mammy【完結】

深智

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 耳に当てたスマホの向こうから、ちょっぴり低めの甘くて柔らかな響きの愛しい声が聞こえてきた。

「ああ、いいよ。茉実ならどんなウェディングドレスも似合うからね」

 やだもう、貴史ったら。そこは職場でしょう。そんな堂々と……なんて、わたしはスマホを持った反対の手で思わず緩む頬を押さえた。

 顔は見えなくとも、声から職場の貴史の姿を思い浮かべた。

 抜群のルックスに頭は切れて仕事も出来る。性格はというと、おおらかで優しくて、言うこと無しだった。貴史はこうして傍にいない時だって、甘くて痺れるような気持ちをくれる。

「じゃあ、ドレス見に行くのは、前から決めていた明日で大丈夫?」

 ウキウキと踊ってしまいそうな気持ちを押さえてわたしが聞くと、貴史からは耳を疑うような言葉が返ってきた。

「ああ、それさ、母さん連れて行ってくれないかな」
「え、お義母さん?」

 数秒前まで天にも昇らんばかりの状態だった心が一気に地面に叩きつけられたような気がした。不機嫌な声にならなかったか、と思わず口を押えてしまう。電話で良かった。きっと不満な表情は隠し切れない。

 わたしの気持ちは、スマホを通しては貴史には伝わらない。貴史は変わらず明るい口調でとんでもない事を言った。

「悪い、俺、明日から急な出張が入ってしまったんだ。その事を母さんに話したら、前から一緒に行きたいと思っていたから丁度いいって」

 ぜんっぜん丁度よくないわよ!

「い、衣装合わせなんて、まだ日にちあるから延期したっていいのよ」
「いいよ、俺は。茉実だって、早くに見ておいた方が色々見られていいって言ってたじゃないか。とりあえず、直ぐに決めなくてもいいから明日は母さんと見に行ってこいよ。母さん、楽しみにしていたから」

 もう反論する言葉が見つからない。

「うん、分かったわ……」

 わたしは仕方なく貴史の言葉に同意した。

 婚姻関係は、恋人同士とは違う。愛し合って決めたものであっても甘さの中にある甘くはない現実、という決して目を背けてはいけないものが見えてくる。

 お付き合いから結婚を決めたその時までは見えていなかったものを認めなければならなくなる。

 ただの恋人同士という不確かなものに揺れていた時には気付かなくても、二人の関係がしっかりとした堅固堅実なものへと変化するにつれてしっかりと浮き出てくるものがある。

 わたし自身は、完璧な男なんている訳はないし他の人が知らないそんな彼の一面を知るのも楽しみ、なんて余裕な考えを持っていた。

 けれど、皆が知らなかった彼の欠点とは、余裕な態度で構えていられるかどうか、わたしの自信が揺らぐものだった。

 わたしの知らなった彼の一面。それは〝真正のマザコン〟という欠点だった。

 ミヤには話さなかったけれど、実のところ、式場を決めたのは貴史じゃない。お義母さんだった。

 もう決まってしまったものは仕方ない。百歩譲って式場は許そう。でも、ドレス選びにまで首を突っ込んで欲しくはなかった。

「待ち合わせの時間と場所は母さんと相談して決めてくれな」
「うん。じゃあ、お義母さんに連絡しておくね」
「ああ、頼むな!」

 愛しいはずの貴史の声が、ただの能天気な男の声に聞こえた瞬間だった。

 優しくても男らしくて頼りになる貴史には、他にこれと言った欠点なんてないけれど、と電話を切ったわたしは、ため息をついた。



「そう、あちらのお義母様が行かれるのね。じゃあ、ママは遠慮するわ」
「え~! だって娘の一生に一度の結婚式のドレス選びよ?」

 母はわたしの前にコーヒーを置きながら笑った。

 お義母さんと二人きりでの衣装合わせというのだけは勘弁願いたい、と思ったわたしは実母一緒に行ってもらおうと画策した。

 理由は言わず、お母さんも一緒に行こうよ、とそれとなく誘ってみたのだけど、母は渋った。

「そりゃぁ、ママだって茉実のドレス選びとても楽しそうだから一緒に行きたいわ。でも、二人の親に挟まれて気を遣うあなたを見るのはちょっぴり忍びないわ。ママ、こう見えて結構、気が強いから茉実が板挟みになって可哀想かもよ」

 冗談とも本気ともつなかい母の言葉にわたしは返す言葉が見つからなかった。否定も出来なくて苦笑いしてしまう。気の強さは母娘揃ってだからね。

「茉実、母親を大事に出来る男の人は、奥さんも大事にしてくれる人よ。心配しないで」
「ママ……」

 今のわたしの不安を母はちゃんと察してくれていた。

「そう言えば、お父さんもマザコンだったっけ」
「それは言わない約束」

 気の強い母と祖母の間に挟まれていつも心底弱り切った顔をしていた亡き父の顔を思い出して笑ってしまった。

 そう言えば、なんだかんだ言っても父は母を大事にしていた。母の言葉にはある意味説得力はある。

 でも、とわたしは思った。

「でも……わたしとお義母さんどっちを取るの、って聞いたらどうなるかしら?」

 母は苦笑いした。

「それは愚問ね」
「愚問?」
「そうよ、愚問。いい? 母と子という普遍の関係に真っ向から勝負を仕掛けてどうするの。愛情の形が違うのよ。そんな人生を丸々満たすような無償の愛に、恋慕から生まれた人生半分にも満たない情愛が太刀打ちできるわけがないでしょう。そこは割り切らないとね。とは言っても、まだ若いあたなにはちょっと分からないと思うけれど。私だってあなたくらいの頃はこんな風に考えたことなかったし」

 確かに母の言葉は、まだ25のわたしにはちょっと分からない。

 頷いたわたしに母は優しく微笑んだ。

「今は〝深い愛情を知る人は愛し方も知っている〟という事だけ心に留めておけばいいのよ」

 愛情を知る人は、愛し方も知っている。当たり前のようで、そうじゃないような。ちょっと難しいなと思いながらわたしは母が淹れてくれたコーヒーを飲み、言った。

「わたし、子供は絶対に娘がいいな。お母さんと娘の関係、ってそれこそ普遍のものと思わない?」

 母は「そうね」と笑っていた。




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