舞姫【中編】

深智

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決意

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 本当は最終の連絡船に間に合ったが、慎二は星児と保をゆっくり落ち着かせ休ませてやる事にした。

 何より、何があったのかを聞けるチャンスも今夜だけだ。

「しんちゃんと一緒には暮らせないの?」

 すがるような目をした保の言葉に慎二の胸が痛んだ。

「ごめんな。僕も今は生活に精一杯なんだよ」

 今はそれしか言ってあげられなかった。

 星児は、というと、強い意思を秘めたように光る瞳で黙って慎二を見つめていた。その目にドキリとする。

 この子は、何を考えて?

「星児、お前は何を見たんだ?」

 古びた小さな旅館の、すえた畳の匂いがする部屋に落ち着き布団に入り、明かりを消すと間もなく保の寝息が聞こえてきた。

 星児がまだ起きている事が分かっていた慎二は暗闇の中、話しかけた。

「火事があった前の日の夜、郡司のじいちゃんとこに武兄ちゃんが東京から帰って来ていた。保の父さんとオレの父さんが会いに行ったみたいだったけど、外まで聞こえるくらいデカイ声で怒鳴り合ってた。オレはまだガキだし何を言ってるのかは分かんなかったよ。でも、山を売れとか、この山から下りろ、とかって武兄ちゃんが大声で言ってるのは、分かった」

 郡司の武兄ちゃんが?

 郡司武も慎二同様早くからあの集落を出、戻って来なくなった1人だった。

 詐欺グループに入り堕ちていった慎二とは違い、エリート街道をひた走っていた彼は今や官僚だと風の噂で聞いてはいた。

「武兄ちゃんが、火事と何か関係があるのか?」

 しばらく沈黙が続き、眠ってしまったのか? と慎二が身を起こし確認しようとした時、星児は口を開いた。

「父さんがオレ達を逃してくれた。逃げる道を教えてくれた。それで、別れる直前に言ったんだ。『この夜見た事は全部忘れろ』って。『忘れなくてもお前の中にずっとしまっておけ』って。『誰かに言えばお前達が危険にさらされるかもしれないから』って」

 誰かに知られたら危険にさらされる? それ程の何を見たんだ?

「光児さんが絶対に何も話すなって?」
「うん」

 星児はやんちゃな悪ガキだったが父親である剣崎光児には素直だった。

 それだけに、今ここで自分がこれ以上の事を聞いても話しはしないな、と慎二は目を閉じた。

 新聞もニュースもあの集落の事を一切伝えない事に何か不穏な、不気味な気配を感じる。ただ、もう故郷を離れて長く、あそこで何が起こっていたのかは全く分からない。

 慎二は息を一つ吐き、話題を変える。
 
「とりあえず、今のところあの集落に住む住民で生き残れたのは、星児とたもっちゃんだけか?」
「今あそこ住んでて助かったのは、多分オレ達だけだけど……」

 言葉が切れ、星児がガバッと起き上がった。

「れいちゃん! 麗ちゃんが、長崎市内の女学院の寮にいる! 麗ちゃんも助けなきゃ!」

 暗闇の中で立ち上がろうとした星児の肩を慎二が優しく叩き、語りかけた。

「大丈夫だよ、麗ちゃんはきっと寮にいるよ。かえって、ああいう場所にいた方が安心なんだ。変な時間に下手に動かない方がいい。明日宿の電話帳で調べて連絡して呼び寄せてあげるから。ほら、今夜はもう遅いから、ゆっくり寝よう」
「うん……」

 案外素直に頷き横になった星児の寝息が間もなく聞こえ、慎二も再び目を閉じた。

上空で渦巻くように吹く強風。煽られ激しさを増す高波。打ち寄せる波の泡が花のように舞っていた。

 目を閉じ、波音と風の鳴く音を聞いていた慎二はゆっくりと視界を拡げた。

 変わらぬ曇天に、灰色の海が冷たい潮風を運んでいた。

 あの後、二人を連れて離島に渡った慎二は保の姉、麗子も呼び寄せた。

 友人には孤児として三人を願いしたんだったな。手持ちの全財産と共にーー。

 戸惑いながらも友人は三人をちゃんと育ててくれたのだ。

 星児が今でも何らかの資金援助をあの教会にしてる事を慎二は知ってる。

 それだけの愛情を友人は三人に施し、星児はしっかりと受け止めてきた。

 慎二は、ふう、とため息を吐いた。

 ああ、星児はそういう義理を忘れないヤツなんだよな。


 
 星児が父親との約束を守る為に口を閉ざした真実。数年後、東京に出てきた慎二は自分なりに隠された真実を理解した。

 あの山を我が物とし、頂に巨大グループ傘下企業の化学工場を建て、通産省でのし上がっていった郡司武。

 巨大コンツェルン一族との縁組み。全てが彼の駒だったのだ。

 きっとあの夜、彼等はあの男が何かをする場面を見たのだろう。聡明で賢明な星児の父親は、全てを悟り、子供達に諭し、逃がしたのだろう。
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