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優しく
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振り返ったみちるの目に、リビングのドアノブに手をかけ立つ保の姿が飛び込んできた。
強張る心がフワリと解れ、止まった筈の涙が一気に溢れ出した。
「たもつ、さん」
立ち上がったみちるの姿に、保は息を呑んだ。
はだけたブラウスに乱れた髪。
「みちる!」
星児のヤツ、突き放したって、なんてやり方だよ!
保の反応に、ハッとしたみちるは慌ててブラウスの前を合わせて自室に行こうと踵を返した。保はみちるの腕を掴む。
「星児か」
「何でもない! ごめんなさい、何もないよ!」
涙声で必死に隠すみちるの姿が保を余計に苦しめた。
俺は、どうしたら!
保は、みちるを抱き締めていた。
「あ……あ……」
言葉にならない声がみちるの唇から微かに漏れた。
「いいんだ、前に言ったろ。泣きたければ、泣けばいいって」
「保さん……」
顔を上げたみちるの表情が、みるみる崩れてゆく。う……と一瞬喉を詰まらせたみちるは次の瞬間、うわぁ……っ、と泣き出した。
保はみちるを再び抱き締め、目を閉じた。
星児にも保にも聞く事が出来ない、みちるの〝心〟。
みちるの中に知らない〝男〟がいる。
星児も保も苦しい胸の内をひた隠しにしみちるを見守り、みちるの〝幸せ〟を信じる事しか出来ない。
泣きじゃくるみちるの上気する体温を全身に感じる保の胸に去来するのは、〝こんな事〟をしてしまった後悔に苦しんでいるだろう星児の苦痛だった。
『突き放さなければめちゃくちゃにしちまうから』
縮むような胸の痛みに、保は顔をしかめた。
星児、お前が突き放したら俺はどうしたらいいんだよ!
「落ち着いたか?」
「うん。ごめんね、保さん」
泣き腫らした目が、保を見上げて笑った。
この腕の中が一番安らぐ。
私はやっぱり保さんに頼ってしまう。
みちるの目に、保の柔らかなブラウンが挿す瞳が映った。
「みちる」
「はい……」
保はみちるをしっかりと抱き留めたまま静かに語りかける。その声は柔らかく優しく、心に浸透した。
「俺達は、みちるが何事もなく、無事でいてくれたらそれでいいんだ。星児だってそうなんだけどさ」
保の手がそっとみちるの髪をすいた。長くしなやかな指に、みちるは微かな痺れを覚え、目を閉じた。
「星児が家に帰って来てみちるがいなくてどれだけ心配したか、分かってやってくれ。こんな事、みちるが嫌いだからしたんじゃない」
みちるは顔を上げ、保を見た。保の言葉が心にズシンと響いた。
「わたし……っ」
何の言伝てもせず、初めて朝まで帰らなかった事がどれほど重大だったかを、今更気付いた。
何かを言おうとしたみちるの口を、保は手で優しく押さえ微笑んだ。
「みちるはもう大人だ。自由なんだ。俺にも星児にも気兼ねすることはない。みちるは俺達に対する恩や義理なんて捨てていいんだ。でも俺達は」
君を本当に愛していて――。
危うく口にするところだった。
保は、ふうと息を吐いた。
「保さん?」
見上げるみちるの瞳が心配そうに揺れる。保はクスッと笑った。
「俺達はずっとみちるの保護者みたいでさ。カワイイみちるちゃんがどっかで拐われたりしたらどうしよう、なんていつも心配してるってワケ」
重くなっていた空気を一変させた、保の冗談ぽい明るい口調だった。みちるは目を丸くし、えーっと言う。
「もぅ、保さんは」
眉を目一杯下げたみちるを見、保はハハハと髪をかきあげて笑った。
いつもならここで唇を重ねる。そうすれば、言葉に出来なかった想いも昇華される。
けれど今は可愛らしい唇は痛々しいくらいに乾いていて。
保は小さく息をつくと、みちるの唇を親指で優しくなぞってやり、おでこにキスをした。
「だからさ」
「え?」
おでこに寄せられていた唇が離れ、みちるが見上げると、保はいたずらっぽく笑った。
「赤ずきんちゃん、おにーさん達は非常に心配性なので、お出掛けの際はひと言、よろしく」
みちるは、プ、と吹き出した。
「保さんってば」
キャハハと笑った愛らしい笑顔を、保は眩しげに優しく見つめた。
その笑顔をずっと見たいんだよ、みちる。
「みちる……」
みちるを抱く保の手に、微かに力が入った。
「ん……?」
みちるは小首を傾げて見上げた。
「俺達はみちるが飛び立つ為の翼を掴んで押さえ込んだりはしない。君はいつだって俺達の元を飛び立てるんだ。星児も俺もみちるの幸せだけを願っている」
張り裂けそうな胸の痛みと闘う言葉だった。
保は声の掠れと震えを必死にごまかした。
みちる、好きな男が出来たんだろ?
聞けない言葉だ。
格好付けた言い訳だけで、今は精一杯だった。
フワリと柔らかな手の感触が、保の両頬にあった。視線の先にはみちるの、笑顔。
「私の幸せは、保さんと星児さんの幸せです」
心をそっと優しく抱き込むような声。
「……保さん、苦しい……」
保に力一杯抱き締められたみちるは、腕の中で小さく囁く。言葉とは裏腹に、みちるの表情は穏やかに幸せそうに緩んでいた。
「ごめん、暫くこのままでいさせてくれ」
「うん……うん……」
みちるは、ゆっくりと目を閉じた。
強張る心がフワリと解れ、止まった筈の涙が一気に溢れ出した。
「たもつ、さん」
立ち上がったみちるの姿に、保は息を呑んだ。
はだけたブラウスに乱れた髪。
「みちる!」
星児のヤツ、突き放したって、なんてやり方だよ!
保の反応に、ハッとしたみちるは慌ててブラウスの前を合わせて自室に行こうと踵を返した。保はみちるの腕を掴む。
「星児か」
「何でもない! ごめんなさい、何もないよ!」
涙声で必死に隠すみちるの姿が保を余計に苦しめた。
俺は、どうしたら!
保は、みちるを抱き締めていた。
「あ……あ……」
言葉にならない声がみちるの唇から微かに漏れた。
「いいんだ、前に言ったろ。泣きたければ、泣けばいいって」
「保さん……」
顔を上げたみちるの表情が、みるみる崩れてゆく。う……と一瞬喉を詰まらせたみちるは次の瞬間、うわぁ……っ、と泣き出した。
保はみちるを再び抱き締め、目を閉じた。
星児にも保にも聞く事が出来ない、みちるの〝心〟。
みちるの中に知らない〝男〟がいる。
星児も保も苦しい胸の内をひた隠しにしみちるを見守り、みちるの〝幸せ〟を信じる事しか出来ない。
泣きじゃくるみちるの上気する体温を全身に感じる保の胸に去来するのは、〝こんな事〟をしてしまった後悔に苦しんでいるだろう星児の苦痛だった。
『突き放さなければめちゃくちゃにしちまうから』
縮むような胸の痛みに、保は顔をしかめた。
星児、お前が突き放したら俺はどうしたらいいんだよ!
「落ち着いたか?」
「うん。ごめんね、保さん」
泣き腫らした目が、保を見上げて笑った。
この腕の中が一番安らぐ。
私はやっぱり保さんに頼ってしまう。
みちるの目に、保の柔らかなブラウンが挿す瞳が映った。
「みちる」
「はい……」
保はみちるをしっかりと抱き留めたまま静かに語りかける。その声は柔らかく優しく、心に浸透した。
「俺達は、みちるが何事もなく、無事でいてくれたらそれでいいんだ。星児だってそうなんだけどさ」
保の手がそっとみちるの髪をすいた。長くしなやかな指に、みちるは微かな痺れを覚え、目を閉じた。
「星児が家に帰って来てみちるがいなくてどれだけ心配したか、分かってやってくれ。こんな事、みちるが嫌いだからしたんじゃない」
みちるは顔を上げ、保を見た。保の言葉が心にズシンと響いた。
「わたし……っ」
何の言伝てもせず、初めて朝まで帰らなかった事がどれほど重大だったかを、今更気付いた。
何かを言おうとしたみちるの口を、保は手で優しく押さえ微笑んだ。
「みちるはもう大人だ。自由なんだ。俺にも星児にも気兼ねすることはない。みちるは俺達に対する恩や義理なんて捨てていいんだ。でも俺達は」
君を本当に愛していて――。
危うく口にするところだった。
保は、ふうと息を吐いた。
「保さん?」
見上げるみちるの瞳が心配そうに揺れる。保はクスッと笑った。
「俺達はずっとみちるの保護者みたいでさ。カワイイみちるちゃんがどっかで拐われたりしたらどうしよう、なんていつも心配してるってワケ」
重くなっていた空気を一変させた、保の冗談ぽい明るい口調だった。みちるは目を丸くし、えーっと言う。
「もぅ、保さんは」
眉を目一杯下げたみちるを見、保はハハハと髪をかきあげて笑った。
いつもならここで唇を重ねる。そうすれば、言葉に出来なかった想いも昇華される。
けれど今は可愛らしい唇は痛々しいくらいに乾いていて。
保は小さく息をつくと、みちるの唇を親指で優しくなぞってやり、おでこにキスをした。
「だからさ」
「え?」
おでこに寄せられていた唇が離れ、みちるが見上げると、保はいたずらっぽく笑った。
「赤ずきんちゃん、おにーさん達は非常に心配性なので、お出掛けの際はひと言、よろしく」
みちるは、プ、と吹き出した。
「保さんってば」
キャハハと笑った愛らしい笑顔を、保は眩しげに優しく見つめた。
その笑顔をずっと見たいんだよ、みちる。
「みちる……」
みちるを抱く保の手に、微かに力が入った。
「ん……?」
みちるは小首を傾げて見上げた。
「俺達はみちるが飛び立つ為の翼を掴んで押さえ込んだりはしない。君はいつだって俺達の元を飛び立てるんだ。星児も俺もみちるの幸せだけを願っている」
張り裂けそうな胸の痛みと闘う言葉だった。
保は声の掠れと震えを必死にごまかした。
みちる、好きな男が出来たんだろ?
聞けない言葉だ。
格好付けた言い訳だけで、今は精一杯だった。
フワリと柔らかな手の感触が、保の両頬にあった。視線の先にはみちるの、笑顔。
「私の幸せは、保さんと星児さんの幸せです」
心をそっと優しく抱き込むような声。
「……保さん、苦しい……」
保に力一杯抱き締められたみちるは、腕の中で小さく囁く。言葉とは裏腹に、みちるの表情は穏やかに幸せそうに緩んでいた。
「ごめん、暫くこのままでいさせてくれ」
「うん……うん……」
みちるは、ゆっくりと目を閉じた。
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