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chapter15

白浜海はそっと過去を語りだす。(5)

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 昔の事を思い返していると、なぜか視界がぼやけている。それに目頭が熱を持っている。あぁ、俺は泣いているのか。もうとっくに克服したと思っていたのにな。思い返しただけで涙が出て来る程、俺にとって特別な人との特別な時間だったのだ。俺はそれを心の奥底に沈め、自分の犯した罪を忘れて日々を繋いで生きていたなんて、俺はなんて最低なのだろうか。自分の心の中で自分を責め立てていると、隣から物音が聞こえ、我に返り、音のする方向に目を向けた。


「ん? 東条君? まだ起きているの?」


 俺が鼻を吸ったり、目を擦ったりしている音に気付き起こしてしまったのだろう。時計を見れば時刻は朝の四時を指していた。かなりの時間、思考の海に潜ってしまったようだ。


「あぁ、悪い。起こしちゃったか?」

「いえ、気に病むことはないわ。ん? それよりあなた、泣いているの?」

「大丈夫だ。気にしないで寝てくれ」

「そんなの、無理に決まっているじゃない。あなた、まだ一睡もしてないんでしょ?」


 そう口にした白浜は寝起きのせいか、いつものキレがある話し方よりやや甘い声に聞こえてくる。


 そして、いつの間にか自分の居た布団から出て俺のベッドに腰をかけていた。


「……そうだよ、寝付けなくてさ。でも安心してくれ、お前が居るから寝付けないんじゃないからな」


 白浜に変な不安を抱かせないように、声音を優しくして白浜に告げ、俺も布団から出て白浜の隣に少しだけ距離を空けて座った。


「あなたは、何に対してそんなに苦しんでいるの? 何があなたに涙を流させているの?」

「お前が気にすることじゃない」

「私が気になっているの。お願い東条君。私に話してくれない? 話したからといって何かが変わる訳じゃないかもしれない。けど、少しは楽になると思うの。だから、ね? お願い」

「白浜。……少し長くなるけどいいか? それに、上手く話せる気がしない。それでも良いか?」

「えぇ」


 俺はなぜか、白浜になら話しても良いと思っていた。きっと今の俺の心が問題を抱え込みすぎて、それに耐えきれなくなっているんだと思う。それに、白浜に話すことに今はなんの違和感も抱いていない自分が居る。


 白浜は俺の話を聞こうとしたのか、不意に俺との距離を詰めながら、俺の肩の上に頭を乗せ、少し体重も俺に委ねてきた。


 その行動に俺の心臓は大きく脈を打っていた。白浜の可愛すぎる行動に気を取られまいと、俺はゆっくり言葉を紡ぎながら白浜に俺の過去を打ち明けていく。


「実は、昔。こんな俺にも好きって思える人が居たんだ……」


 白浜は、俺の話を盲目しながら聞き、尚も俺の肩に頭を乗せている。


 話を紡いでいると、また、目頭が熱くなっているのがわかる。嗚咽も混じり、体もわななかせながら、涙が溢れてきている。


「……泣かないで。東条君、……どうか、泣かないで……」


 白浜が俺の肩から頭を外し、視界に映る白浜の目元は隠しようのないくらい涙で濡れていた。そしてそのまま、今も涙を流している俺の体を包み込むように抱擁し、全身を強く抱きしめられた。


「私にはできないわ。涙を流し苦しんでいるあなたを前にして、ただ何の意味も無い優しい言葉をかける事なんて、できないわ」


 そっと頬に指先を添え、白浜は不意に唇を重ねてきた。それはきっと、俺の涙を止めるために白浜が選んだ最適解だったのだろう。


 どれくらいの間唇を重ねていただろうか。時計の秒針だけが音を鳴らす部屋、部屋の中に映る重なった影。時間にすればほんの僅かな時間だったかもしれない。だけど、俺にはその時間が永遠に感じていた。


「……ぷはっ」


 時計の秒針の音しかしない部屋に、白浜の息を吐きだす音がした。それと同時に俺と白浜の重なり合っていた唇が離れた。お互い息の続くギリギリのところまで息を止めていたため、呼吸は荒く、自分はおろか、白浜も顔を赤らめている。


 お互いに距離を縮めることも、離れることも無くその場で見つめ合っていると、白浜は息を整えつつ、先程の行動を思い出しているのか恥ずかしさを紛らわすかのように身を捩り、そして、涙で掠れた声で囁く。


「……ごめんなさい。……私には他の方法が思い付かなかったの。だからと言ってしていい行いではなかったわ、反省しているわ」


 白浜は自身の行いを謝罪してきた。だが、尚も浅く唇を噛み、自身がどう行動すればいいのか思案している様子で、視線はあちこちに泳いでいた。俺はなんて情けないんだ。白浜にここまでしてもらったうえに、更には白浜にその行動すら謝罪させて、俺は何をすれば白浜の行動を肯定できるのだろうか。……いや、違う。考えるな。行動しろ。そう思うと俺の体は自然と行動に移っていた、思考するな。理論を立てるな。今、白浜にしてあげたいと感じたことをしろ。


 自分の中に棲みつくもう一人の自分に言い聞かせ、俺は自分の感情の赴くままに行動した。


「……っ⁉ と、東条君⁉」

「お前は、何も悪くない。だから謝らないでくれ! 正直に言うよ。嬉しかった、心が安らいだ、白雪以外にこんな気持ちになれたことがなかった。そう思わせてくれたことを後悔しないでくれ」


 自らの感情の赴くまま取った行動、それは、白浜を強く抱きしめる事だった。不意に抱きしめられた白浜は最初こそ驚いていたものの、その驚きも落ち着き、俺の抱擁を素直に受け入れていた。


「ふふ。あなたって以外と泣き虫なのね、知らなかったわ」

「うるせーよ。お前だって人前で泣いたりするんだな。知らなかったよ」


抱擁から離れると、お互いの顔を見つめ合い、照れ合いながら、俺と白浜は微笑み合っていた。


 かなり長い間思考していた疲れもあり、そして、白浜のおかげで気持ちが落ち着いたことも相まって、急激に襲ってきた眠気に抗えずに俺は深い眠りに就いていた。
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