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週末、出張から帰ってきた貴史が日本橋にあるフレンチレストランに連れて行ってくれた。小さなレストランだったけれど、大きな窓が庭に面していて、ここが都心のど真ん中であることを忘れさせてくれるようないい雰囲気の静かなお店だった。
食前酒のグラスをカチンと合わせて一口飲んだところで貴史が言った。
「母さん、喜んでだよ。母さんは息子しか育てたことがなくて娘がいないからさ」
二日前、結婚式場にお義母さんと衣装選びに行った。貴史はその話をし始めた。
「娘が出来たみたいで楽しかったって」
嬉しそうに話す貴史の声で数日前の電話を思い出した。まさに今目の前にいるのは能天気な男。カチンときた。
あのね、うちのママだって一緒にドレス選びたかったのに、遠慮したのよ?
その言葉はグッと呑み込んだ。
「それは良かったわ」
この件に関してあまり長く引きずると余計な言葉を吐き出し兼ねないからわたしは短い相槌を打つにとどめ、話題を変える事にした。
「打掛もドレスも、衣装に関するものは皆決まっちゃったけど、お料理とか引き出物はこれからだから、今度は貴史、一緒に行こうね」
甘えるような視線を向けたわたしに貴史は優しい笑顔で応えてくれた。
大人の男の極上の笑顔。わたしの全てを包み込んでくれる懐の深さが貴史のグラスを持つ仕草一つからでも滲み出る。
そうよ、わたしはこの包容力のある男らしく頼れる貴史に心底惚れたの。だから大丈夫。
不安要素を消し飛ばそうと必死に足掻くわたしを、貴史の言葉が奈落へと突き落とした。
「それなんだけど、料理の試食会に母さんも行きたいって言ってるんだ。招待客もある事だし、俺たちだけで決めるより母さんにも見てもらった方がいいんじゃないか」
わたしの中でバチンと盛大な音を立てて何かが切れた。これが文字通り、堪忍袋の緒が切れる、という事だろう。
「どうして? どうしてなんでもかんでもお義母さんとなの?」
自分で思っていたよりもキツイ口調になっていて、しまった、と思ったけれどもう遅い顔を強張らせた貴史が視界に映り込んでいたけれど、わたしの中で燻っていた不満は堰を切ったように溢れだした。
「お義母さんがわたしの事〝娘〟みたいに言ってるみたいだけど、生憎だけどわたしはお義母さんの〝娘〟じゃないわ」
それを言ったらおしまいよ、というくらいキツイ言葉だった。でもこの時、ちょっと残念そうにしてた母の顔が脳裏にちらついて、止まらなかった。
「ちょっと無神経過ぎると思うわ」
カチャンと音を立ててフォークが皿にぶつかった。貴史が手にしていたフォークを少々乱暴に投げ出したのだ。静かにしっとりと食事を楽しむ客ばかりの店内に、その音はひと際大きく響き渡った。
ざわつく気配と視線を感じたけれど貴史の明らかに不機嫌になってしまった顔の方が気になった。
ここはとりあえず言い過ぎを謝らなきゃ、とわたしは「ごめんね」と口を開こうとした。でも貴史の方が一瞬早かった。
「なんだよ、その言い方。茉実、母さんの事気に入らないのかよ。母さんは茉実の事どれだけ可愛がってるか、分かんない?」
〝言い過ぎたわ、ごめんね〟なんて言葉、一瞬で消え去った。
なによ! 母さん母さん母さんって! 貴方は誰と結婚するの? わたしと結婚するんじゃないの!?
「貴史はお義母さんの事しか考えてないじゃない! わたしの気持ちなんてちっとも分かってくれてないじゃない!」
食事は終わっていなかったけれどわたしはナプキンをテーブルの上に投げ置いて席を立った。
「わたし帰る!」
貴史の「まみ!」って呼ぶ声を背中に受けても振り返ることなくわたしはレストラン飛び出していた。
いつだったか、イタリアンレストランで聞こえて来たOLさん達の会話を思い出した。
女が嫌いな男は〝ドルオタ〟も〝アニオタ〟もあるわね。でもね、ランキングにすればやっぱり今も昔と変わらない。
ぶっちぎりで〝マザコン〟が1位だわ!
食前酒のグラスをカチンと合わせて一口飲んだところで貴史が言った。
「母さん、喜んでだよ。母さんは息子しか育てたことがなくて娘がいないからさ」
二日前、結婚式場にお義母さんと衣装選びに行った。貴史はその話をし始めた。
「娘が出来たみたいで楽しかったって」
嬉しそうに話す貴史の声で数日前の電話を思い出した。まさに今目の前にいるのは能天気な男。カチンときた。
あのね、うちのママだって一緒にドレス選びたかったのに、遠慮したのよ?
その言葉はグッと呑み込んだ。
「それは良かったわ」
この件に関してあまり長く引きずると余計な言葉を吐き出し兼ねないからわたしは短い相槌を打つにとどめ、話題を変える事にした。
「打掛もドレスも、衣装に関するものは皆決まっちゃったけど、お料理とか引き出物はこれからだから、今度は貴史、一緒に行こうね」
甘えるような視線を向けたわたしに貴史は優しい笑顔で応えてくれた。
大人の男の極上の笑顔。わたしの全てを包み込んでくれる懐の深さが貴史のグラスを持つ仕草一つからでも滲み出る。
そうよ、わたしはこの包容力のある男らしく頼れる貴史に心底惚れたの。だから大丈夫。
不安要素を消し飛ばそうと必死に足掻くわたしを、貴史の言葉が奈落へと突き落とした。
「それなんだけど、料理の試食会に母さんも行きたいって言ってるんだ。招待客もある事だし、俺たちだけで決めるより母さんにも見てもらった方がいいんじゃないか」
わたしの中でバチンと盛大な音を立てて何かが切れた。これが文字通り、堪忍袋の緒が切れる、という事だろう。
「どうして? どうしてなんでもかんでもお義母さんとなの?」
自分で思っていたよりもキツイ口調になっていて、しまった、と思ったけれどもう遅い顔を強張らせた貴史が視界に映り込んでいたけれど、わたしの中で燻っていた不満は堰を切ったように溢れだした。
「お義母さんがわたしの事〝娘〟みたいに言ってるみたいだけど、生憎だけどわたしはお義母さんの〝娘〟じゃないわ」
それを言ったらおしまいよ、というくらいキツイ言葉だった。でもこの時、ちょっと残念そうにしてた母の顔が脳裏にちらついて、止まらなかった。
「ちょっと無神経過ぎると思うわ」
カチャンと音を立ててフォークが皿にぶつかった。貴史が手にしていたフォークを少々乱暴に投げ出したのだ。静かにしっとりと食事を楽しむ客ばかりの店内に、その音はひと際大きく響き渡った。
ざわつく気配と視線を感じたけれど貴史の明らかに不機嫌になってしまった顔の方が気になった。
ここはとりあえず言い過ぎを謝らなきゃ、とわたしは「ごめんね」と口を開こうとした。でも貴史の方が一瞬早かった。
「なんだよ、その言い方。茉実、母さんの事気に入らないのかよ。母さんは茉実の事どれだけ可愛がってるか、分かんない?」
〝言い過ぎたわ、ごめんね〟なんて言葉、一瞬で消え去った。
なによ! 母さん母さん母さんって! 貴方は誰と結婚するの? わたしと結婚するんじゃないの!?
「貴史はお義母さんの事しか考えてないじゃない! わたしの気持ちなんてちっとも分かってくれてないじゃない!」
食事は終わっていなかったけれどわたしはナプキンをテーブルの上に投げ置いて席を立った。
「わたし帰る!」
貴史の「まみ!」って呼ぶ声を背中に受けても振り返ることなくわたしはレストラン飛び出していた。
いつだったか、イタリアンレストランで聞こえて来たOLさん達の会話を思い出した。
女が嫌いな男は〝ドルオタ〟も〝アニオタ〟もあるわね。でもね、ランキングにすればやっぱり今も昔と変わらない。
ぶっちぎりで〝マザコン〟が1位だわ!
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