舞姫【後編】

深智

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弱味

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 龍吾は保の傘を拾い上げた。辺りを見回したが、保の他に事務所の人間は誰もいない。一人で飛んで来たんだな、と改めて龍吾は思った。最近では珍しい事だった。

「とりあえず事務所に戻るぞ」

 みちるを腕に抱いたまま言った保の少し威圧的な声に龍吾は反射的に姿勢を正した。普段なら保に対しては「ああ」「うん」としか言わない龍吾が「はい!」と答えていた。

 前を歩くみちると保に傘を差しながら、龍吾は恐る恐る聞く。龍吾が一番畏怖の念を抱く、あの男の事を。

「あの、星児さんは?」

 保はフッと笑う。

「〝お取り込み中〟で今夜は一切連絡は取れない。お前、命拾いしたな」

〝お取り込み中〟?

 龍吾もみちるも、意味は分からず首を傾げた。


†††

 
 ハアハアと息をする度に白い肩が上下し、微かに汗ばむ肌に長いウェーブヘアの栗色の髪が貼り付き女の色っぽさを助長していた。

「あぁ……っ!」

 星児の動きに反応し、女の躰がその背中を大きく仰け反らせた。



 仰向けになり煙草をくわえる星児に跨がる女は見下ろしながら長い髪をしなやかに手でかきあげる。豊満な肉体は、未だ快楽を貪ろうとしているかのようだった。

 女は艶っぽい唇から猫なで声を出す。

「嬉しい、今夜はアナタから声をかけてくれるなんて……待っててよかった。やっぱり、あの人じゃダメ……あの人……自分だけ気持ちよくなってオシマイなんだもの。アナタは違う……」

 ふぅっ、と煙を吐き出した星児はクックと笑う。笑みに含まれるほんの僅かな蔑みの色は誰にも分からない。

「俺はこうやって這い上がって来たんでね」

 女はフフッと肩を竦めた。

「そうやって女を虜にして喰い物にしてきたの?」
「そういうこと」

 星児の言葉に彼女はキャハハと笑い、再び躰を躍動させる。

「そういうドライなとこも好きよ」
「そいつはどうも」

 ベッドサイドにあった灰皿に煙草を置いた星児は、女の腰を掴んだ。

 ベッドの激しく軋む音が部屋の中に響き渡った。



「今夜も沢山サービスして貰ったから、アタシの知ってる事は教えてあげるわよ」

 星児の隣で息の上がる躰をゆっくりと起こした女はそう言いながら煙草をくわえ、火を点けた。

 仰向けになったまま頭の後ろで腕を組む星児は天井を睨み、ゆっくり言葉を探しながら話し始めた。


「昼間の首都高の事故、アンタの男の組で仕込んだんじゃねーかな、と思ってさ」

 煙草をふかす女が一瞬固まった。

 事故の発端となったトラックはレンタカーで、その運転手も死亡した。星児はその事にピンと来他のだ。

 御幸が偶然事故に巻き込まれたとはあんま考えらんねぇ。だとしたらこれは、怪しまれずにターゲットを消す、裏社会の常套手段だ。

 星児は持てる人脈を駆使して情報収集に奔走し、結果行き当たったのが、翔仁会系暴力団だった。


『ここ最近、あそこのヤミ金でヤバい顧客をピックアップしてたぜ』

 耳に入った情報に星児は、なるほど、とほくそ笑んだ。

 翔仁会幹部連中の情婦の中に、以前から星児と寝たがっている女がいた。待ってましたとばかりに引っ掛かったのが、この女だった。

 女は竦めた肩ごしに星児に流し目を送った。

「相変わらず、性能のいいアンテナ持ってるのね」

 星児は起き上がる事なく咥えた煙草の煙を吐き出し、クククと笑う。

「人脈と情報網が俺の命綱みてーなもんだからよ」

 彼女は「上手い言い方ね」とフフフと笑い指に挟んだタバコをくわえ、くゆる煙に目を細めた。

「あの人はアタシに直接は話さないけど、アタシは電話であの人が話してたり、やって来る組の男と話してるのを傍で聞いてる。アタシがしなだれかかって『なんのはなしぃ?』なんて聞けば、ポロリと大事な事喋るんだけど、今回はコソコソやってたわ。田崎さんからのハナシだったからじゃないかと思う」

 星児は眉の端だけで反応した。

 田崎!

 鼓動の加速をひた隠し星児は煙草をくわえたまま、ふぅん、とだけ反応した。女は手にした小さな灰皿に細い煙草を押し付けながら星児に視線を向けた。目には、警戒するような色が浮かぶ。

「田崎さんが絡むものはヤバいのよ。絶対に出所は知られないようにして」

 灰皿を受け取り煙草を消す星児は口角を上げてみせた。

「出所云々以前に俺がアンタとこうしてる事がヤベーだろが」

 女は、ああそうだわ、とキャハハと笑い出した。

 綱渡りをしてでも火遊びをしたい女。危ない橋と分かっていても向こう岸にある可能性に賭ける男。

 互いにリスクを背負う駆け引きをするのだ。

「今回は、田崎の名前が出ただけで収穫だ、サンキュ」

 星児はガバッと起き上がり、ベッドから降りた。

「あら、今夜はもうオシマイ?」

 うつ伏せに寝転んだ女が誘うように甘い声で言う。シャワールームへ向かう星児は振り向かずにヒラヒラと手を振る。

「散々サービスしたろーが。あんま長くいっと、俺もアンタも危ねーからよ」

 均整の取れた彼の後ろ姿を眺めて女は、なーんだ、と心底残念そうに呟いた。



 バスルームに入りシャワーを全開にした星児は壁に手を突き頭から浴びる。平静を装い取り繕っていた反動か、爆発寸前の鼓動が手を震えさせた。

 星児は震える手を握り締める。

 田崎のやろう!

 星児は拳でガンッと壁を叩いた。

 あんなド派手なやり方、アイツだったからか!

 危機感という黒い塊がみるみる増幅し全てを呑み込もうと押し寄せる。

 恐らく田崎は御幸とは無関係。なんの繋がりも無かった筈だ。

 星児は、鳴り止まない警鐘がワンワンと響く頭で考える。

「群司武」

 呟いた星児の声は、激しい水流の音に消された。脳裏には昼間見た事故の炎と黒煙が過る。

 田崎は金の為なら確実にターゲットを潰す。残忍な手段で。

 多分、これで終わりではない。次のターゲットは、と考えた時、星児の背筋がゾワリと冷たくなった。



 星児は流れるシャワーを浴びながら壁に頭を打ち付けた。

 あんなヤツ、少しも怖いと思った事は無かった。でも今は違う。

「……みちる!」

 決して奪われたくはない、守るべきもの。

 星児は、ハハハと小さく笑った。

 俺は、究極の〝弱味〟を持ってしまったんだな。
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