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ゆっくりと歩いてゆくと、蓮池の畔に出た。池を眺めるエミコが静かに言った。
「目ね」
「め?」
いきなりの言葉についてゆけず、星児は裏返りそうな声で聞き返した。そんな事はお構い無く、エミコは続ける。
「初めてお会いした時の剣崎さんの目は、見る者を威圧するくらいの溢れる野心が現れてましたわ。けれど今の貴方の目には力がない。何か迷いがおありになるのかしら。その瞳は、以前のような強い光を放ってはいませんわ」
迷い、か。気付かなかったな。充分、立ち直っていると思っていたのに。
「自分自身の事が見えなくなっている時点でヤバいな」
星児は自嘲気味に呟き、ハハハと笑った。さりげなく覗き込むエミコが静かに言った。
「目的を見失いかけてらっしゃるよう」
星児は、ハッとする。
目的とは。
図星を突かれたかのように瞬きを忘れ固まる星児に、エミコはフワリと微笑むとゆっくり歩き出した。星児はたおやかな後ろ姿を目で追う。
「大事な方を、亡くされたのかしら」
「え?」
思わず声を上げた星児に、奈美絵ママはゆったりと振り向いた。答えに詰まり、言葉を失う星児に言った。
「お顔と貴方を包む雰囲気、そして何より、この場所にいらしていた事から察してみただけです。違っていたら、ごめんなさい」
星児は視線を軽く伏せた。これが、答えだ。
「わたくしもかけがえのないものを失っておりますから」
顔を上げた星児の視線はエミコの視線とはぶつからなかった。遠くを見るようなエミコの目は、何かを思い出しているようだった。
ママが失ったものは、という言葉とその先が星児の喉元まででかかっていたが、呑み込んだ。エミコは優しく言葉を継ぐ。
「過去と失ったものは決して忘れてはいけないけれど、縛られてもいけない」
星児の胸に、エミコの言葉は切り込むように奥底まで深く、響いた。
「その大事な方は、貴方が何時までも引きづり続けて、そんなにも輝きを失う事を望んでいるのかしら。愛してらっしゃるのなら、縛られてはいけない」
まるで、エミコが自分自身にも語り掛けるかのようだった。
「剣崎さんの事情を存じ上げてはいないわたくしが、こんな事を申し上げるのは失礼かもしれません。けれど、老婆心というものですわね。年寄りの戯言、と思って軽く聞き流してくださいまし」
歩みを止め見返るエミコの横顔を星児は黙って見詰める。
「残された者は生きている。必死に、その〝生〟を全うしなければいけない。歩みを止めず、前を向かなければ、今ある目の前の大事なものを失ってしまう。
それは、事情も状況も立場も違えば様々ですから一概に何を、とは言えないけれど、行き着く先は同じような気がします」
目の前の大事なもの。星児の脳裏に、フワッと浮かんで消えた影があった。星児は目を閉じ、眉をしかめた。
あれから、彼女には〝触れて〟はいなかった。
気持ちの整理がつかないままに触れてしまいたくはなかったから。
「わたくしも、失った過去に縛られて、目の前の大事なものを失ってしまいましたの。それは、自分自身の非を認めたくはなくて、大事な人を傷つけてしまったのね」
星児はジャケットの内ポケットから名刺ケースを取り出した。一枚を取り出す。
「エミコママ。この人に連絡してやってくれないかな。失ったものも、後悔も、清算できる場合もきっとあるぜ。相手に同じだけの想いがありゃ、な」
星児が取り出した名刺とは、ニューハーフのスミ子の名刺だった。
「その人は、今でもママの身を案じてるんだよ。ショーパブ、店名を見りゃ直ぐ分かんだろ?」
名刺を手にし、驚きを隠せないエミコは星児に聞いた。
「剣崎さんは、スミ子と知り合いでらしてたの?」
星児は肩を竦めてみせ、ああ、答え、口角を上げて笑う。
「かなり昔からの、な。こんな事言っちゃすげ図々しいかもしんねーけど、エミコママとは、少しばかし縁があんのかもしんねーな、と思ってる」
〝この人は、彼女の血縁者だ〟
星児の言う〝縁〟は、もっと深いところで繋がっているのだが、今はそれは、言わない。
エミコがフフッと柔らかく笑った。
「わたくしもそう思いますわ。でも、スミ子とわたくしの関係を知ってらっしゃるという事は、いやだわ、わたくしったら随分と恥ずかしい講釈をしてしまいましたわね」
恥ずかしそうに微笑んでみせたエミコはまるで少女のようだった。星児は眩しそうに目を細めた。
やっぱり、どこか似てるな。
胸に感じた刺さるような痛みを星児はひた隠した。
「お礼を言わせてくださいな」
「いや、礼を言うのは俺の方だ」
僅かながら、何かから自分を解き放つ、一歩踏み出すヒントを、きっかけを貰った。
エミコは貰った名刺を大事そうにハンドバッグにしまった。
西大門を抜け、寺の境内から出ると、空は夕日に染まりオレンジ色の光が道路に反射していた。別れ際、星児は一つだけどうしても気になる事を切り出した。
「立ち入った事を聞いて悪ぃんだが、エミコママには二人の娘が、いたと聞いてる。ここに眠るのは、一人だけなのか?」
星児の問いにエミコの表情が微かに動いた。エミコは小さく微笑んで見せた。
「スミ子がどう語ったのかは存じ上げませんけれど、確かに私には、娘が二人おりますわ。剣崎さん、今の貴方のお言葉をちょっと訂正させて頂きますわね。〝いた〟という過去形ではありません」
え? と星児は目を見開く。エミコは一旦言葉を切り、再び静かに口を開いた。
「長女はまだ、生きてますもの」
「目ね」
「め?」
いきなりの言葉についてゆけず、星児は裏返りそうな声で聞き返した。そんな事はお構い無く、エミコは続ける。
「初めてお会いした時の剣崎さんの目は、見る者を威圧するくらいの溢れる野心が現れてましたわ。けれど今の貴方の目には力がない。何か迷いがおありになるのかしら。その瞳は、以前のような強い光を放ってはいませんわ」
迷い、か。気付かなかったな。充分、立ち直っていると思っていたのに。
「自分自身の事が見えなくなっている時点でヤバいな」
星児は自嘲気味に呟き、ハハハと笑った。さりげなく覗き込むエミコが静かに言った。
「目的を見失いかけてらっしゃるよう」
星児は、ハッとする。
目的とは。
図星を突かれたかのように瞬きを忘れ固まる星児に、エミコはフワリと微笑むとゆっくり歩き出した。星児はたおやかな後ろ姿を目で追う。
「大事な方を、亡くされたのかしら」
「え?」
思わず声を上げた星児に、奈美絵ママはゆったりと振り向いた。答えに詰まり、言葉を失う星児に言った。
「お顔と貴方を包む雰囲気、そして何より、この場所にいらしていた事から察してみただけです。違っていたら、ごめんなさい」
星児は視線を軽く伏せた。これが、答えだ。
「わたくしもかけがえのないものを失っておりますから」
顔を上げた星児の視線はエミコの視線とはぶつからなかった。遠くを見るようなエミコの目は、何かを思い出しているようだった。
ママが失ったものは、という言葉とその先が星児の喉元まででかかっていたが、呑み込んだ。エミコは優しく言葉を継ぐ。
「過去と失ったものは決して忘れてはいけないけれど、縛られてもいけない」
星児の胸に、エミコの言葉は切り込むように奥底まで深く、響いた。
「その大事な方は、貴方が何時までも引きづり続けて、そんなにも輝きを失う事を望んでいるのかしら。愛してらっしゃるのなら、縛られてはいけない」
まるで、エミコが自分自身にも語り掛けるかのようだった。
「剣崎さんの事情を存じ上げてはいないわたくしが、こんな事を申し上げるのは失礼かもしれません。けれど、老婆心というものですわね。年寄りの戯言、と思って軽く聞き流してくださいまし」
歩みを止め見返るエミコの横顔を星児は黙って見詰める。
「残された者は生きている。必死に、その〝生〟を全うしなければいけない。歩みを止めず、前を向かなければ、今ある目の前の大事なものを失ってしまう。
それは、事情も状況も立場も違えば様々ですから一概に何を、とは言えないけれど、行き着く先は同じような気がします」
目の前の大事なもの。星児の脳裏に、フワッと浮かんで消えた影があった。星児は目を閉じ、眉をしかめた。
あれから、彼女には〝触れて〟はいなかった。
気持ちの整理がつかないままに触れてしまいたくはなかったから。
「わたくしも、失った過去に縛られて、目の前の大事なものを失ってしまいましたの。それは、自分自身の非を認めたくはなくて、大事な人を傷つけてしまったのね」
星児はジャケットの内ポケットから名刺ケースを取り出した。一枚を取り出す。
「エミコママ。この人に連絡してやってくれないかな。失ったものも、後悔も、清算できる場合もきっとあるぜ。相手に同じだけの想いがありゃ、な」
星児が取り出した名刺とは、ニューハーフのスミ子の名刺だった。
「その人は、今でもママの身を案じてるんだよ。ショーパブ、店名を見りゃ直ぐ分かんだろ?」
名刺を手にし、驚きを隠せないエミコは星児に聞いた。
「剣崎さんは、スミ子と知り合いでらしてたの?」
星児は肩を竦めてみせ、ああ、答え、口角を上げて笑う。
「かなり昔からの、な。こんな事言っちゃすげ図々しいかもしんねーけど、エミコママとは、少しばかし縁があんのかもしんねーな、と思ってる」
〝この人は、彼女の血縁者だ〟
星児の言う〝縁〟は、もっと深いところで繋がっているのだが、今はそれは、言わない。
エミコがフフッと柔らかく笑った。
「わたくしもそう思いますわ。でも、スミ子とわたくしの関係を知ってらっしゃるという事は、いやだわ、わたくしったら随分と恥ずかしい講釈をしてしまいましたわね」
恥ずかしそうに微笑んでみせたエミコはまるで少女のようだった。星児は眩しそうに目を細めた。
やっぱり、どこか似てるな。
胸に感じた刺さるような痛みを星児はひた隠した。
「お礼を言わせてくださいな」
「いや、礼を言うのは俺の方だ」
僅かながら、何かから自分を解き放つ、一歩踏み出すヒントを、きっかけを貰った。
エミコは貰った名刺を大事そうにハンドバッグにしまった。
西大門を抜け、寺の境内から出ると、空は夕日に染まりオレンジ色の光が道路に反射していた。別れ際、星児は一つだけどうしても気になる事を切り出した。
「立ち入った事を聞いて悪ぃんだが、エミコママには二人の娘が、いたと聞いてる。ここに眠るのは、一人だけなのか?」
星児の問いにエミコの表情が微かに動いた。エミコは小さく微笑んで見せた。
「スミ子がどう語ったのかは存じ上げませんけれど、確かに私には、娘が二人おりますわ。剣崎さん、今の貴方のお言葉をちょっと訂正させて頂きますわね。〝いた〟という過去形ではありません」
え? と星児は目を見開く。エミコは一旦言葉を切り、再び静かに口を開いた。
「長女はまだ、生きてますもの」
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