記憶の先で笑うのは

いーおぢむ

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カエルムとナナ(セプテム)の入学手続きを済ませる為、事前に学園へ到着したトヴァ達は、同様の理由で早めに来学している生徒達用の寮で過ごしていた。勿論、学生寮は男女兼用ではないので部屋では基本一人だが、寂しいなどそういった感情は一切無く、逆にこの状況を気に入ってすらいた。当然ながらカエルム達を煩わしく思っている訳ではなく、元々一人で過ごしている期間が長かった為の懐古心からだ。

ちらりと時計を見遣ると、昼食の時間までまだ少しある。
トヴァは借りてきたこの大陸の歴史に纏わる本を開いた。図書室は校舎内だけでなく寮内にも設けられているのだから、彼女にとってみれば嬉しい事この上ない。しかし、読書を始めて三十分も経たないうちに、彼女の意識は別の事に持って行かれてしまった。

カン!と、何かが窓硝子に当たる音。
二回目までは気の所為か何かだと思ったが、三回目以降は流石のトヴァも不思議に思い、レースカーテンを開け中庭へと視線を落とせば、漸く顔を見せた彼女に喜ぶセプテムと、その隣で悪戯な笑みを浮かべて手招きするカエルムが。トヴァは仕方ないといった風に笑うと、中庭へと向かった。



「...行儀悪い」


「悪かったって、もうやらねぇよ」


「でも連絡手段何にもないから仕方ないでしょ~?」


「お昼になったら食堂で会えるじゃない」


「え~、それまでまだ二時間半もあるし...」



確かにセプテムの言う通り、少しでも離れてしまったら連絡手段が何も無いというのは不安だし、それは今迄もずっと考えていた。普通は皆、携帯などを持っているんだろうけれど、私達にはそれが無い。男子寮へ女生徒が、女子寮へ男子生徒が行き来する事は禁止されている為尚更だ。



「あ~、本当に待ち切れないよ。早くクラス分け出ないかなぁ」


「お前それ毎日言ってるぞ」


「だって気になるじゃない。そう言うカエルムは気にならないわけ?」


「なるに決まってんだろ」


「だよね~、絶対トヴァと一緒がいいなぁ」



***



いつも通り昼食の時間まで他愛無い会話をした後で食堂へと向かえば、今日は何やら騒がしい。何事かと、ナナが人波の一人に声を掛ければ、どうやら物凄く容姿の整った男女二人が言い合いをしているらしいとの事。



「腹減ったよな」


「そうだね。隙間を縫って行こうか」


「俺が先に行く」



そう言うと、カエルムはトヴァの手を取り彼女を引っ張るようにして上手く人波の合間を縫っていく。ナナも後に続いた。しかし手を引かれて歩く中で、人混みの隙間から見えたこの騒動の原因となっているであろう人物の姿を捉えた瞬間———



「ちょ、トヴァ!?」



カエルムの手を振り払って、その人物の元へと駆け寄っていた。そんな彼女を見て、大衆がより騒めき出す。その中には、トヴァの容姿の良さに感嘆する声が多く、カエルムとナナは溜め息を吐いた。絶対に面倒臭い事になるだろうからと、二人は出来る限り彼女の容姿を隠す為、立ち位置や角度などを考えて陰ながら努力してきたからだ。



「リール、何をしているの」


「...?トヴァ!」



思いもよらなかった人物の突然の登場に、リールは驚きを隠せずに目を見開くが、その瞳の色は瞬時に愛おしさに溢れ、今となってはそんな視線を向けられる理由を知っているトヴァは、気まずくなり顔を逸らす。

リールの目の前に立っていたのは黒髪ツインテールの美少女で、彼女はトヴァと目が合うとその品のある紫苑色の瞳を見開く。確かに皆が騒ぐだけはあるが、そんな事は今、トヴァにとって問題ではない。けれど内心、何処か既視感のある彼女に首を傾げた。

この女の子、もしかして———



「リール、何があったにせよこんな場所で騒いでは駄目」


「ああ、そうだな。...君、本当に他意はなかったんだ。悪かった」



リールが軽く頭を下げるが、何故か少女は固まったままずっとトヴァを凝視しており、その瞳は驚きから見開かれたままで。



「あ、あの。どうかされましたか?」



トヴァがそう尋ねた時だった。



「!?」



その大きな瞳から、一筋の涙が真珠のような頬を伝った。先程までの強気な瞳は涙で溢れ、ポロポロと溢れる涙を慌ててトヴァが持っていたハンカチで優しく拭ってやれば、少女は、パッとその手首を掴んだ。



「...ヴァ様...、」


「...」


「覚えてらっしゃいますか!?」


「... ...」


「そんなっ、私(わたくし)ですわ!ルシーです!ルシー・テネブラエですわ!」



叫ぶようにして名乗った彼女ルシーはトヴァの無言を覚えていないと受け取り、相当ショックだったようで、拭った涙が再び零れ落ちそうな程、眉尻を下げてその瞳を潤ませている。しかしトヴァは彼女の顔立ちを見て直ぐに、幼さこそ抜けているが僅かに面影のある当時のルシーの顔と、記憶の中にあった幼い頃の自分に良くしてくれた三つ子の姿が思い起こされていた。



「...っ、ルシー様!」



記憶よりも大人びた目の前の少女・ルシー。
彼女はトヴァの反応に、思い出してくれた事を確信して一気に悲しみに塗れていた表情を花咲くような満面の笑みに変える。



「思い出して頂けたようで良かったですわ!!」


「御免なさい。突然で反応が遅れてしまっただけで、忘れていたわけではないんです。ルシー様はとてもお綺麗になりましたね」


「まぁ!トヴァ様にそう仰って頂けるなんて光栄に御座いますっ!」



両手でトヴァの手を包み込んで、至極嬉しそうに答えるルシー。
彼女の話によると、事前に学園内の施設を頭に入れておきたいとの理由で、ジーク、アスタロトと共に早めに入寮したとの事だった。しかし実際は、早めにトヴァに会える可能性に賭けたという事は言わないでおくルシー。言いたかったが、万が一それがジークにバレたらと思うと冷や汗が止まらない。
一方で、トヴァとルシーの関係を知らない身内二人は、未だ群がる野次馬達の中から怪訝な顔で此方を見つめていた。



「トヴァ、知り合いなのか?」



リールに尋ねられ、ルシーとの関係を説明しようと口を開いたところで、



「...貴方、トヴァ様の何ですの?」



ルシーに被せられてしまい、口を噤むことに。



「しかも呼び捨てになさるなんて、無礼千万ですわ。トヴァ様はアウラ家の御令嬢なのですよ?トヴァ様を呼び捨てにするのを許されるのは、ジークお兄様唯お一人ですわ!!」



トヴァとリールの間を裂くようにして入ったルシーが、物凄い剣幕でリールに突っかかる。彼の呼び捨てが相当気に障ったらしく、今にも手が出そうな程、只管にリールを睨みつけている。



「何をしている」



記憶にある声音より大分低くなった、その懐かしさを感じる声に振り向く。

そして、その青年のルシーより少し深い紫苑色の瞳とトヴァの金色の瞳が交差した瞬間———



「...ッ!トヴァ!!」



青年は思い切りトヴァの腕を引き、細い腰を抱き寄せると、その首元に顔を埋めた。
何度もトヴァの名前を呟くこの青年を知っているトヴァは、先程から自分の名前を口にする彼に答えるように彼の名前を呼んだ。



「...お久しぶりです。ジーク様」



そう名前を口にすればジークはパッと顔をあげ、至極嬉しそうにその瞳を細めた。彼の瞳が潤んでいる事に気付いたトヴァが、周囲の者に聞こえないよう配慮した小声で「泣かないで下さい」と微笑めば、ジークは少し目を見開いた後、トヴァに合わせるかのように「泣いてなどいない」と小声で答え、笑った。

こんなに大勢の生徒が見ている野次馬の中心で二人きりの世界に入ってしまった様なジークとトヴァだったが、見方によっては恋人同士の甘いワンシーンにも、再会を喜ぶ友にも見て取れるこの空間は、トヴァの直ぐ後ろにいたリールが彼女の手を掴み、自分の方へと引き寄せるという行動がぶち壊した。

リールのその翳りを見せた表情は、冷気を発しているかのように冷たく感じ、なにやら怒っているリールの名を呼べば、その深海のような色の瞳がトヴァだけを映す。

...そうだ。今世では違うが前世では夫婦だったのだ。関係が強く深かった上に、その記憶を有している以上、今は今、過去は過去などとすぐに割り切れるものではないのかもしれない。彼は前世に固執しているように感じたのも事実だから。

私だって、もし前世でプレーナが浮気をしていたら怒ったはず。
...有り得ないけれど。
ここは今世だが、私自信も多少自重しなくてはならないのだろう。それが例え再会を喜ぶだけであったとしても。

ジークはトヴァを自分から引き剥がされた事に対して強い嫌悪感を露わにし、リールを睨み付けた。けれども、普通の者ならば即尻込みしてしまうその睨みを受けてもリールは全くと言っていい程動揺を見せないどころか、負けない位の絶対零度の睨みをジークへと返している。間に挟まれているトヴァは堪ったものではない。



「ほぅ。トヴァ、こいつが昔お前の言っていた "待つ者" か?」



ジークの言葉に、以前ジークの父親が催した交流パーティーでの会話を思い出す。確かジークの問いにそう返したような気がする。あのパーティーは本当に退屈なもので、取って付けたような上辺だけの笑みに辟易して外を眺めていた。そんな偽の笑みなんてもうすっかり慣れ親しんだものの筈なのに、普段自分に向けられているイゥの笑顔を思い出して比較してしまい、疲れてしまっていた。



「いえ、それはまた別の者です。ですが彼もまた私の古くからの友人です」



そう返すと、リールの手の力が僅かに強くなったような気がした。この返答に不満なのかもしれない。でも仕方ない。



「 "友人" か、ならばその手を放してくれ。トヴァは俺の "婚約者" だ」



リールが初めて動揺を見せた。掴んでいたトヴァの手を放したのだ。手の開放感に驚いてリールを見れば、目を見開いたまま固まっている。野次馬の騒ぎにも拍車がかかった。



「こ、婚約は既に解消済みのはず——「お前の父親が一度決まった婚約を、話し合いの場すら設けずに勝手に言ってきただけだ。そんな非常識且つ無礼な申し入れがあるか。そもそも我がテネブラエ家は承諾した覚えはない」



確かにジークの言うことは正論だった。子供同士の間で決まった婚約とは言え、ジークの両親だけでなく、テネブラエ家で働く者達全員が認め、喜んでいたのだ。それをそう日も経たぬうちに直接話す場も設けず解消など有り得ない。



「御理解頂けまして?それならこれ以上お兄様とトヴァ様の邪魔をしないで頂戴。とても目障りだわ」



ルシーはリールへ蔑むような鋭い視線を浴びせると、手にした閉じたままの扇子でリールの肩を軽く叩いた。その瞬間、バチバチと黒い電気が走り、リールは僅かに顔を顰める。闇魔法の類だろう。今度はトヴァが目を見開く番だった。
トヴァは我慢出来ないとばかりにジークとルシーを押し退けると、リールを庇うように間に立つ。



「リールは私の大切な友人なのですが。そんな友人を傷付けられて黙っていられる程、私は大人しくありません」



言って、スッと細めた目で目の前の二人を見据えると、二人は硬直してしまった。ルシーに至ってはトヴァの静かな怒りが自分達へ向けられているのがショックなのだという事が一目瞭然である表情をしている。



「リール行きましょう?」


「あ、ああ...」



昔は昔、今は今なんて言っても、結局元旦那様を取ってしまうあたり、自分自身もきちんと割り切れていない事を苦笑してしまう。

当初の目的であった昼食の為に動き出せば、カエルムとセプテムは席を取り、トヴァの昼食まで用意しておいてくれていた。野次馬と化した生徒達は少しの間、トヴァ達とジーク達を交互に見ていたがやがて散って行く。



「もう話は済んだの?」


「え」


「カエルムが、ソイツが居るから大丈夫だろうって。だから見てるだけにしたんだ」



ナナは「ソイツ」と言うのと同時に、顎でリールを示した。きっと私の前世の記憶を一緒に見たからだろう。彼らには変な気を遣わせてしまっている。
トヴァはナナの前の席へと座る。反対に立ったままのリールに対して、ナナは「お前も座れば?」と促した。



「いや、俺は...」


「そういえば従者がいないじゃん。どうしたの?そろそろ見捨てられでもした?」


「ナナ!」


「ごめんごめん。冗談だよ、トヴァ」



棘のある言い方に軽くナナを睨めば、彼は肩を竦めて謝ったが反省はしていないだろう。リールに対する態度から未だに彼の事をよく思っていない事が窺える。



「いや、いいんだトヴァ。あの時は俺が悪かった」


「分かってるじゃん」



ナナの言い方に溜息しか出ず、取り敢えず話を変えようとリールにモーントはどうしたのかと尋ねれば、彼はまだ入学の為の身体検査が終わっていないとの事だった。



「って事は...、リール達は今日着いたの?」


「ああ。順番的には俺と彼奴は連番だったんだが、何故か彼奴は数値が出にくいらしく、精密検査の方へ行ったんだ」



モーントの様に正確な魔力値が出ない事は何も珍しい事ではない。確かに割合で言えば少ない方だが、魔力を有する者のうちの四割はそうだ。それには様々な要因が挙げられてはいるが定かではない。

リールもトヴァの隣で昼食をとり始めると、缶ジュースを飲みながらカエルムが戻ってきた。ここに来る途中の廊下で見かけた自動販売機に、新発売の味のジュースがあり、気になっていたらしく買って来たとの事だった。



「トヴァも飲むか?結構イケる」



そう言って手渡してきたジュースを受け取って飲んでみれば変わった味がした。不味くはないが美味しいとも言いがたく、何とも言えない味で、そんなトヴァの表情を見て悪い笑みを浮かべているカエルムを睨む。絶対態とだ。



「カエの阿保」


「悪かったって」



カエルムはけらけらと笑いながらナナの隣の席へ腰を下ろすと、同じ様に昼食をとり始める。ちらりと目の前に座るリールを見遣りはしたが、これといって彼の存在に触れる事もなく、ナナのように棘のある言葉を投げ掛ける事もせず、いたって普通。しかしリールは気になるようで、手にしていたフォークを置いてから改めてあの時の事を謝罪した。



「...別にもういい。けど、次また同じような...、勝手に攫うような真似したらタダじゃおかねぇから」


「ああ、二度としないと誓う。...本当に申し訳なかった」



カエルムはリールからフッと目を離し、「分かりゃいいんだよ、分かりゃ」と息を吐いた後、直ぐに食事を再開した。
少し気不味くなってしまった様子のリールの肩をそっと撫で、リールも食事を再開するように促すトヴァを見て、ナナは面白くなさそうにそっぽを向く。



———一方、トヴァ達から少し離れた席で昼食をとっていたテネブラエ家の双子からは邪悪なオーラが漂っていた。言わずもがな、向かい合って座るジークとルシーからである。アスタロトは現在、モーントと同じ理由で同席していない。
殺気立った二人が食事している近場のテーブルへは誰も寄り付かず、お昼時で混んでいるにも拘らず周辺は変に空席だった。



「...あの男、絶対に赦せませんわ。あの男の所為で私がトヴァ様に嫌われてしまいました...!」



そう言って、トヴァの隣へ座りながら共に食事をしているリールの背を頻繁に睨みつける。一方、怒りを露わにしているルシーとは対照的にジークは無表情だったが、内心は怒り狂っていた。
自分よりもリールを取ったと言えるあの行動は、トヴァの中でジークよりもリールの存在の方が大きく、尚且つ優先されるべき程に大切な存在であるという証拠だと考えたからだ。そうなるには、ジーク達と過ごした時間より長く時を共にする必要があるだろうし、互いに心を許せる間柄であるはずだ。



「私達(わたくしたち)がテネブラエである所以、あの男にお見せして差し上げなくてはね、お兄様?」



およそ十代とは思えぬ狡猾且つ妖艶な笑みを浮かべるルシーの発言に、ジークの口角も自然と引き上がる。



「その通りだな。身の程を弁えさせてやろう」



より一層濃くなった二人を包み込む身震いしてしまうようなオーラに、未だどうしても気になって見ていた者達は震え上がり、遂に視線を他へと移した。万が一にも目が合ったら殺されるのではないだろうか。そう考えてしまう程に邪悪なオーラが漂っているのに、当の本人達は楽しそうにしているのだ。闇魔法の名門であるテネブラエ家の、この見目麗しい兄と妹は、この日から生徒達に畏怖の対象とされ、絶対的な上下関係を意図せず植え付けた。そこへ、当然の事ながらアスタロトもカウントされるようになるまで後僅か。



***



あれから入学式を終えても、ジーク達が絡んでくる事は無かった為、多少なりとも身構えていたトヴァは安堵から息を吐いた。
入学式中、チラリと様子を窺ってはみたが、新入生代表として登壇するリールに対し、あからさまに眉を顰めていた。新入生代表挨拶は、首席入学した者が務めるのがこの学園の決まりだ。つまり、リールは新入生トップの成績での入学という事。プライドの高い彼は負けた事が悔しいのだろう。

それにしても良かった。...先日のように、大勢の生徒達がいる場で口論など悪目立ちしかしない。家名を穢してしまったら今のような自由が許されなくなるかもしれない。出来れば当初の目的通り、勉学に励み、図書室を利用して情報収集にも静かーに、穏やかーに励みたいのだ。
ただ、あのテネブラエ家の兄妹が話し掛けてこないのだから、あの時の私の態度や言動に憤慨しているのかもしれない。まぁ、私を嫌いになろうと構わない。少し寂しい気もするが、私は目的が達成出来ればそれでいいのだから。



———入学式を終え、その翌日。
入り口を入ってすぐ真正面にある電光掲示板に、新入生達のクラス分けが表示されていた。
四クラスあるが、人数から見てあきらかに【ORBISオルビス】に分けられた生徒数が少なかったので、自然と先にそちらへ目がいく。同じ様にオルビスの欄を見たカエルムとナナは、目を見開いて固まってしまった。

二人の名前はそこに無かったのだ。カエルムが、「あークソ!!あの猛勉強+特訓でも足りねえのかよ!」と苛立ちを露わにし、ナナは「舐めてた...」と眉を寄せている。

オルビスのクラス分けの欄には———

【リール・リベロ】
【ジーク・テネブラエ】
【アスタロト・テネブラエ】
【エリオット・フェリス】

【トヴァ・アウラ】
【ルシー・テネブラエ】
【イリス・フェリス】

七名の名が。

一方、カエルムとナナの名前は、【SINISTERシニステル】の欄にあり、其処にはモーントの名もあった。

七名しかいないオルビスに対し、他の各クラスは一クラス約30~40人程で構成されており、オルビスの人数の少なさは異様に目立っている。

正直なところ、カエルムとナナと同じクラスになれなかった事に対して物凄く落ち込んでいる。表には出さないが、本当にどんよりとした気持ちだ。唯一の救いはリールが同じクラスである事。 

項垂れている隣の二人の頭を撫でれば、昼食はこれからも必ず共にとる事を誓わされた。



「トヴァ様ー!!」



突然の呼び声に驚いて振り向けば、艶のある黒髪が目の端に横切ったのとほぼ同時に何かに抱きつかれた。



「同じクラスですわ!同じですわ、同じ!」



興奮冷めやらぬといった感じで至極嬉しそうに言ったテネブラエ家の長女・ルシー。仲違いをしたままだったはずの彼女の行動に無意識に顔を顰めてしまっていたのかもしれない。ルシーは私の顔色を覗うと、眉を八の字にして目尻に涙を溜めて口を開いた。



「あの日の事、どうかお許し下さいっ!反省の意を示す為に、今日まで私もお兄様もトヴァ様とお話しするのを、我慢して我慢して我慢して我慢し抜いたんですわ!」



自分にとってトヴァに関われない事が最高の罰であったから、話し掛ける事を自粛していたと言う。確かに、彼等は何故か昔から自分に執着していたように思うので、彼女の言う事が嘘だとは思わなかった。



「私はもう怒ってないですよ」


「...ほ、本当に?本当ですの!?」


「本当です」


「あの、えっと...。ジ、ジークお兄様に対しても...と、捉えても良いのでしょうか...?」


「ええ、もう怒ってないですよ」


「よ...よ、良かったですわぁ...!」



本当に安堵したように穏やかに笑うルシーを見て、トヴァは困った子だとでも言うように微笑んだ。



「トヴァ」



不意に名前を呼ばれて振り向けば、其処にいたのはリールとモーントだった。



「リール、久しぶり」



記憶を取り戻してから初めて会うモーントに、声が上擦りそうになるのを堪えて答えた。違和感を感じただろうか、変な奴だと思われなかっただろうか。私が記憶を取り戻した事を、二人は知らない。伝えるかどうか悩んだ結果、前世に縛られて生きる事はないと考え、伝えない方向でいる事を知るのは、カエルムとナナ、スティアの三人だ。



しかしトヴァもまた知らなかった。トヴァが記憶取り戻した事をきっかけに、モーントも記憶を取り戻している事を。



「モーントも、久しぶり」



リールを見た後に自然な流れでモーントにも視線を移し、声を掛ける。
すると一瞬、モーントの瞳の奥が揺れたような気がした。



「ええ、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」



しかしそれは本当に一瞬で、すぐに微笑み返してきた為、トヴァは自分の勘違いだと思った。



「トヴァと同じクラスなんて嬉しいよ。これから宜しくな」


「私もリールと同じクラスになれて嬉しいわ。こちらこそ宜しく」



そう言って微笑むトヴァに、リールも微笑んで返す。そんな二人を、携えた笑みはそのままに、内心は憎悪に満ち溢れているルシーが見つめる。その憎悪はリール一人に向けられており、向けられている当の本人は気付いているのかいないのか、慈愛の眼差しでトヴァを見つめて会話を続けている。



「トヴァ様、そろそろ私達も教室の方へ参りませんか?ジークお兄様もアスタロトお兄様も先に教室でお待ちになってますわ」


「妹をパシるなんて、"大層ご立派な" お兄様方なんですね」



ニッコリと笑って言うモーントのその言葉は、表情とは真逆な棘のあるもので、ルシーの内面を見破っているのか、将又先日の食堂での一件を知っているのか、彼からは彼女に対する明らかな敵意が見える。
モーントの言葉に、ルシーは笑みを絶やさず片眉をピクリと動かして反応を見せた。



「あら、兄達をお褒め頂き光栄ですわ。けれど、兄達には私からお願いしました。ですから兄の意思は御座いませんわ。
...というか、どちら様ですの? "オルビスでない方" も早く御自分の教室へお行きになった方がよろしいのでは?」


「これは大変失礼致しました。私はモーントと申します。以後、お見知り置きを」


「大変申し訳ないのですが、私、オルビスの方以外と交流しようとは思っておりませんの」

 
「そうなのですか、それは残念ですね。確かに人数が多いですから、"並大抵の頭" では個々の名前を覚えるのも大変ですからね」


「ええ、"オルビスの者以外には" 覚えるのも難しいかもしれませんわね。

———でもそもそも、覚える必要があって? "雑草の種類" を一々覚える趣味、私にはなくってよ」



会話の内容さえ聞かなければ、微笑みながら談笑する仲睦まじい美男美女。
しかし二人の間には、バチバチと電光が走り、ぶつかり合って見える。そんな二人を止めたのはリールとトヴァだった。



「その辺にしておけ、モーント」


「ルシー様、早く教室へ行きましょう」



リールに肩を叩かれたモーントは、「そうですね」と肩を竦めた後、「では、また後で」と言って自分の教室の方へと去った。
トヴァに手を引かれたルシーは、至極嬉しそうに打って変わった満面の笑みで肯定の返事を返す。



「トヴァ、お前のクラス大変なのが目に見えてるけど頑張れよ...」


「なるべく早くオルビスに行けるように頑張るから、病んじゃダメだよ?」



そう言って、カエルムとナナもモーントと同じ方向へ去って行った。



「ではトヴァ様っ!早速教室へ向かいましょう」



トヴァの手を引いて歩き出したルシーはご機嫌で、スキップしそうな勢いでトヴァを引っ張っていくものだから、昔と変わらないそんなルシーに、トヴァは笑ってしまった。リールは、そんな二人の後ろに続いた。



三人が教室の前へ着き、ルシーが気品ある両開きのドアを開けると、人数の割に広過ぎる教室...もはや講義室のようなその空間に、トヴァは驚きから目を見開く。続いて入室したリールやルシーも驚いていた。席は5列あり、一つの机の横幅が長いので、教室内の空間を余計に陣取っているように感じた。
真ん中の列の丁度中央辺りに座っているのは、ジークとアスタロトで、廊下側の壁に最も近い列の中央に座っているのが、金髪碧眼の男女だった。あの二人がフェリス家の双子だろう。電光掲示板を眺めていた際、オルビスに分けられた生徒名・フェリスの名を、女生徒達が話していた。美男美女の美しい双子の話を。僅かにウェーブがかった、見ただけで分かるふわふわの金髪ブロンドに、タレ目がちの目元から覗くサファイアの様な青い瞳。何処かの国の王子と姫のような雰囲気と容姿。
トヴァが初対面の二人を無意識にガン見していると、エリオット・フェリスは、タレ目がちの優しい目で微笑んだ。一方、イリス・フェリスは、何故か顔を真っ赤にして会釈をすると、その愛らしい顔を背けてしまう。縮こまっている姿が可愛らしいと感じていると、服の端が軽く引っ張られたのでそちらを向けば、ルシーが頬を膨らませていた。



「ごめんなさい。ルシー様もとっても可愛いですよ」


「トヴァ様にそう仰って頂けるのは嬉しいですが、"も" ではありませんわ!」



相変わらずダイヤモンドより固いプライドを持っているルシーに苦笑した後、いい加減席へつこうと歩み出す。
トヴァはジーク達の座っている方向へ向かったが、彼等の横を素通りし、ルシーの「...え?」という声も気にせず、窓側の列の一番後ろの席についた。その隣に当然の如く着席するリール。
着席すると、トヴァは直ぐに窓から外を眺めた。



「ねえ見てよリール!寮の中庭も見事だったけど、此処にもこんな素敵な中庭があるわ!しかも海まで見えるなんて最高じゃない?」


「本当だな。後で、モーントやカエルム、ナナ達も誘って中庭で何か食べるか。海に一番近い所にも行ってみるか?足を入れて水蹴りくらい出来るかもしれない」



そう、それは前世で、城から抜け出して海へ遊びに行った時によくやっていた事の一つだった。低い堤防の様な物の先に二人で並んで座り、足を水に入れ、何が楽しいのか水を蹴ってバシャバシャと遊んでいたのだ。きっとリールはそれを憶えていて言っているのだろう。



「そうね、絶対楽しいわ!」



... ...言ってしまおうか。
前世の記憶を思い出せた事。貴方がプレーナで、私がルクスであった時の事。全て言ってしまえば、こんなに切ない気持ちをすっきりさせる事が出来るかもしれない。リールも喜んでくれて、また二人で一緒に———





——...ううん、駄目だ。過去は過去、今は今。前世は前世、今世は今世だ。私は兎も角としても、リールは明らかに前世の影響を強く受け過ぎている。今世の私にも愛を誓う程に。そんなリールに記憶を取り戻した事を話してしまえば、どうなるかなんて目に見えている。
でも、こんなにもリールが隣に居る事に安心している自分がいる事も確かだし、リールが当然のようにこうして隣に座った事も、それが普通だと無意識に感じてしまう自分も、少なからず前世の影響を受けているのだろうと思うけれど...。



「トヴァ様っ、何で其方の席に?此方も空いてますわ」


「ええ、でも私は景色を見ながら勉強したいのです。それに後ろの席の方が落ち着くので、此処で大丈夫です」



トヴァがそう返答すると、ルシーは何も言えなくなってしまった。「そうですの...」と、大人しくアスタロトの前の席へ着席したルシーは肩を落としており、そんな彼女を後ろからアスタロトが励ます。

一方で、リールとトヴァは会話に花を咲かせ、中庭で何を食べるかだの、中庭に咲いてるあの花は何だの、兎に角仲睦まじく笑い合っていた。

ジークがリールを睨み付けると、その悪意のこもった鋭い視線に気付いたらしく、リールも視線をジークへと向けた。

そして———



「...ほぅ」



ほんの僅かに口角を上げて笑ったのだ。それは明らかな嘲笑で、リールのその見下した視線にジークの中で更に怒りが込み上げてくる。しかし、隣に座るトヴァに腕を突かれた事により、直ぐ様トヴァの指差す方へ視線を向けると、トヴァへ向かって微笑んだ。天と地程の差のある表情と変わり身の早さを目の当たりにしたジークは、リールを一筋縄ではいかない人物と認定し、全力で自分とトヴァの前から排除する事を改めて心に決めたのだった。


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