永遠のヴァージン【完結】

深智

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挑戦

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 せっかくケンさんが誘ってくれた。でも、駄目なんです。わたし運動はちょっと。いえ、ちょっとどころじゃない。ぜんぜんダメなんです。五十メートル走もろくに走れないくらい。跳び箱だって、三段だって飛べないの。

 でも、ケンさんが。

 頭の中で、でもでもでも、が繰り返されて、前向きなわたしと後ろ向きなわたしが一進一退の攻防を繰り広げている。

 ケンさんの目が少年みたいに生き生きして輝いてる。こんなケンさんを見るのは初めてだった。ここはケンさんの大好きな場所で、ボルダリングは大好きなことなんだ、って伝わって来た。

 キュッと締まった胸が、鳴く。

 ケンさんは、嫌いな場所で嫌なことをわたしにさせようとしているわけじゃない。大好きな場所で、好きなことをわたしに薦めている。

「あ、その。わたし、こんな恰好だし」

 今日は、ひらひらのスカートに足元はミュールです。

 分かってはいるのだけど、ケンさんに近づきたいって気持ちで胸が熱くなり始めているけれど、最後まで出来る限りの抵抗はさせてもらいます。

「ああ、それなら大丈夫だ。全部貸してもらえる」
「え、そうなの」

 断る理由がバッサリと斬り落とされた。これ以上抵抗したらケンさんはもう誘ってくれないかも。

 でもわたしにはムリじゃない? ムリしてやることないよ。でも、ケンさんの好きなこと、やっていることを少しでも体験してみたくない?

 もう一人の自分の声に、わたしの心が呼応する。

 わたし、ケンさんが好きなこと、少しでも体験してみたい。今遠すぎるケンさんの気持ちに少しでも近づけるのなら。

「やってみます」

 決まった心は、声を自分でもびっくりするくらい力強くしていた。ケンさんはクスリと笑ってわたしの頭を撫でてくれた。

「よし。大丈夫だ、初心者でもどんな運痴でもルールを教われば出来るんだ。俺がちゃんと教えてやるから」

 優しくて、温かく響く声だった。

――俺が、教えてやるから。

 その言葉がわたしの胸を、涙が出そうになるくらい震わせた。特別な意味なんてないのに、なんて、ドキドキさせる言葉なんだろう。

 ケンさん。ケンさんの言葉はわたしの心をいとも簡単に揺さぶってしまう。頭にケンさんの手を感じながら、わたしはやっと、「うん」とだけ頷いた。

 これが、この感覚は、もしかして――、って考えて、涙が込み上げてきそうになった。



 ケンさんのお知り合いという受付の、南さんというお姉さんがボルダリングの準備を全部整えてくれた。

 ロッカーが並ぶ更衣室でお借りしたTシャツと七分丈のパンツに着替えたところで南さんが入って来た。

「着替え終わったわね。シューズはこれね」

 長い髪をキュッと縛ったスポーティーなイメージの南さん。年は、二十五、六くらいかな。

 渡されたのは、軽くてちょっと変わった形のマジックテープで留めるタイプのシューズだった。

「普段履く靴よりもワンサイズくらい小さなものを選ぶからキツイと思うけどそこは我慢してね。安全の為だから」

 はい、と頷いたわたしに南さん、微笑んだ。

「ケンが待ってる。これ履いたら、直ぐ来てね」

 ドキンとしてしまった。全身が映っている鏡が傍にあった。その中にいる自分は、まるでぶかぶかの制服に着られてしまっている四月の新入生みたいにぎこちない。

 ケンさんにこんな恰好、見られるの? やめればよかった、っていう後悔と、どうしようという不安がわたしの中に一杯に拡がっていた。


 更衣室を出て行くと、ケンさんが待っていた。

 わたしが借りたのと同じようなTシャツに七分丈パンツにシューズのケンさんは、すごく似合っていて馴染んで、カッコいいのに。

 許されるものならこのまま更衣室に回れ右して戻りたい。

「お嬢、初めてなんだから気にするな。固くならなくていい」

 ケンさん、わたしの顔を見て真っ先にそう言った。強張るわたしの心を、ちゃんと見抜いてた。

 ケンさんの中には、そっけなさと優しさが絶妙なバランスで存在している。胸が、ぎゅうって締まる。ツキンって痛くなる。

 傍に来たケンさんの手が、すっとわたしの髪の毛に伸びた。え、っと思った時には、わたしの肩の下まで伸びた髪の毛が一房、ケンさんの手の中に。

「縛った方がいいな」

 あ。駄目だ。油断すると膝の力が抜けそう。

 まるで、髪の毛一本一本に神経があるみたいに、そこに心臓があるみたいに、ケンさんに触れられてる髪一房から全身にドキドキが伝わる。ものすごく近い距離に、息遣いまで伝わってきてしまうくらい傍に、ケンさんがいる。

 な、なにか答えなきゃ。

「しばるもの、もってなくて」

 しどろもどろの棒読みになった。全身の血流が、逆に流れるんじゃないかってうくらい、今、おでこチョンなんてされただけできっと倒れる、っていうくらい、立っているのがやっとだった。

「南さ―ん、髪、縛るもの貸してくれないかー」

 ケンさん、わたしの髪の毛持ったまま、受付にいた南さんに声を掛けた。南さん、オッケー、と答えて少しして、茶色のかわいいシュシュを持ってきてくれた。

 シュシュを受け取ったケンさんはなんと。

「けんさん……!」
「待ってろ」

 わたしのウエーブのかかった長い髪を、ケンさんは慣れた手付きですっとまとめた。

 首に、ケンさんの長い指が触れて震えそうになった。肩を竦めそうになるのを我慢して目をギュッと閉じた。
胸が痺れてしまう! ケンさんの指が、触れるだけで身体が熱くなる。

「お嬢、くせ毛だな」

 わたしの髪を縛ってくれたケンさんは、最後に頭を軽くポン。涙目になるのを堪えてケンさんを見上げて頷きつつ、「ありがとう」と言う。

 ケンさんの言う通り、わたしの髪のウエーブはパーマではなく、くせっ毛です。でも、パーマでごまかすのはなんとなく抵抗があって一生懸命ブローで言う事を聞かせてる。

「梅雨どきは、どんなにブローしても言うこと聞かなかったりするの」
「そうだろうな」

 ケンさん、笑いながらわたしの後れ毛に触れた。一つ一つの仕草に、いちいち心臓が壊れそうなくらいドキドキする。

 わたし、このままケンさんと一緒にいて、大丈夫なのかな。



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