舞姫【後編】

深智

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『帰るぞ』

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 エミコと別れた後、夜の街に出た星児は自分が経営するキャバクラやナイトクラブを回り、夜半になって事務所に戻って来た。

 慌ただしく出掛ける準備をしていた保が星児に気付き声を掛けた。

「俺、これから出掛けるから。桂コーポレーションとかユナイテッドホールディングスやらの幹部連中と会う」
「今からか?」

 やや驚いた様子の星児に保が苦笑いする。

「奴ら、こっちが下手に出てりゃ足元見やがって。うちが持ち掛けたもんなんて重要じゃねぇって言いてぇんだよ。酒飲みながらでも、だってよ。てふざけんなっつーの!」

 心底悔しそうに保は吐き出す。

「今に見てろ。そのうち全部呑み込んでやるさ」
「勇ましいな」

 星児は煙草をくわえながら目を細めてクククと笑う。保は携帯を耳に当てながら腕時計を見た。

「そろそろ行かねーとなんだけど、龍悟のヤロー、捕まんねーんだよ」
「なんで龍悟?」
「みちるだよ、みちるの迎え! あんのヤロー、携帯放り出してどこほっつき歩いて」
「俺が行っちゃダメか」
「あぁダメに決まって、あ?」

 携帯を落とそうになった保が星児を二度見した。星児がニッと笑った。

「問題なし、だよな」

 疑わしげな視線を送る保に星児は「なんだよ」と睨んだ。

「泣かすんじゃねーぞ」

 出掛けに振り向いた保は人差し指で星児をビシッと差し、そう言い放った。

 星児は、俺がいつ、と鼻で笑ったが、幾つか思い当たる節が脳裏に甦り苦笑と供に肩を竦めた。

 泣かしたくて泣かした事なんて一度もねーけどな。
 



 
 目がチカチカするような目まぐるしい動きでステージを照らす赤や紫のライトは踊り子達の白い肌を、妖しくそめていた。

 観客の男達からの歓声に飛び交うカラーテープ、常連が叩き鳴らすタンバリンの音。ヒートアップするショーは徐々にエキサイトしていく。

 中で、一際目を引く肢体が妖艶に舞う。今ここにいる観客の大半が、彼女を観に来ているのだろう。

 白い躰がステージのセンターに躍り出た瞬間の、男達の色めき立つ興奮は端から見る者も肌で感じられた。

「セイジ、みちるちゃん貸してくれてありがとな。お陰様で連日大盛況だ。うちは最近客足伸び悩んでいたからよ」

 ステージから目を反らした星児に、この劇場の支配人である中年の男が話し掛けた。

 みちるは、引っ張りだこだった。

 活動の場は広げない、劇場以外の露出も無い為、有名な人気踊り子とはなっていないが、香蘭の時からの根強いファンがみちるの派遣先に大移動する。

 派遣先でもファンは徐々に増殖し、みちるはすっかり〝打出の小槌〟的な踊り子となっていた。

「みちるちゃんを、うちの所属に、なんてやっぱ考えては貰えねーか」
「ねーな」

 星児が間髪入れずに即答する。

「悪ぃけど、みちるは今のとこ手離すつもりはない」

 そうか、と支配人の男は肩を落としたがゆっくりと続けた。

「なんかな、あの舞いは麗子を思い出すよ。さすが麗子の一番弟子だよな」

 星児は返事はしなかった。

 麗子とは全然違うぜ。

 麗子の舞いは格が違った。誰も、麗子の足元にも及ばない。麗子は、言ってみれば花魁のような、格上の踊り子だった。

 心の中で、呟いていた。
 
 ステージにチラリと目をやると、みちるのショーがクライマックスを迎え、観客席は最高潮の盛り上がりをみせていた。

 白い肌をさらけ出し、しなやかに舞い色っぽく視線を向け男達を魅了する。

『お前も、その目でしっかり観ておけよ! あれが、俺達がみちるに歩ませた道だって事、しっかり胸に刻んでおけ!』

 星児の中で保の言葉がオーバーラップし、心に鉈が入った。

 踊り終えたみちるは客の歓声と興奮に応えながらシースルーのショールを肩に羽織り舞台から去った。

 時折目を反らしながらもなんとかショーを観終えた星児は、小さなため息をつきながら外に出ていった。



「ねぇ、香蘭のオーナーだった剣崎さんが来てる!」
「えぇ、私、近くで見た事ないんだけど!」
「あ、私さっき事務所で……」
「会ってみたい~!」

 終演後の楽屋では、踊り子達の会話は星児の話題で持ち切りだった。まるで、ちょっとした有名人のような扱いだ。

 星児さんが、来てるの? なんで?

 メイクを落としていたみちるの手が止まっていた。

 みちるには必ず迎えがあるのだが、大抵は保が来た。多忙で来られない事もままあり、代わりは龍悟だった。星児が来る事はまずなかった。

「みちるちゃんのお迎えでしょ」

 誰かが言った。

「やっぱり人気者サマはちがう~」
「お迎えつきだもんねぇ」

 星児の噂で盛り上がっていた踊り子達の言葉の数々には明らかに羨望と嫉妬のトゲがある。

 劇場によっては、香蘭で一緒だったり仲の良い踊り子がおり、居心地のよい場所もあったが、この劇場にはいなかった。ここに派遣されてもう十日にもなるというのに、みちるは居場所をまだ見つけられずにいた。

 みちるは心の中でため息をつく。心細さに胸が締め付けられた。

「いつものお迎えだって、あのむちゃくちゃイイ男のK&Tの社長さんでしょー?」
「凄いよねぇ」

 ねー? と同意を求めてくる踊り子達の声にみちるは顔を上げる。籠められた皮肉がヒシヒシと感じられ、みちるは、アハハと乾いた笑いで返すしかなかった。

 針の蓆(むしろ)みたい。

 たまに、化粧品が失くなる。衣装がある筈の場所にない。そんな事は、この仕事を始めてから、初めての事だった。
 
 改めて、自分が人の優しさに守られて来たかを痛感した。

 でも、もう頼ってはいられない。助けてって手を伸ばす訳にはいかない。




 事務所でみちるが楽屋から出てくるのを待っていた星児に支配人の男が話しかけた。

「気をつけろよ」
「気をつけろ?」

 星児は怪訝な顔を彼に向けた。支配人の男は帰ってゆく踊り子達に「お疲れ~」とヒラヒラ手を振りながら答えた。

「数日前にいかにもな人相悪ぃ男が二人来て、みちるちゃんの事を聞いていった」
「みちるの?」

 星児は眉根を寄せた。

「ああ。何時までここにいるか、とか、何時が休みだ、とか主に彼女のスケジュールだな。どっからどう見てもファンには見えねー輩だったぜ」

 みちるのスケジュールだ?

 星児は吸っていた煙草の煙に目を細めながら、険しい顔で思案する。支配人が呟く。

「そんな事聞いてどうすんだかな」
「いや、こっちにしてみたら全く見当つかねー訳じゃねぇ」

 とうとう動き出したか!

 星児は忌々しげに舌打ちした。

「それで、お前はソイツらに教えたのか」
「まさか。教えねーよ。恫喝されっかとビビったけど案外アッサリ引き下がったぜ」
「そうか、ありがとな」

 星児が煙草を灰皿に押し付けた時だった。

「星児さん」

 少し高めの柔らかな声に呼ばれ星児は顔を上げた。




「おぅ、お疲れ」

 みちるの姿を認めた星児が、目を細めて軽く手を挙げた。

 それは実に、一週間ぶりに見る姿だった。みちるの胸に、ギュゥッという締め付けられる感覚が走る。

 ホントに、星児さん、だ。

「どうした?」

 笑顔を見た瞬間、心細さで張り裂けそうだったみちるの胸に、泣き叫びたくなるような熱いものが込み上げた。

 手を伸ばしたい。触れたい。抱き締めたい。

 右手を握りしめて胸に当て、こみ上げる想いと欲求をグッと堪えた。

「今夜は、星児さんが来てくれたの?」
「ああ」

 ゆっくりとみちるの傍に来た星児が、優しく頭を撫でた。

「龍悟がバックれやがったから」
「バックれ?」

 裏返る声でおうむ返ししたみちるに星児が、冗談だよ、と笑った。えー? と眉を下げたみちるの肩を星児が優しく抱く。

「帰るぞ」

 あ、と胸が反応する。

 甘やかな声で言われたその言葉を、みちるの耳が覚えていた。

 拾われたあの日。

『みちる、帰るぞ』

 まだ、不安に強張る心を解してくれた。

 みちるは肩を抱く腕に身を委ね、答えた。

「はい」


†††
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