PEACE KEEPER

狐目ねつき

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Beauty fool monster

86話 闇への誘い

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『このページよ、見てちょうだい』

『……真っ黒だな、ああ』

 机の上に広げられた魔導書。目的のページに辿り着いたジェセルが椅子に腰掛け、その傍らにはアダマスが、立ったまま開かれたページを覗き込む。

『他にもこういったページは有るのか?』

『無いわね。他の魔導書も一応何冊か確認してみたけど、こんなページが存在しているのはこの魔導書だけだわ』

 二人は今、図書館の個室を借りていた。
 一般的な寝室ほどの広さの、机と椅子以外何も置かれていない部屋。たとえこれから何が起ころうとも、個室であれば周囲の目や耳を気にする必要が無いという理由で、ジェセルがこの場を選んだのだった。

『ここ、小さく文字が書かれているのがわかるかしら?』

 右のページの右下隅、黒地に白インクの魔筆で描かれた文字をジェセルが指差す。

『“愛し合う二人に、永遠の誓いを”……か。一体どういう意味だ?』

『私も詳しくは理解できないけど……文脈をそのまま受け取るのなら――愛し合った二人が、ここの左右のページに配された円に手を置き合って念じることで、術を会得……そう私は推測したわ』

『専門外な俺にはさっぱりだな、ああ。だが一つ言えるのは、魔術の心得が無い俺の手を借りて、果たして会得ができるのか、ってところだな』

『その点に関してはそうね……試してみないことには判断しかねるわね』

 ページについての分析を二人が交わし合う。
 そんな中、不意にアダマスが疑問を口にする。

『……仮にもし、会得が叶わなかった場合……ああ。お前はこの先どうするつもりだ? 俺との関係を切り、他に相手を探すか?』

『…………』

 その質問に対しジェセルは、魔導書に凝らしていた視線を上半身ごとアダマスへと向け、見上げる。
 彼女の本来の目的である“未知なる魔術の会得”。その達成が叶わぬのなら、彼女にとってアダマスの存在というのは、果たしてどれだけの価値があるのだろうか。

 ――本懐を遂げる為の、都合の良い存在か。
 ――或いは、一生を誓った恋人か。

 ここにきて改めて尋ねられた真意。だがジェセルは一切の動揺も見せず、事も無げに答えてみせる。

『……それならそれで、別に構わないわ』

『そこに記された術を会得したかったんじゃなかったのか? ああ』

『ええ、そうよ。でも私はあの時、アナタに伝えたわよね? 私の目的は、強くなること。強くなって、アナタの隣で戦い続けること。今の私は、その一点のみしか望んじゃいないわ』

 か細いトーンながらも芯の通った声には、意志の強さが込められている。

『術を会得出来なかったからといって……強くなる為の方法が潰えたわけじゃない。この先あらゆる手段を用いてでも、私は強くなってみせるわ』

『……ああ、流石戦闘狂オレを選んだ女なだけある。大した覚悟だ』

 鼓膜に響いたジェセルの覚悟の程が、アダマスの口角を緩ませる。

『先に聞いておきたいことはもう無いかしら? 無いのなら、早速始めましょ』

『ああ』

 話題を切り換えるようにジェセルが魔導書へ向き直り、アダマスもそれに倣う。

『さ、置いて』

 そして躊躇いもなく、ジェセルは魔筆で描かれた左側の円に掌を翳した。

『…………』

 彼女から言われた通りアダマスも、ページからはみ出す程の大きな手を右の円に置く。

『……アダマス、目を閉じて』

 先に睫毛を伏せたジェセルの指示に、アダマスも素直に従う。
 これで、手筈は整った。後は――。

『じゃあ、術の姿を脳内でイメージして。瞼裏で、情景を描くように……』

『……ああ、何をイメージしたらいいんだ?』

『そうね……このページには魔句まくが存在しないから、右下に記された言葉からイメージを頭に思い浮かべてみてはどうかしら?』

 目を閉じて集中し、姿勢を維持したまま、二人が話し合う。

『何も思い浮かばんな、ああ。お前は何か想像できているのか?』

『“永遠の生”……とか、そういった類いのイメージかしら……自信は無いけど』

『はっ、いわゆる不老不死というヤツだな。死なず、朽ちず……か。そんな身体を手に入れる事ができたのなら、永遠に戦い続けられるだろうな、ああ』

 実際に不老不死にでもなった姿をアダマスは脳裏にて想像し、悦びを口にする。
 その一方でジェセルは、不老不死など空想上のものに過ぎないと断じ、考えに耽っていた。

(……駄目。術の姿が全く想像できないわ。大体、情報が少なすぎるのよ)

 相手パートナーを探すことだけに躍起になっていたため、ジェセルはこちらの問題解決に関しては後回しとしていた。
 だが結局、明確な解決策などは思い浮かばず、ここにきて懸念が浮き彫りとなってしまったのだ。

(それともやっぱり……誰かのイタズラなのかしら?)

 “諦め”の二文字が思考をちらつき、術の存在を疑い始める。
 未だかつて前例のないケースだ。予めジェセルは同僚の兵や魔術講士にも、黒いページに関して知っていることはないか、と質問をぶつけていた。
 しかし誰に尋ねても、笑い話の種にもならない扱いで袖にされ、あまつさえページの存在すら疑われる始末であったのだ。

(でも、ここまできて……諦めてなんかいられないわ! 必ず、糸口があるはず。考えるのよ……ジェセル)

 自らを鼓舞し、ジェセルは思慮に思慮を重ねていく。


『……おい、ジェセル。目を開けろ』

 ――と、そこで不意に、アダマスの声が耳に届く。

『……?』

 決して煮詰まることのなかった脳内から現実へと意識が立ち返り、ジェセルは反射的に瞼を開く。



『えっ』

 開いた先の視界に映ったのは、非現実的な光景であった。
 いや、光景ではない。のない景色。闇だけが辺りを包んでいたのだ。

『ど、どうしてこんな……』

 先程までは白い壁と天井に覆われていたはずだ。
 気味の悪さが思考回路を汚染していく。

『さあな。俺が目を開いた時には既になっていたぞ、ああ』

 ジェセルが明らかな狼狽えを見せる一方で、アダマスは至って冷静だ。

『……っ』

 周囲をぐるりと見渡してみたが、視界を占領するのは床も壁も天井も境目のない黒一色のみ。
 二人以外に取り残されていたのは、掌を翳したままの魔導書と、それを置いていた机だけだった。

 ――それはまるで、魔導書に物体のみが、この限りのない闇へと転移したかのよう。

『ジェセル、何度も言うが俺に魔術の心得は――』
『無いのよね? 知っているわよ……! けど、私に聞いたって無駄よ! こんなケースは私もこれまで経験したことないもの……!』

 八つ当たりでもするかの如く、ジェセルが声を荒げる。想定外の事態に、柄にもなく取り乱しているようだ。

(一体どうしらいいの……!)

 が、取り乱しつつも頭の中では冷静さを保とうと、ジェセルはこの状況を整理する。

 ――ここは一体、何処なのか。
 ――どういった原理で、こうなったのか。

 ――そして、誰がどんな目的でこの仕掛けを施したのか。

 様々な疑問が思考を錯綜する。
 考えれば考えるほど、謎は深まっていく一方だった。

 が、そんな考えあぐねていたジェセルとは裏腹に、アダマスは翳していた手をいとも簡単に魔導書から離す。

『アダマス……! 勝手に手を離さないで……!』

 あまりにも迂闊なその行動にジェセルが諌めるも、アダマスは意に介す事なく、ずかずかと闇の中を往く。

『ああ……成る程。そういうことか』

 ぴたりと足を止めたアダマスは、両手で見えない何かをさするように触れ、頷いて納得をする。

『ジェセル。どうやら俺達はまだ、先程までの個室の中にいるようだぞ、ああ』

『……なんですって?』

 突拍子もなく告げられた事実に、ジェセルが耳を疑う。

『暗くなっただけで、場所は変わっちゃいないということだ。触れてみたらわかるが、壁もあるしここに扉もある』

 扉があったと思わしき箇所を手の甲でコンコンと叩いてみせ、アダマスが説明を付け加えた。

『……っ』

 ジェセルも自らの手で確かめようと、意を決して魔導書から掌を離そうとする。

 しかし、その瞬間――。

『――ダメよ。手を離しちゃ』

 背後から突如として、声が聞こえたのだ。

『っ!?』

 アダマスの方へと傾けていた首を、咄嗟に魔導書へと向ける。すると、机を挟んだ真正面に少女が立っていた。
 埃を被ったかのようなツヤのない灰色の長い髪に、琥珀色に煌めく大きな瞳。足には何も履いておらず、膝丈までの薄汚れた白いローブを身に纏っただけのみすぼらしい恰好。年の頃は十代前半くらいに幼く見え、人相も相応にあどけない。

『アナタまで手を離したら、から二度と出られなくなるよ? いいの?』

 目を丸くさせながら息を呑むジェセルへ、少女は囁き声で忠告をする。
 一見、幸薄そうな姿の少女だが、どこか神秘的な雰囲気が所作や表情から漂っていた。

『……忠告、感謝するわ』

 飽くまで冷静にジェセルは礼を言ったが、冷たい汗が頬を伝う。気配を全く感じさせずに背後を取られたため、彼女の動揺の振れ幅は最高値に達していた。

(この子は……敵なのかしら……)

 視線、手足、呼吸と、少女の一挙手一投足を注視し、警戒を張る。

『アナタ、一体何者なの? 名前を聞いても良くて?』

 懐に忍ばせていた杖剣エモノをいつでも取り出せるよう備えつつ、ジェセルは少女へと問う。
 そんな締まった表情の彼女とは対照的に、少女はにこやかに顔を緩ませ、自らの名を名乗る――。


『わたしは。魔神族よ。よろしくね、ジェセル』 
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