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chapter14
白浜海はそっと過去を語りだす。(4)
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俺は中学時代、いじめに耐え切れずに心が疲弊すると必ず訪れる場所があった。そこは特別なにかあるわけでもない東武東上線の和光市駅から成増駅間の線路の脇にあるちょっとした隠れスポットがある。そこから見える夕日に目を向け、時折その眼下を通る電車を眺めると不思議と心が安らいでいた。そんなある日、俺はその場所で一人の少女と出会った。
その少女は、綺麗とはかけ離れたボサボサの髪に、身長も低く、体型はスリムと呼ぶには程遠く、お世辞にも容姿も良いとは言えなかった。その少女は俺と同じく、夕日を眺め、涙を流していた。流石に同じ場所に居て泣いている女の子を無視するのはどうかと思い、声音はできるだけ優しくすることを意識して声をかけた。
「あ、あのー。大丈夫ですか? その、どうかしましたか?」
俺が声をかけるとそれに気付いた彼女は、急いで涙を拭き、慌てた様子で言葉を返してきた。
「あ、ご、ごめんなさい。お見苦しい所をお見せしました。ごめんなさい」
「いやいや、全然気にしないで下さい。それより、あなたもここで夕日を眺めていたんですか?」
「え? は、はい。ここの夕日を見ていると、不思議と心が落ち着くんですよね」
「ほー? それはお目が高い。実は、俺もこの場所がお気に入りで、何かあるとここに来るんですよね」
「あなたも? 何か嫌な事でもあったの?」
「実はさ、学校でいじめられてるんだよね……」
「あなたも? 私も、いじめられてるの。私こんな容姿でしょ? だから、みんなから蔑まれてるの」
「なんだ、俺と理由は違うけど、いじめられてる点では、同じだな」
俺は名前も知らない少女と自らの傷口を見せ合った。多分それは、お互いが一番他人に知られたくないであろう事柄だと思う。俺は自分のことを赤裸々に話、尚且つ彼女も似た境遇な事を知り、いつの間にか彼女を信頼して、家族にも打ち明けられないような話を彼女に対してだけは何でも話せていた。
それから俺たちは何度もその場所で会い、お互いの傷を舐め合っていた。最初は似た者同士だと思い、なんでも俺に共感してくれて、時にはお互いの不満をぶちまけてストレス発散をして、気を紛らわしていた。問題の根っこを解消しない限り俺と彼女の問題は永久的に付き纏ってくるとわかってはいたものの、俺も彼女も、それを望んでも叶わないのだと知っているから。せめて今は、この時間だけは、現実を忘れられるようなそんなお互いの傷を舐め回す行為をしていた。
「そういえば、結構な時間ここであんたと話してるけど、俺たち自己紹介もまだしてなかったよな」
「確かに、そういえば、出会い方が歪だったから忘れてしまっていたわ」
「じゃあ、俺から。俺の名前は東条空だ! よろしく」
「はい! 私は……、白雪って呼んでください。こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして、俺と白雪はそれからも傷の舐め合いを続けていた。次第に俺は自分の心の変化に気付いていたのだ。それは白雪に対して、同族意識で俺の心が癒されている訳ではなく、白雪と居ることで俺の心が癒されているのだと。俺にとって、初めて一人の人と一緒に居ることが心地よく感じ、彼女と居るこの時間がかけがえのない時間だと。そして、俺にとっての特別な存在なのだと。容姿などは関係ない。彼女だけは俺だけを見てくれていて、彼女だけは俺を裏切らない。そんなどこにも根拠などは無いのだが、俺にはそれだけはなんの迷いも無く断言できた。俺がそんなことを思っていると、唐突に白雪は口を開いて言葉を発した。
「ねぇ? 東条君? 私ね、目標ができたの」
「ん? 目標?」
「中学は無理でも、高校では私、生まれ変わるの。今より何十倍も綺麗になって必ずいい女になる。そしてあなたを惚れさせるわ。そして、惚れさせたあなたと花火大会に行く」
「ほーん? それはいい目標だな。なら頑張って惚れさせてくれ。俺はそう簡単には惚れないけどな」
白雪はその目標に向けて努力すると決めていた。かくいう俺はこれと言って目標というものがなく、少しだけ白雪を羨ましく思っていた。俺に至ってはせいぜい高校デビューが関の山である。だが、俺はそんなことはどうでもいと思えるくらいにこの時間が気に入っていた。
だが、突如としてその時間が終わりを告げる。
いつものようにあの場所で白雪に会いに行っていると、後ろから俺がつい、拒絶をしてしまう声が聞こえた。
「いやー、ついこの前見つけてよー。結構いい感じの場所なんだよね。人通りも無いし、まじで最高の場所だから
」
その声の持ち主は俺のいじめの元凶である佐藤だった。佐藤等一行は俺のお気に入りの隠しスポットをどういう訳か偶然見つけ出し、そこを自分たちのお気に入りの場所にしようと思い、この場所に赴いたのだろう。
これは、まずい。あいつらに白雪の存在が露見されれば、あいつらの交友関係は幅広いもので、もしかしたら白雪の学校の人間とも繋がっている可能性が高い。
そうなれば、更に白雪のいじめの悪化にも繋がりかねない。あいつの目標も全部台無しになってしまう。それだけは阻止せねばならない。
俺が佐藤等を見つけたのは、ほぼ階段の最上段付近であった。故にまだ幾らかのタイムラグがあり、今なら急げば白雪が彼等と鉢合わせになることもない。俺は急ぎ白雪にこの事を伝えるべく駆けだした。
だが、その最中、俺は一つの不安に駆られていた。それは、白雪にありのままを伝えたとしても、彼女は「私なら平気だから気にしないで」と言って、その場から離れようとはしないだろう。だから、俺は最低最悪の方法で白雪を彼等から遠ざけることを決意した。
……例え、それが彼女との永遠の別れになったとしても、それでも俺は、彼女の目標を少しでも阻む危険性があるのなら、それを阻止したい。
それが、唯一俺が特別に思えた存在で、俺を特別に見てくれて、俺の心を癒してくれた白雪に対して。……伝わることの無い恩返しをしよう。
階段を登り切り、少し開けた踊り場のような場所。そして、いつもの場所で夕日を儚く見つめる白雪が居た。俺は走ったことで息が切れ切れになっていたがすぐに白雪に言葉を告げるべく、白雪を見据えた。今は迷う時間も惜しいから。
「どうしたの? そんなに息を切らして。何かあったの?」
先に言葉を発したのは白雪からだった。俺は、その言葉を聞き、息を整えつつ、卑屈的な微笑みを作りながら、白雪に別れの言葉を告げる。
「うるせーよ。気安く話しかけんじゃねーよ」
「え? ど、どうしたの? なんかいつもと様子が変だよ?」
俺の急激な態度の変化に戸惑っている様子の白雪、そしてその状態のまま俺は畳みかけにいった。
「ああ、もう限界だ。ずっと我慢してきたけど、もう我慢ならねー! 俺はな、ずっと俺がされてきたことを誰かにやってみたかったんだよ。どんな気分なのか知りたくてな! 実際やってみてわかったよ。最高の気分だ。俺の掌で転がしてる気分ってのはな! そりゃあ、あいつらがやるわけだ。もうわかったから、お前は用済みだ。だから、お前はもう俺に関わるな。話しかけるな、目を合わすことも煩わしい。俺はお前みたいなのが大っ嫌いなんだよ! 俺を惚れさせる? 冗談じゃねぇよ。俺がお前の恋人になるなんてことは天地がひっくり返ってもありえねぇんだよ! この白ブタが!」
言葉を紡ぎながら泣きそうになっている事がわかる。だが、今はダメだ。今泣いたら彼女にバレてしまう。それではここまで何一つとして言いたくない言葉を彼女に飛ばした意味がなくなってしまう。彼女も俺の突然の言葉に固まっている。あと一押しすれば彼女は俺の前から立ち去るだろう。
「……今すぐ、……俺の前から消え失せろ」
嗚咽をぐっと堪え、カチカチと歯がぶつかる音がする。口元も震え、少しでも気を抜けば涙が零れ落ちてしまいそうだ。だから、早く、早く俺の前から居なくなってくれ。俺が堪えきれなくなる前に。
「さようなら。……最低で最悪でとても優しい東条君」
白雪はその場で慟哭しそうなほど涙を溜め、表情も泣き崩れそうな顔をしていたが、それを堪えながら踵を返し足早に去って行った。
そして、俺もその場から離れ、周りに人の影が無い事を確認して、今まで我慢していた涙も、最初の涙が零れ落ちると、あとはもう目処がたたないほど泣き叫んでいた。
それ以来、白雪の姿を見ることは一度もなかった。
これが、俺が初めて特別を抱き、抱いてくれた人にした俺の大罪だ。彼女が今どこで何をしているのか、俺にはそれを知る権利も資格も無いのだから。
その少女は、綺麗とはかけ離れたボサボサの髪に、身長も低く、体型はスリムと呼ぶには程遠く、お世辞にも容姿も良いとは言えなかった。その少女は俺と同じく、夕日を眺め、涙を流していた。流石に同じ場所に居て泣いている女の子を無視するのはどうかと思い、声音はできるだけ優しくすることを意識して声をかけた。
「あ、あのー。大丈夫ですか? その、どうかしましたか?」
俺が声をかけるとそれに気付いた彼女は、急いで涙を拭き、慌てた様子で言葉を返してきた。
「あ、ご、ごめんなさい。お見苦しい所をお見せしました。ごめんなさい」
「いやいや、全然気にしないで下さい。それより、あなたもここで夕日を眺めていたんですか?」
「え? は、はい。ここの夕日を見ていると、不思議と心が落ち着くんですよね」
「ほー? それはお目が高い。実は、俺もこの場所がお気に入りで、何かあるとここに来るんですよね」
「あなたも? 何か嫌な事でもあったの?」
「実はさ、学校でいじめられてるんだよね……」
「あなたも? 私も、いじめられてるの。私こんな容姿でしょ? だから、みんなから蔑まれてるの」
「なんだ、俺と理由は違うけど、いじめられてる点では、同じだな」
俺は名前も知らない少女と自らの傷口を見せ合った。多分それは、お互いが一番他人に知られたくないであろう事柄だと思う。俺は自分のことを赤裸々に話、尚且つ彼女も似た境遇な事を知り、いつの間にか彼女を信頼して、家族にも打ち明けられないような話を彼女に対してだけは何でも話せていた。
それから俺たちは何度もその場所で会い、お互いの傷を舐め合っていた。最初は似た者同士だと思い、なんでも俺に共感してくれて、時にはお互いの不満をぶちまけてストレス発散をして、気を紛らわしていた。問題の根っこを解消しない限り俺と彼女の問題は永久的に付き纏ってくるとわかってはいたものの、俺も彼女も、それを望んでも叶わないのだと知っているから。せめて今は、この時間だけは、現実を忘れられるようなそんなお互いの傷を舐め回す行為をしていた。
「そういえば、結構な時間ここであんたと話してるけど、俺たち自己紹介もまだしてなかったよな」
「確かに、そういえば、出会い方が歪だったから忘れてしまっていたわ」
「じゃあ、俺から。俺の名前は東条空だ! よろしく」
「はい! 私は……、白雪って呼んでください。こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして、俺と白雪はそれからも傷の舐め合いを続けていた。次第に俺は自分の心の変化に気付いていたのだ。それは白雪に対して、同族意識で俺の心が癒されている訳ではなく、白雪と居ることで俺の心が癒されているのだと。俺にとって、初めて一人の人と一緒に居ることが心地よく感じ、彼女と居るこの時間がかけがえのない時間だと。そして、俺にとっての特別な存在なのだと。容姿などは関係ない。彼女だけは俺だけを見てくれていて、彼女だけは俺を裏切らない。そんなどこにも根拠などは無いのだが、俺にはそれだけはなんの迷いも無く断言できた。俺がそんなことを思っていると、唐突に白雪は口を開いて言葉を発した。
「ねぇ? 東条君? 私ね、目標ができたの」
「ん? 目標?」
「中学は無理でも、高校では私、生まれ変わるの。今より何十倍も綺麗になって必ずいい女になる。そしてあなたを惚れさせるわ。そして、惚れさせたあなたと花火大会に行く」
「ほーん? それはいい目標だな。なら頑張って惚れさせてくれ。俺はそう簡単には惚れないけどな」
白雪はその目標に向けて努力すると決めていた。かくいう俺はこれと言って目標というものがなく、少しだけ白雪を羨ましく思っていた。俺に至ってはせいぜい高校デビューが関の山である。だが、俺はそんなことはどうでもいと思えるくらいにこの時間が気に入っていた。
だが、突如としてその時間が終わりを告げる。
いつものようにあの場所で白雪に会いに行っていると、後ろから俺がつい、拒絶をしてしまう声が聞こえた。
「いやー、ついこの前見つけてよー。結構いい感じの場所なんだよね。人通りも無いし、まじで最高の場所だから
」
その声の持ち主は俺のいじめの元凶である佐藤だった。佐藤等一行は俺のお気に入りの隠しスポットをどういう訳か偶然見つけ出し、そこを自分たちのお気に入りの場所にしようと思い、この場所に赴いたのだろう。
これは、まずい。あいつらに白雪の存在が露見されれば、あいつらの交友関係は幅広いもので、もしかしたら白雪の学校の人間とも繋がっている可能性が高い。
そうなれば、更に白雪のいじめの悪化にも繋がりかねない。あいつの目標も全部台無しになってしまう。それだけは阻止せねばならない。
俺が佐藤等を見つけたのは、ほぼ階段の最上段付近であった。故にまだ幾らかのタイムラグがあり、今なら急げば白雪が彼等と鉢合わせになることもない。俺は急ぎ白雪にこの事を伝えるべく駆けだした。
だが、その最中、俺は一つの不安に駆られていた。それは、白雪にありのままを伝えたとしても、彼女は「私なら平気だから気にしないで」と言って、その場から離れようとはしないだろう。だから、俺は最低最悪の方法で白雪を彼等から遠ざけることを決意した。
……例え、それが彼女との永遠の別れになったとしても、それでも俺は、彼女の目標を少しでも阻む危険性があるのなら、それを阻止したい。
それが、唯一俺が特別に思えた存在で、俺を特別に見てくれて、俺の心を癒してくれた白雪に対して。……伝わることの無い恩返しをしよう。
階段を登り切り、少し開けた踊り場のような場所。そして、いつもの場所で夕日を儚く見つめる白雪が居た。俺は走ったことで息が切れ切れになっていたがすぐに白雪に言葉を告げるべく、白雪を見据えた。今は迷う時間も惜しいから。
「どうしたの? そんなに息を切らして。何かあったの?」
先に言葉を発したのは白雪からだった。俺は、その言葉を聞き、息を整えつつ、卑屈的な微笑みを作りながら、白雪に別れの言葉を告げる。
「うるせーよ。気安く話しかけんじゃねーよ」
「え? ど、どうしたの? なんかいつもと様子が変だよ?」
俺の急激な態度の変化に戸惑っている様子の白雪、そしてその状態のまま俺は畳みかけにいった。
「ああ、もう限界だ。ずっと我慢してきたけど、もう我慢ならねー! 俺はな、ずっと俺がされてきたことを誰かにやってみたかったんだよ。どんな気分なのか知りたくてな! 実際やってみてわかったよ。最高の気分だ。俺の掌で転がしてる気分ってのはな! そりゃあ、あいつらがやるわけだ。もうわかったから、お前は用済みだ。だから、お前はもう俺に関わるな。話しかけるな、目を合わすことも煩わしい。俺はお前みたいなのが大っ嫌いなんだよ! 俺を惚れさせる? 冗談じゃねぇよ。俺がお前の恋人になるなんてことは天地がひっくり返ってもありえねぇんだよ! この白ブタが!」
言葉を紡ぎながら泣きそうになっている事がわかる。だが、今はダメだ。今泣いたら彼女にバレてしまう。それではここまで何一つとして言いたくない言葉を彼女に飛ばした意味がなくなってしまう。彼女も俺の突然の言葉に固まっている。あと一押しすれば彼女は俺の前から立ち去るだろう。
「……今すぐ、……俺の前から消え失せろ」
嗚咽をぐっと堪え、カチカチと歯がぶつかる音がする。口元も震え、少しでも気を抜けば涙が零れ落ちてしまいそうだ。だから、早く、早く俺の前から居なくなってくれ。俺が堪えきれなくなる前に。
「さようなら。……最低で最悪でとても優しい東条君」
白雪はその場で慟哭しそうなほど涙を溜め、表情も泣き崩れそうな顔をしていたが、それを堪えながら踵を返し足早に去って行った。
そして、俺もその場から離れ、周りに人の影が無い事を確認して、今まで我慢していた涙も、最初の涙が零れ落ちると、あとはもう目処がたたないほど泣き叫んでいた。
それ以来、白雪の姿を見ることは一度もなかった。
これが、俺が初めて特別を抱き、抱いてくれた人にした俺の大罪だ。彼女が今どこで何をしているのか、俺にはそれを知る権利も資格も無いのだから。
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