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慎二は、東京都内の内縁の妻の家に身を寄せていた。彼女が経営する喫茶店でマスターとして働いていた慎二は、約束通りにやって来た星児に嚙んで含めるように言い聞かせる。
「いいか、星児。君がヤンチャな子だって事は、あの山にいた時から僕自身よーく知っているけれど、ずっと面倒見てくれた牧師からも聞いている。けど、根がいいヤツだというのは分かっているし、何と言っても大事な弟みたいなものだからここに来る事を奥さんに許してもらった。くれぐれも、奥さんには迷惑をかけないように」
眉を下げた慎二に釘を刺された星児は、「分かってるよ」と答えたる。
「心配すんな、慎ちゃんには迷惑かけないように、早く仕事見つけて出て行くからよ」
言葉通り、星児はひと月ほどで住み込みの仕事を見つけ、寮へと移っていった。
住み込みの仕事とは、若手が共同生活をするホストの仕事だった。店は、まだ未成年者の星児を雇うような、不法営業の、看板も出していないホストクラブだった。
一九七九年当時、歓楽街に於ける風俗営業に対する当局の取締りはまださほど厳しくは無く、無法状態に近かった。
ホストクラブ〝ラモーレ〟の代表に気に入られた星児は、足場を固め這い上がり、十代でありながらナンバー入りの人気ホストになっていった。
この街で堂々と働けるようになる成人を目前としていた秋、麗子を見つけた。最後に別れたあの日から九年が経っていた。
その日は、朝から降りだした雨が次第に雨脚を強め、夕方には都心に大雨注意報が出される程の大荒れの天気となっていた。
「今日は客、来ねーよ。あーあ、一張羅が……」
「お前なんか自前だからいいぜ。俺のは借りもんだぜー」
キャッチに出ていたホストが数人、濡れ鼠となって店に戻りボヤく。今夜は外に出る予定のなかった星児はその様子を遠巻きに煙草を吸いながら見ていた。
確かにこの天気のせいか、そろそろ稼ぎ時ともいえる時間になるのに店内は、閑古鳥が鳴いていた。
「そういや、あの香蘭ってストリップ劇場、こんな雨だってのに行列だったぜ」
「ああ、あそこな。あれだろ、この間から、どっかの劇場から移ってきたレイコって踊り子目当てだろ」
「移ってきた?」
レイコ?
踊り子の名前が星児の中に引っかかった。レイコなんて、ありふれた名前なのに、どうにも気に掛かった。星児の直感的なものだったのだろう。
「ほら、香蘭って最近経営者、変わっただろ。池袋だかでやってた劇場のナンバーワンの踊り子をこっちに持ってきたらしいぜ」
「その経営者ってあれだろ、五年くらい前に九州からやって来たっていうやり手だろ。香蘭の買収も、いい女を抱え込んでいたから売り込んでたらしいぜ」
「それがレイコか」
「ハハッ、ヤラシイーなぁ」
「オレ、一回見たけど、すげーいい女だったぜ」
「ますます羨ましいヤローだな」
「香蘭ってアレだろ、踊り子がヤらせてくれるってので有名だろ」
ホスト達の卑しい想像を掻き立てる噂話を黙って聞いていた星児が煙草を揉み消し立ち上がった。
「あれ、セイジ出掛けんのか」
「ちょっくら引っかけてくる。暇で仕方ねーだろ。開店休業状態、解消してやるよ」
入口ドアに手を掛けた星児は、フロアで一ヶ所に群がるホスト達に不敵に笑ってみせた。
ホストクラブ〝ラモーレ〟が入る雑居ビルから出てきた星児は傘を広げると夜の街へ出た。雨の歓楽街は人通りも疎らで、ネオンの明かりが空々しく煌めき濡れた地面に反射している。
星児の向かう先は一つ。
香蘭劇場だ。
星児は途中、雨をしのげる場所で煙草を吸うホステスらしき二人連れを見つけ声をかけた。
「暇そうじゃね? 同業のニオイすんけど?」
「あ、ちょーカッコイイおにーさん、もしやホスト?」
「ビンゴ」
「やっぱりー! おにーさんもビンゴ」
キャハハと笑った彼女達に、星児もクシャッと笑ってみせた。
「今夜は店は?」
「んー、今夜は暇だからあたしらみたいのはいいよ、みたいなー。バカにしてるよねぇ。あたしらだって頑張ってんのに」
「じゃあ、うちの店も暇してるからパァッと飲んでかね? 今夜なら初回料金でホスト選り取り見取だぜ。すぐそこだからさ」
「いいかもー」
「うんうん~。おにーさんも一緒に?」
「いや、ちょっと待ってろ」
二人のホステスをすっかり行く気にさせた星児は直ぐ側の電話ボックスを見つけ駆け込む。店に連絡を入れてビルの前に迎えに出るよう伝えた。
彼女達のところに戻ると顔の前で軽く片手をかざし謝る仕草をしてみせてから店の地図が書かれた名刺を渡した。
「俺はもう少し客引きする。後で必ず店に戻るから楽しんでてくれよ。イイ男が店前で迎えに出てくれてる」
星児の笑顔に、すっかり気分を良くした二人は教えられた店のある雑居ビルへ歩き出す。連絡を受けたホストが迎えに駆け寄る姿を見、星児は再び歩き出した。
道中、他に二組程客引きをしていずれも成功させ店に行かせた。
俺は何やってんだ。
小さく舌打ちをした星児は高鳴る鼓動を押さえ、仲間のホスト達が話していた二丁先の香蘭劇場へと走った。
片時も忘れた事は無かった。
星児は、もしや、と思う時は必ず確かめに走った。違えば、肩を落とすと同時に複雑な想いが交錯した。
見つからないという事は、何処かで幸せに暮らしていてくれてるという事だ。そうあって欲しい、という想いがあったから。
しかし今回は嫌な胸騒ぎがした。
桑名という男の事は調べがついていた。自分達の知るあの男の経歴は全て嘘っぱちで、性風俗で身を立てる人間だった。
踊り子レイコ。
今回は多分、間違いない。俺の直感が間違っていた事はない。
ストリッパー? なんで麗子がそんなとこにいるんだ!
『ヤらせてくれる劇場だろ』
俺の勘が間違いであってくれ!
ざわつく星児の胸が、一層騒がしくなる。恐らく、間違いではない。
踊り子レイコは、麗子だ!
「いいか、星児。君がヤンチャな子だって事は、あの山にいた時から僕自身よーく知っているけれど、ずっと面倒見てくれた牧師からも聞いている。けど、根がいいヤツだというのは分かっているし、何と言っても大事な弟みたいなものだからここに来る事を奥さんに許してもらった。くれぐれも、奥さんには迷惑をかけないように」
眉を下げた慎二に釘を刺された星児は、「分かってるよ」と答えたる。
「心配すんな、慎ちゃんには迷惑かけないように、早く仕事見つけて出て行くからよ」
言葉通り、星児はひと月ほどで住み込みの仕事を見つけ、寮へと移っていった。
住み込みの仕事とは、若手が共同生活をするホストの仕事だった。店は、まだ未成年者の星児を雇うような、不法営業の、看板も出していないホストクラブだった。
一九七九年当時、歓楽街に於ける風俗営業に対する当局の取締りはまださほど厳しくは無く、無法状態に近かった。
ホストクラブ〝ラモーレ〟の代表に気に入られた星児は、足場を固め這い上がり、十代でありながらナンバー入りの人気ホストになっていった。
この街で堂々と働けるようになる成人を目前としていた秋、麗子を見つけた。最後に別れたあの日から九年が経っていた。
その日は、朝から降りだした雨が次第に雨脚を強め、夕方には都心に大雨注意報が出される程の大荒れの天気となっていた。
「今日は客、来ねーよ。あーあ、一張羅が……」
「お前なんか自前だからいいぜ。俺のは借りもんだぜー」
キャッチに出ていたホストが数人、濡れ鼠となって店に戻りボヤく。今夜は外に出る予定のなかった星児はその様子を遠巻きに煙草を吸いながら見ていた。
確かにこの天気のせいか、そろそろ稼ぎ時ともいえる時間になるのに店内は、閑古鳥が鳴いていた。
「そういや、あの香蘭ってストリップ劇場、こんな雨だってのに行列だったぜ」
「ああ、あそこな。あれだろ、この間から、どっかの劇場から移ってきたレイコって踊り子目当てだろ」
「移ってきた?」
レイコ?
踊り子の名前が星児の中に引っかかった。レイコなんて、ありふれた名前なのに、どうにも気に掛かった。星児の直感的なものだったのだろう。
「ほら、香蘭って最近経営者、変わっただろ。池袋だかでやってた劇場のナンバーワンの踊り子をこっちに持ってきたらしいぜ」
「その経営者ってあれだろ、五年くらい前に九州からやって来たっていうやり手だろ。香蘭の買収も、いい女を抱え込んでいたから売り込んでたらしいぜ」
「それがレイコか」
「ハハッ、ヤラシイーなぁ」
「オレ、一回見たけど、すげーいい女だったぜ」
「ますます羨ましいヤローだな」
「香蘭ってアレだろ、踊り子がヤらせてくれるってので有名だろ」
ホスト達の卑しい想像を掻き立てる噂話を黙って聞いていた星児が煙草を揉み消し立ち上がった。
「あれ、セイジ出掛けんのか」
「ちょっくら引っかけてくる。暇で仕方ねーだろ。開店休業状態、解消してやるよ」
入口ドアに手を掛けた星児は、フロアで一ヶ所に群がるホスト達に不敵に笑ってみせた。
ホストクラブ〝ラモーレ〟が入る雑居ビルから出てきた星児は傘を広げると夜の街へ出た。雨の歓楽街は人通りも疎らで、ネオンの明かりが空々しく煌めき濡れた地面に反射している。
星児の向かう先は一つ。
香蘭劇場だ。
星児は途中、雨をしのげる場所で煙草を吸うホステスらしき二人連れを見つけ声をかけた。
「暇そうじゃね? 同業のニオイすんけど?」
「あ、ちょーカッコイイおにーさん、もしやホスト?」
「ビンゴ」
「やっぱりー! おにーさんもビンゴ」
キャハハと笑った彼女達に、星児もクシャッと笑ってみせた。
「今夜は店は?」
「んー、今夜は暇だからあたしらみたいのはいいよ、みたいなー。バカにしてるよねぇ。あたしらだって頑張ってんのに」
「じゃあ、うちの店も暇してるからパァッと飲んでかね? 今夜なら初回料金でホスト選り取り見取だぜ。すぐそこだからさ」
「いいかもー」
「うんうん~。おにーさんも一緒に?」
「いや、ちょっと待ってろ」
二人のホステスをすっかり行く気にさせた星児は直ぐ側の電話ボックスを見つけ駆け込む。店に連絡を入れてビルの前に迎えに出るよう伝えた。
彼女達のところに戻ると顔の前で軽く片手をかざし謝る仕草をしてみせてから店の地図が書かれた名刺を渡した。
「俺はもう少し客引きする。後で必ず店に戻るから楽しんでてくれよ。イイ男が店前で迎えに出てくれてる」
星児の笑顔に、すっかり気分を良くした二人は教えられた店のある雑居ビルへ歩き出す。連絡を受けたホストが迎えに駆け寄る姿を見、星児は再び歩き出した。
道中、他に二組程客引きをしていずれも成功させ店に行かせた。
俺は何やってんだ。
小さく舌打ちをした星児は高鳴る鼓動を押さえ、仲間のホスト達が話していた二丁先の香蘭劇場へと走った。
片時も忘れた事は無かった。
星児は、もしや、と思う時は必ず確かめに走った。違えば、肩を落とすと同時に複雑な想いが交錯した。
見つからないという事は、何処かで幸せに暮らしていてくれてるという事だ。そうあって欲しい、という想いがあったから。
しかし今回は嫌な胸騒ぎがした。
桑名という男の事は調べがついていた。自分達の知るあの男の経歴は全て嘘っぱちで、性風俗で身を立てる人間だった。
踊り子レイコ。
今回は多分、間違いない。俺の直感が間違っていた事はない。
ストリッパー? なんで麗子がそんなとこにいるんだ!
『ヤらせてくれる劇場だろ』
俺の勘が間違いであってくれ!
ざわつく星児の胸が、一層騒がしくなる。恐らく、間違いではない。
踊り子レイコは、麗子だ!
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