舞姫【中編】

深智

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二十歳の恋

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 彼女が他の男を好きになる日が来る事を

 自分達は何故、想像もしてなかったのだろう。




 いつしか、新宿の街を歩く時、無意識に誰かを探すようになった。特に夕刻。



「明日の公演、みちるちゃんはもう大丈夫。今日は帰ってゆっくり休みなさい」

 今日は公演は休みだが、練習があったので劇場に来ていた。

 麗子はソロだけのみちるを早めに上がらせた。

「気をつけて帰るのよ」

 優しく見送られ、みちるは外に出た。

 窓の無いところにいたから分からなかったが、西の空がゆっくりと茜色に染まり始める時間帯だった。

 ちょうどひと月前の、このくらいの時間。

 アルタ前の交差点で信号待ちをするみちるの目は、駅から流れてくる人の顔一つ一つを確認するように追っていた。

 なにしてるんだろう、私。

 自らを嘲笑する。

 会えるわけ、ないのに。

 ため息と共に視線を信号機に移そうとした時だった。

「あ」
「あれ」

 互いに声を上げていた。

 運命が動く。何かが引き合うような、引っ張り合うような、強い力を感じた瞬間だった。




 彼は都内の名門私立大学に通う一つ年上の大学生だった。

「同じ名前だったんだね」

 育ちの良さが滲む曇りない青空のような笑顔を見せて津田武明は言った。

 みちるは「はい」とだけ応えて俯いてしまった。

 待っていたのは、この瞬間?

 このどきどきはなんだろう。

 何故か、初めて会った時に〝また会える〟という予感があったみちるだが、今こうして会って、はっきりと自覚してしまった。

 私はこの人に会いたかったんだ。

 けれど、この長身痩躯の美青年を直視出来ない。

 俯きオロオロとするみちるに、武明は身体を少しだけ屈めて目線を合わせてくれた。

「君も大学生?」

 みちるはハッとした。

 自分は、何者か。

 眼前に拡がる景色が真っ暗になった気がした。

 私、馬鹿だ。

 こんな人と自分が釣り合う筈がなかった!

 激しく首を振り、悲しい笑みを見せてみちるは肩を竦めた。

「ごめんなさい、もう行かなきゃ!」
「え、君?」

 最後は顔も見られなかった。

 みちるはちょうどタイミングよく信号が変わって流れ出した人の波に乗り、駅に向かって走り出した。

 振り向きもせずに。

 芽吹いてしまう前に、種ごと排除しよう。

 私には無縁の世界。

 私は、前だけを向いていればいい。

 自分が今いる世界に身を置いていればいい。

 頬を一筋だけ伝った涙をみちるは手の甲でグイッと拭い、新宿駅の中へと入っていった。

 もう、探さない。

 探さないから!




 クリスマスに開店した星児の店は上々の滑り出しを見せ、軌道に乗り始めていた。

 ホステスが男性客をもてなす俗に言う、風俗系飲食店。

 一般的に、キャバレーと呼ばれていたものが5年くらい前、キャバクラという形に変容してこの街に出現し、雨後の筍のように増え続けている。

 星児はそこに乗っかったのだ。

 店の名前は、ローザ。

 保がその名前を聞かされたのは開店を2週間後に控える、内装工事を終えた店内だった。
 
 星児は、開店までの準備は店を手に入れる為に尽力した積成建設の野村と行っていた。

 保には開店業務はノータッチとさせ、ヘルス、ソープの処分や譲渡、従業員の仕事の世話等を一任した。

 保には、全てを確実に完璧にこなす能力があった。

 星児は保にずっと言ってきた事がある。

『保は絶対に手ぇ汚させねえから。お前には表の顔になってもらわねーといけねぇから』
 
 手を汚させない。
 表の顔。

 この言葉の重い意味を、保は今漠然とではあるが理解した気がした。

 店の名前を聞かされた時、身体に電流が走るような感覚を覚えた。

 まさか。

 顔色を変えた保に星児がククと笑った。

「さすが保。勘がいい。慎ちゃんの店から貰った名前だ。慎ちゃんにもここで働いてもらう。大きな〝犠牲〟払ってもらった慎ちゃんは俺が一生面倒見る」
「大きな、犠牲だ?」

 慎二の事で星児を問い詰めようとしたあの時、亀岡からみちるの話が舞い込みうやむやになったままだった。保は星児に話を聞けていなかったのだ。
 
「慎ちゃんの店が野村の手に渡って、その犠牲? 何だよそれ」

 まだ点灯はされていないシャンデリアが微かな光にも反射し、小さな輝きを放っていた。

 拳を握りしめ、保は星児を睨み付ける。暫しの沈黙の後、星児はフッと視線を外しゆっくりと口を開いた。

「慎ちゃんにだって過去があるんだよ。俺達に知られたくはない過去がさ。それをちょっと思い出して貰っただけだ」
「慎ちゃんの過去?」

 それがどう繋がる?

「さっぱり分かんねぇよ」
「お前には〝綺麗なまま〟の人生生きて欲しいって事だよ。俺も慎ちゃんも」

 益々分からない、と保は星児を睨んだままだった。
 
 星児に最後まではぐらかされたのは、初めてだった。

 結局、今回は慎ちゃんという相手がいるから。
 慎ちゃんが自分には隠しておきたい(恐らく星児は知っている)過去が明るみになるから。

 保は振り上げた拳を渋々収める。分かったよ、大きく息を吐いた。

 星児は保の顔を見ずに「わりぃな……」と小さく呟いていた。




「ふ……っ」

 ギュッと目を閉じたみちるが肩を竦めてフルッと震える。白い肌が薄紅色に染まっていた。

 綺麗になった。

 星児と保は同時に率直な感想を抱いていた。

「ひぁあ……んっ」

 両手で星児の腕に捕まり弓なりに逸らせたみちるの胸が揺れる。その背中に保が優しく手を添えた。

 2人の躯の間でしなやかに、白い躰が躍る。

「はぁあ……っ……やっぁ」
「だから、何がイヤ?」

 みちるが開く足の間から星児の少し意地悪な笑顔が見えた。

「いじわるはヤです……っ!」

 半泣きのみちるが痺れる躰で保にしがみつく。

「……ったく! この変態ドS野郎!」

 保はそう怒鳴ると彼女の膝裏に腕をスッと入れ抱えるように星児から引き離す。

「ダメだね、そうはさせねー」

 ハハハッと笑う星児は保の身体に抱き付くみちるの上半身をグイッと強引に自分の方へ引き寄せた。

「あ……っ」

 抗う間もなく、唇が重ねられた。

 宙に迷うみちるの手が保に握りしめられ、肩を竦めてため息をつくと、腹部に唇を寄せる。

「ぁ……んっんん……っ」

 絡まる舌が、快楽へのプロローグ。

 優しい手が、しなやかな指が、躰に沿う唇が、みちるを泉に沈めてゆく。

 上顎をスルリと舐められ、みちるはゾクゾクする快感に躰を震わせた。

 唇を重ねたまま薄く目を開ける星児は、固く目を閉じるみちるを優しく見つめ、長い指が髪をすいていた。

 ゆっくりと静かに唇を離し名残惜しむように舌が離れる。

「ぁん……っ……たもつさ……っ」

 みちるの躰に微弱電流が流れたような痺れ。

「ぁあ……っ」

 慌てて保の身体にすがりつく。保はみちるの顔を見て、クスリと笑う。

「みちる喜ばせられるのは星児だけじゃない」
「……もぉ……」

 保と、互いを確かめ合うような優しい口づけを交わし、ゆっくりと唇を離した時、星児が静かに口を開いた。

「みちる会ってもらいたい男がいる」

 みちるはキョトンと首を傾げた。

 改まった会話が始まる気配に、3人は自然と体勢や場所を変える。

 みちるを抱き抱えた保は、星児の足の間に座らせた。

 保自身はみちるの背後に座り、背中を自分に預けさせた。

「男の、人……?」
「ああ」

 保は黙ったまま、自分に躰を預けるみちるの体温を感じていた。

その背中から鼓動も感じ、目を閉じる。

 みちる――。

 御幸はみちるに会って、どうするつもりなのか。

 それは、星児にも保にも分からない。

 しかし〝会う〟という言葉には、何かしらの思惑があると考えられた。

 保の胸が、痛みを抱える。スッと腕を伸ばした、みちるを抱き締めた。

「保さん?」

 振り返るみちるに、保はそっと唇を重ねる。星児はみちるの手を取り、キスをし、言った。

「みちる、その先は――ストリップの舞台に立つ事を決めたと同じだ。みちる自身が決めるんだ」

 私自身が、何を?

 この時は何の事を言われているのか、みちるには分からなかった。

 ただ、自分の生きる方向が何処に向かっているのか。

 自分の感情が何処に流れて行こうとしているのか。

 大事な二人の男の手を握りながら迷いの中を彷徨っていた。




†††
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