永遠のヴァージン【完結】

深智

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山の息吹を1

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「ケンさん、二年前のこと覚えていたんじゃないかな」

 おケイちゃんは、わたしが作ったペンネアラビアータのマカロニにフォークを刺して持ち上げ、言った。

 わたしは、うーん、と首を捻りながらちぎって一口サイズにしたフランスパンを口に入れた。

 覚えていた、のかな。だとしたらどうしてそのことを言ってくれないの。白を切られた、ということ? そっちの方がショックです。

 大きな一枚ガラスがぐるりと囲む、開放的なダイニング。窓の外では、お庭の木々が新緑に染まり、初夏の陽射しを浴びてそよ風に揺れていた。

 土曜日で学校がお休みの今日、おケイちゃんが家に遊びに来ていた。

 わたしのパパとおケイちゃんのパパは、朝からゴルフに行っていて、ご主人様の留守に、と解放感に浸るママたちは「ショッピングに」と横浜へ出かけてしまった。

 お姉ちゃんたちもそれぞれ忙しくお出かけしてしまってお家の中は静かでおケイちゃんとゆっくりお話しができる、はずだったんだけど。

 キュゥーン、という甲高くも情けないワンちゃんの泣き声がリビングの中に響き渡っていた。

 わたしとおケイちゃんが声のした方に目をやると、パパが出かける前にお庭に放していた愛犬のドーベルマン、リッキーが、開け放たれたベランダの窓の前、網戸越しに完全にこちら側を見てお座りしてキュンキュンと甘え声で鳴いていた。

 ワンちゃんには人間のような豊かな表情なんてない筈なのに、不思議とそのお顔に訴える気持ちは出る。その顔は「ねぇ、僕を中に入れてくれよ」ね。

 おケイちゃん、ため息交じりに肩を竦めた。

「リッキーは相変わらず図体ばかりデカくて情けないの。今朝は散歩に連れていけないから運動の為に、っておじ様が外に出したんでしょう?」

 苦笑いしてしまう。

「パパの前ではいつもシャンとしてるよ。ママとわたし達姉妹だけになるといつもこうなの」
「完全に舐められてる、それは。無駄に頭がいいんだから。こんなんで番犬になってるの?」

 わたしはアハハと笑いながらリビングの方へ。

「警戒心は強いから、初めて家に来た知らない人には敵対心むき出しにして吠えるから、一応番犬の役割は果たしてくれてる。でも吠えるのは、それはそれで大変なんだけどね」

 網戸を開けると、待ってましたとばかりに千切れんばかりに尻尾を振るリッキーが中に入って来た。それを見たおケイちゃん、ニッと笑って。

「あ、おじ様が帰ってきた!」

 ワンちゃんは、人間の言葉が理解できるんです。脱兎のごとく、ってこういう状況のことを言うんだろうな。

 目一杯ゴムを引っ張ったパチンコから放たれた球みたいな、それはそれはものすごい勢いでリッキーはお庭に飛び出して行った。

 おケイちゃん、お腹抱えて笑ってる。

「おケイちゃんたら……」

 わたしはリッキー用の棚からおやつのジャーキーを取り出して「リッキー、ごめん、違ったの。パパはまだだったみたい」と、庭で運動(するふり)していたリッキーに声をかけた。

 わたしの言葉を聞いたリッキーはすぐにこちらに飛んで来た。戻ってくるお顔から察するに、「なんだよ~」の表情かな?

 わたしからジャーキーをもらうとリッキーは床に転がって嬉しそうに食べ始めた。ドーベルマンだから身体は大きいし、お顔も強面だけど、赤ちゃんの時からみてるからいつまでも仔犬のように見えてかわいい。

 頬を緩めてリッキーの脇腹を撫でるわたしを見ておケイちゃんは、呆れながら言う。

「ひまりが甘やかすから」

 わたしは「そうかもね」と笑った。




 わたしの足元で、くつろぎモードに入ったリッキーはうとうとし始めていた。

 デザートの、リンゴのコンポートを食べながら、わたしは改めて昨夜の話をおケイちゃんにした。おケイちゃんは、そうだなぁ、と思案顔。

「どちらにしても、まだ、ロクに話しもしたことないのに、ひまりを助けてくれたってことでしょ」

 うん、とわたしは頷く。

「案外晃司の言う通りかもしれない」

 呟くように言ったおケイちゃんにわたしは、え? と聞き返した。おケイちゃんは「なんでもない、独り言」と軽く手を振った。晃司さんの言ったことってなんだろう。

 わたしはすごく気になってちょっぴり食い下がろうとしたけれど、おケイちゃんはナプキンでお口を拭いて、にっこり微笑んだ。

「ごちそうさま。すごく美味しかった。ひまり、お料理の腕前また上がったみたい」

 巧く逸らされてしまった。褒められて、ちょっとくすぐったいような気持ちになったわたしが肩を竦めて小さく、ありがと、と言うと、おケイちゃん、クスリと意味深な微笑を浮かべた。

「腕を振るうお相手ができたら、きっともっと上手くなるから」
「お相手?」
「そう」

 お料理を作るお相手は、いるけどなぁ。家族とか、今もこうしておケイちゃんに、とか。それとは、違うのかなぁ。

 小首を傾げて見つめているとニコニコ顔のおケイちゃんはナプキンをテーブルに置きながら言った。

「それにしてもケンさんは池袋で何していたの」

 おケイちゃんの問いかけに、わたしはすぐに反応した。

「それはね、ケンさん働いてるみたいだった」
「そうか、今は池袋で働いてるんだ」

 納得した様子のおケイちゃんに今度はわたしが聞く。

「どこかのお店でウエイターさんやってるみたいだったけど」

 カプチーノのカップにお口を付けていたおケイちゃん、吹きそうになっていた。

「おケイちゃん? わたし、何か変な事いった?」

 おケイちゃん、ナプキンで口元拭いながら、ううん、と小さく首を振って苦笑い。それを見て、わたしはあの時ケンさんが言った言葉を思い出した。

 お子様の行けないお店? って言ってた。どんなお店? 答えのない問題を懸命に考えているようなわたしに、おケイちゃん妙に納得したみたいにクスリと笑った。

「ウエイター、ね。なるほど」

 意味ありげな言い方に、わたしは、ちょっぴりむくれてしまう。何も、知らないって、なんだか、みんなに置いてかれている気持ちになるから。

「ケンさん、お子様の行けないお店、なんて言ってた。そんなお店、あるの?」

 あのねひまり、とおケイちゃんはまるで子供に諭すみたいに話し始めた。わたしは思わず姿勢を正して聞く体勢になってしまう。

「夜のお仕事、って言ったら分かる?」

 ヨルノ、オシゴト。ドキンッとした。それは、つまり。一般的に、お水の、と言われる、あれですか?

 わたしは目を丸くする。でもあれは、一般的に女の人がするお仕事って思ってて。ケンさんみたいな人は、どんなお仕事するの?

 ええとええと、とわたしはいろいろ考えを巡らせたけれど、そちら関係の知識の少ない貧困な想像力では予想はとても追いつかない。

 脳内の思考回路が完全に迷宮状態になっているわたしを見て取ったおケイちゃんは苦笑いと共に言った。

「大丈夫よ、ケンさんはそういうお店の案内係をしているだけで、そんな深入りはしていないから」

 案内? 深入り?

 なんだかよくは分からないけれど。ともかく、ケンさん自身はそういうお仕事の世界に染まっている人、というわけではない、ということ?

「だったら、普通のそんな夜のお仕事みたいなお仕事しなくても?」

 首を直角くらいに傾げたわたしにおケイちゃんは困ったように笑って、言いにくそうにしながらも口を開いた。

「そういうお仕事は、お金がいいから。ケンさんは、お金が必要な人だから」

 お金が、必要?

「ケンさん、実家は都内なんだけど、ちょっと事情があってアパート借りて一人で暮らしてるの」

 フッと浮かんだのはケンさんの姿。都内に実家があるのに、そこを出て一人暮らしをするような事情ってなんだろう。胸に、針を刺したような痛みを感じた。

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