は序列が下のカレリアやサクリウスよりも低いと、周囲からは認識されている。そのため戦線の最前ではなく、危険の少ないゼレスティア領の中でのみの任務でしか派兵されないのであった。
更に付け加えると、彼女は光術の派生術である“治癒術”も扱える。治癒術の使い手というのは熟練の光術士よりも希少とされ、国内を見渡しても片手で数えれるほどにしか存在していない。
結果、その希少さゆえに人材としての価値を軍上層部から評価されてしまい、常に国内に留まるよう彼女には指示が下されていたのだった。
(……私だって、戦えるんだから)
彼女は、実力が認められれば認められるほどに上層部から手厚く扱われるという、自身の待遇に満足しているわけでは無い。
『自分だって前線で戦いたい』
その想いを持って、ここに立っているのだ――。
その一方で、相対をするクィン。
目の前ではジェセルの放った光球の群れが、やや不規則な円運動で絶えず飛び交っている。
ひとたび光球に直撃でもすれば致命傷は確実。光術での負傷は治りが遅いというのも、迂闊に飛び込めない要因となっていた。
(…………)
これまでは“猪突猛進”が如く、真正面から戦う事しか能が無いように見えた少女。
ここに来て初めて思慮深く、観察でもするかのように戦況を見定めている。
激情型の性格の持ち主であるクィンにそれを強いらせてしまうほどに、魔神族にとって“光使い”との交戦は厄介極まりないのであった。
(そうだな、まずは……)
思い立ったかのように、クィンは躊躇なく手を延ばす。
旋回を続ける光球の、こちら側へ最も近い距離。
すなわち相手の術の範囲内に――だ。
(――ッッ)
再びの炸裂音。
光球が指先に触れた途端、爆ぜたのだ。
(……なるほどな)
欠損した真ん中三本の指を見て、少女は納得を示す。
(範囲内に入ったと同時、飛んでいる最も近い玉が意志を持ったかのように――か)
身を呈してまで、術の性能をじっくりと見極めるクィン。
そこで改めて、策を練る。
(いっそのこと“圧壁”でまとめて潰すか……? いや、駄目だ。もう通用しないだろう。躱されるのがオチだ。今の奴に隙は見えない)
自問自答をするが如く、クィンは思慮を重ね続ける。
(問題は、奴があの玉を一つ一つ操っているのか。それとも発動さえしてしまえば自律的に守護するよう設定されているのか……だろう。それが解らないとなると、あたいが取るべき手段は一つしかないな……)
長考の末、判断を終えたクィンは意を決す――。
(……来る!)
術を発動した立ち位置から、未だ微動だにしていないジェセル。
身を低く屈め、こちらに向かって突進でもしそうな構えを見せるクィンに対し、覚悟を決める。
――踏み込み、クィンがジェセル目掛けて跳ぶ。
無数の光球が一斉に少女へ――。
(これを使うのは気が進まんが、仕方ない……!)
(――護愛――)
「…………っ!」
ジェセルが、目の前で繰り広げられている光景に驚愕する。
前後・左右・上下とあらゆる角度から高速追尾する光球を、全て紙一重でクィンが避けているのだ。
(まさか、ここまで使いこなせているとは……驚きだわ)
団士のお株を奪うほどの神懸かった回避術。
改めて、上位魔神のその学習能力の高さに戦慄とする。
(……どうやらこれは、自動で追尾するタイプの術のようだな)
人間を大きく凌駕した超反応とも言えるスピードで、絶えず襲い来る光球をクィンは回避。
そして避け続けながらも、既に次の策を講じ終えていたのだ。
(あたいの読みが正しいのなら、次に奴が仕掛けてくるのは……!)
そう考えを巡らせた矢先だった――。
飛び交う無数の光球。その内の一つ、真正面から顔面に向かって飛来してきた光球が、直前でぴたりと停止したのだ。
(……っ?)
不審に思ったのも束の間。
その光球が再び動き出し、迫ってくる。
そう、フェイントでもかけたかのように不意を衝く動きを見せたのだ――。
(……あなたは私の術の性質を“自動追尾”だと思い込んでいるんでしょう……? それは半分正解よ)
指で光球を遠隔操作しつつ、まるで答え合わせでもするかの如くジェセルが脳内で紡ぐ。
(残念ね、私の“フュネレイ”は手動で操る事だって可能なのよ。こうやって……個別に、ね)
十数個もの光球全てを、正確に操るのは不可能。
なので彼女はこの術を発動した時、常に自動追尾するよう光球全てにプログラミングをしていた。
だが、“全て避けられる”という想定もしたくない事態を彼女は予め想定し、このように一つを手動で動かせるよう手を加えていたのだった。
(これで……終わりよ!)
刹那の間での欺き。
この極限状態に於いて、たった一つの不意は雌雄を決するだろう。
ジェセルも、固唾を呑んで見守っていたフェリィも、“これで決着”と確信を持った――――が。
(……甘いな、それもあたいは想定済みだっ!)
少女の形相がぎい、と歪む。
そして次の瞬間、首を捻りかろうじて光球を避けてみせたのだ――。
「なっ――!?」
度肝を抜かれるジェセル。
クィンは大口を開けて嗤う。
光球は僅かに頬へと掠めていたようで、口が裂けたように肉が抉れ、奥歯が露わとなっている。
「はははhaははは――舐めるなヒト族ッ! あたいにそんな小癪な真似は通じんぞ!」
その言葉と共に、纏わりつくように襲ってきた光球の群れからクィンは逃れ出る。
光球の一つが手動になったことによって、弾幕の如き攻撃に隙間が生じてしまったのだ。
そしてそのまま、愕然としているジェセルの方へ一直線に突き進む。
後を追うように光球も追尾するがクィンの全速力に敵う訳もなく、二人の距離はたちまちと縮まっていく――。
(どうやら……ここまでのようね)
逃げられない、と悟ったジェセル。
脱力したかのように膝が抜け、彼女はその場にへたり込む。
(アダム、ごめんなさい。私じゃやっぱり……)
その表情からは、既に諦めが窺えた。
そしてそんな悲哀に溢れた姿の彼女へと、クィンは容赦なく拳を振るおうと意気盛んに迫る――。
「余興にすらならないと思っていたが、少しは楽しませてもらったぞヒト族の雌よ! これで心置きなく死――」
「――“ペティクトゥム”!」
クィンの語尾が途切れる。
石で形成された巨大な拳に、突如として横っ面を射抜かれたのだ。
(なっ……!?)
防御にマナを費す暇すら与えられず、まともに喰らってしまったクィン。
覚えのある術での攻撃に、術者へと視線を送る。
その術者は、壇上に居た筈のフェリィだった。
拝むかのような姿勢で両手を石床に置き、ジェセルを庇う形で彼女は土術を唱えていたのだ。
(アイツ……まだ力が残って――! くそぉッッ――!)
憤慨も虚しく、クィンは殴られた衝撃によって入り口側の石壁へと無様に吹き飛んでいく。
「フェリィ……? あなた――」
「“インペクシス・ペトル”!」
ジェセルが振り向きざまに呼ぶが、その声を遮りフェリィは土術を更に唱える。
すると天井が巨大な氷柱のように隆起し、クィンが飛んでいった着地点へと垂直に降り注いだのだ。
轟音が、聖堂内に大きく響く――。
「フェリィっ!」
直ぐ様立ち上がり、ジェセルがフェリィへと駆け寄る。
「はぁっ、はぁ……ジェセルさま……早く……お逃げ下さい……!」
手を床に置いた体勢のまま、フェリィが荒息混じりに言う。
その顔色は熱病のように赤く染まり、褐色の肌には珠のような汗が浮き出ている。
正真正銘最後の力を振り絞ったのだろう。
間もなく、“マナ・ショック”の症状も出るに違いない。
「……何を言ってるの? あなたは……どうするのよ?」
「元より、私は死を覚悟していました……。アダマス様に救われたこの命……せめてもの恩として……妻であるジェセル様……にと…………。あなたの御力はこの国の宝なのです……私の安い命と引き換えにできるのなら…………っっ」
途切れ途切れで紡がれる言葉だったが、そこでフェリィの意識は遂に途絶えてしまった。
ふっ、と糸が切れたかのように床へと倒れ込む。
「…………」
凄まじい後悔が、烈火の如く胸の内側を焦がす。
夫とのつまらない約束。
戦闘においての私的な感情の介入。
それによって部下に負わせてしまった命の危機。
――全て、私の責任だ。
「……“ペルフェクトゥ・メディク”」
彼女がそう静かに唱えた途端、広げた掌が大きく発光。
陽光のような暖かな光が、伏したままのフェリィの全身を包む――。
「――? これ、は……?」
干したての羽毛布団のような、優しい温もり。
フェリィの閉じていた瞼が、ゆっくりと開く。
「……フェリィ、ごめんなさい」
「ジェセル様……?」
目を開いた先には、憂いに満ちた面持ちの美女。
「すぐには起き上がれないと思うから……ここでじっとしていて。もうあなたに危険は及ばせないわ」
言い残すようにそれだけを告げると、ジェセルはすっと立ち上がる。
そして冷たくなったままのアダマスの方へと、静かに歩み始めた。
(…………!)
見送るフェリィの目に映ったのは、決意と覚悟に満ちた、凛とした彼女の背中だった――。
「――アダム、起きて」
液体を真上から勢い良く撒き散らしたような音。
「……アダム?」
彼のすぐ隣に立っていたジェセルが真っ先に目を疑う。
――潰れた身体。
――放射状に拡がる鮮血。
――ありえない方向へと曲がった関節。
――そして、生気の宿らない顔。
大きく、逞しかった彼の肉体が一瞬にしてただの肉塊へと成り果て、床に転がっていたのだ。
「あたいを相手にそんな隙を見せるからだ。間抜けめ」
泣きっ面、ではなく“死にっ面に蜂”とでもいったところだろうか。
折り畳まれたかのように薄くなってしまった姿のアダマスへ、クィンが容赦の無い指摘をチクリと刺す。
アダマスは先程まで、単身で上位魔神を相手取り圧倒を見せていた。
クィンが全力ではない。それが解っていたとしても、その過程が彼に若干の慢心を生み『敢えなく即死』という結果へと至らせてしまったのかもしれない。
――今となっては“死人に口無し”なので理由を問い詰める事などできないが。
そしてそんな相方の突然の死に、ジェセルは――。
「……はぁ」
と、呆れ返ったかのように溜め息を一度だけこぼすのみ。
(ジェセル様……?)
そのあまりにも非感情的な彼女の仕草に、フェリィが唖然とする。
「それがあなたの答えね……」
地に伏したまま微動だにせず、ただただ冷たくなっていくアダマス。
どう見積もっても、どう善処を尽くしたとしても助かりはしないであろう彼に対し、ぼそりと意味深に漏らす彼女。
その諦めに満ちた眼差しはさながら、粗相を起こしてしまった飼い犬へ向けるものに近い。
(いや、いくらなんでも……)
一人で戦うと息巻いたところでの惨死。
彼に油断があったのは確かだ。
包み隠さず言えば、まさしく“自業自得”という他ないだろう。
(……扱いが非道すぎやしないか?)
しかしそれでも、人一人が死んだのだ。ましてやアダマスはジェセルにとって、一生を添い遂げる誓いを交わした相手。
動転するでもなく、打ちひしがれるでもなく、彼女はただ冷たく見据えるのみだった――。
「……さて、後はオマエだな」
クィンはそう言うと、真紅に煌めく眼光を壇上にいるフェリィの方へと傾ける。
(――っ!)
自身へと突如放たれた殺気に、フェリィの全身から冷たい汗がどっと吹き出る。
そう、そもそも彼女はクィンの当初の目的である“捕食”の対象となっていた人物。
それを阻んでいたアダマスが絶命した今、クィンの次なる狙いはジェセルではなく彼女だったのだ。
しかし――。
「……邪魔だ。退け」
「彼女には指一本触れさせないわ」
壇上へと歩を進めようとしたクィンへ、ジェセルが立ち塞がる。
「オマエに用はない。さっさとここから消えろ。そうすれば命だけは助けてやるぞ」
「そう言われて立ち去るとでも思って? アナタの相手は私よ」
魔神からの圧力に臆することなく、勇むジェセル。
すると彼女は着ていた白いコートの懐へ、おもむろに手を入れる。
中から取り出されたのは片腕程の長さを持つ杖剣で、同種の武器を持つフェリィの装備より幾分も短い。
白と黒。相反する二つの色を基調としたカラーリング。先端に満月を模したような宝飾を誂えたその武器の名は杖剣。彼女の愛用武器だ。
「…………」
得物を手に取ったジェセルは、改めて構える。
すなわちそれは『ここは通さない』という意思を表明したも同然。
だが、クィンにとっては眼前の女性を殺める理由として、存分に足り得る相手となったのだ。
「退く気はさらさら無いようだな。ならば――」
言葉を紡ぎ終えたと同時。
手打ちでの打撃。
予備動作を不必要と断じ、腕の力だけで突く。
最短にして最速の一撃である。
この女にはそれだけで充分。そう判断し、胸を貫くつもりでクィンは右拳を放ったのだ――。
「――“フュネレイ”」
が、拳が触れるかどうかの刹那。
ジェセルの詠唱が僅かに早かった。
「ッッ!?」
眩い閃光。炸裂音。
そして、やや遅れての痛覚。
クィンの表情が僅かに苦悶となる。
「な……」
患部を見て、少女は思わず絶句してしまう。
まるで捥げてしまったかのように手首から先が――ないのだ。
「……チッ。“光使い”か」
だが飽くまで冷静に。
覚えのあるダメージの具合から、クィンは舌打ち混じりでその呼称を口にした。
「あら……魔神達は光術士を“そう”呼ぶのね」
ティータイムでも嗜んでいるかのような澄ました顔付きで、杖剣を構えたままのジェセル。
その周りには、彼女を取り囲むように無数の光球の群れが舞う。
礫ほどの大きさを誇るそれらは、淡い黄白色の光を放ちながら、円を描くように絶えず旋回を続けていた。
(……厄介だな)
クィンが胸中で漏らした通り、ジェセルが発動した術――ひいては光術での攻撃は、魔神族に対し絶大な威力を発揮する。マナによって練り上げられた聖なる光が、邪の化身とされる魔神を討ち祓う力を備えているからだ。
しかし光術というのは元来より、攻撃性能を持つ魔術ではない。戦場に於いては照明や信号弾など、戦いを補助する為の役割を果たすものが殆どだ。
六大属性の中でも唯一、物理エネルギーを伴わない属性であり、相手に直接損傷たらしめる程に熟練させるのはかねてより難しいと認識されていた。
「……どうしたの? 来ないの?」
だが彼女は国内随一の光術士。
アダマスよりも序列の低い第10団士でありながら、“対魔神戦闘のエキスパート”と軍内では評価を確立していたのであった。
(とは言ったものの……上位魔神を相手にするなんて想像もつかなかったわ)
挑発でもするかのような口振りとは裏腹。
内心ではこの巡り合わせを不運と捉える声を上げていた。
(でも、いい機会だわ。私の光術がこのまま上位魔神を相手に通用するのなら……!)
すぐに意識を切り替え、杖剣を握る手に力を込める。
彼女――ジェセル・ザビッツァは、上位魔神との交戦の経験は無く、過去に撃退してきた魔神はいずれも中位・下位のランクのみだ。
そして先程述べたように対魔神戦闘を得意としてはいるのだが、逆に魔神族以外との戦いに於いての実力は然程高くはない。
それどころか総合的な戦闘力は序列が下のカレリアやサクリウスよりも低いと、周囲からは認識されている。そのため戦線の最前ではなく、危険の少ないゼレスティア領の中でのみの任務でしか派兵されないのであった。
更に付け加えると、彼女は光術の派生術である“治癒術”も扱える。治癒術の使い手というのは熟練の光術士よりも希少とされ、国内を見渡しても片手で数えれるほどにしか存在していない。
結果、その希少さゆえに人材としての価値を軍上層部から評価されてしまい、常に国内に留まるよう彼女には指示が下されていたのだった。
(……私だって、戦えるんだから)
彼女は、実力が認められれば認められるほどに上層部から手厚く扱われるという、自身の待遇に満足しているわけでは無い。
『自分だって前線で戦いたい』
その想いを持って、ここに立っているのだ――。
その一方で、相対をするクィン。
目の前ではジェセルの放った光球の群れが、やや不規則な円運動で絶えず飛び交っている。
ひとたび光球に直撃でもすれば致命傷は確実。光術での負傷は治りが遅いというのも、迂闊に飛び込めない要因となっていた。
(…………)
これまでは“猪突猛進”が如く、真正面から戦う事しか能が無いように見えた少女。
ここに来て初めて思慮深く、観察でもするかのように戦況を見定めている。
激情型の性格の持ち主であるクィンにそれを強いらせてしまうほどに、魔神族にとって“光使い”との交戦は厄介極まりないのであった。
(そうだな、まずは……)
思い立ったかのように、クィンは躊躇なく手を延ばす。
旋回を続ける光球の、こちら側へ最も近い距離。
すなわち相手の術の範囲内に――だ。
(――ッッ)
再びの炸裂音。
光球が指先に触れた途端、爆ぜたのだ。
(……なるほどな)
欠損した真ん中三本の指を見て、少女は納得を示す。
(範囲内に入ったと同時、飛んでいる最も近い玉が意志を持ったかのように――か)
身を呈してまで、術の性能をじっくりと見極めるクィン。
そこで改めて、策を練る。
(いっそのこと“圧壁”でまとめて潰すか……? いや、駄目だ。もう通用しないだろう。躱されるのがオチだ。今の奴に隙は見えない)
自問自答をするが如く、クィンは思慮を重ね続ける。
(問題は、奴があの玉を一つ一つ操っているのか。それとも発動さえしてしまえば自律的に守護するよう設定されているのか……だろう。それが解らないとなると、あたいが取るべき手段は一つしかないな……)
長考の末、判断を終えたクィンは意を決す――。
(……来る!)
術を発動した立ち位置から、未だ微動だにしていないジェセル。
身を低く屈め、こちらに向かって突進でもしそうな構えを見せるクィンに対し、覚悟を決める。
――踏み込み、クィンがジェセル目掛けて跳ぶ。
無数の光球が一斉に少女へ――。
(これを使うのは気が進まんが、仕方ない……!)
(――護愛――)
「…………っ!」
ジェセルが、目の前で繰り広げられている光景に驚愕する。
前後・左右・上下とあらゆる角度から高速追尾する光球を、全て紙一重でクィンが避けているのだ。
(まさか、ここまで使いこなせているとは……驚きだわ)
団士のお株を奪うほどの神懸かった回避術。
改めて、上位魔神のその学習能力の高さに戦慄とする。
(……どうやらこれは、自動で追尾するタイプの術のようだな)
人間を大きく凌駕した超反応とも言えるスピードで、絶えず襲い来る光球をクィンは回避。
そして避け続けながらも、既に次の策を講じ終えていたのだ。
(あたいの読みが正しいのなら、次に奴が仕掛けてくるのは……!)
そう考えを巡らせた矢先だった――。
飛び交う無数の光球。その内の一つ、真正面から顔面に向かって飛来してきた光球が、直前でぴたりと停止したのだ。
(……っ?)
不審に思ったのも束の間。
その光球が再び動き出し、迫ってくる。
そう、フェイントでもかけたかのように不意を衝く動きを見せたのだ――。
(……あなたは私の術の性質を“自動追尾”だと思い込んでいるんでしょう……? それは半分正解よ)
指で光球を遠隔操作しつつ、まるで答え合わせでもするかの如くジェセルが脳内で紡ぐ。
(残念ね、私の“フュネレイ”は手動で操る事だって可能なのよ。こうやって……個別に、ね)
十数個もの光球全てを、正確に操るのは不可能。
なので彼女はこの術を発動した時、常に自動追尾するよう光球全てにプログラミングをしていた。
だが、“全て避けられる”という想定もしたくない事態を彼女は予め想定し、このように一つを手動で動かせるよう手を加えていたのだった。
(これで……終わりよ!)
刹那の間での欺き。
この極限状態に於いて、たった一つの不意は雌雄を決するだろう。
ジェセルも、固唾を呑んで見守っていたフェリィも、“これで決着”と確信を持った――――が。
(……甘いな、それもあたいは想定済みだっ!)
少女の形相がぎい、と歪む。
そして次の瞬間、首を捻りかろうじて光球を避けてみせたのだ――。
「なっ――!?」
度肝を抜かれるジェセル。
クィンは大口を開けて嗤う。
光球は僅かに頬へと掠めていたようで、口が裂けたように肉が抉れ、奥歯が露わとなっている。
「はははhaははは――舐めるなヒト族ッ! あたいにそんな小癪な真似は通じんぞ!」
その言葉と共に、纏わりつくように襲ってきた光球の群れからクィンは逃れ出る。
光球の一つが手動になったことによって、弾幕の如き攻撃に隙間が生じてしまったのだ。
そしてそのまま、愕然としているジェセルの方へ一直線に突き進む。
後を追うように光球も追尾するがクィンの全速力に敵う訳もなく、二人の距離はたちまちと縮まっていく――。
(どうやら……ここまでのようね)
逃げられない、と悟ったジェセル。
脱力したかのように膝が抜け、彼女はその場にへたり込む。
(アダム、ごめんなさい。私じゃやっぱり……)
その表情からは、既に諦めが窺えた。
そしてそんな悲哀に溢れた姿の彼女へと、クィンは容赦なく拳を振るおうと意気盛んに迫る――。
「余興にすらならないと思っていたが、少しは楽しませてもらったぞヒト族の雌よ! これで心置きなく死――」
「――“ペティクトゥム”!」
クィンの語尾が途切れる。
石で形成された巨大な拳に、突如として横っ面を射抜かれたのだ。
(なっ……!?)
防御にマナを費す暇すら与えられず、まともに喰らってしまったクィン。
覚えのある術での攻撃に、術者へと視線を送る。
その術者は、壇上に居た筈のフェリィだった。
拝むかのような姿勢で両手を石床に置き、ジェセルを庇う形で彼女は土術を唱えていたのだ。
(アイツ……まだ力が残って――! くそぉッッ――!)
憤慨も虚しく、クィンは殴られた衝撃によって入り口側の石壁へと無様に吹き飛んでいく。
「フェリィ……? あなた――」
「“インペクシス・ペトル”!」
ジェセルが振り向きざまに呼ぶが、その声を遮りフェリィは土術を更に唱える。
すると天井が巨大な氷柱のように隆起し、クィンが飛んでいった着地点へと垂直に降り注いだのだ。
轟音が、聖堂内に大きく響く――。
「フェリィっ!」
直ぐ様立ち上がり、ジェセルがフェリィへと駆け寄る。
「はぁっ、はぁ……ジェセルさま……早く……お逃げ下さい……!」
手を床に置いた体勢のまま、フェリィが荒息混じりに言う。
その顔色は熱病のように赤く染まり、褐色の肌には珠のような汗が浮き出ている。
正真正銘最後の力を振り絞ったのだろう。
間もなく、“マナ・ショック”の症状も出るに違いない。
「……何を言ってるの? あなたは……どうするのよ?」
「元より、私は死を覚悟していました……。アダマス様に救われたこの命……せめてもの恩として……妻であるジェセル様……にと…………。あなたの御力はこの国の宝なのです……私の安い命と引き換えにできるのなら…………っっ」
途切れ途切れで紡がれる言葉だったが、そこでフェリィの意識は遂に途絶えてしまった。
ふっ、と糸が切れたかのように床へと倒れ込む。
「…………」
凄まじい後悔が、烈火の如く胸の内側を焦がす。
夫とのつまらない約束。
戦闘においての私的な感情の介入。
それによって部下に負わせてしまった命の危機。
――全て、私の責任だ。
「……“ペルフェクトゥ・メディク”」
彼女がそう静かに唱えた途端、広げた掌が大きく発光。
陽光のような暖かな光が、伏したままのフェリィの全身を包む――。
「――? これ、は……?」
干したての羽毛布団のような、優しい温もり。
フェリィの閉じていた瞼が、ゆっくりと開く。
「……フェリィ、ごめんなさい」
「ジェセル様……?」
目を開いた先には、憂いに満ちた面持ちの美女。
「すぐには起き上がれないと思うから……ここでじっとしていて。もうあなたに危険は及ばせないわ」
言い残すようにそれだけを告げると、ジェセルはすっと立ち上がる。
そして冷たくなったままのアダマスの方へと、静かに歩み始めた。
(…………!)
見送るフェリィの目に映ったのは、決意と覚悟に満ちた、凛とした彼女の背中だった――。
「――アダム、起きて」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
宍戸亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います
こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!===
ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。
でも別に最強なんて目指さない。
それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。
フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。
これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
底辺から始まった俺の異世界冒険物語!
ちかっぱ雪比呂
ファンタジー
40歳の真島光流(ましまみつる)は、ある日突然、他数人とともに異世界に召喚された。
しかし、彼自身は勇者召喚に巻き込まれた一般人にすぎず、ステータスも低かったため、利用価値がないと判断され、追放されてしまう。
おまけに、道を歩いているとチンピラに身ぐるみを剥がされる始末。いきなり異世界で路頭に迷う彼だったが、路上生活をしているらしき男、シオンと出会ったことで、少しだけ道が開けた。
漁れる残飯、眠れる舗道、そして裏ギルドで受けられる雑用仕事など――生きていく方法を、教えてくれたのだ。
この世界では『ミーツ』と名乗ることにし、安い賃金ながらも洗濯などの雑用をこなしていくうちに、金が貯まり余裕も生まれてきた。その頃、ミーツは気付く。自分の使っている魔法が、非常識なほどチートなことに――
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる