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ニアミス2
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星児はくゆる煙に目を細めながら目の前に立つ青年を見た。
津田、武明。
みちると恋仲にあった男。今日初めて、面通しした。星児は以前聞かされたこの男の〝印象〟を思い出していた。
ただの育ちの良い坊っちゃんではない。
政治家の目をした男。
なるほど、と星児は煙草を口から外し煙を一気に吐き出した。
コイツ、マジで〝政治家の目〟をしてやがる。
抜け目無さと計算高さを内包しているのだろう。まるで隙が無い。端麗な容姿の内面にある感情は、まるで読めなかった。
灰皿で煙草を揉み消し星児は心の中で微かに笑う。
優雅な仮面、被ってっけど、やっぱアイツの息子だ。
向き合う二人は互いを警戒し牽制し合うように動かない。一瞬の隙を見せたら負け、そんな空気に包まれていた。
星児が口角を上げてフッと笑う。
「見るからにお坊っちゃんのアンタが俺みてーなゴロツキに何の用だ」
スラックスのポケットに手を突っ込む星児は斜に構えた姿勢で武明を見据え、凄味を効かせた声音で言った。動じない武明はクスリと笑い答えた。
「そんな立派な紳士のなりをしたゴロツキはいませんよ。貴方がご自分をどう思おうと勝手ですが、僕は少なくとも、みちるが今身を寄せている男がそんな男とは思いたくもありませんね」
星児の表情が微かに動いた。
コイツは、知ってる。
「みちるは、いずれ返して貰います」
武明の顔から微笑が消えた。端正な顔が一変する。刺すような瞳に氷のような冷たさを浮かべていた。
「本性を現したか」
蛇みてえだな。星児がクックと笑いながら言う。
「随分とみちるの事調べたみてーだけどよ、そんじゃあアンタ、自分自身とみちるの関係も分かってんだろうよ」
初めて武明の表情が、僅かだが歪んだが、直ぐに元のにこやかな表情に戻る。目だけは笑っていなかった。
「だから何だと言うのですか。関係ありませんよ、そんな事。僕がみちるを愛している事に変わりはないのですから。それに……」
美しい氷の微笑を浮かべた武明は星児に言う。
「僕には父親はいませんから」
踵を返した武明の背中に星児は何喰わぬ調子で声を掛けた。
「みちるには会わねーのかよ」
武明は歩みが止めたが振り向く事なく答えた。
「言ったでしょう、いずれ返してもらう、と。必ず迎えに行く。そう信じているから今は会いません」
強い意思を感じる言葉だった。自信の根拠は何処にあるのか。
みちるを愛してる、か。父親はいない、とまで言い切りやがった。
星児は去って行く武明の後ろ姿を見、フンと鼻で笑った。
みちるはあの男と再会した時どんな反応をするのだろうか。あの男の元へ帰る、と言うだろうか。
背筋の伸びた後ろ姿を、星児は苦々しい思いで見詰めていた。
そもそも、返す返さない、とか言う問題じゃねーだろ。みちるが戻ってくる、という自信はどっから湧いてくんだよ。
小さく舌打ちをし、奥歯を噛みしめた。
「言ってくれるじゃねぇか」
〝愛してる〟。
俺達の言えない言葉を、堂々と。
武明が去って間もなくして、御幸邸の勝手口の方角から風呂敷包みを抱えて走ってくるみちるがが見えた。
手を挙げた星児にみちるは笑顔で応え、走り寄る。星児は愛しげに目を細め、みちるを抱き留めた。
みちるから話しを聞いた星児はその包みを「持ってやる」と受け取りながら言った。
「焼香済ませたら早々に退散するぞ」
「……うん」
星児を見上げるみちるは悲しげに頷いた。
歩き出し、ふと屋敷の庭を一望したみちるの脳裏を過った男の影が胸を締め付ける。
武明。この何処かに貴方がいる。
みちるは、想いを掻き消し、振り切る。
ここには思い出がありすぎる。星児さんの言う通りだ。
星児の袖をギュッと掴んだ。
「星児さん、早く帰ろう」
「ああ」
星児は袖を掴む頼りない儚げな手を優しく握る。少し冷たい大きな手の感触を感じながらみちるは目を閉じた。
右京さん、さようなら。
風に乗って漂う梅の花の優しい香りがみちるの鼻先を掠めていった。目を開けた視線の先に白い椿の花が咲いていた。
開いた門扉の間をゆっくりと通過した白い車が庭先に停まり、助手席のドアが開くと和装の喪服姿の美しい婦人が降り立った。黒一色というのにその艶やかな姿は人目を引いた。
焼香を終えて帰る弔問客の間でまことしやかに囁かれる。
「銀座の胡蝶のママじゃないか」
「ああ。でも御幸さんご自身にそういった付き合いがあると聞いた事はないが」
「津田氏の関係だろ」
車から降りたエミコの視線がある一点で止まった。
助手席のドアに手を掛けたまま動かないエミコに運転席にいたホスピス・幸陽園の院長が声を掛けた。
「エミコママ、どうかなされましたか。誰かお知り合いでも?」
ハッと我に返ったエミコは院長ににこやかに微笑みかけた。
「いいえ、知り合いに似てる方をお見かけしましたの。でも人違いのようです」
「そうでしたか」
「わたくしは先に御焼香の列に並んでおりますわね」
「では私は車を置いてまいります」
短い会話を交わし、エミコは助手席のドアを静かに閉めた。車が走り去った先を見詰める視線の先に、一人の娘が立っていた。
長い黒髪。白い肌。愛らしい顔立ち。エミコが失ってしまった大事な娘がそこにいた。間違いない、美術館で束の間の時を共にしたあの娘だ。
こんなところに、何故。
御幸氏との関わりのある、姫花とそっくりの娘。
エミコは、全てを察した。
御幸さん、貴方はこんな大事なものをお隠しになっていたの。
声を掛けたい。衝動を堪えエミコは立ち尽くす。エミコの見詰める中、娘は前に滑り込んできた車に乗り込み去って行った。
彼女を乗せた車が門から出て行ってもエミコは暫く動かずに立っていた。スミ子の言葉が脳裏を横切る。
『きっと、姫花の娘よ。アタシ、彼女に名刺を渡したの。姫花が引き合わせてくれた、そう信じてるの。これは宿命なのよ、きっと』
銀ちゃん、これが宿命と言うのなら。アナタが街で出会った娘は、きっとあの子。
フワッと吹き抜けた風にセットした髪を押さえてエミコは微笑んだ。
そうよ、あの日、私は信じる事にしたの。あの子が姫花の娘なら、必ずもう一度巡り会える。あの子は必ず私達の元に来る。姫花が必ず、私達にあの子を返してくれる。
「どうした、みちる?」
助手席に座り、膝の上に置かれた包みをじっと見詰めるみちるに車を運転する星児は前を向いたまま静かに聞いた。
ん……、と小さく声を発したみちるは少し思案してからポツリポツリと話し始めた。
「右京さんは、どうしてその、愛した女のお着物を私にくれる、って言ったんだろう?」
星児は自らの脈動に僅かな変化を感じた。
みちるの実の母親のものだから。言えない言葉は呑み込む。
「そうだな」
御幸邸の屋根付きの門を潜り抜け、道路に出た車は徐々に速度を上げる。
「何でだろうな」
今は、それしか言えなかった。
車内が沈黙に包まれる中、みちるは振り向いた。だんだんと小さくなってゆく立派な門構えの御幸邸。ミキエは別れ際、以前の時と同じようにみちるはをギュッと抱き締めた。
みちるの耳元で別れの言葉が短く囁かれた。
『みちるさんは、必ず幸せにおなりなさいね』
短い言葉がみちるの心にズシンと重く響いた。たった一言に、何か沢山の意味が込められていたように思えたのだ。
ミキエは何を知っているのか。
〝幸せ〟。
あまりにも漠然とし過ぎた言葉だ。みちるには、まだ自分の未来も見えず、歩む道も方向も見つけられていない。
ただ、父親と同じ匂いを感じた大事な人を失ってしまい、心の中に大きな穴を開けてしまったようだった。
津田、武明。
みちると恋仲にあった男。今日初めて、面通しした。星児は以前聞かされたこの男の〝印象〟を思い出していた。
ただの育ちの良い坊っちゃんではない。
政治家の目をした男。
なるほど、と星児は煙草を口から外し煙を一気に吐き出した。
コイツ、マジで〝政治家の目〟をしてやがる。
抜け目無さと計算高さを内包しているのだろう。まるで隙が無い。端麗な容姿の内面にある感情は、まるで読めなかった。
灰皿で煙草を揉み消し星児は心の中で微かに笑う。
優雅な仮面、被ってっけど、やっぱアイツの息子だ。
向き合う二人は互いを警戒し牽制し合うように動かない。一瞬の隙を見せたら負け、そんな空気に包まれていた。
星児が口角を上げてフッと笑う。
「見るからにお坊っちゃんのアンタが俺みてーなゴロツキに何の用だ」
スラックスのポケットに手を突っ込む星児は斜に構えた姿勢で武明を見据え、凄味を効かせた声音で言った。動じない武明はクスリと笑い答えた。
「そんな立派な紳士のなりをしたゴロツキはいませんよ。貴方がご自分をどう思おうと勝手ですが、僕は少なくとも、みちるが今身を寄せている男がそんな男とは思いたくもありませんね」
星児の表情が微かに動いた。
コイツは、知ってる。
「みちるは、いずれ返して貰います」
武明の顔から微笑が消えた。端正な顔が一変する。刺すような瞳に氷のような冷たさを浮かべていた。
「本性を現したか」
蛇みてえだな。星児がクックと笑いながら言う。
「随分とみちるの事調べたみてーだけどよ、そんじゃあアンタ、自分自身とみちるの関係も分かってんだろうよ」
初めて武明の表情が、僅かだが歪んだが、直ぐに元のにこやかな表情に戻る。目だけは笑っていなかった。
「だから何だと言うのですか。関係ありませんよ、そんな事。僕がみちるを愛している事に変わりはないのですから。それに……」
美しい氷の微笑を浮かべた武明は星児に言う。
「僕には父親はいませんから」
踵を返した武明の背中に星児は何喰わぬ調子で声を掛けた。
「みちるには会わねーのかよ」
武明は歩みが止めたが振り向く事なく答えた。
「言ったでしょう、いずれ返してもらう、と。必ず迎えに行く。そう信じているから今は会いません」
強い意思を感じる言葉だった。自信の根拠は何処にあるのか。
みちるを愛してる、か。父親はいない、とまで言い切りやがった。
星児は去って行く武明の後ろ姿を見、フンと鼻で笑った。
みちるはあの男と再会した時どんな反応をするのだろうか。あの男の元へ帰る、と言うだろうか。
背筋の伸びた後ろ姿を、星児は苦々しい思いで見詰めていた。
そもそも、返す返さない、とか言う問題じゃねーだろ。みちるが戻ってくる、という自信はどっから湧いてくんだよ。
小さく舌打ちをし、奥歯を噛みしめた。
「言ってくれるじゃねぇか」
〝愛してる〟。
俺達の言えない言葉を、堂々と。
武明が去って間もなくして、御幸邸の勝手口の方角から風呂敷包みを抱えて走ってくるみちるがが見えた。
手を挙げた星児にみちるは笑顔で応え、走り寄る。星児は愛しげに目を細め、みちるを抱き留めた。
みちるから話しを聞いた星児はその包みを「持ってやる」と受け取りながら言った。
「焼香済ませたら早々に退散するぞ」
「……うん」
星児を見上げるみちるは悲しげに頷いた。
歩き出し、ふと屋敷の庭を一望したみちるの脳裏を過った男の影が胸を締め付ける。
武明。この何処かに貴方がいる。
みちるは、想いを掻き消し、振り切る。
ここには思い出がありすぎる。星児さんの言う通りだ。
星児の袖をギュッと掴んだ。
「星児さん、早く帰ろう」
「ああ」
星児は袖を掴む頼りない儚げな手を優しく握る。少し冷たい大きな手の感触を感じながらみちるは目を閉じた。
右京さん、さようなら。
風に乗って漂う梅の花の優しい香りがみちるの鼻先を掠めていった。目を開けた視線の先に白い椿の花が咲いていた。
開いた門扉の間をゆっくりと通過した白い車が庭先に停まり、助手席のドアが開くと和装の喪服姿の美しい婦人が降り立った。黒一色というのにその艶やかな姿は人目を引いた。
焼香を終えて帰る弔問客の間でまことしやかに囁かれる。
「銀座の胡蝶のママじゃないか」
「ああ。でも御幸さんご自身にそういった付き合いがあると聞いた事はないが」
「津田氏の関係だろ」
車から降りたエミコの視線がある一点で止まった。
助手席のドアに手を掛けたまま動かないエミコに運転席にいたホスピス・幸陽園の院長が声を掛けた。
「エミコママ、どうかなされましたか。誰かお知り合いでも?」
ハッと我に返ったエミコは院長ににこやかに微笑みかけた。
「いいえ、知り合いに似てる方をお見かけしましたの。でも人違いのようです」
「そうでしたか」
「わたくしは先に御焼香の列に並んでおりますわね」
「では私は車を置いてまいります」
短い会話を交わし、エミコは助手席のドアを静かに閉めた。車が走り去った先を見詰める視線の先に、一人の娘が立っていた。
長い黒髪。白い肌。愛らしい顔立ち。エミコが失ってしまった大事な娘がそこにいた。間違いない、美術館で束の間の時を共にしたあの娘だ。
こんなところに、何故。
御幸氏との関わりのある、姫花とそっくりの娘。
エミコは、全てを察した。
御幸さん、貴方はこんな大事なものをお隠しになっていたの。
声を掛けたい。衝動を堪えエミコは立ち尽くす。エミコの見詰める中、娘は前に滑り込んできた車に乗り込み去って行った。
彼女を乗せた車が門から出て行ってもエミコは暫く動かずに立っていた。スミ子の言葉が脳裏を横切る。
『きっと、姫花の娘よ。アタシ、彼女に名刺を渡したの。姫花が引き合わせてくれた、そう信じてるの。これは宿命なのよ、きっと』
銀ちゃん、これが宿命と言うのなら。アナタが街で出会った娘は、きっとあの子。
フワッと吹き抜けた風にセットした髪を押さえてエミコは微笑んだ。
そうよ、あの日、私は信じる事にしたの。あの子が姫花の娘なら、必ずもう一度巡り会える。あの子は必ず私達の元に来る。姫花が必ず、私達にあの子を返してくれる。
「どうした、みちる?」
助手席に座り、膝の上に置かれた包みをじっと見詰めるみちるに車を運転する星児は前を向いたまま静かに聞いた。
ん……、と小さく声を発したみちるは少し思案してからポツリポツリと話し始めた。
「右京さんは、どうしてその、愛した女のお着物を私にくれる、って言ったんだろう?」
星児は自らの脈動に僅かな変化を感じた。
みちるの実の母親のものだから。言えない言葉は呑み込む。
「そうだな」
御幸邸の屋根付きの門を潜り抜け、道路に出た車は徐々に速度を上げる。
「何でだろうな」
今は、それしか言えなかった。
車内が沈黙に包まれる中、みちるは振り向いた。だんだんと小さくなってゆく立派な門構えの御幸邸。ミキエは別れ際、以前の時と同じようにみちるはをギュッと抱き締めた。
みちるの耳元で別れの言葉が短く囁かれた。
『みちるさんは、必ず幸せにおなりなさいね』
短い言葉がみちるの心にズシンと重く響いた。たった一言に、何か沢山の意味が込められていたように思えたのだ。
ミキエは何を知っているのか。
〝幸せ〟。
あまりにも漠然とし過ぎた言葉だ。みちるには、まだ自分の未来も見えず、歩む道も方向も見つけられていない。
ただ、父親と同じ匂いを感じた大事な人を失ってしまい、心の中に大きな穴を開けてしまったようだった。
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