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盈月
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「ただいま」
「おかえり」
挨拶だけを交わして静まり返る室内。いつもなら、おれが何か話しかけ、瑠璃が答える。そんな感じで一応の会話は続いていた。なのに、最近はなんだか話しかけづらい。原因は分かっていた。おれが彼女を怖がっている事。"このままでは、おれはいつかおれでなくなるかもしれない"拭えない恐怖がおれを瑠璃から遠ざけていた。
「できたよ」
棒読みのように声をかけてミートソーススパゲッティをテーブルに並べる。瑠璃は無言で席に着いた。
「いただきます」
二つの声が調和し、空気へ消える。響きは少しも続かない。食器の音だけが鳴り響き、静寂が重さを増していく。そこでおれは、機械的に腕を動かし、瑠璃はいつもよりゆっくり食べる。互いに干渉し合わない。二人の席で一人で食べている。おれは、彼女が全く分からない。何を考えているのか、何が好きなのか、嫌いなのか、おれのことをどう思っているのか……何ひとつ。ちらりと姿を盗み見た。コンタクトをあげたその日から、ずっと黒に塗りつぶされた瞳。容易くおれを壊すことができる目。震えが走って視線を外す。見続けていると操られてしまいそうだった。
『無理やりにでも言うことを聞かされたい?』
脳裏に、あの時の双眸と声がはっきりと再生される。躊躇いもせずにおれを消そうとするその様子。おれに価値なんて無いと言うようなその態度。思い出すだけで震えがーー。
ーーあれ?
いつもは恐怖を与えられるだけのそれに、違和感を感じた。
「……なんで瑠璃はあの時、宣言したんだ?」
思わず洩れた問いかけに、少女は手を止めて首をひねる。でも、そんなのも気にならない程、おれは考えに没頭していた。前に、病室でチカラを目にした時、瑠璃は一瞬で記憶を書き換えた。つまり、チカラが作用するのに時間は必要ない。だとしたら、なんでこの間、瑠璃はおれを脅してみせた? 時間稼ぎじゃない。能力を示唆する必要も無い筈。彼女が本気で記憶を書き換えようと思ったなら、おれが気づかぬ一瞬の内にでもおれを作り変えられた筈なんだ。
矢継ぎ早に出てくる言葉。それはぶつかりあって出口に向かう。
ーー……なんでこんな単純な事、今まで気づかなかったんだろう。
目を見開き、大きく息を吐き出して嘆息する。それは、考えてみれば、当たり前のように思える事。おれが恐怖で見失っていた事。
「瑠璃は、チカラを使うのが嫌なんだ」
小さく声に出して呟いた。その響きは確信を帯びている。
瑠璃だって心ある人間で、記憶を書き換える、人格を作り変える、こんな他人を冒涜するようなチカラを進んで使いたいと思う筈が無い。きっと、チカラを見せつけるのは、おれを遠ざける為で、苦手な人付き合いで距離を取る為。その為の手段。威嚇で、当てるつもりのない銃を発砲するような物なんだ。考えれば考える程、心がどんどんと晴れていく。恐怖という闇が取り払われて、見えなくなっていた少女の姿がはっきりしてくる。
ーーそうか。おれはただ、瑠璃を信じればいいんだな。
答えを見つけた。身体の力が抜けて、心地よい脱力感が襲ってくる。おれは、あのチカラが怖い。でも、使い手である瑠璃が怖い訳じゃない。だから、彼女を人を作り替えようとするような人間ではないと、悪い奴ではないと、信じればいいんだ。
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