永遠のヴァージン【完結】

深智

文字の大きさ
16 / 46

クライミングジム

しおりを挟む
 ケンさんに〝付き合って〟と言われ、浮かれたわたしが連れられて来た場所は、わたしの人生の指針、ベクトルが指し示す方向に存在する可能性は限りなくゼロに近い場所だった。

「ケンさん、ここって――?」

 まるで天高くそびえる岩のような壁に囲まれた天井の高い広い空間。カラフルな突起が無数に付いている壁は、直角なだけではなく、迫ってくるような角度になっている場所もある。ところどころで、壁の突起に手と足を掛けてよじ登る人の姿があった。

 これはまさか、最近テレビでもよくお見かけするあの競技の、

「クライミングジムだ。ボルダリング、知ってるだろ」
「ぼるだりんぐ……」
「壁をひたすら登る場所」
「……でしょうね」

 実際に見たのは初めてで、わたしは、未知の世界に足を踏み入れてしまったような気持ちで真っ白になりそうな頭を必死に回転させていた。

 連れて来られたのは高田馬場駅近くにあるスポーツジムのビルだった。中に入ってすぐ、体育館のような天井の高い大きな部屋があって、そこがこのボルダリングスペースになっていた。

「おう、ケン!」
「ひさしぶりだな」

 壁から下りてきた男の人が二人、ケンさんに話しかけながら近づいてきて、ケンさんと、グータッチした。

「あれ、その子は?」

 一人の男の人がわたしに気付いた。

「ああ、大学の友人」

 知らない場所にいきなり連れて来られて完全に借りて来た猫状態のわたしは緊張でカチカチになったまま頭を下げた。もう一人の人が、ふうん、と意味深な笑みを浮かべた。

「お前がここに女連れて来たのは、初めてじゃないか?」

 ドキッとした。ケンさんには途切れなく女の人がいた、とおケイちゃんから聞いている。色々な憶測がわたしの中を巡りそうになった時。

「さあ、どうだったかな」

 ごまかすように笑ってわたしを見たケンさん、ニッと笑った。

 え、なに?

 何か物言いたげな笑みに見えた。なんだろう、ちょっと、良からぬことを企んでるような?

 思わず構えてケンさんを見たわたしの頭をケンさんはポンと軽く叩いた。

「コイツは最適なサンプルになりそうなんで連れて来た」
「さんぷる~?」

 男の人達同様、わたしも首を傾げる。

 ケンさん?

「それより、東堂さんだ、東堂さん」

 男の人は「ああ」と反応して入り口傍のカウンターを覗き込んだ。

「おーい、東堂さん、お待ちかねのケン来たぞー」

 カウンターの奥から、ケンさんと似たイメージの(偏見かもしれないけれど)お山が好きそうなよく日に焼けた精悍な印象の男の人が出てきた。年は、わたし達よりも、だいぶ上かな。

「待ってたぞ、ケン。例の、あそこだ。すぐに頼む」

 カウンターから出てきた東堂さん、という人がボツボツの壁がいっぱいのジムの、奥にある壁を指さして、差された先を見たケンさん、頷いた。

「ああ、あれか。なかなかよさげじゃね?」
「だろ?」

 ケンさんの視線がまたわたしに戻ってきた。さっきよりもちょっと意地悪な笑みに変化してる?

「ケンさん?」
「俺がお嬢をここに連れてきた意味、じきに分かる」

 え?

 これは、未知との遭遇への序章だった。



 Tシャツに七分丈パンツにシューズ、というスタイルに着替えたケンさんが、さっき東堂さんに指示された壁を、登り始めた、と思ったらあっという間に登頂。

「どうだー?」

 壁の頂上にいるケンさんは東堂さんに声を掛けられ応える。

「駄目だ、俺、インストラクターとかやってねーし、初心者の感覚はちょっと分かんねーわ」
「そうかー」

 ケンさんの言葉に東堂さんは肩を落とした。

 少し前、ケンさんが着替えをしている間、ここのオーナーさんという東堂さんがわたしのお相手をしてくれて、色々教えてくれた。

 オリンピック種目にもなったボルダリング。最近では注目度もうなぎ上りで、これから始めたいという人がとても増えてきたのだそう。そこで、このジムも初心者さんの為に簡単なコースを作ってみたのだという。

 ケンさんが今日ここに来たのは、出来上がった初心者用のコースを解禁前に実際登って感想を聞かせて欲しい、と頼まれたからなのだとか。

 オーナーさんは「ケンは、実際の山で岩登っているからね。ここに通う連中の中でも一、二を争う力を持っているからさ」と言いながら目を細めていたのだけれど。

 登り切ったケンさんから届いた言葉は、「初心者がどう感じるかは、俺にはわかんねーよ」だった。

「やっぱ、初めてやるようなヤツに登ってもらわないと初心者用のホールドの完成度は分からないか」
「東堂さん、ガッカリすることねーよ。そこにサンプルがいるだろ」

 壁の上から言ったケンさん、誰かを指さしている。

「サンプル?」

 ケンさんの指さす先を追った東堂さんの視線がわたしに到達する。

「おおっ!」

 東堂さんの顔がきらめいた。

 え? え?

 壁の頂上からケンさんが飛び降り(!)てきた。大きな手が、わたしの頭上に乗せられた。

「東堂さん、最高のサンプル、連れてきましたよ」

 わたしはもしかして、嵌められたんですか?

 脳内の認知細胞が、何が起ころうとしているか理解するのを必死に拒絶しようとしている。固まるわたしの目の中に、ケンさんの視線が戻ってきた。

 ケンさんの目は真っ直ぐで真剣だった。ふざけているわけでも、意地悪で言ってるわけでもないことが伝わってきた。でも、でもですね。

「お嬢、やってみないか?」
「え、なにを?」

 分かってはいます。

 ケンさんの言葉が何を指しているかはもう分かり切っているのだけど、認めるのが恐ろしくて確認の為に聞き返した。

 たぶん、脳が拒否しているんです。

 ケンさん、いたずらっ子みたいな笑みを浮かべてから、わざとらしい恭しさでお辞儀しながらカラフルなボツボツがくっ付いた壁を手で指し示し、言った。

「お嬢様、アレでございます」

 むりですぅうぅぅ――――っ!



しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

Re.start ~学校一イケメンの元彼が死に物狂いで復縁を迫ってきます~

伊咲 汐恩
恋愛
高校三年生の菊池梓は教師の高梨と交際中。ある日、元彼 蓮に密会現場を目撃されてしまい、復縁宣言される。蓮は心の距離を縮めようと接近を試みるが言葉の履き違えから不治の病と勘違いされる。慎重に恋愛を進める高梨とは対照的に蓮は度重なる嫌がらせと戦う梓を支えていく。後夜祭の時に密会している梓達の前に現れた蓮は梓の手を取って高梨に堂々とライバル宣言をする。そして、後夜祭のステージ上で付き合って欲しいと言い…。 ※ この物語はフィクションです。20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。 この作品は「魔法のiらんど、野いちご、ベリーズカフェ、エブリスタ、小説家になろう」にも掲載してます。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

処理中です...