舞姫【後編】

深智

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慕情

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 大事な場所での思いがけない出会いは、互いの心に何をもたらす。


 
 郊外にある長い歴史を持つ由緒正しいその寺は、手入れの行き届いた美しい日本庭園に囲まれ、石畳の参道では小僧が箒で掃除をしていた。

 相変わらず、どんな檀家を抱えるのか想像に難くない荘厳な佇まいを見せていた。

「じゃあ、暫くは頼むわ」
「君の我が儘が通るのは、私が住職の間だけだよ。覚えておきなさい」
「分かってる。充分心得てる」
「それならよろしい」

 参道の突き当たり、折衷様と言われる建築様式の反り返る屋根が特徴的な仏殿から並び出てきた、年配の、作務衣姿の住職と星児は階段を下りながら会話を続ける。

「仏となった魂を冒涜するような事はしたくない。預かるからには、責任持って大事に預からせてもらうよ」

 住職の深く重く響く言葉に、足を止めた星児は黙って手を合わせ、頭を下げた。

 住職は小さくため息をついた。

「毎年末、匿名で多額のお布施がある。昨年の鐘楼の補修工事の際にも寄付があった。君だという事は分かっている。だが、匿名では本堂に名を記した札を残してあげられない。感謝の意だけは私から伝えさせて欲しい。本当にありがとう」

 顔を上げた星児が、フッと笑った。

「いいんだよ。俺の名前は由緒正しいこの寺にはあんま相応しくねーし」

 それに、と彼は言いながら階段を下り石畳の参道に下り立ち、住職を見上げて続ける。

「俺は、恩と義理は一生忘れねぇんだ。死ぬまでその恩は返していく。その反対も、死んでも忘れねーけどな」

 末尾の言葉に深い感情が感じ取られ、住職は眉根を寄せ、ゆっくり話し始めた。

「刑期を明けたばかりでここにやって来た、丸刈り頭のやんちゃな小僧が、こんな立派な男となったのだ。あまり無茶はせぬようにな」

 星児は答えず、目の前に拡がる美しい石庭に目を細めていた。

 この寺の住職は、星児の弁護士だった男の兄だった。弁護士は、刑期を終えたばかりで行き場のなかった星児をこの寺に預けたのだ。

 一年間小僧としてここで過ごした時間は、星児にとって忘れられないものだった。

 恩も義理も忘れない。相手が金に困っていようがいまいが、そんな事は関係ない。

 星児はまとまった収益をあげられるようになった頃から、幼い頃世話になった教会とこの寺に恩を返し続けていた。

 本当は、世話になった恩人に我が儘など言いたくはなかったのだが、麗子を預かって貰う事にしたのだ。

 本来ならば、墓か、もしくは位牌堂に、という形を取らなければいけないのだが、麗子の意向はあくまでも海への散骨だった。

 けれど今は冬。冷たい海になど散骨したくはない。

 かといって、誰もいない時間が長い寂しい家に置いておいては、と考えた末の苦肉の策だった。

 麗子、ごめんな、傍にいてやれなくて。でもな。

「俺にもしも何かがあったりしたら」

 星児は住職に向き直り頭を下げた。

「その時は頼みます」

 初めての、星児の敬語だった。住職は少し思案し、言った。

「もう一度だけ同じ事を言わせてもらおう。あまり、無茶をするな。自分をもう少し大事にして生きなさい。きっと、仏となった彼女も同じ想いだよ」

 麗子も。

 一度目の言葉には返答をしなかった星児が今度は、はにかむような笑顔を見せ答えた。

「その言葉、身を持って分かるのは、俺自身がもっとオッサンになってからだな、きっと。今はまだ分かんねーや」

 住職は苦笑いをした。

「分かる日が来た時には、遅いかもしれないぞ」
「それでもいい」

 歩きだそうとした星児の目に、見覚えのある着物姿の女性が映った。

 手には花束と柄杓の入った桶。境内にある墓地に続く小路を淑やかに歩く姿は、人目を引いた。

「あのひとは?」

 星児は彼女を見ながら住職に聞いた。

「ああ、中丸さんか。娘さんの墓参りに、来られたのだな。週に三日は必ずみえる」
「住職、彼女の娘ってのは二人か?」

 星児の問いに住職は僅かに目を丸くした。

「いや、ここの墓に納められているのは一人だけだ。娘がもう一人いる、という話は聞いた事はないな」



 墓参りを終え、墓地からの小路を戻って来た藤紫色の着物の女性、クラブ胡蝶のエミコママは、道の先に立っていた星児の姿に気付いた。

 驚く表情を見せたエミコに星児は軽く頭を下げ会釈する。

「まぁ、剣崎さん、こんな所でお会いするなんて思いもしませんでしたわ」

 エミコも優雅に会釈を返した。

「俺も、まさかと」

 苦笑いする星児に、エミコは微笑んだ。

「剣崎さんもお墓参りでらして?」
「まあ、そんなようなもんかな」

 言葉を濁らせ詰まらせた星児にエミコは優しく話しかけた。

 「お元気でらしたのかしら」

 優美な微笑みに星児の心が微かに弛み、星児は目を細めた。星児を見上げるエミコは静かに続けた。

「お店に、久しくお見えになってらっしゃらないから」

 ああ、と星児は笑顔を見せた。

「色々、あったんで」

 含みを持たせた星児の言葉にエミコは、そうでしたの、とだけ答え視線を伏せた。

 境内は心地の良い静寂に包まれていた。エミコが静かに切り出す。

「ここの日本庭園を眺めるのがとても好きなの。少し、お付き合い下さるかしら?」

 喜んで、と答えた星児にエミコは気品溢れる優美な笑みを見せた。

 エミコの微笑の中に星児は微かな面影を見た気がした。胸が絞まるような感触に、僅かに顔をしかめる。

 聞きたい事が山ほどある。
 
 仏閣を拝する独特な、心を和ませる清澄空間に、砂利を踏む音だけがゆっくりと空気を震わせる。星児は口を開こうとしたが、エミコの声が先に空間を揺らした。

「失礼な事、申し上げるかもしれませんから、先にお断りしておきますわね」
「失礼な事?」

 予想外の意外な言葉だった。怪訝な顔をした星児にエミコは僅かに肩を竦めてみせ、ゆっくりと話し始めた。

「わたくしはこんな仕事をしているせいか、成功する男の方は、だいたい一目でわかりますのよ。お店によくおみえになっていた頃の剣崎さんは、必ず成功する方に見えましたわ。けれど、今の剣崎さんには、残念ながらそういったオーラは見受けられませんわね」

 思いもよらない辛辣な言葉は、少々厳しい口調で語られた。星児は堪らず失笑を漏らす。

「エミコママは、意外にキツイんだな」

 手で軽く顔を覆った星児は、以前店で見たエミコママの姿を思い出した。

 優美な姿を崩す事なく津田武と真っ向から対峙する姿だ。

 そうだ、このママは雅で穏和なだけの女ではなかった。銀座という戦場でしなやかに生き抜いてきた揺るがない信念と芯の強さを持った女だった。

 フフフ、とエミコは微笑んだ。今度は優しく柔らかな口調で話し始めた

「今はお店での接客ではありませんもの。わたくしは若い頃からあの世界で生きてきて、沢山の素晴らしい方に育てていただきました。今度は、若い方の成功を微細ながらも応援して差し上げたい、とこの年になって思うようになりましたの。
より多くの若い芽が育つ事。それがあの、夜の街の繁栄にも繋がってゆきますもの」

 若い芽を――。

 星児は、この誇り高き銀座の女王に計り知れない器の深さを感じ取った。

「参りました」

 頭を下げた星児にエミコは、まぁ、と目を丸くしホホホと優雅に笑った。

「顔をお上げになって」
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