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クライミングジム
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ケンさんに〝付き合って〟と言われ、浮かれたわたしが連れられて来た場所は、わたしの人生の指針、ベクトルが指し示す方向に存在する可能性は限りなくゼロに近い場所だった。
「ケンさん、ここって――?」
まるで天高くそびえる岩のような壁に囲まれた天井の高い広い空間。カラフルな突起が無数に付いている壁は、直角なだけではなく、迫ってくるような角度になっている場所もある。ところどころで、壁の突起に手と足を掛けてよじ登る人の姿があった。
これはまさか、最近テレビでもよくお見かけするあの競技の、
「クライミングジムだ。ボルダリング、知ってるだろ」
「ぼるだりんぐ……」
「壁をひたすら登る場所」
「……でしょうね」
実際に見たのは初めてで、わたしは、未知の世界に足を踏み入れてしまったような気持ちで真っ白になりそうな頭を必死に回転させていた。
連れて来られたのは高田馬場駅近くにあるスポーツジムのビルだった。中に入ってすぐ、体育館のような天井の高い大きな部屋があって、そこがこのボルダリングスペースになっていた。
「おう、ケン!」
「ひさしぶりだな」
壁から下りてきた男の人が二人、ケンさんに話しかけながら近づいてきて、ケンさんと、グータッチした。
「あれ、その子は?」
一人の男の人がわたしに気付いた。
「ああ、大学の友人」
知らない場所にいきなり連れて来られて完全に借りて来た猫状態のわたしは緊張でカチカチになったまま頭を下げた。もう一人の人が、ふうん、と意味深な笑みを浮かべた。
「お前がここに女連れて来たのは、初めてじゃないか?」
ドキッとした。ケンさんには途切れなく女の人がいた、とおケイちゃんから聞いている。色々な憶測がわたしの中を巡りそうになった時。
「さあ、どうだったかな」
ごまかすように笑ってわたしを見たケンさん、ニッと笑った。
え、なに?
何か物言いたげな笑みに見えた。なんだろう、ちょっと、良からぬことを企んでるような?
思わず構えてケンさんを見たわたしの頭をケンさんはポンと軽く叩いた。
「コイツは最適なサンプルになりそうなんで連れて来た」
「さんぷる~?」
男の人達同様、わたしも首を傾げる。
ケンさん?
「それより、東堂さんだ、東堂さん」
男の人は「ああ」と反応して入り口傍のカウンターを覗き込んだ。
「おーい、東堂さん、お待ちかねのケン来たぞー」
カウンターの奥から、ケンさんと似たイメージの(偏見かもしれないけれど)お山が好きそうなよく日に焼けた精悍な印象の男の人が出てきた。年は、わたし達よりも、だいぶ上かな。
「待ってたぞ、ケン。例の、あそこだ。すぐに頼む」
カウンターから出てきた東堂さん、という人がボツボツの壁がいっぱいのジムの、奥にある壁を指さして、差された先を見たケンさん、頷いた。
「ああ、あれか。なかなかよさげじゃね?」
「だろ?」
ケンさんの視線がまたわたしに戻ってきた。さっきよりもちょっと意地悪な笑みに変化してる?
「ケンさん?」
「俺がお嬢をここに連れてきた意味、じきに分かる」
え?
これは、未知との遭遇への序章だった。
Tシャツに七分丈パンツにシューズ、というスタイルに着替えたケンさんが、さっき東堂さんに指示された壁を、登り始めた、と思ったらあっという間に登頂。
「どうだー?」
壁の頂上にいるケンさんは東堂さんに声を掛けられ応える。
「駄目だ、俺、インストラクターとかやってねーし、初心者の感覚はちょっと分かんねーわ」
「そうかー」
ケンさんの言葉に東堂さんは肩を落とした。
少し前、ケンさんが着替えをしている間、ここのオーナーさんという東堂さんがわたしのお相手をしてくれて、色々教えてくれた。
オリンピック種目にもなったボルダリング。最近では注目度もうなぎ上りで、これから始めたいという人がとても増えてきたのだそう。そこで、このジムも初心者さんの為に簡単なコースを作ってみたのだという。
ケンさんが今日ここに来たのは、出来上がった初心者用のコースを解禁前に実際登って感想を聞かせて欲しい、と頼まれたからなのだとか。
オーナーさんは「ケンは、実際の山で岩登っているからね。ここに通う連中の中でも一、二を争う力を持っているからさ」と言いながら目を細めていたのだけれど。
登り切ったケンさんから届いた言葉は、「初心者がどう感じるかは、俺にはわかんねーよ」だった。
「やっぱ、初めてやるようなヤツに登ってもらわないと初心者用のホールドの完成度は分からないか」
「東堂さん、ガッカリすることねーよ。そこにサンプルがいるだろ」
壁の上から言ったケンさん、誰かを指さしている。
「サンプル?」
ケンさんの指さす先を追った東堂さんの視線がわたしに到達する。
「おおっ!」
東堂さんの顔がきらめいた。
え? え?
壁の頂上からケンさんが飛び降り(!)てきた。大きな手が、わたしの頭上に乗せられた。
「東堂さん、最高のサンプル、連れてきましたよ」
わたしはもしかして、嵌められたんですか?
脳内の認知細胞が、何が起ころうとしているか理解するのを必死に拒絶しようとしている。固まるわたしの目の中に、ケンさんの視線が戻ってきた。
ケンさんの目は真っ直ぐで真剣だった。ふざけているわけでも、意地悪で言ってるわけでもないことが伝わってきた。でも、でもですね。
「お嬢、やってみないか?」
「え、なにを?」
分かってはいます。
ケンさんの言葉が何を指しているかはもう分かり切っているのだけど、認めるのが恐ろしくて確認の為に聞き返した。
たぶん、脳が拒否しているんです。
ケンさん、いたずらっ子みたいな笑みを浮かべてから、わざとらしい恭しさでお辞儀しながらカラフルなボツボツがくっ付いた壁を手で指し示し、言った。
「お嬢様、アレでございます」
むりですぅうぅぅ――――っ!
「ケンさん、ここって――?」
まるで天高くそびえる岩のような壁に囲まれた天井の高い広い空間。カラフルな突起が無数に付いている壁は、直角なだけではなく、迫ってくるような角度になっている場所もある。ところどころで、壁の突起に手と足を掛けてよじ登る人の姿があった。
これはまさか、最近テレビでもよくお見かけするあの競技の、
「クライミングジムだ。ボルダリング、知ってるだろ」
「ぼるだりんぐ……」
「壁をひたすら登る場所」
「……でしょうね」
実際に見たのは初めてで、わたしは、未知の世界に足を踏み入れてしまったような気持ちで真っ白になりそうな頭を必死に回転させていた。
連れて来られたのは高田馬場駅近くにあるスポーツジムのビルだった。中に入ってすぐ、体育館のような天井の高い大きな部屋があって、そこがこのボルダリングスペースになっていた。
「おう、ケン!」
「ひさしぶりだな」
壁から下りてきた男の人が二人、ケンさんに話しかけながら近づいてきて、ケンさんと、グータッチした。
「あれ、その子は?」
一人の男の人がわたしに気付いた。
「ああ、大学の友人」
知らない場所にいきなり連れて来られて完全に借りて来た猫状態のわたしは緊張でカチカチになったまま頭を下げた。もう一人の人が、ふうん、と意味深な笑みを浮かべた。
「お前がここに女連れて来たのは、初めてじゃないか?」
ドキッとした。ケンさんには途切れなく女の人がいた、とおケイちゃんから聞いている。色々な憶測がわたしの中を巡りそうになった時。
「さあ、どうだったかな」
ごまかすように笑ってわたしを見たケンさん、ニッと笑った。
え、なに?
何か物言いたげな笑みに見えた。なんだろう、ちょっと、良からぬことを企んでるような?
思わず構えてケンさんを見たわたしの頭をケンさんはポンと軽く叩いた。
「コイツは最適なサンプルになりそうなんで連れて来た」
「さんぷる~?」
男の人達同様、わたしも首を傾げる。
ケンさん?
「それより、東堂さんだ、東堂さん」
男の人は「ああ」と反応して入り口傍のカウンターを覗き込んだ。
「おーい、東堂さん、お待ちかねのケン来たぞー」
カウンターの奥から、ケンさんと似たイメージの(偏見かもしれないけれど)お山が好きそうなよく日に焼けた精悍な印象の男の人が出てきた。年は、わたし達よりも、だいぶ上かな。
「待ってたぞ、ケン。例の、あそこだ。すぐに頼む」
カウンターから出てきた東堂さん、という人がボツボツの壁がいっぱいのジムの、奥にある壁を指さして、差された先を見たケンさん、頷いた。
「ああ、あれか。なかなかよさげじゃね?」
「だろ?」
ケンさんの視線がまたわたしに戻ってきた。さっきよりもちょっと意地悪な笑みに変化してる?
「ケンさん?」
「俺がお嬢をここに連れてきた意味、じきに分かる」
え?
これは、未知との遭遇への序章だった。
Tシャツに七分丈パンツにシューズ、というスタイルに着替えたケンさんが、さっき東堂さんに指示された壁を、登り始めた、と思ったらあっという間に登頂。
「どうだー?」
壁の頂上にいるケンさんは東堂さんに声を掛けられ応える。
「駄目だ、俺、インストラクターとかやってねーし、初心者の感覚はちょっと分かんねーわ」
「そうかー」
ケンさんの言葉に東堂さんは肩を落とした。
少し前、ケンさんが着替えをしている間、ここのオーナーさんという東堂さんがわたしのお相手をしてくれて、色々教えてくれた。
オリンピック種目にもなったボルダリング。最近では注目度もうなぎ上りで、これから始めたいという人がとても増えてきたのだそう。そこで、このジムも初心者さんの為に簡単なコースを作ってみたのだという。
ケンさんが今日ここに来たのは、出来上がった初心者用のコースを解禁前に実際登って感想を聞かせて欲しい、と頼まれたからなのだとか。
オーナーさんは「ケンは、実際の山で岩登っているからね。ここに通う連中の中でも一、二を争う力を持っているからさ」と言いながら目を細めていたのだけれど。
登り切ったケンさんから届いた言葉は、「初心者がどう感じるかは、俺にはわかんねーよ」だった。
「やっぱ、初めてやるようなヤツに登ってもらわないと初心者用のホールドの完成度は分からないか」
「東堂さん、ガッカリすることねーよ。そこにサンプルがいるだろ」
壁の上から言ったケンさん、誰かを指さしている。
「サンプル?」
ケンさんの指さす先を追った東堂さんの視線がわたしに到達する。
「おおっ!」
東堂さんの顔がきらめいた。
え? え?
壁の頂上からケンさんが飛び降り(!)てきた。大きな手が、わたしの頭上に乗せられた。
「東堂さん、最高のサンプル、連れてきましたよ」
わたしはもしかして、嵌められたんですか?
脳内の認知細胞が、何が起ころうとしているか理解するのを必死に拒絶しようとしている。固まるわたしの目の中に、ケンさんの視線が戻ってきた。
ケンさんの目は真っ直ぐで真剣だった。ふざけているわけでも、意地悪で言ってるわけでもないことが伝わってきた。でも、でもですね。
「お嬢、やってみないか?」
「え、なにを?」
分かってはいます。
ケンさんの言葉が何を指しているかはもう分かり切っているのだけど、認めるのが恐ろしくて確認の為に聞き返した。
たぶん、脳が拒否しているんです。
ケンさん、いたずらっ子みたいな笑みを浮かべてから、わざとらしい恭しさでお辞儀しながらカラフルなボツボツがくっ付いた壁を手で指し示し、言った。
「お嬢様、アレでございます」
むりですぅうぅぅ――――っ!
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